勇士の王・史部の姫
じっとりとのしかかるような曇りだ。嵐の前触れだろうか。そんなことをぼーっと考えていた。
久方振りのベッドだ。もちろん元いた世界のものほど良いものでは無いがやはり雨風を心配せずに柔らかい布団に体を埋めるとそれだけで疲れが取れていく気がする。
先日のドラゴン撃退の際、流石に怪我人を放置する程冷酷でもなかったらしく私達は街の治療院で治療を受けられることになった。
「よう、起きたか。」
シャールが呑気に話しかけてくる。
「やっぱり郭内は良いよな!あー!俺も早く自分の家でぐっすり寝れる生活に戻りたいぜ!」
“シャール殿”
「あー、すまん。」
ビクトリアの咎める声に隣のベッドで寝ているルーナを起こさないように今度は小声で謝罪する。
「それより聞いたか?今回の件、功績者に郭内居住の赦しが出るらしいぜ。」
それは外郭に住む者にとっては悲願とも言える申し出だった。しかし私は確かそれを聞き流していたと思う。だからビクトリアが私の代わりに会話を続けたのだ。
“ほう、その功績者とは?”
「それが聞いて驚け、なんと俺様だ!」
と親指で自分を指さして浮浪者とは思えない綺麗な歯を見せ付けてくる。が、少しの沈黙の後その手を力なく下ろした。
「…と、言いたいところだがサンタナらしい。ほら、あのドラゴンの目を射抜いた奴。…あともう1人は前線で戦ってたあんただ。」
しかしその時の私は街に何の興味もなかった。だからその権利をシャールに譲ると伝えたのだが、意外なことにその提案は断られてしまった。
「俺は、まぁ確かに郭内に戻りてぇが此処にはまず未来あるお前らが来るべきだと考えているし…」
私はこの時初めてシャールの顔を正面から見た。そこにいつもの軽薄そうな笑顔はなく子供と接する時の優しい笑みがあった。
「ジンのこともある。」
その名前を聞いた瞬間に体が強ばる。
「あいつはあの掃きだまりをまとめていた功労者だ。人望もあった。」
脳裏にあの日の記憶が明瞭に浮かび上がってくる。
降りかかる大量の血、目の前で裂かれるジン。
ほぼ半身だけになった体でナタを腕ごと口に突っ込むとそのまま反対まで貫いた。流石にこれは聞いたらしくジンを振り落とすとドラゴンは去っていった。地面に叩きつけられたジンに駆け寄った時には既に事切れていた。
「あいつの事でお前を恨むやつがいるかもしれない。」
シャールは続ける。動悸が早くなるのを感じる。
「だからお前は街に入れ。そして今回の功績を手土産に別の街でルーナと暮らせ。お前の喋る剣があればそれなりに食いつなげるだろう。」
私はもう何も言えなくなっていた。
「じゃあな、来週には国衙(その土地の領主の拠点のような場所)で領主との謁見があるから礼儀のひとつぐらいみにつけとけよ。」
そう言ってシャールは部屋から出ていった。
部屋はルーナのささやかな寝息が聞こえるだけになった。
■
「おはようございます!兄さん!」
ルーナがハキハキとした声で挨拶をしてくる。あれから数日経ち、体の汚れを落とし真新しい服で身を包みもはや浮浪者の面影のなくなった。私が挨拶を返すとニッコリと笑ってみせる。綺麗に整えた今、中性的な顔立ちをしたこの少年はこの笑顔だけで老若男女問わず魅了できるのでは無いだろうか、などとくだらないことを考えているうちに私とルーナは領主との応接間の前に来ていた。
扉を開けるといかにもな見た目の大広間の奥の豪華な椅子に2人の領主が座っている。1人はビーリカット・エミー婦人、美しい顔立ちをしながらもどこか厳格さを感じる彼女はこの土地の正式な後継者でありこの世界の歴史を記録する神子、史部〈ふひとべ〉の姫と言われている。そして
「やあ、はじめまして。」
2年前に私がよく使っていた言語で話しかけてきたもう1人がオオクニ ユウト公、以前この世界に君臨した魔王を退けた勇者であり現在はエミー婦人の夫にして[勇史卿]としてこの土地の執政を司っている。
「は、お初にお目にかかる、ます、ルーナといい…えっと申します」
どうやら今の言葉は何かしらの魔法(神の奇跡かもしれない)により伝わっているらしくサンタナが挨拶をし、続いて緊張仕切ったルーナと私も挨拶をする。
「この度は暴龍撃退、ご苦労様でした。」
自己紹介もそこそこにエミー婦人が厳格に告げる。
「街に住む人々を救ったあなた達の勇気、犠牲になった御霊に対し我々は最大限の敬意を評します。」
と、所々外郭にすむ人間に対する本心の漏れる前置きがしばらく続き居住許可書の贈呈の段取りとなった。
先にサンタナが恭しく美しく装丁された箱を受け取り2、3言交わして戻ってくる。その顔からは緊張と隠しきれない喜色が見て取れる。彼は無口だが誠実な人だったがその優しさ故に病気の友人のために薬を盗み追放されたらしい。きっとその性格で直ぐに街に受け入れられるだろう。
続いて私とルーナが前に出る、普通は1人ずつ出るものだがルーナがあまりにも嫌がるため便宜上家族として2人で御前にあがることをゆるされたのだった。証明書を受け取る前にオオクニ公が口を開いた。
「君は放浪者らしいね。神様との契約なしにどうやってドラゴンと渡り合えたんだい?」
私はその質問に対し回答をしつつなにかこの領主に違和感を感じていた。しかしその答えが出る前、話がジンと出会った時のくだりになった辺りで横槍が入った。
「おい貴様」
先程の無感情な作業的な声ではなく低く感情の篭もった声でエミー婦人が私に呼びかけてきたのだ。
「貴様今ジンと言ったか」
私はその憎悪と羞恥の入り交じった形相に戸惑いながらもそれを肯定する。オオクニ公の方を見ると「あーあ」とでも言うように肩を竦めている。
「衛兵!こいつを殺せ!早く殺せ!今すぐに此処で首を掻き切って殺せ!」
「まぁまぁまぁ」
遂に怒りが頂点に達したエミー婦人をオオクニ公が宥める。
「申し訳ないけどその2人をどっか適当な宿屋にでも案内してくれるかな?」
そう言われた衛兵に連れられて私とルーナは広間を出た。
背後からはエミー婦人の呪詛めいた喚き声が最後まで聞こえた。
■
件の宿屋でオオクニ公と落ち合ったとき最初口を開いた(?)のはビクトリアであった。
“お久しぶりです勇者殿、今は勇史卿でしたかな?”
「やあ!リンドウの持っていた剣じゃないか!決戦以来だな!今は君が持ってるのか!」
はしゃいでみせるオオクニ公の質問に私は首を縦に振った。「いやあ懐かしいなー」などと昔話がはじまりそうになったので私は我慢できずに今回の件についての説明を求めた。そうするとオオクニ公は真面目な顔を作り私の方を見て淡々と話し始めた。
「リンドウはねエミーのことが好きだったんだ」
要約するとこうである。
ジンとオオクニ公は昔魔王征伐の為に共に戦う仲間であった。その際協力者であったエミー婦人のことをジンは好いていたが当のエミー婦人はオオクニ公のことが好きであったためそれに気付き切羽詰まったジンは魔王との死闘後エミー婦人を呼び出し…
「まあことを起こす前にオレが止めたんだけどね、相手が相手だしリンドウはチウトの街を追い出されたのさ」
と、オオクニ公は締め括った。
あの時ルーナを連れていかなくてよかった。エミー婦人の怒りようを見るにこの話に嘘はない。ジンのことを本当の親のように慕っていたルーナが聞いていたらどんなにショックを受けただろう。
「あんまり驚かないんだね」
と彼は言った。勿論2年間共に暮らした師の過去にすくなからず思うところはあったが私には1つ気になることがあった。だからその確認も込めて私は一つ質問をした。戦友としてジンのとった行動をどう思うか、と。
彼は言った
「馬鹿なことをしたと思うよ、言ってくれれば譲ったのに」
その時の彼の顔を見て「あぁ」と私は確信した。この勇史卿という男は何に対しても無関心なんだろう。言葉では親身に話を聞きそれらしい相槌やジェスチャーを行うがその実彼の顔はこれまで下手な芝居役者のように無感情な視線を私達に向けていた。(奥方であるエミー婦人に対してもだ)
「悪いことは言わない、次の日が昇る前には君たち2人は街を出るといい。エミーには私が適当に説明しておくから。」
勇史卿は私にそう言って笑顔を見せた。しかしその目はやはり無感情に私を映すのみであった。
外では雨がポツリポツリと降り始めていた。