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第1章  第1幕  配置転換

発足して1年のサイコロ課。

 なのに、今年なんと配置転換=人事異動があった。

 佐治が退職し、麻田が警察庁内で異動したのである。


 みな一様に驚いた。

 佐治は、奥方のご両親が生業としている生花店を継いだ。

 奥方のご両親は、今迄2人で好きな生花のためにガタのきている身体を騙し騙し働いて来たものの、生花店の仕事は、花を生けるだけが仕事ではない。結構な労働力を要する体力勝負なのだという。

 年を重ねるごとに身体に負担となるのは否めない。その上、店先での営業的なスマイルもだが、生花を納入する先をゲットする本物の営業力も必要になる。

 営業はご両親に教授されつつ、体力的な部分は佐治が主になり担当することになった。佐治を疎んじていた奥方も、この決断には驚いたと見える。

 要は、奥方のご両親の面倒を見る、と公言したようなものだ。

 地方公務員たる県警の警察官を退職したことをぶつぶつ言いながらも、奥方の表情は明るくなったらしい。

 娘も初めは父親たる佐治を無視する状態が続いていたが、額に汗する父を見るうち、少しずつではあるが、フラワーアレンジメントといったクリエイティブな分野にも興味を持ち始めたという。少しずつ手伝ってくれるようになり、会話が増えたと喜んでいた。

 昨年まで、時折寂しい顔をしていた佐治の生活を考えれば、何よりである。


「僕もある程度なら、お役に立てるかもしれません。ホテルとか、常に生花を必要とする場所がありますから。知り合いに声掛けしてみますよ」

「お前がいうと、冗談とかお世辞に聞こえないから、怖い」

「やだな、佐治さん。これでも応援したい気持ち全開ですから。お役に立てると良いけど」

 弥皇が言うと、冗談に聞こえない。

 サイコロ課のメンバーは皆、そう思っている。

 昨年起きた東北のサイコパス=緑川事件に登場した、ブラックカードと小切手帳。金目の話になると、弥皇はさらに気障度が増す。言い方が自慢げではない分、その口から洩れる発言は信憑性に満ちている。

 その都度、皆がどんぐり眼になるのも無理はなかった。



 麻田は、SPとして警察庁警護課内に異動の命が下った。

 毎年数々の武術大会で優秀な成績を収め男性を圧倒し続けてきた闘将。

 あまつさえ心理に傾倒し過ぎたがために所属県警では持て余したようだが、SPとしての資質はこの上なく好ましい材料という評価があったらしい。

 今回、警察庁で初の女性幹部を登用することが決まった。女性幹部であるからにはSPもある程度の割合で女性を、という機運があったとしても、当然といえば当然。

 要は超一軍=女性キャリア組が目立つように、という上層部の意向であろう。SP軍団を構成するに当たり、それ相応の年齢層女性を希望した警察庁。たまたま東北で騒ぎになったサイコパス事件の際に、唯ですら男顔負けの武術成績を残していた麻田を見つけ、県警出身者とはいえ、SP全体のリーダー役として白羽の矢が立ったという。

 SP業務に就くことにより、心理プロファイルを滔々と述べている暇をなくせ、という別の噂も聞くが。


 東北のサイコパス事件=緑川事件と言えば、被疑者として緑川は逮捕された。

 サイコロ課プラスαの活躍により、連続殺人を阻止しサイコパスへの金の流れを断ち切ったと思われたこの事件。


 サイコロ課内では、被疑者の緑川は罪を認め償うか、裁判で白黒をつけるつもりなのか、両者のどちらかだろうという顛末を予想していた。

 ところが、まさかの展開が、サイコロ課の面々を待っていた。どんでん返しを食らい勝負が見えない事態、とも言うべき心理が彼等を呆然とさせる。

 なんと、よりにもよって、とある男性が緑川と結婚すると宣言したらしい。それは、当時、振込通帳に名の無かった、同県の60代、退職も間際かという地方公務員の男性職員だとか。

 週刊誌の中吊り広告で緑川の名を見た市毛・弥皇・和田の3人は、しばし広告を見つめたまま目が離せなかった。

 いや、週刊誌を買ってまで読む気にはならないが、それでも呆気にとられた。この期に及んで結婚宣言とは。男性の人物像や財産、そして緑川が男性を口説き落とした手口とは、一体どんな方法だったのか。

 結婚とあるからには、相手は独身男性に間違いないだろうが、若造好きの緑川が一体どんな手を使ってご老体、いや失礼、ナイスミドルを口説き落としたのだろうかと、3人が3人ともに、当時のことを思い出さずにはいられない。


 特に、餌食になりかけた弥皇は鼻で笑うような言葉で緑川という人間を全否定するし、ペットにされかけた和田も悪態をつく。

「何が良くて、あんな阿呆を相手にするのかね。僕には解らないし、解りたくもない」

「凄かったですもんね。僕、犬になった気分でしたよ。人生最大の屈辱だった」

 微かに引き攣り笑いを浮かべた市毛課長。

「あそこまで追い詰めたのにまだ食い下がるとは、な。サイコパスの本性は果てしないものだ。まさか、今度は結婚してから殺すつもりか。長くなりそうだ、この事件」

 

 さて、佐治と麻田が抜けたサイコロ課に、4人が転入することになった。

 和田が夢に見るほど願った、新人からの脱出である。


「おはようございます」

 微かに聞こえるような声で入ってきたのは、和田の眼から見て30代前半の女性。俗にいう、「萌え系」の愛らしい顔立ち。ふっくらとした体型、穏やかそうな口元。

 和田の心はもう、青空一色、ホームズ一色である。

 これでやっと、データ入力から解放される。解き放たれた和田の人生は薔薇色に輝き、周辺を包み込むオーラは芳しき香に思えてくるのだった。


「おはようございまぁす」

 続けて入ってきたのは30代前半、和田より少し年上くらいの男性。スーツが似合うイケメンだ。こんなイイ男が心理に通じているのか、と少々不思議に思えてくる。

 和田は、シャーロキアンが増えたような錯覚に捉われる。皆が和田の机上にあるホームズ本を見つめているように感じた。

 やった。

 念願かなって、去年までの僕からの『卒業』


 隣で和田と一緒に、新人たちを観察していた弥皇。

 和田くんにしては観察を怠っているな、と腹の中で大笑いする。

 今回ばかりは、和田は限りなく浅はかな考えで物事を見ているようだ。

 何故かと言えば、女性の方は若く見える風貌だが、40代後半ほど、アラフィフで多分お子様持ち。明らかに弥皇よりも年上だ。ただ単に童顔なだけであろう。

 何といっても、顔に法令線が見える。

 ご婦人には口が裂けても指摘できないが、法令線がでるということは、ある程度年齢を重ねたか、以前ふくよかだったご婦人がダイエットした、或いは自然に痩せた証しだ。若い女性は少しくらいダイエットしても法令線は目立ちにくいが、お肌に粗さが見える所を勘案すると、この女性は若い部類に属さない。

女性の階級は麻田さんよりも下のようだが、麻田さんは県警採用段階で幹部候補生。

 ということは、目の前にいる彼女は、幹部候補生以外の採用で出産後痩せた口だ。身体にも締りがない。

 おっと、失言。こんな言葉ではセクハラになってしまう。

 弥皇が言いたいのは、筋肉の付き具合や姿勢からすると、体力的には、これといった特技が見当たらないと判断したのだ。こちらのご婦人は、純粋に心理面、または別の何か特殊な技量を感得して此処に配属された、というのが妥当な線だ。


 まあ、「新人たちが何かの役に立つ」という前提付きのシナリオではあるが。


 次に、30代前半の男性。いや、こちらは20代後半、和田くんと同じくらいのお年頃。

 ちょっとばかり驚いた。

 機動力を狙った人事など、サイコロ課に限ってあるわけもない。

 ところが彼は違う。スーツの上からざっと身体を見る限りでは、つくべきところにがっちりとした筋肉が付いている。かなりトレーニングを積んでいるに違いない、均整のとれた筋肉の付き具合。『脱いだら凄いのよ』ってやつだ。

 何が得意分野なのか知らないが、体力系といっても十分に通用する。麻田さんのように武術系に長けていて此処に来た心理分野系統かもしれないが、何となく違和感を覚える。弥皇には、目の前のこの男性が心理に通じているようには見えなかった。

 眼力の鋭さなどから見ても、心理を語る風情ではない。どちらかといえば、捜査関係や鑑識関係に携わってきたような匂いがする。

 どのような理由でサイコロ課にきたのか、少しばかり興味を引くところだ。


 スーツの彼女が仮にお母様だとすれば、データ入力はお母様がメイン、和田くんを心理部隊に本格的に組み込む策も有りということか。

 ナイス人事。

 弥皇にとっては、願ったり叶ったりの展開になるかもしれない。


(僕は、なるべく外出を避けたい。あ、明日麻田さん非番だ、僕も交代してもらわないと)

(麻田さんが休みの日には、何か美味しいものご馳走してあげたい)


 すっかり麻田の下僕、いやはや忠犬と化した弥皇。

 それでも、あからさまに警察関係者の目につくような交際はしない。上に洩れれば、どちらかが、嵐とともにどこに配置換えされるかわからない世界である。両者とも自室での行動は避けて、ホテルに部屋を取って色々と情報交換したり、料亭に個室を借りて食事をしたり、およそ警察官に似つかわしくない場所で、交際と言えば交際を続けているのだった。

 弥皇が麻田にぞっこんには違いなかったが。

 警察官同士の結婚=それは、不文律という形式ではなかったが、どちらかが職を辞することが大前提=暗黙のルールとなっている。弥皇自身はさっさと辞めても良かったが、麻田に止められた。

「お互い、出来るところまでやりたい」と。


 人事異動により、SPとして本来の輝きを取り戻した麻田。弥皇は、SPとして麻田が輝くなら、自分は職を辞しても悔いはない。結婚とかそういった具体的行動は別として、麻田の後方支援に回れるなら、仕事を辞めることも厭わなかった。無念な思いが一切ないのだ。

 佐治さんも、自分のように無念な思いなど無かったのだと今更ながらに気付かされた。

 そんな思いで新人たちを見る弥皇。自ずと、嘱目する期待度は違う。


 課長が狙って綺麗処の桜の枝を手折った人事なのか。

 それとも昨年の自分たちのように、春一番に吹き飛ばされて、はるばる此処までやってきた人事なのか。


 弥皇は、課長の顔を見る。

(僕としては、そちらに興味がありますね、課長)


 っと、バタバタと走りながら課に入ってきた女性がいた。

 息をハアハアと切らせているようにみえるが、これはフェイクだ。

 エレベータに乗るまで一歩たりとも走っていないはず。化粧の乱れが全くないし、体温上昇の気配もない。まして、こめかみに汗の滲みすら一本も無ければ、この息継ぎが嘘なのは誰が見てもわかる。緑川と同じ手を使うとは、いやはや、恐れ入った輩だ。

 服装もだらしがない。

 異動初日というのに、スーツどころかジーンズにコートを羽織り、足にはロングブーツ。

 通勤するために履いているのかそれとも日がな一日履き続けるつもりなのか、ジーンズが目立たないような柔らかめのロングブーツのようだ。何処かに遊びに行く洋服としか思えない。

 紛れもなくこちらは20代半ば。和田くんより若いのは確かだ。今風のメイクをばっちりとしているが、目鼻立ちはお世辞にも良いとは言えない。目が離れすぎている。魚顔とでもいうべきか。鼻筋も通っておらず、唇は薄い。耳が尖っていて、まるで何か、そう、ミニモンスターのようだ。

 の割には、不敵な笑みを終始浮かべ、周囲への配慮というものを知らないように見える。

 顔で人を判断してはいけないが、心理学の観点から言うと、相当自分に自信のある顔つきだ。

 おまけに驚くほどに煙草臭いし、酒臭い。一体、この女性は昨晩いつまで我を忘れて享楽に溺れていたのだろう。今日が異動初日にも関わらず。入庁して間もない輩と見えるが、此処までやりたい放題はないだろう。

 サイコロ課と聞き異動を喜ぶ人間はいないと思われるが、あまりに馬鹿にしている。


 麻田のように、真摯な態度で仕事に臨む女性を一番に好む弥皇としては、特にお近づきになりたくないタイプだった。

 

「さて、揃ったか。一人来ていないな。ま、いいか」

 課長が人事の概要をさらりと説明する。

 今年度は2名が転出した。昨年の一連の動きや社会情勢などが複雑化している中、我々心理専門だけではなかなか身動きが取れないと見た上層部から打診があった。今年度は、総務課、SAT、科警研、サイバー室から計4名転入。総勢7名体勢で業務にあたる、という方針だ。

 新人たちは言い放題だ。若者2名が口々に雀と化す。お母様だけが、ただ黙って座っていた。

「誰だって、サイコロ課って言われてホイホイ来ないわよねえ」

「僕も流石に驚きましたね。何の罰ゲームかって」

「あーあ。お先真っ暗」

「SATからこっちに来るなんて、墓場に行けと言わんばかりじゃないですか」

 そこに、廊下から比較的大きく、「カツーン、カツーン」と音が響いた。そこはかとなく凄みを感じさせる、低く、大きく、ゆっくりと響く音。カツーンと最後に音が止み、ゆっくりとドアが開く。


 音につられ、皆がドア付近を見つめる。


 そこに姿を現したのは、警視庁でも凄腕のSATスナイパーとして有名な男性だった。離れた場所からの狙撃の腕は百発百中だが、たまたま暴力団に襲われた際に足を撃たれ、今はスナイパーとしての業務から離れたという。

 マル暴か?と思えるような風貌。

 怖さ満点の威圧感。

 闇の帝王張り。


 そんな恐怖処を相手にしても、新人2名はまたもや口々に私語を発しだし、朝礼にならない。

 普通の職場なら、全員に一発、平手打ちが飛びかねないところだ。

 仕方なく市毛課長がホワイドボードをポインターで2、3度叩く。ポインターの音に気が付き課内は静まった。

 課長から、転入職員の紹介と各自の業務分担を書面で渡され、引継ぎに入る。書類を机の上で二度、トントンと纏める課長の手付きはいつになく乱暴で、まるで新人たちを好意的に受け入れないとでも言いたげな雰囲気だった。書類を配り終えた後、課長が転入組の紹介を始めた。

「転入してきた者の紹介から初める。俺が話すから全員黙って聞くように。最後に、業務分担を割り振った部分を全員見ておくように。引継ぎがある者は業務に支障の無いよう手短に引き継いでくれ。最後に一つだけ言っておくが、昨年の様子を皆見聞きしていることだろう。今年は去年よりハードになるはずだ。体力トレーニングに励むよう、これは上層部からの命令でもある」

 市毛課長が転入組の氏名を呼ぶ。各自が立って「はい!」と返事をし、そのまま待つ。

 弥皇は、市毛課長の声から新入組の転入意図の有無が知れるのでは、と目を瞑り黙って聞いていた。


 牧田早苗、総務室から。データ入力中心に翻訳、心理面での犯罪担当。

 清野洋子、サイバー室から。サイバーテロ関係中心担当。

 神崎純一、科警研から。サイバーテロ以外にも科学系統全般担当。

 須藤毅、県警特殊部隊から。須藤は基本的に現場に行かず、主にプロファイル担当。


 これに伴って、和田と牧田の業務を交代する。引き継ぎ終了次第、業務を交代。今年は昨年以上に、心理面と他の業務面で横の繋がりを持つことが一つの試みとなっている。そういった事情から、異種業務職員も転入した。

 以上。


◇・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・◇


 課長による新任課員の紹介が終わった。

 どうやら、欲しくて手折った桜の枝では無さそうだ。

 弥皇はちょっぴり、がっかりした。手元の書面に目を落としながら都度新人たちの顔を見回す。そして舌打ちしたくなるのを抑えながら小さく溜息を吐いた。

 今年はどうもいただけない。去年のメンバーとはあまりに違い過ぎる。麻田さんのように、佐治さんのように、心理を熱く語れる人々ではなさそうだから。


 課長の転入組課員紹介が終わると、早速弥皇の隣、元の麻田の席に座っていたブーツ女、清野が手を挙げた。

「弥皇さんの噂ってホントなんですか~?」

 課長には珍しく、さっと顔色が変わり憮然とした表情になる。そして、清野を直視した課長から驚くべき言葉が飛び出した。

「業務に関係がないなら慎め。初日からだらけるな。基本的に制服を着用する必要はないが、乱れた服装で仕事に臨むな。今すぐ着替えろ。着替えが無いなら今日は帰れ。欠勤扱いにする」

「えー、すみませーん。じゃあ、店が開いたら買ってきまーす。何着ればいいですかー?」

「基本はスーツだ。それ以外は認めない」

 去年、課長はこのような物言いをしたことが無い。弥皇と麻田の言い合いを諌めたことはあっても、欠勤だなどという言葉が課長の口から発せられたことは無かった。


 自分の名前を出された弥皇。清野と目を合わせようともしない。

 清野の隣に席があったものの、データ入力をしようと弥皇の傍らにいた和田は、弥皇が腹の底から怒っていると理解した。

 基本的に、弥皇は女性に優しい。というより、フェミニストというべきか。ご婦人方には、どんな場合でもやんわりと対応する。その弥皇が無視するのだから、腹の中の沸騰具合は相当な状態と見た。

 去年は、麻田さんがどんなにからかっても、上手く切り返し麻田さんの喉元でフィニッシュを決め、よく悔しがらせていたものだ。麻田さんとこの彼女では、全然勝負にならない。 

 和田が一目見ただけでも分かる。美的センスだけとは言わないが、全てにおいて麻田さんが勝るだろう。

 第一に、弥皇さんは綺麗好きだ。目の前の彼女は課長の言うとおり清潔感が違う。服装を見れば一目瞭然。まして、TPOに合わない服装など、弥皇さんが認める訳もない。ここでまず、弥皇ブロックに当たる。あとは回転の速さとか。考えても仕方がない。どうみても麻田さんの方が上なのだ。この清野さんとやらは、己を知って早く諦めるべきだ。

 和田の御尤もな所感である。


「では、業務を開始する」

 課長の号令とともに、今迄和田が入力していた資料を牧田に渡し、入力方法を教える。去年は1件ごとに事件状況を論議してきたが、今年はどうやら止めるらしい。ハイペースで入力は続く。その中で目ぼしいと思われる事件を課長がピックアップする、という手法に変えた。

 確かに、今年のやり方は効率的かもしれない。時間短縮などメリットを考えるのだが、今年は、何というか、異常なまでの静けさが和田のペースを狂わせる。言いたいことがすぐ口に出てこない。

 和田は昨年のスタイルの方が好きだった。お互いに言いたいことを声の限り出し尽くし、最後は課長が締める。その方法で、何件か事件解決の糸口になったこともある。昨年の課員たちは人数こそ少なかったものの、よくあれだけポンポンと口から言葉、特に課員同士、相手への罵詈雑言やら嫌味やらが飛び出してきたものだと、あらためて感心する。


 昨年度は本当に面白い1年だった。


 懐かしく思うのは、和田だけではない。

 手元のデータベースを見ながら、弥皇もまた、昨年を振り返っていた。毎日のように麻田と交わした激論。すぐ熱くなる麻田をからかいながら、冷静な観点から心理というものを考えることの出来た日々。たまに麻田に足元を掬われ、悔しいと本気で思った瞬間。

 今年は和田が残ったとはいえ、何とも心許無い心理研究集団。粗い布陣。

 目の前にいるSAT出身の鋼鉄のような心と身の彼。たぶん、彼はFBIに派遣された口だろう。SATから一転、FBIに出向きプロファイルの技術を磨いたか。FBI帰りの彼だけは、目を見ればわかる。着眼点に優れ方向性をすぐに引き出せる手合い、頼もしい限りだ。FBIを匂わせないためにサイコロ課に来たのかもしれない。

 あとの3人は、心理専門の弥皇から見て、使い物にもならない。


 一体、今年何をしろというんだ。まあ、昨年だってそれは同じだったけれど。何かをするためにここに着任したわけではなかった。ただ、県警から用無しで追い出されただけだった。それでも自分たちなりに、何かを掴み取った感触があったからこそ、周囲から何を言われようとも、別に気にしていなかった。

 その上で、今年この体制ということは、心理は犯罪にとって何の役割も果たさないと駄目出しを叩きつけられたように感じた。

 弥皇は、椅子に凭れ掛かり天井を見上げた。順序良く並んだ蛍光管。所々で点滅サインが出ている。

 もうすぐ寿命。

 電池切れ。

 そうか、サイコロ課も蛍光管と同じ運命かもしれない。

 いよいよ、自分たちは用無し部隊に成り果てたということか。


 毎日続く、退屈な心理研究の時間。特に猟奇的な事件も無い。サイコパスが起こす事件は、このところ、なりを潜めていた。データベースへの入力は、転入した牧田が担う。物凄いスピードで、かつ正確に入力していくため、事件の類いをじっくりと眺める時間は増えた。牧田は、時間がくると静かに挨拶しすっと姿を消す。子供がいるのは確定だろう、と弥皇は思う。それにしても、気になる。


 何が気になるかといえば、牧田の、市毛課長への嫌悪感だ。

 特にあからさまなわけではないが、たまに、下から睨み上げる目線で課長を見ている。

 何故かはわからない。

 二人とも警察庁出身だから、昔何処かで一緒にいたのかもしれない。その割に、余所余所しい所作がありありと態度に出ている。課長は殆ど気にかけていないように見せているが、牧田の方は判り易い。

 和田も気が付いていたようだ。

「二人とも本庁出身ですから。ほら、僕等にはわからない歪みの中にいたのかも」

「嫌だなあ。僕なんて春が来たから、歪むどころか満開の花状態」

「弥皇さん、麻田さん異動してから春爛漫ですよね、勤務時間外だけは」

「そう。春爛漫の花盛り。和田くん、もっと聞いてくれる?」

「いえ、結構です。ところで、まだこの時期だからですけど、なんか雰囲気違うような気がしませんか。空気が汚れているような」

「ああ、何かある。はっきりわからないけど。和田くんも研ぎ澄まされてきたねえ」

「弥皇さん、去年とは違いますよ、僕も。ところで、牧田さんの余所余所しさもなんですがね。サイバー系2人、なんでまた畑違いの2人が此処に来たんでしょう」

「うちがサイバーテロに遭って困ることもないしなあ。あのバカ女のようなとんでもないのは僕としてはお断りしたいんだけど」

「清野さん、か。ありゃ金の亡者ですね。緑川を思い出しちゃうな。こういうイヤな空気って、サイコパス到来みたいな感じで東北にいたあの日がリフレインですよ」

 

 春は春でも、怪しさ満載の春一番が吹き荒れる。

 これからサイコロ課はどうなってしまうのか。

 

 牧田の動きはまだはっきりしなかったが、少なくとも弥皇にとっては、邪魔な人間ができた。

 ブーツ女、清野である。


 初日、課長に服装を注意されたにもかかわらず、毎日ブラックデニムや革のパンツを穿いてくる。机の下で脚は見えにくいからだろう。流石に桜前線も東北・北海道に移動した時季となり、ブーツだけは止めた様だが。

 上着もジャケットこそ羽織るものの、インはTシャツ。出なければ、シャツの裾を見事に出したスタイリング。ジャケットそのものが置きジャケットだし、ボトムスもその通りだから、課長の言葉は頭の片隅にしかないらしい。

 ゴテゴテとしたネックレスの類いやベルトにサングラスをかけての御出勤。もちろん、凡そ仕事には似つかわしくない革製のライダースジャケットを着ているときもある。バイクの運転でもしているのか。

 あの時課長は「スーツ以外は認めない」そういった。意味が解らないほど馬鹿なのか。


 確かに、もしかしたらこの服装が今の流行りで、清野自身、これを着ないと世の中生きていけないの、という部類の人間なのかもしれない。

 しかし、だ。

 それはあくまで、ドレスコードの無い普通の民間企業で、なおかつ社長が許した場合に有効=セーフなのであり、警察、税務、上級官庁では制服やスーツなど当たり前であり、ドレスコードを守れない人間は、それすら人間性の評価に繋がって行く。


 おまけに、このバカ女ときたら、食事に行こう、飲みに行こう、休日遊びに行こうと、毎日のように弥皇を誘う。

 人前で誘うことで、断られないと思うのだろうか。

 交際を強要するような場面が目立ち、勤務時間内の心理研究でも私語が多く業務の邪魔をする始末だ。勤務時間内なら課長や須藤が注意するのだが、一向に直る兆しはない。

 勤務時間外はまるでストーカーだった。帰宅時にも付いてこようとする。

「付いて来るな!」と、弥皇が思わず叫んだほどだった。

 毎日、毎日、金目の話題ばかり。

「ブラックカードの話、ほんとですかあ」

「小切手帳、本物って聞きましたけどぉ」

 下賤な女。

 そんなに金持ちが好きか。

 食事や飲みに行きたい、一緒に遊びに行きたいのは、男ではなく金だろう。

 そうして事ある毎に弥皇の気持ちを逆撫でする。弥皇にとって清野は嫌いを通り越し、最早不要の存在と成り果てた。

 普段なら、嫌いな女性のお誘いも丁重にお断りする弥皇。

 だが、清野に誘われると「NO!」と書いたボードをポインターでバンバン叩き、口も利かず部屋を後にする。腕にまとわりつかれると、するりと抜け出ながら「触るな」とタブレットにメモした文字を見せつける。

 弥皇自身、清野に対するガン無視そのものは気にしていないのだが、ひとつだけ心配の種があった。


 心理的攻撃ターゲットの性別、とでもいえばお解りいただけるだろうか。


 こういった薄汚い目的を持った女は、別の女性の気配を感じると、その女性を攻撃する。女性の場合、俗に言う三角関係も殆どの割合で同性への攻撃が見受けられる。

 女-男-女がいたとする。この場合、女の敵はほぼ100%、女だ。一般に女性心理というのは、そういうものらしい。

 これが、男-女-男だったとする。するとどうなるか。男の敵は男、ではない。これもかなり高い確率で、男の敵は女になる。そこで始まる暴力やモラハラ。

男女で、こうも違う憎しみのターゲット。


(麻田さんはこんな低俗な女に嫉妬などしないだろうけれど)


 心配なのは、この低俗馬鹿が麻田に嫉妬することだ。何をしでかすかわからない。

 弥皇は清野のことを麻田に話さず、秘密の交際を続けていた。


 これがのちに大きなトラブルを呼ぶとは思いもせずに。


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