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理想郷 -utopia-  作者: 猫柳
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異なる世界

 暗闇を、歩いている。


 いつの間にここに来たのか、出口は何処なのか、何一つ分からない。生温い風が、抱きしめる腕のように、身体にまとわりつく。

 方向や、時間の感覚さえ狂っていく、完全な闇。


 歩く、歩く、歩く。けれども先はない。どこまで進んでも闇の中。


 不意に、ふぅ、とため息が聞こえて、私はそこで初めて、足を止めた。


《歩いても無駄だろうよ。お前は、きっと何一つ得られない》

「……え?」


 艶やかで、気怠げな女の声だった。

 ふわり、と肩の上に重みがかかる。首筋に絡みつくのは、白く細い、女の腕。


 私は、ヒュッと息を呑む。


《得られないのならば、この先の道のりは意味がない。眠っておしまい、愚かな子。今のお前は、失ったことさえ気付かない》

「な、に……?」

《現に今も、お前は私に逆らうことも、道を見つけ出すこともできない。無力だね、可哀想な子》


 ふふふ、と耳元を撫でていったそれは――明らかな嘲笑。

 カァッと頬が熱くなり、私は絡みつく腕を乱暴に振り払う。


「何?貴方はさっきの少年の仲間?さっきからベラベラと、何のつもりなの?」

《私は、お前にただ楽をさせてあげようとしているだけだよ》

「余計なお世話だッ!」


 ねっとりと絡みつくような彼女の言う善意には、腐った嘲りと同情がたっぷりと。それを塗りたくられて、怒らない人間がいるだろうか。


「よく分からないけど、貴方の善意はいりません。放っておいて!」

《私が嫌いかい?》


 無言を貫けば、クスクスと、楽しそうな笑い声が響く。


《そうかそうか。私もね、お前が嫌いだよ。だから、お前をこの先に行かせることすら、癪に障るんだ》

「そう思うなら、私を元居た場所に返してくださいよ」

《嫌いだと言っただろう?お前の頼みを聞くのはつまらない。それに、他ならぬ友の頼みを無下にするわけにもいかない》


 楽しそうな女の笑みに、段々と私も理解してきた。よく分からないが、私は今、この女に遊ばれているのだ。

 ぐっと歯を食いしばり、私は声に背を向けて、ズンズンと歩き出す。


《無駄だよ。今のお前は、決して自力では元の場所に帰れない》

「やってみなきゃ分からないでしょ」

《元の場所に帰るなら、失ったものを見つけなければ》


 歩いても歩いても。やはり何も見えない。けれど私は歩く。半ば意地だった。


《失ったことに気付かない、故にお前は何一つ守れないし、何一つ救えない。全て壊れるまで、お前はこの世界に囚われる》

「壊せば帰れる訳?」

《帰るのではなく、放り出されるだけさ。何、そう長くはかからない、別にここでその時を待っていても構わない。せいぜい四日かそこらの話だ》

「よく分からないけど、それは嫌」

《ならば、探し出せ》

「何を」


《探し出して、取り戻せ。かつて失った、大切なものを》



◇◆◇◆◇



 ネット小説などの界隈では、「異世界トリップ」というジャンルがある。

 ごくごく平凡な若者が、ふとした拍子に現代社会とは異なる世界に迷い込む。そして、世界の平穏を守るために戦ったり、愛する誰かのために奮闘する、そういった物語。


 知ってるかと和真に問えば、ラノベには興味ないと返ってきた。


「あんた流行りの分析とかしないわけ?同じファンタジー物書きでしょ」

「なんでわざわざ自分から世界観の質を下げる勉強しなきゃいけねぇんだよ。嫌いなんだよあのキャピキャピする為だけに作られたテンプレートな世界観」

「ラノベ作家全員敵に回しそう。サークルのファンタジー物書きの大半も敵に回しそう」

「嫌いなもんは嫌い。で?何?俺達はこのまま世界でも救いに行くってか?」


 肺を満たす、濃厚な緑の香り。吹き抜ける風が、木の葉を揺さぶり鳴らしていく。木の洞から上体だけ外に出した状態で、私達は苦笑した。





 目を覚ますと、私達は大きな樹の洞の中で倒れていた。成人が二人横になれる程度の洞なのだから、それを囲う樹は恐ろしく大きい。洞から這い出て見上げると、天を覆い尽くさんばかりにその樹は枝を広げていた。

 ぐるりと辺りを見回し、軽口を叩いたのち、私達は樹の周りの探索を始めた。幸運なことに樹の傍にはお互いのリュックが転がっていたので、中身がちゃんとあることを確認し、それを背負う。


「ここ日本かなぁ。歩いて帰れる距離だといいんだけど」

「そうあって欲しいがな。……それにしては植生がおかしい」


 軽く頭を掻きながら、和真が大樹の幹に近寄る。そして軽く木肌をなぞると、そのへこみを指さした。


「ここ、新芽が出てる。普通新芽が出るのは春から初夏だろ。九月末とは思えない」

「ここだけ異常気象とか」

「その可能性もある。これ以上情報がないから、何とも言えないけどな」

「貴方達からすれば、ここは異世界という認識であっていますよ」


 ふわり、と柔らかな声が耳を打つ。

 反射的に振り返ると、いつの間に現れたのか、先程の少年がすぐ傍に立っていた。


「ここはリストール王国の南西部、かつてヴェジアと呼ばれる小さな王国のあった場所。貴方達を、いや貴方を呼ぶために、ここで友人の力を借りたのです」

「悪かったな、おまけがついてきて」


 和真は少しだけ顔を歪めて笑う。しかし、少年は大して気にも留めず、「客人が多いのは良いことですから」と返した。


「改めまして、僕はフィーア。しがない魔術師です。先程述べたとおり、貴方に頼みたいことがありまして、この世界に来ていただきました」

「頼みたいこと、ねぇ」


 口の端が僅かに引き攣る。少年の、柔らかな笑みに少しだけ挑戦的なものが混ざる。あぁとっても嫌な予感。


 こういう時の頼みごとなんて。



「ええ。貴方にこの世界を救ってほしいのです、ユキ」




大概、世界の存亡をかけたものと、相場が決まっているのだ。





◇◆◇◆◇




 立ち話もなんですから、というフィーア少年に連れられて歩くこと数分。私達は、入り組んだ森の木々に隠れた小屋に辿り着いた。

 小屋の中には暖炉が一つあり、フィーアは手慣れた動作で灰の中から種火を掘り起こし、夜間で湯を沸かして人数分の茶を用意した。すっきりとした香りのするハーブティーだった。


「フィーア、お前ここで一人で暮らしてるのか?」

「いいえ?ここは宿代わりに借りているだけで、いつもはあちこちを転々としています」

「……ごめん、他にも聞きたいことはいろいろあるんだけど、君何歳?」


 これに対しては、ふふふ、という意味深な笑みだけが返ってきた。四十八句、見た目と実年齢が釣り合っていないタイプだ。


「さて。……どう説明したものか」


 カップの半分ほどを飲み干し、ふぅ、とフィーアは息をつく。


「フィーア、まず貴方が何者かについて教えてほしいな。さっきからぼかしてばかりで、貴方のこと何もわからない」


 私の問いかけに、フィーアは再びカップを手に取って唇に押し付ける。その瞳は、少しだけ思案するように空を泳いだ。


「此度の僕は、『案内人(ガイド)』といったところでしょうか。それ以上の自己紹介に、意味はないのです。話せないし、話してもどうしようもない。お察しください」

「お察しください、って言われても、ねぇ」


 フィーアは小さく肩をすくめた。


「重要なのは、僕が誰なのかではなく、貴方――ユキさんが何を為さねばならないか、ただその一点のみなのです。この世界は今、消滅の危機に瀕している。そしてそれを解決できるのは貴方だけ。僕は貴方に、『神』と会っていただきたい」

「神っていうのは?」


 いつの間に取り出したのか、和真は質問を投げかけつつ、ノートの上にペンを走らせていた。


「この世界の中核、世界を見守る存在。遥か北の地にある、トエトと呼ばれる島に神の住まう座はあると言われています」

「その神がこの世界を消そうとでもしてるってこと?」

「よくお分かりで」


 適当な相槌をにっこりと肯定され、私は苦虫を噛み潰す。

 なんだか随分と、この少年に流されている気がする。いや、少年にというよりはこの状況に、だろうか。


 小さくため息をついてカップに口をつける。爽やかな味が口内に広がった。


「で、根本的な問題に戻ろう。世界を救うって話だが、こいつに具体的に何をさせるつもりだ?幼馴染の俺から言わせてもらうと、こいつは剣も使えなきゃ不思議な力もないぞ。神様が今時流行りのチート能力でもくれたんじゃなけりゃな」


 なんだ、和真もちゃんと流行りに詳しいじゃん、などなどと考えつつ、私も大きく首肯する。

 非常に残念なことに、私の運動能力は平均よりちょっと下、大学に上がってからは運動不足で更に悪化している。頭も大して良くないし、世界を救えそうな特技は生憎と持ち合わせていない。

 和真の問いに対し、フィーアはにっこりと即答した。


「世界変われば、理も変わるもの。貴方の世界では何の力もなかったとしても、この世界では唯一無二の力を持つのです。その意味は、いずれおのずと分かる時が来ると思います」

「唯一無二とは、また大きく出たな」

「世界を救う御方です、誇張ではありませんよ」


 そう言った彼の笑みは、随分と自信に満ちたものだった。




 フィーアは一度席を立ち、部屋の隅に遭った荷物から丸めた羊皮紙を取り出し、机の上に広げる。


「具体的な目的地としては、北の聖地トエトへと渡りたいと思っています。今いる場所はこの辺り」

羊皮紙の上に広がる大陸は、翼を広げ飛び立とうとする鳥を、横から見たような形をしていた。


 広げた翼と頭の間にあるくぼみの中に、その聖地はあるらしい。逆に現在地はといえば、翼の付け根からやや尻側に下ったところ。


 しかし何だろう。この地形に見覚えがある気がしたのだが、どうしても思い出せなかった。


「簡単に渡れる場所ではありませんが、これに関して詳しい人物が知り合いにいますので、まずは彼女と落ち合いましょう」

「待った、私達大学の授業に行かないと」


 異世界を救うために単位を落として留年、なんて笑い事にならない。


「大丈夫ですよ、この世界と貴方の世界の時間の流れは違いますから。一時の夢程度の時間しか過ぎないはずです」

「本当に都合のいい世界だな」


 どこか呆れたように、和真はぼやいてノートを閉じる。それに対して、フィーアは困ったように眉を下げた。

「今日はここに泊まって、明日の朝には出立します。二人とも、今日はゆっくり休んでください」

窓の外を見ると、差し込む日差しが赤く弱まっていた。橙色に染まるその美しい風景を。


 何故か、私は知っているような気が、した。

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