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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
3章 日露戦争
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22話 旅順以外の戦い

日本陸軍は開戦から勝利を重ね、満州を北上していた。

7月半ばにはロシア軍から初めて摩天嶺にて反撃を受けて全面的な攻防が繰り広げられた。

7月の終わりになると、大石橋や、遼陽東部でも激闘が起こる。

戦闘はどちらが勝ったとは言えない状況ではあったが、指揮をとっていたロシア将校が独断で部隊を退却してしまった。

彼は自軍の兵士の損害が大きく、日本軍との戦いに自信がなくなっていた。

それだけロシア軍の士気は上がってなかったと言える。

この部隊の退却によりロシアの前線は混乱に陥り、総退却せざるを得なくなり、結局この時の戦いも日本が勝利した。


それでも、ロシアは本国から満州に戦力を送り続けており、この地域での兵力差は徐々にロシアに傾いていく情勢だった。

そのことを見落とせない日本側はロシアの士気が低下している段階で攻勢を仕掛けようとする。

8月末、日露の軍は開戦してから遼陽で最大規模の激闘を繰り広げる。

この攻防は一進一退の状況がしばらく続いた。それが交通の需要地点である太子河を日本軍は何とか渡ることに成功することで一変する。

これにより、ロシア軍側は東西に分断されかねない状況になり、部隊が孤立するのを怖れが出てしまう。

やむなくロシアの前線司令官は退却を命じた。

そして9月になると、ロシアは遼陽までも明け渡して撤退していき、この戦いも日本の勝利に終わった。

この遼陽の戦いは両軍とも2万人の死傷者をでるほど悲惨なものだった。


戦いは次第に消耗戦の様相を出してきており、双方の国でも援軍の派兵と軍需物資の運搬が重大なものになりつつあった。

近代化された軍隊同士の戦いは、それまでの列強国と植民地との戦いとは大きく異なっていた。

列強国の一方的とも言える植民地住民への殺戮場面はこの戦争では全く見られない。

どちらが勝利してもあまりに多くの損害が生じていた。

互いに近代兵器を持っての殺し合い、特に機関銃により兵士の死傷者は増大して、日本もロシアも互いに消耗戦になっていく。

まだ近代化を遂げたばかりの日本軍も、列強国第一の陸軍を持つロシアもその事情は同じだった。


そして旅順203高地の本格的な攻撃が始まる前に、遼陽の北方の沙河で日露軍は激突することになる。

8月に遼陽の戦いで勝利した日本軍であるが、銃弾や予備兵の不足もあって、敗走するロシア軍の追撃が出来なかった。

国力の違いから、日本は戦地に必要な兵隊も物資も送り込むことが出来なくなっていた。

それに対し、ロシア軍は着々と兵力を増強し、19万を超えるまでになり、13万の日本軍を凌駕する勢いになった。

「これでようやく日本を上回る兵力が集められた。日本を追い落とすことが出来るぞ。これからが戦いだ」陸相のクロパトキンは自信を深める。

彼は全軍をもって日本軍を蹴散らす計画を立てた。

「日本軍が北上してこないのは兵力の補給が出来ないからだ。この兵力差を利用して日本を打ち破る」

彼の描いた作戦は数量に勝るロシア軍を東西に大きく展開して、日本軍を包囲してしまうものだった。

「これに対抗して日本軍が広く展開すれば、数の少ない日本軍のどこかに穴が空き、その弱点を突けば日本を破ることができるはずだ。」彼の作戦は壮大で緻密だった。

ただ彼は見落としていたことがある。それは勝敗の帰趨は兵士の数だけでは決まらないことだ。

ロシアの兵隊は前線に投入したばかりで、実戦経験がほとんどなく、日本兵に比べ射撃の精度が落ちていた。

更に、ロシア将校にも能力不足が垣間見え。判断ミスが生じた。


ロシア軍は圧倒的な兵力差を利用して、東西に大きく張り出すように展開し、これに対抗して、日本軍も展開しようとするが、兵力差は大きく手薄になる箇所が出てしまった。

日本は次第に退却をして、陣地を失っていく。

「東の山地を突き進めば日本軍を取り囲む形になり、日本は総退却をせざる得なくなる。」クロパトキンはそう判断し、東部方面にロシアは圧力を加えた。

「東部から日本の側面を狙え」それがクロパトキンの命令だった。

しかし、ロシア兵の砲撃の精度が悪いことと山地の戦いに不慣れなことでロシア軍の進撃ははかどらない。

ここでロシア将校は焦りを募らせ、弱気になる。

「日本は精強だ。こちらの被害ばかり増える」これ以上の進撃を諦めてしまったのだ。

この東部方面のロシア軍の進撃が止まったことで日本軍は一息つく格好になった。

東部ロシアの攻撃を気にしなくてよくなり、逆に各方面からロシア軍に反撃を仕掛けた。

これによって、ロシア軍の前線に混乱が生じてしまう。

戦場経験のある部隊ならこの混乱を早期に納められ、的確な行動が出来ただろう。

だが、明らかにロシア将校の用兵能力が不足して、混乱に拍車をかけてしまう。彼らは日本軍に疑心暗鬼になり、弱気に陥り、撤退をしてしまった。

結局ロシア軍は大軍を持って南下し一気に遼陽に展開する日本軍を蹴散らそうとしたのだが、何の成果もなく退却してしまう。日本に再び遼陽の地を明け渡すことになった。

日本軍の戦意の高さと熟練度が物を言い、逆にロシアは戦争経験のない者達を投入して損害を大きくさせた。

遼陽の戦いの後はしばらく大きな戦闘はなく、旅順の攻防が注目されるようになっていく。

これまでが旅順陥落前の日露の満州での戦いだ。


その後、旅順を解放した乃木軍は奉天を目指して北上することになるが、正平は眼を負傷したことを理由に従軍を認められなかった。

そして、日本ロシア両国は決戦の時を迎えた。

日本陸軍は奉天で一大決戦に臨み、日本海軍は日本海で大決戦をする。どちらも日本が勝利する。

その時点でロシアには国内事情からも戦力を満州方面に送り続けることが出来なくなっていた。

日本もすでに兵装の補充は尽きていて戦争継続が困難な状況だった。

アメリカが仲介することになり、日本とロシアは講和を結び、2年に及ぶ戦争が終結した。

この奉天の戦いと本海戦が勝敗を決定づけたものになるが、正平はほとんど関わっておらす、説明は省略させてもらいます。

日露戦争は日本にとって薄氷を踏んだ上での勝利と言って良いだろう。

一歩間違えば日本はロシアの属国になりかねない状況であった。

それを回避できたこと。日露戦争の最大の成果だろう。



これは私なりの日露戦の感想であり、塚田正平の眼を通しての話です。

日露戦については様々な評価があり、詳細な文献が多数あるのでお読みいただければと願います。

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