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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
20章 日本と世界への関り
203/257

203話 ノモンハンの空中戦

一方、アメリカではヨーロッパの切迫した状況を受けて、ルーズベルトはイギリスへの支援を、アメリカ国民に呼びかけていた。イギリス国王ジョージ6世を招聘したのも、アメリカ-イギリス両国の結びつきの強さをアメリカ国民に理解させるものだった。植民地時代を含めて、在位中の国王がアメリカの地を踏んだのは初めてのことであり、歴史的なことだった。

6月8日イギリス国王夫妻がワシントンに到着すると、沿道には一目でも見ようとするアメリカ国民で埋め尽くされた。ホワイトハウスでの晩餐会、無名戦士の墓地での献花など主要な公務の後、ルーズベルトは国王夫妻を私邸に招き、両国の緊密さを懸命にアピールした。公にはされてないがここで国王とイギリスの現況について協議したことは伺い知れる。私邸で一泊した後、国王夫妻が地元の小さな駅から乗車される際は、見送り人が殺到し、去り行く国王の乗る列車に懸命に手を振っていた。

ルーズベルトはアメリカ国民の戦争拒絶感情を和らげることに成功し、“中立法”の改正に乗り出していく。


そのように世界が、ヨーロッパの緊張に注意を払っている中、東アジアでは日ソ間の事態は更に悪化していた。日本にとってソ連の兵力をかなり正確につかめるようになり、5月の末時点で、戦車を中核とした機関銃狙撃兵大隊、自走砲を主体とする砲兵の装甲車中隊、総兵力は2300に達していることが分かった。更に暫定の国境線とされたハルハ川に橋を掛け、戦車と装甲車、モンゴル騎兵軍を渡らせ、砂丘に陣地を構え、対岸からは122㎜榴弾砲を高台に設置した。関東軍としては侮ることのできない大兵力であり、その差は時間経過と共に開いていくばかりだ。しかもソ連が本格的な侵攻が始まる前に、偵察と奇襲攻撃を考えていた部隊がソ連戦車隊と遭遇し、150名もが犠牲となっていた。

国防省参謀室では日本からの支援体制が整うまでは戦火を開くなと関東軍に厳命するしかなかった。


正平は御前会議を要請した。

「かかる状況では、ソ連との衝突は避けられないものと考える。事の重大性を考えて陛下の御前で我が国の進路を諮りたい」宮中の側近もこれに同意する。

正平は有耶無耶な形での戦争突入は行わない考えだ。「戦争と言う重大事を公式な見解を待たずに始めてはならない。満州事変は関東軍が勝手に引き起こしたもので、今も後始末に苦労している。事前に何の協議もしないから終わり方まで決めてなかったからだ。シベリア出兵が長引いたのも、事前にどんな目標と結末を決めてなかったから撤退が遅れてしまった。今回はそのようなことは絶対しない」この考えに出席者一同は賛成する。

「ソ連との戦いは不可避であること。然れば短期決戦を狙い、ソ連兵を満州国の国外に退去させたなら戦争終結を宣言する」

そのような方針が決定され、石原莞爾が総合司令官として現地で指揮を執ることになった。


そして石原とは事前に確認し合っていた。

「ソ連との持久戦になれば日本は不利だ。短期決戦で決着を付けよう」

「それには、圧倒的な兵力差を準備しないとなりません。とりわけ飛行機は重要です」

「お前が要求するものは全て準備する。その代わり絶対勝て!」正平は無茶苦茶な要求と分かりつつ、石原のお尻を叩いた。

ソ連の出方次第だが、国境問題の決着をこの際つけてしまおうとも考えた。

首相として、陸軍大臣として戦争に及び腰の態度は見せられなかったのだ。

その流れで作戦本部が開かれる。

「日本軍兵3万名、飛行機500機、戦車と装甲車それぞれ200両を現地に送り込む。緒戦で敵を一気に叩き潰す。」

石原の頭にあったのは戦闘機によって、制空権を支配し、空からの攻撃で敵兵力に大打撃を与え、無力化させた後で、戦車と装甲車で敵を掃討する考えだ。

正平もこの考えに同意して、莞爾の要求を全てに応じた。

満州に必要な軍事資材を送り込むのは3週間要した。更に、現地での関東軍との連携も必要だった。

石原が本格的に戦端を開けるのは7月になってからだった。


7月6日明け方から、石原は対地戦闘機“黒鳶”を出撃させる。黒鳶は対地戦用に考えられた、急降下して目標物に銃撃、あるいは爆弾を投下し、急上昇して敵からの攻撃を回避するように開発された。乗員2名で一人が操縦士、もう一人が射撃手を担当する。特徴なのが、飛行機胴体、鳥で言えば腹の部分に覗き窓と機銃口があることだ。装備している機関銃も“ガトリング砲”とかつて呼ばれていた、銃身が6本ある電動式の回転砲を使っている。この機関銃の特徴は口径30mmの大型銃弾を1分間に600発も撃てることだ。その破壊力もすさまじく、戦車の装甲さえも貫けた。ただこれまで実戦に投入されたことがなく、その破壊力が今回試されることとなった。

操縦士と射撃手の腕が高鳴った。日本軍の何よりの特徴は戦士の士気が高いことだ。ソ連の戦車がどのようなものであれ、これを撃ち砕く決意であふれていた。


この時点ではソ連モンゴル連合軍というよりモンゴル軍の騎兵の影は薄く、ソ連の機甲師団、戦車や装甲車でノモンハンの地はあふれていた。ソ連軍の兵士は頑丈な戦車を見て自信にあふれていた。だが、そこに地獄が始まる。

日本の対地戦爆撃機300機が次々に急降下飛来しては目標物を破壊し始めていく。戦車の砲撃は上空からの攻撃に小回りが利かず、無防備をさらけ出した。ソ連軍は76mm砲22門と122mm榴弾砲8門で日本の飛行機を迎え撃つしかないのだが、高速に飛来する爆撃機に対処できない。それどころか自走砲や戦車は格好の的となって、集中的に爆撃されていく。爆撃から10数分で戦車部隊は大損害を受けた。

厚く頑丈と思われていた戦車や装甲車も上からの攻撃には紙のように、戦車の天井には見る影もなく巨大な穴が空き、乗員もろとも蜂の巣にされていた。

傍にいるソ連兵にとり空から降って来る機銃に為すすべがなく、只、体を低くしてじっとするしかない。永遠に続くかと思われた10分間だった。


そこにようやく、日本の空軍機を迎え撃つべくソ連軍機がモンゴル領から飛来する。これを見て、日本軍機が慌てた様子で退却しだした。

「やった!」ソ連兵に歓声が上がる。

ようやくにして日本に一矢を報いる時が来た。だがその声も数分後には消えることになる。

満州国側から新たな日本軍機が飛来したのだ。

その飛行機は海軍で開発が進められていた海軍の艦上戦闘機で、機体を極力軽量化し旋回力が高く、20mm口径の機関銃による破壊力も高かった。

石原はこれを強引に奪い取るようにして“空軍機”として満州の大空にはばたかせたのだ。

両軍合わせて350機の飛行機が遭遇する。これが先の大戦以来発生した本格的な初めての空中戦だった。両軍機は接近するや、日本機から20㎜の銃弾がソ連機に情け容赦なく浴びせる。さらにさっきすれ違ったばかりの日本機が素早くソ連機の背後に回り込み、しっかりと追尾している。

ソ連のパイロットからすればあり得ないことで、背中から冷や汗がたたり出る。そして必死に操縦桿を左右に振って敵機から逃れようとするが、全くの無駄に終わる。被弾した機体は猛火に包まれ地上に落ちていく運命をたどってゆく。

爆撃機に関しては陸軍で開発していた九七式軽爆撃機を想定し、この爆撃機は複座式で急降下爆撃も行えたこの爆撃機は複座式で急降下爆撃も行えたがガトリング砲は装備してない。そして海軍で開発された戦闘機は“ゼロ戦”を想定している。実戦に配備されたのは40年からだが、39年当時すでに開発はできていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] この時、ポリカルポフI-16VS零戦先行試作量産型という、20㎜機関砲を装備した戦闘機同士の空中戦が行われたのだろうな…(なお勝敗については語る必要もないだろう
2021/12/11 19:42 退会済み
管理
[一言] ゼロね、二、三年すると陳腐化するから後継機開発しなきゃ(使命感
[一言] オイオイ、A-10もどきが出てるぞ! でもこれってわざわざガトリング砲使う意味はないのでは? ガトリング砲を使うのはその速度故に攻撃回数が少なく発射レートを高める必要があったジェット機特…
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