166話 三国協定
このようなドイツの状況を日本の軍部や官僚にはうらやましく見ている者がいた。
永田鉄山やその遺志を継いだ統制派のメンバーはこれこそ、『国家総動員体制』の見本のように思った。
ドイツ国民が一丸となって、軍備増強を推し進める体制は日本でも見習うべきものだと思ったのだ。
「ドイツは凄い。戦争に負けたと言うのに、もうここまでのことをやりとげた」
「国一丸となって、軍事体制を作り上げた。わが国など政治家を始め、戦車一つ作るにも大騒ぎしている始末だ。」
ドイツと交渉して、同盟を結ぼうとする気運が高まった。
36年、広田内閣の時に、日本はドイツと日独防共協定を結んだ。
日本は国際的孤立を深めており、ドイツと協定を結ぶことで、孤立からの脱却を逃れることと、ソ連への牽制を考えてのことだ。一方のドイツはイギリスの牽制に使えると考えた。ただドイツは伝統的に中国と親しく、特に国防軍は親中華路線であり、ドイツ外務省は世界大戦で連合国側についたことに不信感を持っており消極的だった。これらのことから、ドイツはソ連を敵対視することは好ましくなく、日本との軍事同盟に繋がることまで考えてなかった。
それゆえに、協定は共産インターナショナル(所謂コミンテルン)に対するものとされ、共産主義の破壊活動を防衛するためとされ、秘密とされた。
このコミンテルンの工作活動については、当時一部の者にしか認識されていない。
ソ連は社会主義国家として、様々な働きかけを国際社会に行っていた。目に見える形では、モンゴル人民共和国の独立だ。21年にモンゴルはソ連の援助によりラマ教の活仏ホグト・ハーンを推戴して中華民国から独立していたが、24年にホグトが死ぬと、社会主義国になっている。
当時社会主義国家だったのはこの二カ国だけで、ソ連は他国に社会主義を広めようとしていた。
資本主義の貧富の差を容認する考えを否定する者達は社会主義に憧れる傾向があった。日本の映画監督と有名女優が樺太の国境を越えて、ソ連に密入国したのもその表れと言える。ソ連は国際会議を開き、このような考えの者達を集め、社会主義を広めようとしていた。その中には破壊活動に協力させる目的もあった。
ただ防共協定は実効性の伴わない中身のないもので、交渉当事者さえも「骨なし同盟」と評価されている。積極的に動いた陸軍以外では評価されず、西園寺公望などは「一から十までドイツに利用され、日本だけが損をしたように思われる」と言いきっている。
正平も、協定には特に関心を寄せてなかった。
ところが、正平自身が首相になってから、この協定にイタリアが参加する意向を示してきた。
37年8月に中華民国とソ連との間に中ソ不可侵条約が締結された。これに反応してイタリアのムッソリーニ政権は日本の東洋平和のための自衛行動を容認すると発表した。アメリカなど西欧諸国が対日強硬姿勢をとる中で、主要国のイタリアが日本の立場を支持してくれることになった。
イタリアは35年からエチオピアに侵攻して、全土を制圧していた。エチオピア皇帝ハイレ・セラシエは降伏を拒否しイギリスに亡命し、臨時政府を樹立してエチオピアの独立維持を主張していた。このような背景からイタリアも国際的な孤立状態になっており、協定に参加することにした。
これにより、3国は反イギリス、反共産的な様相を深めていくのだが正平はその影響を計りかねた。
(外交は継続されていくものだ。政権が変ったからと言って、協定を破ることはできない。)正平はそのように思っている。
広田内閣が昨年交わした協定にイタリアが参加表明しても反対する理由がないのだ。
正平は佐藤外相とこのことで次のように話し合った。
「イタリアが参加しても影響は少ないが、アメリカの態度が気になる。」
「アメリカ大統領は日本、ドイツ、イタリアを敵視していますからな。」
「日本の支那への侵攻、ドイツの領土拡大策、イタリアのエチオピア併合を国際条約に違反していると考えている。それでいながら、ソ連のフィンランドやバルト諸国への侵攻にはほとんど口を挟まない。この態度の違いは理解しかねる。」
「アメリカ大統領とスターリンが親交関係にあると言われています。また社会主義を放火しているとも言われています。そのようなことからソ連の行為を黙認しているかと思われます。」
「個人的な関係で、国際問題が解決できたらよいのだが、ルーズベルトに取り入るのは難しいように思っている」
「ええ、私もそのように思います。」
「とにかく、ヨーロッパの問題でアメリカとの関係を悪くしたくない。できれば、全ての国と友好関係を保っておきたいものだ」
「そうですな。これ以上、ドイツとイタリアに肩入れすることは避けましょう。」
「できればイギリスとも接触して、友好関係を取り戻したい」
「分かりました。イギリス大使に伝えましょう」




