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第2章  第3幕  幸せな時間

お互いを見て、笑う。

 肉体とか精神とか、愛とか恋とかの色分けとは少し違った感情。相手が其処に居て笑ってくれればそれで満足という弥皇の想いが、麻田には痛いほどわかる。だから弥皇に求められたら応じてしまうかもしれない。例え、それが何だったとしても。

「あー、気持ち良かったあ。弥皇くんも、やってあげる?」

「遠慮します。僕は肉体行使してませんから。麻田さんに触られたら笑いそうだし」

「くすぐったりしないわよ。そういえば、何か相談あるんじゃないの?」


 弥皇が、ワインセラーからワインを片手に、もう片手にはワイングラスを2つとソムリエナイフを持っていた。麻田もワインが好きだから、ワインオープナーとソムリエナイフどちらも持っている。

 ソムリエナイフの使い方は弥皇の方が遥かに巧い。フランス製のマイ・ソムリエナイフをさらりと使いこなし、キャップのシールを切って行く。ボトルは動かさない。麻田にはそれが難しい。

「半周切れ込みを入れたら、ナイフを持ちかえて、もう半周、ボトルを動かさずにできますよ。コルクはテコの原理を使えば結構すんなりと抜けますから。ソムリエナイフのメーカーも結構重要かもしれませんね。僕のは譲り受けた年代物なんです」

 これまた、さりげなく言ってのける。

 冷蔵庫の中を適当に漁って、弥皇がサラダを作り、ナッツ類等のつまみを持ってきた。 リビングのテーブルにつまみを置き、お互いは隣り合って壁に寄りかかり、クッションを手に胡坐をかいて座る。


「麻田さん、飲みましょう。至福の一杯だと思いますよ。シャワー浴びてからにします?」

「ううん、最初に話聞いてから。だから、飲もう!」

 弥皇は、少し話を出しづらいのではないか。少なくとも麻田には、そんな表情に見えた。

「さ、マッサージして疲れたでしょ。飲め、飲め」

 程なくして、弥皇が麻田の肩に寄りかかった。酔っているわけでもないらしい。弥皇が酔った姿など、見たことも無い。下戸どころではない。底なし沼の二人だ。そんな弥皇が、何か躊躇しているように感じられる。


 結構、麻田は鈍感だ。いや、弥皇が繊細というべきか。寄りかかったまま、弥皇が話し出した。

「僕ね、この仕事辞めようかなって思うんです」

「一族に捕まったとか?」

「違いますよ。一族はどうでもいい。仕事もどうでもいい。麻田さんといつも一緒にいたいんですよ。こうして夜を過ごしたい」

「で、あたしはどうすればいいの?一緒に辞めるの?」

「麻田さんが辞めるの勿体無いじゃないですか。心理面の方さえ少し我慢すれば有能なんだし」

 弥皇に拳骨をかます麻田。

「あたしは別に仕事の鬼じゃないわよ、辞めても構わない。って、心理面我慢?捜査会議でプロファイル喋るの、止めろってか。県警さんよお」

「痛いなあ。もっと優しくしてくださいよ」

 麻田は、別に仕事の鬼ではない。お一人様だから働いているに過ぎない。弥皇は、そこを勘違いしているような気がする。常から麻田のことを過大評価している。いつもそう思う。でも、サイコロ課で心理を話し捲った日々は、警察官という職業的に大変言いづらいが、今迄の勤務の中で一番に楽しく過ごせた時期でもあった。弥皇は、ワイングラスをテーブルに置くと、横に倒れ込んで麻田に膝枕した。


「こうしていれば、喜怒哀楽を二人で分け合える」

「そうね、二人だと楽しいし」

「楽しいだけですか?」

「いいえ、一人だと寂しい。そっちが本音」

 一族、金銭、弥皇には弥皇なりの苦労があるのだろうと麻田も思う。緑川事件さえなければ、それらを表に出さずに済んだのだから。今では残念ながら、方々の県警から麻田にまで電話が来る。『警察庁に居候する御曹司』という、不思議ネーミングで。

「僕は、今でも怖い。もし、麻田さんに何かあったらどうしようって。僕等の関係性さえはっきりすれば、ふざけた女に入り込ませる隙を作らなくて済むでしょう?」

「お金持ちの噂広まってるから、寄ってくる女性は多いと思うけど?」

「心に決めた好きな女性います、って断れるでしょう。今迄そんな女性いなかったから」

「女はね、寝技使ってでも男をモノにするのよ。清野のことで解ったはずじゃない」

 弥皇が、麻田の膝に右手の人さし指で何か落書きしている。こそばゆい。もしかしたら、先程のマッサージで体力を使ったために本当に酔ったのかしら、と麻田は弥皇を見下ろした。

「ん?どうしました?」

「弥皇くん、もしかしたら、酔ってる?」

「まさか。僕の酒飲み度合い、知ってるでしょう。嬉しいんです。こうしていられるのが」

 んふふ、と笑ってまた膝に落書きを始める弥皇。

 やっぱり酔ってる。

 弥皇が酔うなんて、初めは信じられず演技しているのかと訝ってしまうが、演技する理由もない。

「ねえ、麻田さん。仕事の話は取り敢えずおいといて、籍入れましょう」

「は?こりゃまた、どうして」

「入籍すれば寝技掛けられなくて済みますよね。ね?」

「寝技掛けられたくないからプロポーズするの?とんでもない理由ね。聞いたことない」

 弥皇の結婚観が分かるようで分らない麻田。たぶん、今の言葉が弥皇なりのプロポーズなのは理解した。

 素直じゃない二人らしい、素直じゃない婚姻の約束。

 それにしても弥皇、パートナーの話はどうなった。結婚しなくていいからパートナーが欲しいのではなかったのか。麻田は東北の緑川事件が解決して間もない頃、弥皇が発言したパートナーという言葉を思い出した。

「結婚とかでなくてもいいからパートナー欲しいって言ってたわよね」

「そ、あくまでパートナーです。入籍してもパートナー」

「入籍して夜は一緒に過ごすけど、結婚形式にはこだわらないってこと?夫婦は嫌だと」

「夫婦、嫌です。男性と女性は対等だから。この意味が解らない人とは縁を結びたくない」

「弥皇くんらしい。さて、あたしはどうお答えすればいいのかしら」

「簡単ですよ。OKサインさえいただければ。如何です?夜が楽しくなること請け合い」

「そうね、夜の寂しさは無くなる。でもね、酔っ払いさん。本当にあたしでいいの?籍入れてから失敗したじゃ済まないのよ。まあ、離婚率も高いから離婚如きで騒ぐ世の中じゃないけどね」

「僕は麻田さん以外の女性をパートナーにしたくない。それだけです。よかったら今度、近畿方面まで一緒に行っていただけますか」

 弥皇は、一度起き上がり麻田の額にキスして、また寝そべった。まるで子犬か子猫の様に体中に触ってくる。その純粋な瞳は、じゃれ付き、見つめ、傷を舐めて、寄り添ってくれるように感じられた。


 首輪は果たしてどちらにつくんだろう、飼い主はどちらだ?

 そう考えると、麻田は少し可笑しくなって、ふふっと静かに笑った。


 その晩は、弥皇を寝せるのに苦労した。弥皇が酔っぱらって寝たのを始めて見た。酔っ払いの男性を先程のマットレスまで運ぶのに一苦労。流石の麻田も体力が落ちて来たのか、重労働に感じた、まあ、酔っ払いを介抱したことが無いだけとも言えるが。また、マッサージを要求しなくては。

 自分はベッドに横になったものの、弥皇の言葉の端々が耳から離れない。割り切って生活してきた一人での暮らし。初めての交際で負った傷。それ以来、結婚という二文字に憧れは抱けなかった。そのうち女や嫁といった言葉が、まるで自分の姓を名乗ることすら叶わず物として売られていくような、そんな惨めな場面を想像するようになった。別に両親が仲違いしているわけでもない。母は専業主婦。専業主婦が楽なのか、そうでないのかさえ、今も判断できない。

 かといって、辞めても構わないが、辞めて自分に何ができるんだろう。専業主婦という柄でもない。退職後の自分。全くイメージができない。一族の話も、何か途轍もない話のような気もする。あたしで本当に大丈夫なんだろうか。うとうとしながら、眠りについた。


 翌朝、弥皇に頬を掴まれて目が覚めた麻田。弥皇は冷蔵庫にある材料やパンなどで簡単な朝食を作ってくれていた。麻田は普段、作るのが面倒で朝は食べないが、美味しそうな香りに引き寄せられた。パジャマ姿のまま顔を出すと、弥皇が笑っている。

「最初に食べちゃいましょう。温かいうちに。あとはシャワー浴びて。ゆっくりしてもいいし、出かけてもいいし」

「ありがとう。ごめんね。あたしこういう女性らしいこと苦手でさ」

「好きな方がやればいいじゃないですか。僕はこういうのも好きだし、麻田さんも好きだから作ってあげたくなるんだなあ」

「いやあ、面目ない。女子力の欠片ないから」

「そういう麻田さんだから好きなんですよ。ところで、お願いあるんですが」

 弥皇は、昨晩の言葉どおり、次の非番の日を合わせ近畿に行きたいと言う。はい、わかりましたと答えるしかない麻田。まあ、多分、旧家か何かなのよ、だから家柄を気にするんだわ。


 と思いつつ、その日が来てしまった。

 訳も無く、とても緊張しながら弥皇の後ろを歩く麻田は、しょっちゅうスーツの色や靴、バックのスタイリング、果てはスーツのシワまで気に掛ける。

 近畿方面の歴史や建造物等の話をしながら、新幹線は京都駅で停まった。そこからタクシー移動する。何処をどう走ったのかわからない。繁華街を抜け、1時間も走っていないはずだ。雄弁な景色が目の前に広がるような、そんな風景が辺りを包み込む。1軒の寺院らしき建物が見えてきた。どうみても古い時代の寺院なのだが、こんな建造物、歴史にあったかしらと麻田は考える。奥まで進むと、普通の家が見えてきた。


「ただいま」

 弥皇を見た家族と思しき人々は、麻田が普段聞かない言葉で大騒ぎを始めた。はんなり言葉を連想していた麻田は面食らった。話すスピードが半端なく、早い。どうやら、今迄どうしていたのか、連絡もしないで、隣の女性は誰だ、おお、念願の嫁か、で、子供はできたのか・・・という具合だったらしい。

「子供?いてへん。そんなんそっちで決めや」

 弥皇は、子供は居ない、跡取りはそちらで決めろ、と言ったように麻田には聞こえた。跡取り問題で、兄だ弟だと、また大騒ぎが始まる。要は、緑川事件の際に発した言葉、次男坊というのが本当だったということだ。それから何軒回ったことか。5軒近くは回った。何処でも反応は同じだったが、藤原、とか安倍、とか蘇我、とか、果ては卑弥呼の名前まで聞こえてきた。余程の旧家ということだけは理解した。


 次に、大阪から兵庫方面まで足を延ばした。ビルに入って行く弥皇。どう見てもVIP室に通されて、大阪弁で捲し立てられる。大阪弁の詳しい翻訳は、麻田には無理だと悟った。いや、大体は解るのだが標準語に訳すのに?マークがたくさん並ぶ。弥皇もついていけない粗さがあるようだ。ここでも内容的には京都方面と同様のような話だったと思う。大阪と兵庫でも5,6軒は回ったはずだ。6軒目を出た瞬間、弥皇の言葉が変わった。


「すみませんでした。色々と連れ回して。ただ、皆了解取れましたので、もう安心です」

 え?向こうはOKしてないと思うんだけど、と不安になる麻田。

「麻田さんは何処に行っても評判良かったです。流石、僕の眼は一流だと言われました」

「嘘ばっかり」

「ホントです。言葉はどうあれ、皆満足げだったでしょ。笑っていたじゃないですか」

「子供とか跡取りとか皆から言われてたじゃない」

「ああ、僕、兄も弟もいますから。兄夫婦には子供いるし。国外に逃げられましたけどね。家督はどっちかに譲るから問題ないんですよ」

「じゃあ、もう追い回されなくて済むわけ?」

「さあ。こればかりは、ね。家督は譲るけど会社は別だっていうし」

「なんか凄く込み入った家系図のような気がするんだけど」

 弥皇曰く、近畿でも京都奈良は母方、大阪兵庫は父方の親類とのことだ。旧家は母方、ド派手なビルで商業系は父方ということで、どちらにとっても家督を継いで欲しい跡目なのだそうな。跡目合戦で火花を散らす親類縁者というわけか。そういえば、何処で心理を勉強していたのかさえ知らない。聞いたところ、アルファベットのK大ですよ、としか教えてくれなかった。心理とは言わなかったけれど、まさかのK大?今迄秘密にしちゃって。


「今日で挨拶回り終了。来週、僕の両親と一緒に麻田さんのご実家に伺いましょう」

「え!」

「何か不都合ありますか?」

「いえ、まあ、心の準備ってやつよ」

「では、よろしくお伝えください」

 弥皇は、気障なナルシストのようでいて、こういう行動は早い。

 宣言どおり、次の週、弥皇とご両親が麻田家を訪れ挨拶が始まった。弥皇の両親は関東に在住しているが、一族同様ガッツなはんなり行動は抜けないようだ。麻田自身の想いを余所に、スケジュールはあっという間に決められていく。別に結婚が嫌だというわけではないが、嫁や女として扱われるのが大嫌いな麻田。本当に大丈夫なんだろうかという、大きな不安に駆られる。

 横にいる弥皇が、麻田の想いを見逃すわけがない。

「ああ、みなさん、此処で一言よろしいですか」

 弥皇が皆を制した。

「麻田さんには、今迄通りの生活をしてもらいます。やれ嫁だ、やれ女だ、家事だ、母親だ、という言葉は絶対に使いませんし、僕の一族にも使わせません。仕事を完璧に熟している麻田さんはとても有能です。その能力は潰しませんので」

 麻田の家では、相手がかなりの一族らしいと聞き、嫁に出せるのか心配になったようだ。頭の優秀さではなく、所作、所謂立居振舞や客捌き。

 ちょうど、梨園の妻を想像したらしい。


 弥皇の両親が帰ってから、麻田母は耳元で麻田に囁いた。

「務まらなかったら、戻っておいで。別に一人だっていいんだから。気負わないでね」

「ありがとう。今迄は結婚しろって五月蝿かったのに」

「相手によりけりよ。披露宴とかさ、その、お相手の家系、お金持ちの方多いみたいだし」


「披露宴?麻田さんがしたいなら。一族には口出しさせませんから大丈夫ですよ」

 母と娘は、急に後ろから弥皇が口を挟んだので、心臓がバクンバクンと波を打つ。

 麻田が咄嗟に取り繕う。

「あたしは、ねえ。この歳になってドレスを着たいとは思えなくて」

「麻田さんなら、どんなドレスでもお似合いだと思うんですが。残念だな」

「どっちかっていうと、制服着て写真撮った方が落ち着くのよね」

「ああ、いいですねぇ。でもなあ。ドレス着て欲しいなあ」

 東京に戻る新幹線の中で、弥皇に披露宴のことを聞いてみた。近畿辺りの披露宴は関東では思いもよらぬような派手なものだという噂を聞き、正直、麻田の両親は経費を気にしていたのだった。


「なるほど。披露宴ですか。先程ドレスの話が出たでしょう。麻田さん、ドレスが着たいのかなって思ったんです。それなら、披露宴でも海外挙式でも、人に見られたくないなら写真だけって言う手もあるでしょう?」

「若い時は憧れたものよ、海外で二人だけでの挙式。青い海や白い教会をバックに写真撮って。でもあれ、結婚証明書じゃないのよね。本物じゃないんだーって」

「記念の証明は本物でしょう。婚姻届のような紙切れこそが証明にならないと僕は思うんですよ、今でも」

「あら、だったら入籍しなくてもいいじゃない」

「それとこれとは別でしょう。紙切れは要らないけど、寝技は回避したい」

「何、それ。あ、こないだのマッサージ」

 麻田が弥皇の右掌を抓る。

「そう。あそこで下心出したら寝技で瞬殺ですよ?紙きれ一枚で、まるっきり扱い違うじゃないですか」

 弥皇が声を上ずらせて答えた。あの時のマッサージは、かなり緊張したようだ。あの夜を思い出したのだろう。

「あは、あはは。貴方、それだけのためにここまで大篝に動いてるわけ?」

「誤解しないでください。筋を通さないと許されない世界がありますから」

 警察という我々の組織がそうだ。入籍しないで交際状態なら、もしかしたらまた二人ともサイコロ課で仕事ができるかもしれない。でも、どうがんばっても夜は一緒に過ごせない。二人一緒の夜を過ごしたい。お互い一人の寂しさを埋めたい。お互いに寂しい思いをさせたくない。それだけだ、と弥皇は言い切る。

「この、気障野郎」

「僕、正直が唯一の取り柄ですから」


 両家一族協議の結果を待たずして、弥皇の一存で、披露宴という形式にとらわれず奄美沖縄周辺の小島を借り切って野外パーティー形式での結婚報告会が執り行われることに決まった。

 時期は1か月後。本当なら半年は準備期間に要したいところだが、警察という組織は、いつ何が起こるかわからない。何かが起こってしまえば警察全体で動くことになる。サイコロ課と言えどもそれは変わりなきことで、まして県警配属の麻田は事件など起こればすぐに帰らなくてはならない。

 警察のヘリや弥皇の一族自前の小型ジェット機を待機させ、いつでも職務に戻れるなら、との指示があったという。

 麻田が非番の時に弥皇が一緒に動く。主に、結婚報告会の次第調製であり、弥皇がドレスの見本を麻田の部屋に届けさせる。着替える度にこの世のモノとは思えない賛辞を贈る弥皇。

「麻田さん。世界中の誰よりも、貴女が一番綺麗です」

 相変わらず、ストレートな弥皇である。ストレートも度を越すと堪忍袋の緒が切れる。麻田の堪忍袋は異常なほどの賛辞だ。たまに弥皇を拳骨アタックして目を覚まさせてから、もう一度ドレスを選び、家族だけで執り行う結婚式の次第を確認する。

 神父さんの手配やプロの写真家、プロの司会者。弥皇の一族からのお祝いの一部だという。小島の借り切りも一族の配慮によるものだと聞き、麻田は目眩を覚えていた。


 結婚を控えたカップルにとって、1ケ月は瞬く間に過ぎていく。弥皇と麻田の場合もご他聞に漏れず、あっと言う間にその日がやってきた。

 花嫁は結婚前にマリッジ・ブルーという心理が働くという。本当にこれでいいのか、という独身最後の足掻きなのかもしれない。マリッジ・ブルーを経験したくなかったら、猶予なく結婚してしまうことが最善の策だ。

 麻田もマリッジ・ブルーなどという言葉に縁もないほど忙しかった。


 結婚報告会のパーティーにはサイコロ課のメンバーも招待された。海外セレブの結婚パーティーを彷彿とさせる大掛りなパーティーで、弥皇一族は元より、目の飛び出るような政財界の大物たちが来賓として続々と出席していた。どれくらいの人数が野外を埋めたのかもわからないくらい、人の渦が巻く。やっとサイコロ課のメンバーや佐治一家を見つけ、安心した麻田。

 佐治が奥方と娘を紹介してくれた。幸せそうな家族に戻ったのであろう佐治家。

「やっと、というか、ついに、というか。仲良くしろよ、お二人さん」

「僕の言った通りじゃないですか。麻田さん、弥皇さん」

 和田は相変わらず容赦がない。

「やっと幸せ掴んだな、俺にもおすそ分けしてくれ」

 須藤もにこやかだ。

 其処に、市毛課長が奥さんと一緒に姿を現した。

「課長、いらしていただきありがとうございます」

「おめでとう。こっちは、我が奥方だ」

「お噂はかねがね。本当にお綺麗だわ」

 と、そこに警察庁の一団が姿を見せ、課長の奥方様を囲んだ。総ての人間たちが最敬礼している。奥方様、何者?麻田は怪文書事件が立て続けに起こり、記憶が曖昧だったらしい。

 奥方様の父上が旧警察官僚と聞き、やっと納得がいったようだった。


 パーティーの前半にあらためて指輪の交換と結婚報告、終盤にかけて音楽や食事を楽しむ趣向。

 弥皇らしい演出。

 麻田自身、ドレスは恥ずかしかったが、一度くらい着てみたいと思うのが女性の本音かもしれない。純白のドレスに身を包み、時間帯によってドレスを変える。日本の結婚式ではカラーのドレスを着る場合が多い。

 それでも、時間帯を遅くして来てくれる警察関係者や知人友人のために、全て白で統一したドレスを着ていた。

 弥皇曰く、真白いドレスを着る日の女性ほど、輝いた存在感はないのだという。

 経費は一切弥皇側持ちという、ド派手なパーティーは屋内に場所を移し夜半まで続いた。全員一緒に休みが取れないという警察事情によるものだ。たぶん、警察庁史上最も有名な結婚披露宴と目されること、間違いないだろう。


 事件が無ければ、という鎖付で、1週間の休暇を貰えた弥皇と麻田。沖縄方面に足を延ばす機会も少ないだろうということで、場所を変えて沖縄本島北部のホテルに滞在することにした。ホテル近くには、プライベートビーチとも呼べる綺麗な海が広がっている。

 水着に着替え、道路を一本渡って浜辺に向かう二人。

「事件があったらどうするの?」

「自家用ジェットを呼びますから大丈夫」

「あ、そか。弥皇の家ってそこまで凄いのね」

「僕のものじゃないのは確かですよ」

「何、都合良い時だけ借りるの?」

「当たり前です。僕等の仕事に差し障らないように借りるだけです」

「モノは言い様ねえ」

 麻田が立ちあがってストレッチ運動を始めた。しなう身体の動き。40歳を超えても、麻田のプロポーションは完璧だ。痩せすぎず、ウエストの括れとバストやヒップの上がり具合。身体を鍛えているからこその外国人アクション系女優並みプロポーション。

 浜辺で麻田は、ビキニの様な水着ではなく、ホルターネック型で胸の辺りを強調し、背中の露出度が高い水着や、前後ともクロスさせたような、見せないようでいて何気に色気のある水着を着ていた。本人曰く、お腹が見えるビキニは着ないのだそうだ。弥皇もたまにジムで鍛えるからだが、麻田の方が、腹筋が割れているような気がする。

「ねえ、麻田さん」

「何?水着、ヘン?」

「素敵ですよ。麻田さんて、腹筋4つか6つに割れてません?」

「はいはい。割れてますよー。今日の夜は、寝技掛けてあげるからね。弥皇くん」

「酷いなあ。正直に言っただけなのに」

「腹筋割れてるっていうのが褒め言葉だと思う女性は、この世に少ないわよ」

 弥皇の頭に、また拳骨ひとつ。あはは、と笑って波打ち際へ向かう麻田。この幸せが永遠に続けばいい、と願う弥皇。

 夜は外国人が多めのレストランを予約する。外国の香りがそこはかとなく漂う中、海岸付近を航行する大型船舶や微かに光を放つ橋など、派手派手しくない観光路線が二人の好みだった。

「さ、麻田さん。ホテルに戻りましょうか」

「うん。弥皇くん。今晩はきっちり寝技掛けてあげるからね。腹筋発言の罰よ」

「じゃ、僕も寝技返しで」


 翌朝、二人は朝陽がだいぶ上がった頃、漸く目を覚ました。昨夜ホテルに戻り、またワインを飲み、レスリングや柔道の寝技の掛け合いから始まって、酔いに動きが交じりすっかり出来上がっていた。二人とも、何があったか覚えていない。

 一緒にベッドに入り、二人とも何も身に纏っていない、という事実があるだけだった。

 洋服は部屋中に脱ぎ散らかされ、ワインの瓶はテーブル下に転がっている。辛うじてテーブルやベッドにはぶつかっていないようで、壊れているものは見あたらなかった。

「ね、弥皇くん。昨夜何したか覚えてる?」

「いいえ、全然」

「いいのかしら。これで」

「ノープロブレム。僕たちパートナーですから」

「貴方ってこういう時まで気障よねえ」

「寝技掛けるために籍入れたんだし、覚えてなくても差し支えないでしょう」

「そうよね。覚えてないってことで、着替えようっか」

「その前に」

 弥皇が麻田の健康的な肌に、まるで子犬のように絡みついて体中に軽いキスを続ける。麻田の身体には、色の変わった部分がたくさんあった。昨夜、余程子犬がじゃれ付いたらしい。

「くすぐったいってば」

 麻田が半ば悲鳴にも似た笑い声をあげた時だった。スマホのコールが鳴った。弥皇のスマホだった。


「ああ、これからだったのに。無視しようかな」

「どこから?」

「サイコロ課。僕がハッピーな日々送っているの知りながら、どうしてコール寄越すかな」

「相当なヤマだから」

「やっぱり?仕方ありませんね。はい、こちら弥皇」

 弥皇の顔色が変わった。メモを取ることまではしなかったが、麻田も弥皇の表情と顔色にすぐ気が付いた。何かあったに違いない。

「どうしたの?」

「清野が留置場から脱走しました。正確には取調べ中に脱走したそうです。誰か手引きをした者がいるのかどうかまでは判らない。麻田さんは危ないから此処にいてほしい」

「自家用ジェット呼ぶんでしょう。あたしも戻るわ」

「そんなもの、何遍でも呼べますよ。気にしないで」

 そんな会話の最中、麻田のスマホもコールが鳴る。

「はい、麻田」

「市毛だ。ゆっくりのところ申し訳ない。弥皇から聞いただろう。君にも一時的に応援を頼みたい」

「了解しました。弥皇くんと一緒に向かいます」

 弥皇は、その間自家用ジェットを呼ぶ手配を整えていたらしい。麻田の電話内容に気が付かなかったようだ。

「どこから?」

「市毛課長。清野の追跡手伝って欲しいって」

「ダメだ。麻田さんを囮にするようなものじゃないですか」

「あたしなら大丈夫よ。それより、気を付けて。女の怨念は怖いから」

「結婚しやがったから殺しちゃえーって?だから女性は苦手なんですよ」

「心理的には、女性が狙うのは女性なのよ。だから防弾チョッキなりの装備はする。貴方も装備して。お願いだから」

「わかりました。麻田さんが言うなら」

「必ずよ」



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