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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
21章 第二次世界大戦
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216話 国防相交代

3月の年度末を機に閑院宮国防大臣の勇退が発表され、次期国防相には統括参謀長官の伏見宮が決まっている。

閑院宮は陸軍、伏見宮は海軍出身でこの人事構想は国防省が作られる時からのものだ。また閑院宮は貴族院の議長の椅子が用意されている。

それだけのおぜん立てをしてからの人事だ。“ノモンハンの戦いの勝利”“軍都計画”などを花道にして、閑院宮にとっても不満は残らない。

この人事により、国防大臣は退役して10年以上、もしくは軍事部門に詳しい民間人がなるという不文律が決められるようになる。いずれは明文化することが必要になるが、慌てて法制化することはないと見ている。


軍部の横暴は今に始まったことではない。それをどのように制御するか首相になってからの一番の課題だった。

そのためにまず手を付けたのが陸軍の粛清だった。

“北支から撤退させ、この命令を遅滞しようとした統制派将校を排除した”

張作霖ちょうさくりん謀殺事件を明白にさせ、関東軍の暴走ぶりを国民の前にさらけ出した”

これにより、正平は軍部に大きな力をもつことができた。

誰の目にも正平が天皇から信頼されていると映る。

“天皇に信頼されている塚田首相を表だって批判できない”そんなことが軍人の間で言われるまでになった。


その上で“空軍を創設して、国防省に陸海空軍を統括する。”その構想をぶち上げた。

この構想に大きな反対意見は巻き起こらなかった。細部においては異論があるものの、空軍の必要性は軍人なら誰もが感じていたことだし、それに伴って国防省において陸海空3軍を統括する構想は理解できた。局や参謀室などをどのようにするかで揉めたが、担当官僚サイドの意見を多くとりいれた。どうせ彼らが実務を取り仕切ることだし、細かいことに口出しをしない方針でもあった。

そして大改革を短時間で行えたのは宮中からの強い後押しがあったからと言える。


天皇は軍部に対して陸軍海軍将校達の二度のクーデター事件を起したことに強い不信感をもっていた。張作霖謀殺事件でも天皇は関係者を糾弾することを希望していたが、有耶無耶なまま終わり、軍部体制に強い不信感を持っていた。しかも事件後、関係者の処分だけで終わり、体制の改革など誰一人言い出さないことに憂慮していた。

それだけに正平の構想を過去の事件を反省し、「二度と不祥事を起こさせない改革」と受け取られ、支持してくれたのだ。


「陸軍は長州閥、皇軍派、統制派と軍閥争いが長く続いた。そのもととなったのは人事をおのれの派閥で占めようとしたことです。派閥ができれば、他所の派閥を排除する思考に陥り、不公平な人事が行われます。当然役職を外された者から強い反発が起こり、クーデター事件の要因になりました。首謀者はいろいろ名目を並べましたが、要は人事に不満があったからです。若手の下級将校は、陸大卒でないと昇級できない仕組みに不満を持っています。何よりも人事が派閥がらみで不公平だと感じているのです。

国防省が高級将校の人事を決めることになれば、派閥の意見が通りにくくなり、不公平感も薄れます。また国防大臣には派閥に無関係な者、退役して10年以上の者に当たらせます。10年も経てば、現役将校との繋がりは薄れるもので、派閥とは縁が切れているからです。」

このような構想を明かした時、宮中も納得した。


勿論、陸海空軍内部でも人事にノータッチではない。高級将校の推薦はできるし、下級将校の人事は握っている。だが、中央入りするには国防省の役人で決定され、派閥から直に口出しできない仕組みとした。派閥の人事争いが無くなれば軍人たちの不公平感は消える。

「派閥がすぐになくなるとは思えませんが、人事権を失えば派閥は消えます」この説明に天皇も頷いた。

「防衛大学も派閥を解消するためのものです。いまのように陸海軍で争っていては我が国の国防は成り立ちません。勝てる戦いも負けます。今の生徒たちが幹部になるころには無用な陸海の争いも無くなるでしょう」

この構想を天皇が強く後押ししてくれた。


◇-◇-◇-◇-◇-◇

久しぶりに軍都に足を運びながら考えていた。

「行政の基本は人事だ。陸軍も海軍も成立したいきさつから、長州や薩摩などに頼るしかなかった。それが派閥となり、不公平な人事争いにつながり、遂には515事件、226事件に発展した。そのようなことは今後起こしてはならない。また陸軍と海軍の無用な勢力争い、予算獲得競争を繰り返させてはならない。

維新以来70年が経過した今、日本の国防体制を陸海空三軍一体のものにする」

それが正平の予てからの考えだった。

いまここで、軍都が整えられて、現実の形となった。

正平の考えに異論を持つ者でもここに来れば考えを変えるだろう。


3年前に西園寺から首相を任命された時、軍部の暴走をどのように止められるか大いに悩んだ。

「下手に軍部改革を口にしたらこっちがやられる。だから喫緊のことから手を付け、成果を出してから次のことをやる」その考えで一歩ずつ着手する考えだった。

振り返れば御前会議で北支からの撤退を決定できたのがカギだった。

思いがけず、天皇の撤退支持の言葉を取り付ける引き出すことができ、一気に軍部の改革に乗り出せた。

正直、空軍を創れることまでは出来そうだったが、国防省は難しいと考えていたこともあった。

ところが、この構想に天皇が興味を示されたことで大きく進展した。

相模原の軍都の計画は陸軍が持っていたものだった。それを海軍や新しくできた空軍も一緒にさせ、国防ビルの中に集める。

敷地面積日本最大の建物として設計図が出来上がって、今建設工事が目の前で行われている。


相模原は軍部粛清に腹を立てた軍人が正平に襲い掛かってきた、因縁の地でもある。

その地を視察しながら、「改革は実現したが、本当の成果が出るのは早くて5年後、いや10年はかかる。俺はそれまで、首相でいることはないが、基礎固めだけはやって次のものにつなげて置こう」

そんな決意を込めながら、国防ビル建設現場を見ていた。


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