1話 クーデター(改)
226事件を解説するものではなく、主人公がどのように行動していくのか物語るものです。
この作品は私の妄想から生まれたもので、くれぐれも史実とは違うとご不満されないようにお願いします。正直作品の9割は私の妄想より生まれたものばかりです。それだけをご承知の上でお読みください。
1936年2月26日、帝都の未だ明けやらぬ厳寒真っただ中の朝5時前に、激震が走った。陸軍の青年将校たちが約1500人もの部隊を率いて、政府要人、政府機関、新聞社などを襲撃したのだ。大蔵大臣の高橋是清、内大臣の斎藤真、教育総監の渡辺錠太郎、首相の岡田啓介と間違われた海軍大佐の松尾伝蔵など9人が暗殺された。
これが、二・二六事件と呼ばれるクーデター事件である。
事件を起こした青年陸軍将校は腐敗と汚職にまみれた政治を一掃し、天皇親政を唱えた。
「我々は奸臣を排し、天皇陛下の親政をお迎えするのだ。」
「国民が苦しんでいるのは、政治家や金持ちが不正を働いているからだ」
天皇陛下に請願書を申し出て、彼らの主意を申し開こうとした。
事件を起こしたのは国家改造派と呼ばれる青年将校の急進グループだった。彼らは決して私利私欲から行動を起こしたのではない。当時の日本は都市と農村の格差が広がり、都市は電気、ガスが供給され、交通機関も発展していたが、農村は江戸時代とも言える生活を強いられていた。更にニューヨークから起こった世界恐慌は日本にも広がり、中小企業の倒産や賃金の不払いが起こり、日本経済はデフレに陥った。その結果農作物の価格は下落し、農村はその直撃を受けてしまい、子供を間引き、娘までを身売りする農家もあった。青年将校は農村出身の部下たちの窮状の訴えに、大いに同情し、政治に大いに不満を持つようになっていた。北一輝の唱える土地改革や所有資産制限などの社会主義思想に傾倒し、国家改造を考えるまでになっていた。
また、陸軍大将の荒木貞夫や真崎甚三郎は、日本の理想的な政治軍事体制を日露戦争時期だとし、「天皇親政」を実現するという思想を持っていた。この考えに青年将校は共感した、急進的な改革論と結びついていた。
「天皇陛下もとで平等な社会を実現すべきだ」という考え方に発展し、「陛下をそそのかして私利私欲に走り、政治をしようとする人間を討伐しなければならない」という思いになっていった。
しかし、この事件を起こした中心部隊は東京の陸軍第一歩兵部隊で、彼らは近く満州に派兵される予定であった。
「我々が満州に行かされるのは、日本から追い出すために違いない」
「そうだ、天皇親政を叫ぶ我々が目障りだから、満州に追い出そうとするのだ」
「満州に派兵される前に、ことを図るべきだ」
反乱を指揮した将校達は自分たちを厄介払いしようとする上層部に反発し、行動に移したにすぎない。
反発して決起したが、後のことを何にも考えてなかった。
自分たちの行動を起こした後は、「陛下の下に一切を挙げておまかせすること」に期待しているだけだった。
「奸臣(政府要人)を取り除ければ、良くなるだろう」としか考えてなかった。後のことは全く考えていなかったのだ。
彼ら自身で誰が指導者になり、どのような政策を実行していくのか何一つ考えてない。
全てを他人任せようとした幼稚な考えだった。
塚田正平は部下から事件の一報を自宅で聞いた。彼の自宅は陸軍参謀本部と歩いても一時間とはかからない。すぐさま、車を使って本部に向かった。
だが、本部にはクーデターで蜂起した兵士たちで入り乱れて、車もたちまち立ち往生してしまう。
やむなく正平は徒歩で本部に向かうしかなかった。
「閣下、ここより先はお通しできません」参謀本部の手前で兵士が銃剣を構えて立ちはだかった。
「黙れ、俺が誰だと分かっているのか?」正平の一喝に兵たちはたじろいでしまう。
軍隊は上下関係を徹底的に叩きこまれる。上司の命令は従わなければならないと教えられ、位が高くなればなるほどその命令は絶対的になる。
兵卒にとり直接話を聞けるのは、少尉か中尉ぐらいであり、その上の佐官クラス以上などと接する機会などない。まして将官などは雲の上の存在だった。
目の前の人物が大将の位であるのは階級章から分かる。その人と対峙するのは一般兵卒にとって出来るものではなかった。
まして、塚田は『隻眼の大将』と呼ばれ、国民の多くから英雄視されている。
勿論、ここの兵士も良く知っている。
大柄ではないが、隻眼から繰り出す鋭い眼光に、目を合わせられる者はいない。
誰一人、制止できるはずがなかった。彼の行く手は左右に分かれ道が綺麗に開かれ、本部に繋がっていた。
この時、本部に駆けつけようとした陸軍首脳は他にもいたが、多くは包囲する兵に阻まれてしまい、中に入れたのは塚田などわずかしかいない。
中も喧噪状態だ。
「まだ事件の詳細が掴めない。情報を集めるのが先決だ」
「青年将校は義憤を感じて立ち上がったのだ。弾圧するのはいかがなものだろう」
「天皇親政を唱える彼らを討ち取るのはいかがなものであろうか」
陸軍本部内は混乱してクーデターにどのように対処するか意見の集約もできず、決められないまま、事件の様子を見定めようとする雰囲気で占められていた。
正平は此の生温い対応に激怒した。
「これは反乱だ。直ちに鎮圧しなければならない」正平はクーデターを反乱と決めつけた。
「彼らは昭和維新を唱え、天皇親政を掲げている。そんな彼らを討伐して良いのか?」一部にためらいの声が持ち上がる。
「天皇親政と言えば黙るのか。正義を振りかざそうと、武力で権力を奪おうとするのは逆賊だ」
「逆賊とは言い過ぎです。若手将校の言い分を聞いてみてからでも遅くないでしょう」参謀の一人が反論した。
「馬鹿を言うな。これが反乱でなくて何だと言うのだ。直ちに鎮圧しなければ、事態は混迷するばかりだ」
「塚田閣下の意見に賛成です。待っていても事態は好転しない」それに同調したのが石原莞爾だった。
彼も塚田と相前後して、本部を固めるバリケードを強行に突破して入って来ていた。
傲岸で上司にも食って掛かる性格の彼だったが、正論には同調する。
何をしてよいのか戸惑っていた様子見の陸軍上層部を二人は言い負かした。
結局この二人の意見に上層部の考えがまとまった。
また、クーデターに天皇陛下が強く不愉快感をあらわされ、青年将校たちの請願書を受理されなかったことも、大きな流れとなった。
「陛下が請願書を受け取らないのは、青年将校の行動を反乱と考えられたのだ」
「何人もの政府関係者が襲われており、青年将校を義憤から行動起こしたと見るのは無理がある」
陛下のお気持ちをそのように慮った。
このような状況になって、決起した若手将校達にも動揺が走る。
「自分たちが反乱軍と認定されたと言うのか!」
「陛下に嘆願書が届かなかった」
「軍上層部に我々の意見が聞き入れられなかった」
彼らは天皇が嘆願書を読めば同情し、それが上層部にも伝わり理解してくれるはずと思い込んでいたのだ。
その願いが脆くも崩れていた。
叛乱将校たちは下士官兵を原隊に復帰させ投稿するか、やむなく自決を選ぶしかなくなる。
そして大半の将校は投降して法廷闘争を図る道を選んだ。
このようにして事件3日目の28日になって反乱が鎮圧され、クーデターはわずか3日間という短期に収束して終わる。
塚田正平の名前は若くして亡くなった友人の名前からとりました。長い話になると思いますが、お付き合いしていただければ嬉しいです。