第1章 第7幕 復活
精神科医に相談し、食事の度に精神安定剤を飲ませ、毎晩、麻田が寝入るまでそれを見守る弥皇。優しく麻田を見つめながらも、窓に映る自分を見ると、まるで表情の無いロボットのようになる。一族が一族たるべき冷たい血が弥皇の中に流れ込むのが分る。
藤木。此処まできて、お前が口を割った責任は重い。一族の力を借りてでも、麻田さんが突き落とされた闇に葬り去ってやる。15年、そう。同じ時間、闇にいてくれればそれでいい。
窓の外から麻田へと視線を戻す。明日が勝負。人格崩壊などのリスクを免れつつ、麻田を必ず現代に呼び戻さなくてはならない。常に冷静に行動しないといけない。360度、目を光らせて敵を威圧しておかないと。
(藤木さん、『本当は怖い童話』の始まりですよ。待っていてくださいね)
翌日、午後2時ちょうど。
藤木の自宅に着いた弥皇と麻田。造成されて15年は経つという、戸建ての住宅街。車のナビに住所を入れて走って来たので、迷うことはなかった。
ナビが指し示した戸建の住宅は、薄紫の屋根に白亜の壁。玄関周りは奥方の趣味なのだろうか、綺麗な花が咲き乱れながらもきちんと剪定されていた。
予め、須藤からアポを取ってもらっている。向こうは安心しきっているはずだ。
弥皇は藤木家のカーポートに車を入れると、麻田を車から降ろし、抱きあげて歩く。麻田は後部座席で車に揺られ寝入っていた。普段なら重い重いと冗談めかすところだが、何故かその日の弥皇には麻田の身体が軽く感じられた。
玄関に立ち、インターホンを押す。
「こんにちは、弥皇と申します。藤木さんにお会いしたいのですが」
最初に応答したのは藤木の奥方だった。
「はい、少々お待ちください」
奥方が玄関を開けると、それから30秒も経たないうちに、奥から藤木本人と思われる中年男性が姿を現した。
「はい、藤木は私ですが。あっ!」
「中に、よろしいですね。お邪魔します、ああ、奥様、どうぞお構いなく」
「お前は向こうに行ってろ!」
奥方を寄せ付けない藤木。
(それじゃ、バレバレじゃないですか。ま、どっちでも構わないけど)
奥方の姿はどうあれ、玄関先に佇ずみ麻田を抱いたまま、早速、本題に入る弥皇。
「さて、藤木さん。こういった怪文書が出回っています。こちらの県警では如何です?」
「いいえ、いいえ。わたしどもの県ではこのような文書は拝見しておりません」
「そうですか。で、単刀直入に伺います。あなたがこのような行為をされたというのは事実ですか」
「まさか。それこそでっち上げでしょう」
「これは嘘だ、ということでよろしいですか」
「はい」
「でしたら、この文書の下に一筆書いていただきましょうか。なお、我々がこちらの県の全病院カルテを調べています。通常5年ですよね、カルテの保管期限は。ただし、こういったケースの場合、レイプなど事件の可能性もあるので、もっと長く保管してある病院も多いそうですよ。さて、見つかりますかねえ」
弥皇の嘘八百に対して目線の定まらない藤木。その表情を見ながら、げんなりとして情けなくなる弥皇。
(麻田さん。はっきり言って、男の趣味、かなり悪いっス)
藤木に釘を刺したあと、麻田に優しく声を掛け、起こす。もうすぐ薬も切れる時間だ。
「麻田さん、麻田さん、起きましょうか」
麻田はすんなりと目を覚ましたようだった。弥皇を見て、にこっと笑い藤木と呼ぶ。
「あら、藤木さん。此処は何処?」
「麻田さん。彼が、誰だかわかりますか?」
麻田は、本物の藤木をふわりとした目線で追った。
「この方は?誰?」
弥皇は、麻田を立たせ、後ろから両手で思い切り抱きしめながら、耳元で呟いた。
「藤木正志さんです。麻田さん、こんな男など忘れなさい」
5分ほど経っただろうか。ふわふわとしたあどけない目線だった麻田が、急に覚醒した。弥皇は、再び麻田をしっかりと抱きしめる。
「ぎゃ---------------っ!」
「大丈夫、麻田さん。弥皇です。僕がいるから。こんな男、忘れましょう」
「いや、みないで、みないで。あたしの過去。汚れきった過去」
「麻田さん。貴女には僕、弥皇がいます。いつまでも一緒にいましょう、ね?」
「ダメよ、もうダメ」
「相手の男も殺人者ですよ。ねえ、藤木さん。お宅の子供さん、14歳くらいでしょう?この怪文書のとおりなら、カルテには一体、誰の名前があるんでしょうねえ」
最初はおろおろとするばかりだった藤木が、たまらなくなって怒り出す。
「キミ達、失礼じゃないか。勝手に上り込んで言いたい放題」
麻田を抱きしめたまま、弥皇が笑いを浮かべ藤木を追い込んでいく。
「須藤さんを通じて、アポとったでしょう。それとも、当の須藤さんに来てもらいますか?さて、どうなりますかねえ。怒りなんて、そんな安っぽいもんじゃありませんでしたから。麻田さんのことでジーニアス須藤がどれだけ暴れるか、見ものですね」
「い、いや、須藤とは話したから」
「何を?」
「近況などを。昇格したからね」
「そうでしたか。それはおめでとうございます。次の異動まで全うしてくださいね」
(次の異動は直ぐに来ますよ、左遷&降格という形で)
それまでいうことが支離滅裂だった麻田の目に、光が戻ってきた。
「弥皇くん。ここ、どこ?手、緩めて。キツイ。苦しい」
「ようやく目覚めましたか、麻田さん。不本意ながら、藤木さんのご自宅です」
弥皇は手を緩め、麻田を自由の身にした。藤木の名を聞き、身構える麻田。いつもどおりのガードの強さが戻っている。
「藤木?どうしてあたしが藤木の家にいるの」
「怪文書の出所を探しに。でっち上げという御話しでしたが。あとはねえ、ちょっと待っているんですよ」
「何を?」
「郵便屋さん」
と、そこに郵便配達のお兄さんがやってきた。
藤木が立ち上がり郵便を受け取ろうとしたが、不審そうに思っていたのだろう。奥方が電報を受け取ってしまった。弥皇が待ち人キタルと言わんばかりに麻田の手を引き奥方に詰め寄る。
「奥様。わたくし警察庁の弥皇と申します。わたくしその電報を待っておりました。見せていただけますか」
奥方は迷っているようだった。
その隙を突き、弥皇は電報を奥方から取り上げ電文を確認した。
「警視長 藤木正志
事実確認聴取を実施する
下記時間まで登庁のこと
5月25日 午前9時
警察庁行政監察部」
「きたきた」
弥皇がいたずら小僧のような表情で、形だけ恭しく藤木に渡したのだった。
藤木が麻田を詰り始めた。
「なんで俺だけこんな目に。麻田だって同罪だ」
弥皇がロボットのような冷たい視線を藤木に投げつける。そして背後から藤木の肩を押さえつけ、その耳元で囁いた。
「自業自得じゃないですか。貴方自身が招いたことでしょう。貴方が麻田さんに嘘をついて交際したのですから、麻田さんに非は無いと思いますが」
「何だと。お前が出る幕じゃないだろう」
「これは、これは。貴方のように悪い人間は、然るべき罰を受ければいい。赤ちゃんを失わざるを得なかった、麻田さんの身体の痛みと、心の痛み。貴方が償うのは当然のことだ。一番傷ついたのは麻田さん。貴方のような不甲斐ない男のせいで、このひと月、優秀な麻田さんが仕事に支障をきたしました。迷惑千万とはこのことです」
「俺だって困る。何で警察庁に呼び出される。普通なら県警内で済むはずだ」
「貴方の県警には文書が流れていないのでしょう?こちらでは流れました。そのせいで麻田さんは仕事ができない状況に追い込まれた。だから警察庁から事情聴取されるんでしょうが」
藤木が虚勢を張って弥皇を見た。震える声で最後に足掻き始める。
「お前は何者だ。俺に指図できる立場か。住居不法侵入で訴えてやる」
「指図も何も。訴えるならご勝手にどうぞ。それより覚えておいて下さい。麻田さんを傷つける奴は、現在だろうが過去だろうが僕が許しません。それが何処の誰であろうとね」
「弥皇くん、早く帰ろう。こんなところに居たくない」
麻田が弥皇を引っ張る。この空間に身を置くのが嫌そうだった。
藤木家の崩壊も今や時間の問題か。
「では、これにてお暇いたします」
不敵な笑みを浮かべながら藤木に暇乞いする弥皇。
廊下では、藤木の奥方が弥皇と麻田を見つめていた。麻田は脇目も振らず玄関へと足を向ける。過去と現実との狭間から現実へ。見た目はいつもの麻田に戻っていた。
「弥皇くん、帰ろう。あたしたちは此処にいるべきじゃないから」
「そうですね、帰りましょうか」
車に乗り込みエンジンをかける弥皇。助手席に素早く乗る麻田。弥皇は助手席の後ろに左手を回し、キュキュキュッとバックし道路に出る。家の中では藤木の奥方が夫に詰め寄る姿が見えたが、弥皇も麻田もそれには触れないまま藤木家を後にしたのだった。