214話 まやかしの戦争
日本が政局の混迷でざわついていた頃、ヨーロッパは比較的平穏だった。
ドイツがポーランドに侵攻し、怒ったイギリス、フランスが宣戦布告したにも関わらず、戦いはドイツとポーランドだけでそれもポーランド国内で1ヶ月間だけだった。
自由都市ダンツィヒは、ドイツ海軍艦の砲撃と陸軍の奇襲で陥落し、9月27日にはワルシャワも陥落し、10月6日までにポーランド軍は降伏した。ポーランド政府はルーマニア、パリを経て、ロンドンへ亡命することになる。ポーランドは独ソ両国に分割され、ドイツ軍占領地域から、ユダヤ人の強制収容が始まった。
このことに恐れたユダヤ人が一斉に国外に逃亡を図る。隣国のバルト三国に脱出し、そこから第三国を経由して、アメリカなどへの移住を希望した。
ところが、このころユダヤ人は多く嫌われてもいた。一つは宗教上の理由でキリスト教徒の多いアメリカではユダヤ人を受け入れがたかった。更にユダヤ人は金融業などに携わり比較的裕福と思われ、妬みもあった。
実際に、39年5月にドイツからスエーデンを経由してキューバに亡命しようとしたユダヤ人が下船を拒否された。そこでアメリカに向かいルーズベルトに入国を求めるが認められず、結局ドイツに引き返し、930人の多くが強制収容所に入れられ亡くなっている。
今でこそ、ユダヤ人はアメリカ社会に大きな地位を築き、発言力も高い。また人種差別反対が常識となっている。だが、この当時ユダヤ人はほとんどの国から手を差し伸べられなかった。
少し話がそれてしまったが、ドイツの東側で一応の決着した一方で、西部戦線では動きはほとんどなかった。
ドイツに宣戦布告しながら、イギリスもフランスも戦争に踏みこもうとはしなかった。
この時期、ヒットラーはまだイギリスとの宥和の道を探り、チェンバレンはあてにしたアメリカの支援がない状態では戦いに踏み切れなかったのだ。
チェンバレンは最前線のフランスに展開するイギリス陸軍を視察するなどしつつ、なおも秘密裏にドイツと交渉を続け、ホラス・ウィルソンを使者としてドイツの目をソ連に向けさせようとしていた。独ソ不可侵条約は連合国側諸国にとっては寝水に耳の出来事だったし、ソ連がポーランド分割に乗ったのもショックだった。
そのショックからチェンバレンは立ち直ると、再びヒットラーとの交渉を試みようとした。
後々のことになるが、41年になってドイツはソ連との不可侵条約を破り、ウクライナ、ベラルーシに侵攻している。それを考えるなら、ドイツの目を再びソ連に向けさせるのは可能だったと言えよう。少なくともチェンバレンはヒットラーと直接戦おうとせずに、その前にスターリンにヒットラーのお相手をしてもらうべきだった。そうなればチェンバレンはヒットラーとスターリンの“蛇蝎の戦い”を横目に見て、頃合いを見て参戦するかどうか決めればよかった。
彼は余りに態度をはっきりさせて、交渉の余地を狭くした。
ヒットラーは旧ドイツ領の帰属は譲れなかったし、チェンバレンは2月の“ポーランド独立保障宣言”が尾を引きずった。両者は肚の探り合いを続けるばかりで解決しようとする決断ができなかったのだ。
これが第二次世界大戦を回避できた最後の機会だったが、ずるずると時間ばかり費やしてしまった。
この期間を、“まやかしの戦争”と呼ばれ、しばらくこの状態が続くことになった。
◇◇ ◇ ◇
この状況を正平と吉田外相話し合っている
先の世界大戦で機関銃などの兵器が近代化したことで、密集すると強力な銃器にさらされてしまい被害が甚大になることから、散開して小集団で攻防に備えるようになった。また塹壕を広く深く掘り、兵士を底深く待機させ、守備に重点を置くようになった。このことで、一気に戦いの決着をつけることが困難となり、持久戦模様となったのだ。
永田鉄山が“国家総動員”を主張し、戦争が長引けば、国家上げての総力戦となり、国土の狭い日本は人材資源を集中して国防に当たらなければならないと主張したのも頷ける。また鉄山はヨーロッパで次の戦争が起こるのは必須と考えており、日本はこれに備えるためにも、北支の地下資源の活用を主張した。
正平も鉄山の考えに多く同意したが、日本がヨーロッパの大乱に自ら飛び込むことはなく、北支に手を出すのは無益なばかりか、無用な摩擦ばかり生じると考えた。これが北支から撤兵させ、陸軍中央から鉄山系の将校を排斥した理由だ。
「鉄山は経済のことをほとんど見てなかった。ヨーロッパが戦争になっても日本が参戦する必要は何もない。それどころか交戦国に物品の輸出することに力を入れた方が国益になる」
厭な言い方だが、戦争は商売の最大の好機でもある。かつてヨーロッパで戦争が勃発した時には、武器弾薬のほか食料衣服などの日用品の需要が高まって、鈴木商店などは大もうけして日本経済は大きく潤った。大戦中の交戦国は生産従事者を多く戦場に送り出すほかなく、工業製品ばかりか食料品まで輸入に頼らざるを得なかった。鈴木商店の売り上げに鉄製品と共に小麦が大きなウエートを占めたのもその表れだ、
正平はこの“まやかしの戦争”が拡大し、交戦国から日本に消費財の要望が高めるのを密かに期待していた。いずれ日本にも輸入品の打診が来るはずだが、ドイツ側についていると思われて、英仏からの打診はまだない。「ドイツとつるんでしまえば、商機を失う」それは財界人などと会話して得られた結論だった。
そのためにも、松岡のようにドイツ一辺倒になっては困る、英米に大きなパイプを持つ吉田に期待したのだ。
もうひとつ純粋に軍人の見方から、アメリカが戦争に乗り出せば。ドイツは勝てないと見ていた。
「ドイツの技術力は素晴らしいし、軍事力は巨大だ。アメリカを凌ぐかもしれない。だが、ドイツには資源がない。国内に鉄や石炭は産出するが、石油が出ないのが致命的だ。その石油をドイツはどのようにまかなうつもりなのか?」ドイツは国内だけの資源で軍需物資を賄えない。
国外に資源を求めるしかない。戦争が拡大するか、このまま終わるか予想は出来ない。だが、ドイツが国外の資源を渇望するのは火を見るより明らか。それを得るために、ドイツがいずれポーランド以外に手を出す公算は高いと考えて良いだろう。
「現状、ドイツとポーランドだけの戦闘で終わり、イギリス、フランスがどこまで本気で参戦するか分かりませんが?」
「このまま、戦争が終息すればドイツと仲良くしていても良いが、英仏と交戦となれば、もうすこし距離を置いていたいものだ」
「それなら、戦線が拡大した時か、英仏が実際に戦い出した時が、“中立宣言”のタイミングとしては良いでしょう。」
その考えに正平も同意する。




