205話 ドイツとソ連の交渉
松岡がドイツとの本格的な交渉を開始する前に、世界に激震が走る。
39年8月23日、なんとドイツとソ連が相互不可侵条約を結んだのだ。これまでのヒットラーによるあからさまな“打倒ソ連、打倒共産主義”を討ち捨てて、ドイツとソ連が手を結ぶことになった。
これが3月に行ったチェンバレンの“ポーランド独立保障宣言”への、ヒットラーの回答だった。「イギリスがそんなにもポーランドに肩入れするなら、ドイツは東だけを目指してソ連を倒すことを止めて、西のフランス、そしてイギリスとの戦いも考えますよ」と言うことだ。
しかも、ヒットラーとスターリンは秘密裏に“ポーランドの分割”まで決めていた。
もともとポーランドと言う国は先の大戦前には存在もしてない国で、ドイツとロシアが領有していたのだ。二人にとっては戦前のあるべき姿に戻しただけのことに過ぎない。
ヒットラーはこの条約で、もしドイツがポーランドに攻め入り、怒ったイギリスとフランスが宣戦布告しても、ソ連を敵に回さなくて済むことになる。つまり、東西から挟撃される悩ましい事態から逃れることができるのだ。
「チェンバレンよ。ポーランドの独立を何でイギリスが保証するのだ。ポーランドのためにお前はイギリスの若者を戦地に送り出そうとするのか?お前とは、平和裏にドイツが東に進出する限り、手を出さないことになっていた。“打倒ソ連”が俺とお前の共通した考えだったのではないのか?お前の宣言の所為で、ポーランドは自信を持ちすぎて、ドイツとの交渉に強く臨んで来るようになった。あの宣言のおかげで平和裏にことを進めることができなくなった。お前がそんな愚かな考えを捨てないなら、ドイツはもうソ連との戦争は考えない。フランスともそしてイギリスとの戦争もやるぞ」
ヒットラーのチェンバレンの脅しでもあった。
スターリンもこれによって、ドイツとの戦争を考えずに済んだ。
「今のソ連がドイツと戦えば、国内が戦場になる。精強なドイツ軍に対し、我が軍はまだ貧弱だ。ドイツとはイギリスやフランスに相手をしてもらおう。
ヒットラーが“ポーランドの回廊”を手に入れたがっているのは明白なことだ。それなら、ドイツと手を組み、ポーランドを分割してお互いの取り分を領土にするのが賢い。これで、バルト三国を手にも入れられる。何よりも狂犬ドイツに噛みつかれないだけましなことだ。」
スターリンの頭には、先月に起こった、日本に大敗した“ノモンハン戦争”があった。よもやの敗戦により彼の自信は撃ち砕かれてしまった。
“五か年計画”をどんな反対意見があっても強力に推し進め、ソ連の経済を重工業化させてきた。200万の反対者を粛清し、多くの農民を集団農場に押し込めた。この夫の政策を気に病んだ妻は自殺した。それだけの犠牲を払ってまで、ソ連を工業国にさせたのだ。ところが、我が軍は“東の小国”日本に簡単に敗れた。このまま日本が急速に力を付けてきたら、極東地方を奪い取られかねない。
「ドイツと日本を同時に相手には出来ない。戦うなら工業化を推し進め、ソ連を最強国家にしてからだ。その後なら、ドイツや日本とも相手してやろう」
この事態に最大の影響を受けることになるポーランド政府はあまりに鈍感だった。
ヒットラーとスターリンが“ポーランドの分割”を取り決めていたなど全くも考えてない。
「イギリス政府が我が国を後押ししてくれている。最強国家のイギリスが後ろ盾になっているなら、ドイツ何かに腰を低くする必要もない」
この時、もう少し海外の状況、二つの大国同士の条約の裏をもう少し読み取ろうとしたなら、呑気にしていられなかったはずだ。
「反共で凝り固まったヒットラーが急に態度を変え、ソ連と手を組むことなんかないはずだった。」その裏には必ず、秘密協定があってもおかしくない。
ポーランド政府の誰も疑いを持って、二つの大国の交渉を見てなかった。
それは、この時ドイツからの誘いに乗って、のこのこと来ていた松岡も同じだった。
彼はドイツで歓待を受け、ドイツを視察し発展ぶりに驚愕していた。
「ナチスドイツのやり方は経済の理に適っている。」
36年のベルリンオリンピックに合わせて作られた巨大な建築物。さらに全土に広がる高速道路は松岡の目には驚異に映った。
「ドイツは先の大戦で全土を破壊つくされたと言うのに、この発展ぶりはどうだろう。国民全員が総動員して国づくりに励んだ結果だ。それに比べて我が国は東京と大阪ぐらいにしか道は出来てない。わが国もドイツを見倣うべきだ」
そう考えて交渉しようとした矢先に、突然のドイツとソ連の相互不可侵条約である。
「防共協定を我が国と結んでいたのは何だったのか?」そういぶかし気に思いはしたが、なおしばらくドイツに残り、同盟への地ならしが出来ないか探ることにした。
日本政府にとってもドイツとソ連の相互不可侵条約は寝耳に水の出来事だった。
36年、広田内閣の時にドイツとは「防共協定」を結んだ。両国の潜在的敵対国ソ連を意識してのことだ。これを37年になって、正平の内閣でイタリアが加わり反共への取り組みは一層強化されることになった。今度のドイツとソ連の条約は事実上の「防共協定」の覇気に繋がるものだった。
「ヒットラーとスターリンの裏の思惑を探れ」各国の大使に伝令を出す。正平は二人の巨人が裏取引をしているのではと疑っていた。
ドイツとソ連が相互不可侵条約を結んだとき、日本の首相は平沼騏一郎だった。日本はドイツ、イタリアと共に防共協定に調印しており、明らかにドイツの裏切り行為だった。平沼は「欧州の天地には複雑怪奇の減少が生じ・・・・」などと談話して対応に困り、退陣してしまった。
私事になりますが、ようやく引っ越しも無事に終わり、ネットの開通も新たにできました。
荷造り、荷運び、それと後始末の掃除と大変でした。まあ「もう二度と引っ越しは厭だ」の心境ですが、これが何年か経つと「ここも住み飽きた」と思うようになるのでしょうか。
まあ何とか投稿が途切れずにすみました。これからも、引き続き読んでいただければ幸いです。
来月も偶数日に投稿する予定です。




