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座敷犬のトレイ 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 最近はコンビニの飯もだいぶ味が良くなってきた気がするな。以前より、舌に合う印象が増してきたよ。


 ――何? グルメ気取りで無性に腹が立つ?


 ああ、そう取れたのなら済まんな。どうも給食を食べていた記憶が舌にこびりついちまってて、それとなんとなく比べちまうんだよね。

 まずい、というほどじゃないんだが、生徒の健康を考えての薄味、栄養バランス……物足りないという意味でのしんどさが、俺にはこたえてね。こうして社会に出て、自由気ままに偏食ができるというのも、いいものだ。

 健康第一って考えはよく聞くけど、実際に健康な自覚があるうちは、そんなもんどこ拭く風じゃないか? 日々、節制をしっかりして、体をいたわっている人を見ると感心するが……節制し続けて人生終わりじゃ、つまんないだろ?

 だが、俺はとある相手には節制を続けて欲しいと思っているんだ。なあ、俺が給食を食っていた時の不思議な話、聞いてみないか?


 学校の教室に張られている、給食の献立表を見るのは、俺にとっては習慣のひとつだった。

 物足りないなりに、せめて食いでのある肉料理がよそられる日を楽しみに生きていく。

 今回はその献立表に、見慣れないおかずの名前が。


「なあ、『メルルーサ』だってよ。これ、何か知ってる?」

「なんだそりゃ? 怪物か何かか?」

「知らねえから聞いてんの。もしゲテモノだったら、食いたくないんだけど」

「なんでも白身魚の一種らしいわよ。タラの仲間だとかなんとか」


 メルルーサ。タラの仲間にしては仰々しい響き。少し恐ろしさも入っている。

 そしていざ配膳となった時のこと。確かにメルルーサは湯豆腐に入っているタラを思わせる白い体を持って、俺たちの前へ姿を現わした。

 ゲテモノじゃない姿に一安心ではあるが、俺には別に不満なことがあった。給食を受け取る時に渡されたトレイの件だ。

 俺たちの学校で使われていたのは、繊維強化プラスチック製の緑色。年季が入っているのか、黒ずんだ雨だれを思わせる内側の汚れが走っているものも混じっている。

 いつもだったら、その不調和な色彩も、器達の下敷きにしてしまえば十分に隠せるもの。ところが、その日の汚れはひときわ大きく、どう器を配置しても隠しきることができなかった。

 交換をしてもらおうにも、今日、ウチのクラスには欠席がおらず、トレイは余っていない。こんな汚いものを自分のものと入れ替えてくれる、酔狂な奴もいない。しぶしぶ、その日の給食をいただくことにしたんだ。ところが……。


 まずい。

 メルルーサは箸を入れた時点で、たいした手応えもなくボロボロとこぼれ、粉状になってしまったんだ。ほぐす手間がはぶけたとしても、それが箸で拾い集めて口の中に入れた瞬間にも、わたあめみたいに溶け出すとは、どういう了見だ。

 あえてもう一度いう。まずい。

 粉薬と大差ないのど越しを味わうことになるなんて、初見で想像がつくか? たまらずパックの牛乳に差したストローを、音出しながら盛大にすすり、流し込むはめに。

 被害はそれだけにとどまらない。メルルーサ以外の炊き込みご飯も、五目ひじきも、よく見ると器に触れている部分から、形を失ってどろどろになっているじゃないか。


 ――見た目だけなら、賞味期限切れの食いもん並にやべえ……!


 だが、俺はここまで皆勤賞ならぬ、「皆食賞」を達成している。この数年間の給食でいかなるものも残さず、時間内に食べ尽くすという栄誉ある称号だ。俺の中だけで。

 先に話したように、俺は好き嫌いが多い。家ではわがままをいうが、かつて親に「外に出た時、食えないものがあるってだけで、お前、馬鹿にされる時がくるぞ。直しな」と注意されたんだ。

 それからは人前で食べる時は気力を振り絞ってでも、残さず食べるようにしていた。できそこないの離乳食のごとき様相を呈し始めたおかずと格闘する俺は、ふと気がつく。

 

 廊下を、帽子と白衣に身を包んだ給食配膳のおばちゃんが歩いている。普段なら給食当番をする時、各階にある給食用ワゴンを運ぶエレベーターの近くで顔を合わせるくらいなのに、出歩いているのは珍しい。

 それも教室前後の出入り口から、中をのぞき込んでくるんだ。じっと時間をかけて一人一人を見据えていく。

 俺は一番窓側の席で、おばちゃんの動きそのものはよく分かったが、何をしているのかまでは分からない。やがておばちゃんは別の教室へ。

 その日は給食当番がワゴンを返して戻ってくるのに、ほんのわずか、時間がかかったような気がした。


 5コマ目の初め。予定表通りなら国語の時間なんだが、なんと、先生と一緒に給食のおばちゃんが入ってきた。その手に、給食のトレイを持って。


「すまない。ちょっとみんなに聞きたいことがあってな。このトレイを使った人、いないか?」


 順番に回されたトレイが来た時、俺は目の色を変える。この大胆な汚れ具合、俺が使っていたものに違いない。

 正直に申し出ると、放課後に少し話がしたいと給食のおばちゃんから、直々にご指名を受ける。これが美少女からのお誘いなら嬉しかったが、あいにくおばちゃんは50歳に差し掛かろうかという見た目。ロマンスの気配はない。

 待ち合わせ場所も、一階の配膳室の前と、色気より仕事の匂いがプンプンする場所だったよ。


「入って」と促されて、俺は配膳室に入る。

 この一階の配膳室は、基本的に生徒が入ることはなく、俺も初めてだ。給食センターからの搬入口があるから、そのスペースはかなり広い。ワゴンは一台だけ残っていて、書かれたクラスの表示から、俺の所属するクラスのものだと分かる。

 入り口の戸を閉めると、おばちゃんが口を開いた。


「あのトレイ、使っていて変なところなかった? あったらごめんなさいね」


 その質問で、給食中のおばちゃんの動きにも合点がいく。きっとトレイを探っていたのだろう。しかし、見ることができたのはせいぜい廊下に近いところに座る生徒達のみ。ほこりが舞う可能性を考慮して、教室の中へ入ってくるような真似はしなかった、というところか。

 俺は自分が見舞われた、料理の液状化現象を伝える。するとおばちゃんは「やっぱりか〜」と頭をかきながら、改めて俺に謝ってくるおばちゃん。どうやらあのトレイは、専用のものだったらしい。

 みんなが使うトレイに、専用もくそもあるのかと思っていると、不意に残っているワゴンの影から、顔をのぞかせるものが。

 

 トイプードルだと、俺は判断した。横へ広がる耳、その下から顔の輪郭にかけてふさふさと生えた、茶色の毛が印象的だ。いや、そもそも配膳室に動物とか、不衛生きわまりないのでは?

 のろのろと出てきたトイプードルは「ウウ……」と苦しげにうめきながら、俺たちの方へふらつきながら歩いてくる。それを見て、おばちゃんは手近の棚に置いていた、先ほどのトレイへ手を伸ばす。ウエイトレスがするように、底を手のひらに乗せて。

 空いているもう片方の手で、白衣のポケットをまさぐるおばちゃん。取り出したのは、個包装された一粒の飴。片手のまま器用に包み紙を剥いでトレイの上へ。すでに足下近くまで来ていたトイプードルの前へ、差し出してやる。

 するとどうだ。先ほどまで固形を保っていた飴が、見る間にグズグズと溶けていく。俺の時のメルルーサと同じだ。ほとんど液状になったそれを、トイプードルは舌でペロペロとなめとり始める。


「このトレイ、乗せた食べ物を溶かす、不思議な力があるんだ。あの子、これを使わないとものを食べることができなくてね。こうしていつも面倒を見ているんだけど、今日、ちょっとした手違いがあって、みんなのトレイの中に混ぜ込んじゃったんだよ」


「いや、トレイもたいがいですけど、そもそも犬とか不衛生な生き物、ここに持ち込んじゃやばいと思います」


「ああ、この子はね。元からここにいるんだ。ずっと昔から、この学校にね。座敷童ならぬ座敷犬って奴かな」


 おばちゃんがあっけらかんと話す横で、俺はぽかんとする。その座敷犬とやらは、まだまだ溶けた飴に夢中。その他大勢の犬と比べて変わったところも見えず、くだらない言い訳をしているようにしか思えない。

 興ざめだ。俺は「もう帰っていいっすか?」と返事も聞かずに背を向けたんだ。


 その後頭部に、何かが噛みついてきた感触がした。髪ごと頭皮に幾本もの歯が突き立てられ、その下にある骨にまで、じんわりと水が染みこんでいく……。

「えっ?」と俺は振り返った。そこには先ほどまでトレイを夢中でなめていたトイプードルが、俺に向かって大口を開けているところだったんだ。

 俺とトイプードルの間は3,4メートルはあったはず。あの一瞬で俺に噛みつき、あの位置へ戻るなど、できるとは思えない。そもそもあの歯形には、俺が抵抗しなければ頭もろとも飲み込まれるかと思うほどの、巨大さを感じた。それを、あの10センチにも満たない幅の口を開ける犬がもたらすことができるなど……。

「ああ、ごめんね引き止めちゃって。大丈夫だよ」とおばちゃんがこちらを向いて、俺の言葉に答えた時には、もうトイプードルは元の姿勢に戻っていたんだ。


 配膳室にいる座敷犬の存在。これはどうせ信じてもらえないだろうと、俺は卒業まで話すことはなかった。中学以降は怪談話のひとつとして面白おかしく提供させてもらったが、大学に入った頃から気にかかることがある。

 後頭部の髪が異様に抜けるようになった。もうお前も見ているだろ? 俺の後ろの髪だけほとんどはげかけているの。

 あのおばちゃん、座敷犬はトレイの上に乗せた食べ物しか食べねえといっていた。俺自身、トレイには食べる時、何度も手を乗せている。もしかしたら、あの時配膳室で感じた歯形、俺がロックオンされた証かもしれねえな。

 今まで無事なのは、図体がでかいから食べ頃を待っているのか、それとも俺自身が好みじゃないのか……ま、これに限ってはあの座敷犬が偏食家であるか、節制してくれるのを祈るばかりだな。

 

 

 

 



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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                  近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] ヒェッ……!(((;゜Д゜)))  五目ひじき……(←そこ?) ひじきだけは今も口に入れられないくらいなので、給食に出る数日前からもう憂鬱でたまらなかったです! お昼休み時間、ずっーと残され…
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