189話 ルーズベルトの経済政策
32年の大統領選でフーバーを破り、アメリカ大統領になったルーズベルトは、「赤字を作らない」という公約を破る経済政策を行った。183話でルーズベルトの経済政策が失敗したと手短に話したが、はたしてどんなものだったのか説明する。ケインズ経済理論の実践者と知られるルーズベルトの経済政策はどんなものだったのだろうか。
まず大統領に就任すると、非常事態にある宣言し、銀行閉鎖に踏み切った。ただ、この時点でアメリカ48州のうち、36州の504行が業務停止に追い込まれ、34億3千万ドルが預金封鎖されており、事実上銀行は閉鎖状態だった。議会が招集され、緊急議会法案が下院に提出されるが、審議時間はわずか40分、修正案も認められないという議会は承認だけを求められるものだった。緊迫した雰囲気の中では議員も法案の内容など理解できず、満場一致で可決される。上院でも反対意見は多少出たが、大差で可決される。法案提出から大統領署名迄7時間のスピードだった。
法案の中身は連邦準備銀行に追加的な補貨幣の発行を認め、銀行をA,B,Cにランク付けし、すぐにも再開可能なもの、資金が投入されれば再開可能なもの、再編されないか限り再開不可能なものとした。この法案可決の後、最初の炉辺談話で「マットレスの下に置くよりも、業務再開した銀行に預けるほうが安全ですよ」と優しく国民に語り掛けた。放送の翌日には先日まで預金を引き出すための行列が、お金を預けるための行列になっていたと言われている。
更に財政健全化にも乗り出し、連保財政の四分の一を占めていた退役軍人の恩給に大ナタを振おうとしたが、大反発を受け、最終的には2億4千万ドルの削減にとどまった。行政改革も進まず、この点では見るべきものがない。
却って禁酒法を撤廃したことが財政健全化には効果があった。アルコール依存症や家庭内暴力を防ぐ目的で20年に成立した禁酒法は、密造酒の製造販売横行や密造酒を手掛けるマフィアの助長など、悪影響が強く出ていた。ルーズベルトは酒好きで禁欲的なピュ―リタリズムを嫌悪していたので、禁酒法撤廃は公約だった。撤廃された後のアルコール税は1年間で2億6千万ドルにも上り、税収の9%にも達した。
次に大恐慌の原因を投機が過熱し株価が急騰して、バブルが弾けたことにあるという認識から構造的な金融改革に乗り出した。銀行業務と証券業務の兼業を禁止するのがその骨子だった。また預金者保護のために連邦預金保険公社が成立し、2500ドルまで保護されることになり、後には5000ドルまで引き上げられた。証券業界の改革にも乗り出し、「証券を発行しようとする者は、投資家に十分な情報を提供しなければならない」と定められた。証券取引委員会(SEC)も設置され、初代委員長には後に大統領になるジョン・F・ケネディの父親ジョセフ・P・ケネディだった。ジョセフ自身がインサイダー取引で巨万の富を得た人物であり、大反発されたが、「狼を捕えるために、狼を使う。彼なら取引のからくりを何でも知っている」とルーズベルトは意に介しなかった。事実証券業界の裏表を知り尽くしたジョセフの活躍でSECは信頼を勝ち取り、以後アメリカ証券業界に睨みを利かすことになった。
農業問題にもメスを入れた。アメリカでは大戦中のヨーロッパに食料を送り込むために、農産物の大増産を行ったが、戦後も増産が続けられ、農産物は過剰となり価格は低迷していた。このため農家は低収入に苦しめられていた。更に世界恐慌により、消費市場は落ち込み、海外への輸出も激減して、農家は貧困にあえいでいた。この事態を克服するためにルーズベルトがとった政策は農産物の生産調整だった。小麦、綿花、トウモロコシ、豚、米、タバコ、牛乳の7品目には作付け面積が割り当てられ、削減に応じた農家には補助金が配られた。これにより生育中の農産物は根こそぎ廃棄され、飼育中の豚が殺処分されることとなる。
「飢えた人がいるのに、食料を廃棄するのは何事か」と憤る人もいたが、ルーズベルトはここでも意に介さなかった。
この政策で確かに農産物の価格はあがったが、その恩恵を受けたのは農地を持っていた者達だけで、小作農や農業従事者の困窮は一層ひどくなった。また補助金は農産物の加工業者からの加工税で賄えられたので、業者側の反発も強かった。
ルーズベルトの最大の経済政策の目玉がテネシー川流域開発公社(TVA)でダムを建設し、治水事業、植林事業などの総合的な開発だった。流域はたびたびの洪水に見舞われ、土地が侵食され耕作困難なうえ、マラリアなどが蔓延し、全国的にも貧しい農家が多くいた。ここに電源開発と、災害対策を講じて、レクレーション施設を作り、観光地にもしようとして、アメリカの公共事業のモデルケースにもなった。
洪水対策効果は確かにあった。27年にはこの流域は大洪水に見舞われているが、これを上回る被害は94年に過去100年間の最大降雨量を記録したにも関わらす発生していない。また、94年時点で船の運航は34000隻以上となり、これをトラックが運ぶとなれば200万以上となりその経済効果は3億5千万ドルに及ぶとされた。水力発電により、1770万MHWの電力が生産された。
産業復興法が制定され、工業製品の価格下落と授業員の賃金低下を防ぐ名目で、企業間の過当競争を止めさせ、秩序だった生産を行わせるものだった。産業ごとに製品やサービスの価格、生産量、賃金や労働時間を決めさせた。
ルーズベルトはこの運動に参加しない企業を政府の受注から排除もした。この強引なやり方にヘンリー・フォードなどは反対し、評論家のウオルター・リップマンは「行き過ぎた集権化と独裁的な精神が官僚的な統制を生み出した」批判している。
以上のようにルーズベルトの政策において、成果を上げたものと失敗に終わったものがある。なかでも景気刺激と失業者対策として大規模な公共事業であったが経済効果は疑問視されている。道路や橋、学校、病院が作られ、33年から39年にかけて、3万4千のプロジェクトに60億ドルが費やされたが、結果的には景気は回復せず、雇用も創出しなかった。
財政赤字は36年には43億ドルにも膨らんでおり、財政支出を大幅に減額する必要に迫られた。37年に景気の回復の兆候が見られ、失業率も12%まで下がったことに気をよくしたルーズベルトは、財政を大幅に縮小させた。ところがすぐにその反動が起こり、38年には失業率は19%に悪化してしまい、37年10月には株式市場は29年以降最悪となった。これをルーズベルトの景気判断が間違えたからとして、人々は「ルーズベルト不況」と言うようになった。
公共事業などの財政出動だけで景気回復が出来なかった。またTVAも電力事業は赤字に陥り、費用対効果として果たして良かったのかと言う議論も今日になって行われている。
私は洪水対策としてのダムを含む公共事業には批判的ではない。現在、河川の氾濫を防止するためにダムや河川の改修以外に効率的で経済的なものはないと考えるからだ。ダム建設を無駄だと考える人がいるが、ダム以外で有効な洪水対策を提言している人は少なく、その提言も植林事業など効果の薄いものばかりで洪水を防げるとは思えない。洪水を自然現象と捉え、人命や家屋財産が失われても仕方ないとする考えもあるだろうが、私は防げるものなら対策を練るべきと考える。




