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理想郷 -utopia-  作者: 猫柳
3/4

世界消失の足音

 静かな森の朝は、軽やかな鳥の声が良く聞こえる。

 日の出とともに目覚めた私達は、軽く朝食をとると、早々に片付けをして小屋を後にした。


「なんか、小説のネタになりそうな経験ばっかりだね」


 フィーアの先導を受け、私達は獣道を歩く。まだ暖まっていない森の瑞々しい空気がとても気持ちいい。


「取材旅行だと思えば良い経験かもな。旅費もかからずお得で」

「確かに!」





 ……などと言っていられたのは、せいぜい小一時間の話だった。




 舗装されていない山道は、凹凸が多く歩き辛い。それに加えて視界も悪く、行けども行けども森の中。


「ちょ、フィーア、はやい、待って、休憩」

「そんなに疲れますか?」

「つか、れる」

「だから言ったろ、こいつ体力ないんだって」


 澄ました顔でそう言う和真だが、先程から口数が少ないのを私は見逃していない。


「あとちょっとですから、頑張って」


 という励ましに誤魔化され、歩き続けること3時間。

 段々と道幅が広がり、平坦で歩きやすくなってきたな、と感じてきた頃、その村は、現れた。

 丁度昼時なのだろう、大きく開いた青空へ、モクモクと白い煙が昇っていく。点在する丸木小屋と、家庭菜園程度の小さい畑がいくつか。そして人々の声と共に、犬の声が聞こえてくる。


「食堂に寄って休憩としましょう。この村のスープは絶品ですよ」

「おっけー……」


 フィーアの言葉に従い、疲れた体を引きずって看板の下がる小屋の扉をくぐる。すると、甘い野菜の香りと木材の香りがまじりあった、優しい香りに包まれた。

 小屋の内装は、椅子は輪切りにした丸太を並べただけ、机も丸太を半分に割ったものに足をつけただけの実にシンプルなものだった。私達はその固い丸太に腰かけ、運ばれてきた食事に口をつける。


「うっま……」

「美味しいでしょう?ここの鹿肉のスープは絶品なんです」

「……あぁ、確かに美味しいな。鹿肉は、初めて食べた」

「そうでしょう?僕のお気に入りで、誰かに紹介したかったんですよ」

「うまぁ――――ッ!」

「なるほどなぁ……」


 スープもまた絶品だが、こんがり焼き上げた肉と、焼きたてのパンもまた頬が落ちるほどおいしい。夢中で料理を掻き込んでいると、店の女将がお茶を持ってきてくれた。


「はい。あたしの調合した自家製のハーブティーでね、疲れが良く取れるんだよ」

「そうなんですか、ありがとうござ……」


 礼を言うために顔を上げて、そこで私は、固まった。


 女将の顔。それは本当に、人の顔か。

 まるで彼女だけピントの合わない場所にいるように、目も、口も、肌の色と同化してほとんど識別できない。女将の声に合わせて、丸い球体の下方が赤く染まった。

 恐怖が、一瞬にしてうなじを駆け抜ける。


「うん?どうしたんだい?顔色が悪いじゃないか」

「あ、い、いや……」


 先程まであれほど五感に訴えかけてきたこの空間が、急に色褪せていく。辺りに視線を走らせて、私は初めて、ここが異質であると気付いた。

 女将は「そうかい?」と不思議そうな声色で、頭部を傾げつつ厨房に戻っていく。その後姿を眺めながら、私はそっと、震える指先を机の下に押し込んだ。


 口の中に残っていた肉を噛み締める。まるでガムのようだ。

 ちらり、と視線を向けると、和真も強張った顔でスープを啜っている。


「フィーア」

「なんですか?」

「消えようとしているって、こういうこと?」


 よく見回せば。


 店の中にいる数人の客のうち、はっきりと顔が識別できるのは私達だけだった。人によっては、輪郭さえぼやけ、もはや影のようになっている。それだけではなく、こちらから覗き込んだ厨房の奥は、不自然にぼやけ、やはりよく見ることが出来なかった。

 表面だけ綺麗に取り繕った、ハリボテの世界。

 思わず目を背け、机に視線を落とした私に、フィーアはそっと囁いた。


「よく見て、味わって、そして覚えておいてあげてください、この村のことを。恐らく、もう訪れることはないでしょうから」


 トントン、と小さく何かがぶつかる音がする。視線をずらすと、いつの間にかまたノートを広げた和真が、思案気にシャーペンでノートを叩いていた。


「この村の人間が消えかかっているのは分かった。しかし、俺達や、フィーアが薄れていないのは何故だ?」


 声を潜めて、和真は問う。


「旅人、だからじゃない?」

「ならば所属地によって消えるスピードは違うのか?どこにも所属しない人間が一番遅い?そこら辺どうなんだ、フィーア」


 さっとフィーアに視線を送った、和真の視線が一瞬だけ鋭く光った。


「さぁ、僕からは何とも」

「……そうか、それは残念だ」


 それだけ言うと、和真は再びノートをリュックにしまう。


「で、これからどうするんだ?」

「食料を買い足して、行商人がいないか探しましょう。うまくいけば馬車に乗せてもらえます。それが難しければ移動の為の馬を」

「なるほど。思ったよりも準備があるもんだな」


 腰を浮かせ、荷物をまとめて店を出る。改めて外に出ると、美しい景色の中にぼやける人影が、はっきりとした違和感を主張していた。


「……変なの」


 こんなにも、景色は細かい質感を私に訴えかけてくるのに。そこに暮らす肝心の人間はぼやけていて。

 やがて、彼らが完全に消えた時、この風景だけが残されるのだろうか。


「飛鳥井、ぼさっとしてると置いてくぞ」

「ん、あぁ。待って、今行く」


 止まっていた足を動かし、人影の間を縫って、和真の後を追う。彼らだけぼやけていないから、追いかけるのは簡単だった。


  《重要人物ニダケ焦点ガ絞ラレテタリシテ》


 不意に、頭をよぎったのは、そんな考えだった。


 焦点、そう、要らない端役エキストラを詳細まで映す必要はないから、映さない、見えない。まるでそんな感じ。

 要らないから、薄れていく?私達は必要だから、薄れない?


 だとしたら、この世界は一体、何なんだ。  

       

    《ホントハ答エ、知ッテルクセニ》




  ◇◆◇◆◇

 

「……あれ」


 気が付くと、私は和真に片手を取られて、商店の軒先に立っていた。店の中では、フィーアが店の主人と値段の交渉をしている。

「お前、ぼーっとしすぎ」

「あぁうん、ごめん」


 ぼんやりとしたまま謝ると、こちらを伺うように目を向けられる。


「考え事は終わったか」

「……一応」


 そうか、と言って和真は私の手を放した。温もりの移った自分の掌をまじまじと眺め、私はポツリと問いかける。


「和真はこの世界、変だと思わない?」

「来た時からおかしいと思ってる。俺は異世界の存在は信じてないし」

「あぁ、うん、そうだよね」


 いやそうじゃなくて、なんというか。少し口ごもる私に、和真は軽く前置きを入れる。


「今目の前で、非科学的な事態が起きている、これは否定しようもない事実だ。でもそれを、異世界、と簡単に定義することはしたくない。お前もお前なりに考えてるんだろうから、俺は何も言わないけどな」

「いや言ってよ。意見聞きたいんだけど」

「自分の中でまとまっていないから嫌だ」

「何それ」

「俺の推論的には、これは俺から言っていい内容じゃない。だから自分で考えろ」

「訳わかんない」


 青空は、いつの間にか灰色の雲に覆われていた。一つ、二つ、冷たい雨が大地を濡らしていく。


「正直、もう帰りたいな」


 雨に追われた人々が、慌てて軒下へと潜っていく。閑散とした通りに、私の弱音が溶ける。


「フィーアって子が真剣だから、流されてみたら何か分かるかなって思ったけど。全然何したらいいのか分かんないし。この世界も何なのか分からないし。帰りたいよ。帰ったら、やらなきゃいけないことがたくさんあるから」


 帰ったら、文化祭の準備をしなきゃ。授業もあるし、そろそろ就職のことも考えていかなければならない。問題は山積みで、息抜き代わりの創作すらうまくいっていないから、どこかで書き直す時間を確保しなきゃ。


「お前、めちゃくちゃもったいないぞ、ソレ」

「は?」


 思ったよりも強い口調に、私も思わず険を含む。


「お前、もっと真剣に、この世界に向き合えよ。そんなんだから分からないんだろ」

「何が」

「お前とこの世界は無関係じゃないんだよ。だから今、ここにいるんだろ」

「何で和真が全部分かったような顔してんの? 関係なんてあるわけないじゃん」


 気持ちが悪い。頭の中を何かが引っ掻き回す。イライラして、吐き気がする。


「あるっつってんだろ。どう考えても、お前はうっかり巻き込まれたんじゃないんだよ。巻き込まれたのは俺。なのに何で俺が分かってお前が分からないんだよ。おかしいだろ」

「だから分かりようがないでしょ!?こんな変な世界、どう向き合えってのよ。向き合ってどうすんの。何があるってのよ」


 分からない。思い出せない。私は何を失くした? それは大切なもの?


 あぁけれど、不快で不快で。


「もう誰も彼も同じようなことばっかり。こんな世界知らない、興味もない。私は、早く帰りたいの!」




    《ジャア、早ク壊シテ元ノ世界ニ帰ロウカ》



 ――その瞬間。



 私の声に呼応するように――――空が割れた。


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