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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
3章 日露戦争
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17話 苦戦

日露戦争において、旅順の攻防戦ほど長く、そして日本軍が苦戦を強いられた戦いはなかった。

その苦戦した理由に日本が、城塞の攻防戦の経験がなかったことも上げられる。

日本は外敵からの侵略を長い歴史の中であまり受けて来なかった。そのため、城塞を築いて都市の住民を守ると言う発想がほとんど生まれてこなかった。

ヨーロッパの軍事専門家が日本の都市を見て「殻を持たないカキ」と評したことでも分かる。

一方、世界の都市は城塞に囲まれているのが常識だった。ヨーロッパや中国の古くからある町は必ず城壁の跡が見られる。

それだけ、世界の都市は外敵の脅威に曝されていた。当然、城壁を巡る攻防の経験は日本よりもはるかに高い。


日本の歴史上で城攻めに特異な才能を発揮したのは羽柴秀吉だけと言える。

備中高松の水攻め、三木の干し攻め、鳥取の飢え殺しなど様々な城の攻略を行っている。

また小田原城の包囲では神経戦までも繰り出して、圧倒的な兵力差を見せつけ小田原側を失望に追い込み、大きな戦闘もなしに屈服させた。

だが、乃木将軍率いる第3軍の参謀には秀吉ほどの智謀を持った人物はいなかった。

まず一番やってはいけないこと、準備が整わない前に、旅順に攻撃を仕掛けてしまった。

旅順攻撃前に大本営では「箱崎にある28センチ榴弾砲を移設し、旅順要塞を破壊する」考えがあった。

だが、この考えに乃木軍の参謀は「中小砲弾を用いて、強襲すれば旅順要塞を陥落できる」と却下してしまう。

八月下旬に5万の兵力で総攻撃をかけたのだが、1万5千以上死傷者を出す失敗に終わった。


この敗北を受け乃木軍参謀は28センチ榴弾砲の設置を決めるのだが、9月下旬にまだ榴弾設置が出来ないまま、またも攻撃を敢行する。

この時も日本軍は5千人近い犠牲者を出して失敗した。

後に陸軍大学の優秀な学生だけを集めた授業において「この戦いは幼稚極まるもの」と教壇に立った講師から酷評されている。

またロシア側の資料にも「日本の砲撃では強固なコンクリート堡塁を破壊できず、攻撃もばらばらであった」と書かれている。

そして、ロシア側に彼らの弱点を教えてしまう結果になった。203高地などの拠点の強化工事を急がせることとなったのだ。

秀吉と比べあまりにお粗末な計画であった。

彼なら、まずあらゆる戦力が整うまで攻撃をしなかったのではないか。

鳥取城攻めの時など彼は攻める前に城の周辺で米などの食糧を買いあさることから始めている。

そうしておいて、コメの値段を吊り上げて置いて、住民たちの食糧備蓄を減らしておく。

その後、住民たちを追いたてるようにして、場内に逃げ込ませる。

当然、城はいつもよりも多く者を抱え込むことになり、備蓄の食料は瞬く間に減少してしまう。

秀吉の残酷なことは完全に城の補給路を断ち切り、城の者達を飢餓に追い込んでしまうことだ。

その悲惨な様子は今も鳥取の郷土資料にも載っている。投降した時の兵士は空腹で歩くことも出来なかったと言われている。

ここではその悲惨な状況は書かないが、敵をほとんど戦闘不能まで追い込み、降伏させてしまった。

秀吉は力ずくで城を落とすことの危険性、無理に城を攻めれば味方にも多大な兵力の損失があることをよく理解していた。

乃木軍の参謀が秀吉の合理的な城攻めを知っていれば、もう少し準備に時間を割いていただろう。


ただ、ロシア本国も日本が城塞攻略の経験がないことを熟知していなかったようだ。ロシアもまた不可解な行動に出た。

旅順艦隊に対して、「独力で封鎖を解いて、ウラジオストックに退避せよ」と命令を下す。

この目的は日本陸軍の包囲の迫る旅順を見捨て、安全なロシア領に入ることだと思われる。

だが、港の傍で待ち受ける日本海軍の眼をすり抜けて、ウラジオストックに逃げこむことは至難ことだった。

8月10日に旅順を出港したロシア艦隊は早速に日本艦隊に見つかってしまう。

ここで「黄海海戦」と呼ばれる戦いが繰り広げられ、ロシアの旗艦は大打撃を受け、艦隊長官ヴィトゲストが爆死してしまう。

また旅順艦隊を迎えるために対馬沖まで出ていたウラジオストックの巡洋艦3隻も上村艦隊と交戦して撃沈された。

ロシア艦隊はまた引き返して旅順港に戻るはめとなった。

この結果を受けて、衝撃を受けてロシア政府は遂にバルチック艦隊を極東への派遣を決意することになった。


ロシアは大陸国で元々海洋進出は遅れていた。

しかも日本と同盟を結んだイギリスの存在は極東派遣をためらわせるものだった。

遠く極東に艦隊を送ることは途中で、水食糧や燃料の補給、艦隊の整備・補修をどこかの中継地で行わなければならない。

ロシアは自前の海軍基地を遠征航路には持っておらず、友好国のドイツやフランスの力を借りなければならない。ところが、フランスはイギリスと協商関係を持つようになり、あまり多くの協力を期待できなかった。

これらの点から大国ロシアをもってしても、大艦隊を極東に送るのは相当な覚悟を要したのだ。


ただ東郷司令官が懸念したよりも遅くなったとは言え、バルチック艦隊の襲来はいよいよ現実のものとなった。

日本の防衛はこれにどう対応するかが、最大の問題となった。

しかも、旅順には逃げ込んだロシア艦隊がまだ10隻残っている。

東郷は陸軍に旅順の艦隊を早く破壊するよう強く要請した。


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