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第2章  第1幕  キツネ狩り

藤木宅から自宅マンションに戻った麻田と弥皇。弥皇の部屋で、床のクッションと壁にもたれた恰好でワインを片手にリラックスタイムを過ごしていた。麻田は、怪文書を一目見たときから、記憶を失くしていたようだった。気が付くと藤木の家にいたという。怪文書のことは、弥皇は敢えて口にしなかった。

 口にしたのは麻田だった。


「あの怪文書。弥皇くんに一番知られたくなかった過去。全部、本当なの」

 付き合っていた時に待望の赤ちゃんができた。喜びの声が聴けると思って報告したところ、実は結婚しているという衝撃の告白。中絶を強要された。理由は、相手の奥さんにも同じ頃赤ちゃんが出来ていたから。自分自身、もう散々な気持ちだった。相手からは中絶費用だけ出すと言われ、中絶用の書類、父親欄に名前だけ書かせて、あとはサヨナラした。

 結婚するつもりだったのは自分だけ、というお粗末な結果。不倫を知っていたら、その場で殴って別れたはずだった。身体など許さなかった。弁解になるかもしれないが、結婚すると思って付き合ったから、初めて身体を許したのが藤木だった。

 病院は、怖かった。麻酔で全部は覚えてないが、痛い、痛い、って叫んだのを覚えている。ああ、赤ちゃんが殺されかけている、自分は殺人者だ、自分はもう汚れている。そう思った。それから、男を相手にしなくなった。

「でも弥皇くんは、性欲無いとか言って安心させてくれて。凄く大事にしてくれて。楽しい一方で怖かった。最後まで好きになっちゃいけない、好きになったら不幸になる、って」


 弥皇が、麻田の頬にタッチする。

「過去の過ちとか言うけど、真白く綺麗な過去しかない人間なんて、この世にいません。それに、不倫と分かっていて付き合ったわけではないでしょう。だから妊娠しても困らないと思っていたわけだし。僕は、麻田さんにとことん僕を好きになって欲しい。僕はとうの昔に、とことん麻田さんのことを好きになっていますから」


 麻田が、下を向く。好きになるだけでは世の中進まない、何か他の要素が必要なのだと言わんばかりに。


「不幸にならない保障はないでしょう。貴方の場合、人間的に最高の人だけど」

「好きなだけでは、それだけではダメですか?結婚という形が欲しい?」

「わからない。ただ、結婚して嫁だの女だの言われたら、逃げるかもしれない」

「まだそこまで考えなくて構いませんよ。それより赤ちゃんのご供養しましょう」

「そうね。本当に、15年間、そこまで頭が回らなかった」

「さて、ご供養するのに何か必要な物、ああ、実家に聞いておきます」

「実家ってお寺だっけ?あたしのこと、言うの?」

「いえ、母方の一族がそっち系なので、そういうことを覚えていないと五月蝿い。麻田さんのことは言いません。今の世の中、そういった形で産まれることの出来ない赤ちゃんは多いですから」


 麻田が溜息をついて、グラスを空にした。ワインを継ぎ足し、また一気に飲み干す。

「SP解任は想像つくけど、もしかして警察官もクビかな」

「いいじゃないですか、のんびり暮らせる」

「それもそうか。何か出来ること探せばいいか」

「僕としては、警察辞めるのに悔いはないんだけど、麻田さんを狙う犯人は捕まえたい。ブタ箱どころか、この世の果てまで追い詰めてやる」

「ありがとう。大丈夫よ。心の錘が無くなったから身体軽くなったはずだもの」

「じゃあ、夜這いは無理?」

「うん、寝技一発逆転かな」

「残念だな。じゃあ、今日は上半身だけということで」

「却下」

「ご褒美も無いのかあ、寂しいなあ、やっぱりご褒美欲しい」

「何、急に」

「麻田さん、本当は素直に愛を口に出来る人なんですよね。さっきの告白、これだけは言わなかったでしょ」

「え?どうして知ってるの?まさか藤木じゃないよね。なんで?」

「このひと月、過去の麻田さんが見えたんです。天使のような可愛さでしたよ。これぞまさしくラブリーちゃん」

「そういうことは知らんふりしてもらうと都合よかったな。かなり恥ずかしい過去だし」

「正直なのが取り柄ですしねえ。あんな可愛い言葉、僕も言って欲しいなあ」

「15年も前と違うわよ。今じゃアラフォーですから」

「年は関係ありません。事件解決のお祝いに、僕にも可愛い言葉」

「何を言えっていうの?」

「好き、愛してる、キスして、抱いて、あと、なんだっけ」

「うざっ。今更言えないわよ」

「ダメ。今日こそは言ってもらいます。ほら」

「勘弁してえ。もう、あの頃と性格真逆になったんだから」

「残念。だけど、ずっと一緒にいる約束だけは守ってくださいね」


 1カ月余りの休暇期間を経て、麻田は再びSP任務に戻された。

 過ちは過ちとして処分対象にはなるものの、藤木が麻田を騙していたことを白状したため、それまでの成績を鑑み、麻田以上の適任はいない、という人事評価だったようだ。

 しかし、また問題が持ち上がった。心配していた通り、麻田が警護する要人狙いと見せかけた麻田狙いの射撃を始める、という予告電話が入ったのだ。


 和田が情報を仕入れてきた。定時を過ぎ、弥皇と須藤しかいないサイコロ課の中で、和田が口火を切った。

「清野の射撃の腕は皆無です。清野が犯人だとしたら、誰かを雇っている可能性があります。反対に神崎は射撃プロ級です。警察関係では殆ど披露目していませんが、学生時代やクラブなどの成績は常に上位ですね」

「前から思っていたんだけど、二人の関係性ってなんだろう、何繋がり?」

 弥皇の素朴な疑問に和田が答える。

「清野は自分が主導者だと勘違いしています。神崎が自分の言いなりだと。神崎も、清野の前では媚びているのかもしれません」

 須藤も和田論に賛成する。

「事実は逆だろう。有り得るとすれば、神崎が清野を前に出し、フェイクに使っている」

「射撃も、実際に神崎が行うとは思えません。相手が要人ですからね。万が一捕まったらクビ飛ぶだけじゃ済みませんし」

 弥皇は全裸事件の時から清野共犯者として神崎を疑っている。凝り固まった弥皇に比べ須藤は全体を見渡しながら今回の予告電話に関して推考を重ねていた。

「誰か使っているにしても、相当ヤバイ仕事頼んでいるよな。要人への狙撃に見えるだろ」

「はい。裏ルートがあると考えるのが自然な流れかと」

 イライラしたような表情を隠さない弥皇。

「暴き出す手がないかな。今のままじゃ麻田さんが危ない。見てられない」


 サイコロ課は立ち上げ当時から周囲の奇異な眼差しを受けてきたが、今は別の意味で奇異な情報が乱れ飛んでいる。

 牧田は、夫の殺人騒動で辞めるのでは、若しくは異動するのではと見られていたが、動きはない。

 子供たちが来たあと、牧田は少しずつ変わったように見えた。あまり声には出さなかったが、大事なポイントはメモして須藤か弥皇に渡していた。和田のことは、許すまではいかなかったようだが。和田とてそれは同じだったので、お相子である。

 牧田には特技があった。最初課長から話があったのだが、翻訳である。様々な国の書籍や手紙など、翻訳できる。

 サイコロ課ではあまり出番がないが、総務課でならそのキャリアも生かせるという。

 ある時、牧田が須藤にメモを渡した。また事件のポイントか、皆はそう思っただろう。 須藤が、弥皇と和田の顔を見て顎を斜めに突き出した。瞬時に「後で話したい」という意味と捉えた。トイレに行くふりをして、弥皇が席を立つ。時間差で須藤と和田も席を立った。

「牧田からのメモだと、アジア系のマフィアが国内に潜入しているらしい。これらマフィアへ情報を流している供給源が警察庁内にいる。その噂は元からあったんだが」

「供給源が、サイコロ課内にいる可能性があるとでも?」

「牧田が掴んだ情報では、そうらしい」

 弥皇が壁を蹴る。

「ただでさえ狙撃でいらいらしてるのに」

「その狙撃も、マフィアに依頼してる可能性がある」

 弥皇が冷静になれない分、和田は冷静だった。

「対価は?」

「機密文書の横流し」

「かなり不味い展開ですよね。マフィアなら、かなりの手練れ送ってくるでしょう」

「情報内容にもよるだろうさ。どうしても欲しい情報なら一流処が来る可能性もあるが、元々スナイパーは暗殺主体だからな。情報云々じゃねえ」

「それにしたって、麻田さん、危ないですよ」

「そこなんだよな、SPはそのためにいるからなあ」

「麻田さんには辞めてもらいます」

 弥皇が今すぐにでも人事に駆け込もうとしている。

「まあ、待てよ。SP辞めたとして、麻田への攻撃は止まないぞ。かえって防備しにくくなるだろう。麻田は優秀だ、一番いい方法を探すはずだ。俺達が犯人見つけりゃいいだろうが」

 須藤の言うとおりである。SPを辞めても、攻撃対象であることに変わりはない。犯人の目星。一番怪しいのは神崎であろう。あとは、サイバー室にいたなら情報系くらい動かせるであろう、清野。動機という点では、清野が怪しい。こればかりはどちらとも判断が付きかねた。


 須藤から牧田に頼み、全員の室内用タブレットを、海外との連絡調整に使っていないかを調べる。タブレットの使用には指紋認証とパスワードが必要になるため、誰がいつ、どのタブレットを使用したかわかる仕組みだ。まあ。これすらも、パスワードを盗み指紋を盗んで登録してしまえば動きようがないのだが。サイバー室に頼めば一発でわかるが、市毛課長からOKが降りなかった。


 数日後、牧田から須藤にメモが来た。『清野の指紋&パスワードでアジア系人物とのメール送受信記録あり。翻訳文と本文を、和田専用タブレットに転送します』 

 和田のタブレットに転送される記録。

 昨年和田が使っていたタブレットで、今年は使っていなかった。だから須藤と牧田以外の転入組はその存在を知らない。

 その後も、アジア系人物とのメール送受信記録は、和田のタブレットに転送され続けた。英語以外を翻訳できるのが牧田しかいないため、牧田様様になる。

「ようやく和田との接点見つかったな」

「ババアも成長したんですかね」

「お互い仲直りしろよ」

「いやです。ああいう素直さに欠ける女性、僻み根性の激しい女性はパス」

「彼女選びじゃないんだから」

「ま、今回こうして働いてもらえるのには感謝します」

 和田の頑固な面を知っている弥皇。呆れ半分に和田を見る。

「あとは、牧田さんから和田くんに転送しているのがバレないといいけど」

「牧田さんポーカーフェイスだし。何処かに転送しているのが解っても、僕のだと解るまで時間を要するとは思うんですが」

 須藤が頬杖を突きながら一言洩らした。

「何考えているかわからん犯人だからな」


 数日後、その心配が、現実のものとなった。

 牧田が自宅周辺で襲われ、右手肘下から手首、手指にかけてナイフで切りつけられる、というものだった。然程重症ではなかったが、念のため入院し運動神経に影響にかかる経過観察を行うという。検査入院期間は1週間前後。

「犯人が狙いに来る可能性がある。個室を取って、我々と所轄の者が廊下に待機。内部には女性警官に入ってもらう」

 市毛課長の命で、サイコロ課は動き出した。清野は相変わらず遊んでばかりなので用無しである。清野犯人説を唱える弥皇が課長に直談判し、清野を病院から遠ざけたのも作戦のうちだった。


 弥皇は、この事件に限っていえば、被疑者は清野しかいないと考えていた。

 もしかしたら、清野と神崎はお互いのターゲットを消す約束なのかもしれない。牧田は力技も無く、清野でもどうにかできる。一方、麻田は清野の手に負えない。となれば神崎が動かざるを得ない。自分のターゲットでなければ、動機づけは何も無くなるから被疑者から外れる。

 その前に、清野は麻田を付け狙う理由があるが、神崎が牧田を狙う理由が見当たらない。


 今年のサイコロ課は、実に厄介な人間ばかり転入してきた。なんの罰ゲームなんだろう。

 弥皇と和田がそう思ったのも無理のないことだった。


 牧田が、須藤に「真夜中、男性警官を外して麻田を呼んでほしい」とメモを寄越した。

 課長の了解を取り、麻田を呼ぶ。

「麻田さん、気を付けてください。誰が被疑者かわからない状況です」

「大丈夫。東北のときお世話になった江本さんや内田さんもいるから」

 果たして、気の早い被疑者らしき人物は、すぐに病院を嗅ぎつけたようだ。コツ、コツと聞こえるヒールの音。ハイヒールではなく、頑丈なヒール音。部屋向かいが丁度非常階段だった。男性陣がこちらに待機する。ゆっくりと、被疑者と思しき人間が、引き戸に手を掛ける。

 静かに、時間をかけて戸を開ける。闇に紛れて犯行に及びたい気持ちの表れか。中に一歩、また一歩と踏み込んで行くのがわかる。男性陣は、音がしないよう素早く牧田の部屋の前に移動した。

「ギャッ!」

「キャーッ!」

 同時に声が聞こえ、男性陣が中に入り、灯りをつける。其処で見た光景は、牧田を庇った麻田の右腕がスッパリ切られた血だらけの状態と、江本及び内田によって取り押さえられた清野の獣の様な姿だった。腕の血も関係なく、麻田が江本と内田に指示する。

「警護課に連絡。江本、内田両名はその後帰宅。充分休養して明日の業務に備えなさい」

「麻田チーフ、大丈夫ですか。所轄での聴取、私たちが行きますか」

「救急で包帯貰えば大丈夫。所轄に行ったら長くなるから。病院には車で来たでしょう、気を付けて帰りなさい」

「了解しました。麻田チーフもお気をつけて」

 弥皇もサイコロ課に電話する。

「課長。被疑者確保、清野です。須藤、和田が所轄まで連行します。確保の際麻田さんが負傷、治療後所轄に急行します」

「了解。皆にご苦労と伝えてくれ。別の警官を1名配備する」

 須藤が清野に手錠を嵌め、ナースコールで部屋を片付けてもらったあと、須藤と和田で清野を所轄まで連行する。麻田は、怪我の治療をしてから所轄まで赴き、事情聴取があるはずだ。弥皇は救急センターに付き添った。

「こんなの傷にも入んないから、大丈夫よ。心配し過ぎ」

「なら安心ですけど。清野、麻田さんの顔見たんですか?」

「牧田に向けてナイフを振り下ろしたのは本当よ。肩から腹にかけて傷を負わせるつもりだったようね。あたしの顔は見えなかったかも。暗かったし」

「麻田さんが前に出てブロックしたから手首から肘にいった。ということは、肩か胸から腹に掛けて切るつもりだったはずですよね」

「そうね。状況的に、牧田狙いだったのは確かだと思う」


 傷害の疑いを掛けられた清野は、所轄の事情聴取で素直に罪を認めようとはしなかった。狙ったのは麻田で、牧田が入院した部屋は知らなかったという。また、自分のバッグに麻田がこの部屋でこの時間、要人警護をしている、狙い時だ、と書かれたメモを受け取ったと言い張った。当然のように、メモなど出てこなかった。


 挙句の果てに清野は、たまに自分のした行動を思い出せないことがあると言い出した。なぜ、怪我をしたのか。なぜ、こんなところにいるのか、といった具合に。今晩のことですらも、何故自分が病院の個室にいて、ナイフを握っていたのかわからないという。

 春以降、弥皇への気持ちがバーストしてコントロール不可になり、解離性同一性障害を引き起こしていると主張する清野。

 解離性同一性障害とは、親兄弟から壮絶な虐待やネグレクトを受け続けた子供が、自分の中に別人格を有することによって事実から逃避し続けることで有名である。

 一般的ではないにしても、このような事例は珍しくない。サイコパスのなかにも同様の種別がいないとは限らない。通常虐待を受けている側が、別人格として犯罪を行うのは充分に考え得る。

 そもそも清野の場合、育ち具合からしても、解離性同一性障害には当てはまらなかった。女王様気質で生きてきた人間が別人格を有する必要などない。有り得るとすれば、弥皇にフラれてバーストした挙句、感情がコントロール不可になり殺人鬼と化す。そこまでコントロール不可になる恋愛感情。ないとは言い切れないのが厄介なところだった。結局清野は、精神科系の病院で検査入院という形で釈放された格好になった。見張りがついてはいたものの。


「一発お見舞いしてくるか」

 弥皇がぼそりという。

 須藤がまたも頬杖をつきながら、口元に笑みを浮かべた。

「へえ。ダイナマイト級落とすのか?」

「今回はそれくらいで、いいでしょ」


 牧田は退院し通常業務に戻っていた。弥皇は、市毛課長の耳元でこそこそと話したあと、皆に高らかに宣言した。

「皆さん。僕と麻田さんの結婚を前提とした交際が決まったんです。婚約式を挙行する予定です。その周辺はお休みもらいますので」

「すげーな。あいつが落ちたか」

「須藤さん、詳細は後程。清野さんにも知らせないと。和田くん、神崎くん、バーストをコントロールできないのが僕のせいだとすれば、きちんと伝えないとね。課長に了解貰ったから。これから病院に行くんだが、皆付いて来てくれないか。バースト状態を心理学的に見ておきたい」

「趣味悪い。相手の心理状態を調べるために、婚約自慢に行くんですか」

「神崎くん。心理っていうのは残酷なんだよ。僕たちは常々残酷な輩を相手にしてる。サイコロ課にいる限りは残酷さに慣れてもらわないと」

 神崎は納得のいかない表情だったが、須藤に首根っこを掴まれたため、首を縦に振るしかない。神崎クラスでは、須藤の相手は到底務まらないようだ。男性4人で清野の病室を訪ねる。個室ではないため、3階にある談話室のような場所に移動した。

 そして、弥皇が伝えた。

「清野さん。いろいろあったけれど、僕と警護課の麻田さんの将来的な結婚が決まってね。正式にお付き合いすることになったんだ。婚約式も行われる。今迄秘密にした挙句、失礼なことばかり言って申し訳なかった。許してほしい。バーストの原因が無くなることを祈るよ」

 須藤が祝いの言葉を述べる。

「もう結婚まで決まったのか。これが一番良かったんだよ。麻田にとっても、清野にとっても。さ、みんなでお祝いしよう、拍手!」

 おめでとうございますと、口々に拍手する男性達。当然、清野も後ろで拍手していた。 和田の目に入ったその光景は、壮絶な嫉妬の塊。わなわなと身体を小刻みに震わせ、表情を失くし眼だけが異常に出ているような錯覚に捉われる。これはバーストによる解離性同一性障害ではない。麻田や弥皇に知らせなければ。 

 清野は病院から出られないだろうから、少し時間がある。直ぐにサイコロ課に戻って、弥皇さんと麻田さんにメールしなければ。

「ちょっと用あるんでお先します」

 皆から離れ、病院を出る。そのあとをついてくる車があるとも知らずに。いつも比較的冷静な和田にしては、焦り過ぎて周囲への注意を怠っていた。


 和田は警察庁に入り、3階非常階段に走った。陰で話す時やメールはいつも3階と決めている。サイコロ課は5階にある。4階だと聞かれる可能性があるし、6階以上だと何かあった時に飛び降りられない。スマホを手に弥皇、麻田両名にメールを打つ。


(清野はバーストしていない。人格は1人きり)


 送信しようとした時だった。背後に何者かの気配を感じた。尾てい骨の辺りが浮き上がったような気がした。そのまま、頭から地面に身体が落ちていくのを瞬時に悟った。思わず頭を庇った。

 衝撃と痛みを一瞬感じた後、和田は昏倒し記憶を失くした。

 誰かが見ていたのだろうか、それとも、たまたま非常階段下を歩いていたのだろうか。ヘリウムガスを使った変声で119に連絡した者がいた。消防署では胡散臭い悪戯情報と見ていたようだ。が、警察庁内の場所を細かに話され、強ち嘘とも断定できなかったようで、手を拱いていたらしい。その後、清掃員により発見された和田。すぐさま救急車が到着した。消防署員は驚いたことだろう、悪戯と思われていた情報が正確無比であったのだから。和田は直ぐに病院へ搬送された。


 騒ぎが静まり、人影も無くなった非常階段下。花壇の茂みに落ちていたスマホ。和田個人のものだった。運よく壊れていなかった。弥皇にメールを送信する手前で止まっていた。それを目にした人間がいた。にやりと笑ったその手には、和田個人のスマホが握られていた。

 勿論、メールが送信されることはなかった。


 和田は肩の骨にひびが入り、全治3か月と診断された。咄嗟に頭を保護したことで最悪の事態は免れた。一応精密検査を行って、個室に移された。身の回り品を確認した際、個人持ちのスマホが無くなったことに気が付いた。ナースのお姉さんを通じて、弥皇を呼び出してもらう。

「弥皇さん。まず、危険サインです。清野はバーストしていません、人格はひとつのみです。必ず麻田さんを狙いにいくはずです。気を付けてください」

「そうか。ダイナマイトを爆発させた甲斐があったか。そのためにこんな怪我までさせて申し訳ない」

「いいえ、いつもなら周囲にもっと目を配っているのに、あの日に限って自分を見失っていました」

「済まなかったな」

「時に、弥皇さん。僕が落とされた日、スマホの落し物が非常階段下になかったか総務に確認してもらえませんか」

「ああ、いいよ。どっち」

「個人用の方です。サイコロ課用カタスカシは自宅に置いてました。この頃物騒だし」

「わかった。聞いてみる。自宅からサイコロ課用カタスカシ持ってくるかい?」

「助かります。あと、今度、課長を除く全員でお見舞いという形で来てくれませんか。犯人が僕のスマホを持ってると思うんです、どうにか、あぶりだしたくて」

「今週末くらいにお見舞いに行くから。それまで養生してくれ」

 週末まで、弥皇は忙しかった。総務に落し物の確認を入れ、和田のアパートに行き管理人さんに頼みこんでカタスカシ電話を入手した。それ以上に、麻田が狙われる危険性を重視していた。相変わらずSP業務でチーフを務める麻田だったが、弥皇は、出来れば任務を降りてほしい。言っても麻田は納得しないし、頷くことも無いだろう。考えようによっては、SPが多人数の方が狙いにくいかもしれない。警護の間は要人警護のプレッシャーはあるが、他のSPもいるしチームで動くから安心感も違う。


 それよりも、やはり面が割れて公務以外で襲撃されるのが一番の懸念材料となる。一般市民を巻き添えにすれば、警察組織は我々を守ってくれない。須藤曰く、牧田からは、その後マフィア関連メール送受信のメモが届いていないという。

 ちょうど清野が病院に行った辺りからか。


 メールの送受信は清野か。外国マフィアが麻田さんを狙う理由にもなる。牧田からは、その内容を聞いたことがないが。そうだった、和田のタブレットに転送していたんだった。和田や須藤は内容を知っていたはずだ、牧田が翻訳していた文も送っていたのだから。和田のタブレットは、何処にあるんだろう。神崎のいないときに探さなければ。それにしても、何が書いてあったか聞いてないとは、うっかりしていた。

 牧田がすべて、きちんと翻訳していればの話だが。


 木曜の夜、皆が帰宅してから、弥皇は和田の机周りを探した。ホームズだらけで目眩がする。事故で和田が病院に運ばれたあと、神崎が姿を見せる前に和田のバッグを見た。タブレットは入っていなかった。とすれば、家に持ち帰っているとは考えにくい。こんなふうにホームズの間にタブレットを隠している可能性の方が余程高いというものだ。

 会報をごそごそと触っていると、硬い物に触れた。中を見る。これだ。去年のタブレット。周囲に気を付けて、念のため、その日はサイコロ課に泊まることにした。今や、翻訳機というアプリもスマホやタブレットで使える。須藤に電話した。どうせ彼も独り者だ。呼び出しても家族に怒られる心配はない。


「うわっ、まだサイコロ課にいんのかよ。何してんの」

「牧田さんが和田くんに送ったメール内容を翻訳してたんです」

「牧田から翻訳後の日本語バージョンもらっただろ」

「あれが総て本当なら、話も早いんですが」

「なるほどね。信用できるヤツは少ない、ってか」

「麻田さんへの攻撃は必ず起こる。被害を最小限に食い止めないと」

「で、俺にサイコロ課までご足労ください、と」

「つまりは、そういうことですね。すみません、飲んでました?今度埋め合わせしますよ」

「ブラックカードの店に連れて行け。それなら許すぞ」

「承知しました。見繕っておきます。では、お待ちしています」


 30分ほどで須藤が姿を現した。存在感があるので安心できる。

「僕が翻訳機に突っ込んでいくので、それと同じ文章が出るかどうか確認してください」

「おう」

 30分ほど作業をしただろうか。

「ダメダメ」

「あれ、僕、入力間違えました?」

「いや、お前の間違いじゃない。翻訳の間違い、つーか、間違い以前の問題」

「どうしました」

「まるっきりでたらめ。今日は晴れてる、よかったね、みたいな翻訳になってる」

 弥皇は溜息とともに、和田のタブレットを自分のバッグに仕舞った。

「信用しましたからね、そうか、そう出たか」

「どうするよ」

「課長次第ですが、一番は総務に持って行くことですよね」

「動かないと思うぞ」

「どうしてなんでしょう」

「キツネが何処にいて、その仲間が何処にいるかわからんから」

「上からの指示か。キツネをサイコロ課内で捕まえろ、と」

「そういうこと。だから俺がいるの」

「だから須藤さんが来たのか。漸く納得した」

 二人で溜息をつく。

 二人分の珈琲を入れる弥皇。また、溜息が出る。

 それにしても、ジーニアス須藤が怪我のリハビリ後、すぐにスナイパーに戻れないとはいえ、上からの指示でサイコロ課に来たとは思わなんだ。なるほど、キツネがいたか。


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