210話 陸軍大臣辞職
現役軍人が政党を率いることは禁止されている。だから正平は裏から“昭和会”に肩入れして大きな政党にしようと目論んでいた。実質的な影の政党代表者として、政界に睨みを利かせようとしていたのだ。
選挙はやってみないと分からない。当選確実と思われていた大物政治家が選挙に落ちたことなどいくらでもある。
正平はそんな危険な選挙を自ら行って、立場を危うくしようとは思ってない。自らは現役軍人のまま首相にあり続けながら、政党にも関与できる立場にいたかった。
言うことを良く聞いてくれる政党を応援し、要求ばかりしてくる政党を冷たく当たっていた。
これに、政友会などの幹部が快く思わず、松岡を焚きつけて政局にしようと考えても不思議ではない。これに近衛公の影がちらついている。
正平が現役の軍人に拘っているのは陸軍大臣として軍部を掌握しておきたいからだ。
「満州事変、226事件と軍部が問題を起してきたのは何度もある。それを繰り返させないために国防省を創ったのだ。国防省が三軍を統率するまでにはまだ時間がかかる。俺は国防省の基礎固めが終わるまでは陸軍大臣を務めておきたい」
その一方で、陸軍大臣に拘ることもない事情も出来てきた。ひとつは陸軍省次官を務めている建川の任期が3年を超え、長すぎていることだ。建川は派閥色がなく、実務をそつなくこなす有能な軍事官僚だ。「いつまでも建川を次官の椅子に縛り付けて置くのは良くない。建川はいつでも陸軍大事が務まる」そのように思うようにもなっていた。もうひとつは国防省の統率が意外と順調に進んでいることだ。閑院宮や伏見宮など首脳の人柄が国防省の雰囲気を穏やかにしていたことと、何よりも正平が送り込んだ水野や岡田が実質的に国防省を動かして、陸海空軍の連携をスムーズにしてきたことが大きい。更にノモンハンでの勝利が三軍による合同で行われた結果という認識もあって国防省の組織は固まって来た感がある。
正平の陸軍大臣を辞めても良い条件は整いつつあった。
更に考慮しなくてはならない存在がアメリカ大統領ルーズベルトだった。
彼が日本を激しく非難してきたのは、現役軍人が首相をしていることもあった。正平が軍人という理由で日本を軍事独裁国家だと広言している。
正平が首相になってから長年続いてきた国民政府との戦いは収まっている。だがアメリカ政府の中国寄りの姿勢は変わらない。アメリカは中国大陸を大きな市場と考えており、日本企業を競争的な存在と見なし、何かあれば中国寄りになる。それがルーズベルト政権では色濃いのだ。そしてノモンハンの戦いでは、日本側がモンゴルに軍事侵攻しているとまで言い出してもいた。
勿論、日本側も事情を説明し、アメリカ側の理解を得ようと外交努力をしている。正平が“隔離政策”政策発表後に驚いて、彼宛てにメアリの手紙を送ったのもその表れだ。だが、ルーズベルトの頑な政策は変わらない。
「彼も、来年までだ。アメリカの大統領は最長でも2期8年だ。来年には新しい大統領が誕生し、もう少しは改善されるだろう。今はアメリカとの改善は見込めない」と匙を投げている状況だ。
「ルーズベルトの偏見を少しでも和らげられるとしたら、俺が現役軍人を辞めることだろう」
一方の政友会幹部は正平が現役軍人として陸軍大臣を辞任できないだろうと見ていた。
「陸軍大臣の地位は大きい。首相と陸相を兼務するからこそ、絶対の権力を得ている。陸軍大臣は現役の軍人でしかなれない。だが、現役軍人なら政党に入れないことになっている。」
「そして国会は政党の力によって決まる。今のように政友会、民政党、昭和会の力を借りるしか国会を動かせない。首相は昭和会に肩入れしているようだが、小さくて大した力になってない。我が党や民政党に“おんぶにだっこ”ではないか。我が党がそっぽを向けば何もできないのは首相も分かっているはず。松岡外相が思いの外、首相に盾を突いてくれている。これは、良い機会だ。この際、少し首相を揺さぶりこちらの要求も呑んでもらおう」
彼らも正平が首相と陸相を兼任していることがどれほど大きな権力を握っているかを理解していた。
「それなら、陸軍大臣の地位を手放しはしない。そして政党を引き連れない以上は我らに頭を下げるしかない、はずだ。来年の衆議院選でも、2大政党の勢力図に変化はない。来年度予算の通過を考えるなら国会運営は我らの強力なくしてできない、はずだ。」
正平は彼らに足元を見られていた。
正平は悩んでいた。
「このまま、何もしなくても来年2月の衆議院の任期までは務まる。ある程度、松岡や政友会の言うことを聞けば国会は動かせる。
仮に内閣を総辞職しても政友会を与党につなぎ留めれば、再び首相の座には座れるし、そのとき、松岡を切ればいい。だが、それだと鉄道関係や地主などにも相当配慮しなくてはならなくなる」
政友会の大きな支持層に地方地主の存在がある。正平は農民が貧しいのは地主の権利が強すぎると思っていた。いずれは小作制度に手を付けなければならないと考えてもいた。だが、政友会との協調もあって、小作制度には手を付けずにいる。
「農民の生活を向上させないと社会主義に共感する者達が増える。小作制度を何とかしたいが政友会との協力を考えるとすぐには実行できない。それと鉄道よりも道路建設に力を置きたいが、鉄道大臣が“うん”と言わない」
正平が政友会との協力維持のために彼らの要求を呑んできたことも一度や二度ではない。それなのにここにきて、松岡を利用して、揺さぶりをかけてきたのは腹立たしいことだった。
「政友会の力を借りなくても、国会運営が出来るようになれば良い」
次の選挙に勝てるかが重要な判断材料になる。昭和会にいる留吉を呼んだ。
「選挙準備は整っているのか?」
「それは怠りませんが、決め手がないのも事実です。昭和会にはリーダーがおらず、選挙の顔になる人物がいないのです」
安田の言い分も良く分かる。昭和会は正平が後押しをしていることもあって、その配慮もあって、代表者を置かずにいた。だがそれでは選挙では不利になるのだ。
「俺が、代表になればどう変わる?」
「それは、勿論、選挙に有利に動くでしょう」
11月になって、正平は肚をくくった。
「いつまでも裏から動いては政治ができない。陸軍大臣の座にいたいが、それに執着していてはやれることもできなくなる」
現役を辞めることにした。




