196話 ドイツ将校ヴァルトハイム
同じ38年12月に正平はドイツに仕事で行っている長男の平壽から手紙を受け取っている。
「お父さん、面白い人物がいるので、会って下さい」時候の挨拶と簡単な現状報告の後、これだけが添えられていた。
手紙が短いのは検閲を意識してのことでもあるし、“面白い人物”と言うのは正平と日本に役立つ意味と受け取った。
調べてみると紹介された人物はドイツ将校でなおかつユダヤ人の亡命者だった。
そしてその将校の父親が昔、青島で捕虜となり正平と顔見知りだった。
名前を聞いても、そのようなドイツ人を思い出せなかったが、平壽からは向こうは正平のことを良く覚えていたと連絡があった。
そのような事情から、目立つ行動はとれず、ドイツ人を自宅に招くことにした。そしてドイツ留学の経験もありドイツ語を話せる水野が護衛兼通訳として立ち会うことにした。
ドイツ将校は父親と一緒で、二人を応接間に通して面会すると、その親の顔には確かに見覚えがあった。
「ショウヘイ」「アルイン」思わず抱擁し、互いに相手の名を呼び合った。
「よく来たな」正平の言葉に、皺の寄った顔が更にくしゃくしゃになり、涙が落ちている。
(亡命を選択せざるを得なくなるほど、過酷なことがあったのだろう)正平の胸も熱くなる。
互いに紹介した後、亡命の経緯を語ってくれた。
「私はユダヤ人としては珍しい軍人になったのは、技術者としてで、主に機械類の整備修理をしていた。世界大戦が終了してドイツに帰れると退役して、金属・機械類を扱う商社を創り、今に至っている。青島で捕虜になって日本軍と関りを持ち、それ以来日本のことはできる限り情報を集めていた。日本のことはドイツではあまり報道されないが、それでも日本の首相が塚田という名前になったこと、それが、正平だったこと知っていた。
そして仕事柄、日本の商社とも付き合いもあり、その中に塚田と言う青年と出会った。もしかして正平とつながりがあるのかと聞くと正平の息子だと言われびっくりした。
だが、ユダヤ人はナチスが台頭してからドイツでは住みづらくなっている。先月の「血の帝国水晶の夜」でユダヤ人はもうドイツには住めないと悟った。そして亡命しようとして頼りにしたのが君の息子だった」
“血の帝国水晶の夜”とはポーランドからドイツに出稼ぎに来ていたユダヤ人が国外に強制退去され、これに憤った17歳の少年がパリでドイツ外交官を銃撃し死亡させる事件を起こした。この事件をナチスが殊更宣伝し、ユダヤ人迫害を正当化して、扇動し、ドイツの民衆はユダヤ人の商店・企業・事務所などを襲い掛かる事態にまで発展した。襲撃され破壊された建物の窓ガラスは路上に散乱し、があたかも水晶のきらめきに見えたことから、この暴動を“血の帝国水晶の夜”と言われるようになった。
それまではアルインなど多くのユダヤ人はナチスの迫害はいずれ終息するだろうと根拠なく楽観的に思っていた。だが、これを契機にユダヤ人はドイツから亡命を真剣に考え始めたのだ。
「正平のいる日本なら安全だと思った」そうアルインは話す。
家長のアルインは一家を説得して日本行きを決意し、息子の二人もドイツで生活しづらくなったと感じておりすぐ同意した。アルイン夫婦、息子夫婦、そして孫たちの計11名がシベリア鉄道を経由して来日した。
今、家族をホテルに残し、アルインと次男コニーが訪れている。
その次男がドイツ将校で平壽の言う面白い人物だった。34歳の次男は自慢するようにこう言った。
「私は大学の工学部で新型のエンジン機関の研究をしていた。」
このころまで飛行機のエンジンはレシプロエンジンしかなく、直進往復運動を回転運動に変えてのプロペラ回転では推進力に限界を見せていた。
陸上を走る車ならレシプロエンジンでも十分な速度だが、障害物のない空ならいくらでも速度を求められている。そこで新しいエンジンとして様々なエンジン開発に世界各国とも熱心に問い組んでいた。なかでもドイツは最先端を行っており、コニーがドイツ軍から誘われただけでも、彼の優秀さが分かる。
コニーはドイツ軍に採用された当時は重要な研究テーマを当てがわれ、充実した仕事ができていたそうだ。それが、ナチスが軍に大きな力を持つようになり、ユダヤ人排斥が影響して研究を取り上げられてしまい、この半年間はほとんど閑職をぶらぶらしていた。
「父から日本に亡命しようと誘われ、一も二もなく賛成した」
ただ、ゲシュタポ(ドイツ秘密警察)の目が気になる。彼は閑職になったとはいえ、重要な機密を熟知していたからだ。
「のこのこと国外に出ようとしたら、咎められるかもしれない」そう考えて、正平の長男を頼った。そして平壽と相談し、彼だけが単身でワルシャワ大使館に移り、家族全員とワルシャワで待ち合わせたという。
彼の研究は、ジェット機関の開発で、成功すれば航空機のスピードを格段に進歩させられる。
それを聞いて、水野が思わず身を乗り出した。
「ドイツはどこまでジェットエンジンを進めているんだ?」
ドイツ軍において、コニー=ヴァルトハイム将校がジェットエンジンの開発をしていたとなると水野でなくても身を乗り出すだろう。
「まあ、待て。細かい話は後でできる。水野、お前にヴァルトハイム一家が落ち着くまで世話を頼む」
そう言って、正平はヴァルトハイムの安全を保障した。




