ターミナル・アイランド
巨大な青地のキャンパスがあって、上から一滴のインクを垂らしたみたいに、その島はありました。
その周りを大きな蛇たちがとぐろを巻くように、海の流れが複雑に絡み合っていて、そのせいか色んなものが世界の果てから運ばれてくる。薄く透けた酒瓶や、かたっぽうだけの長靴。大きな四角い箱に獣の骨。
「つまるところ、ゴミ箱なんだよ」
そう、歪な彼は教えてくれた。
ここはターミナル・アイランド。世界中の要らないものが流れ着く終着駅。大きくて薄汚い怪物と、顔を無くした少女。それから捨てられた沢山があるだけの世界。
※※※※※※
ざざざ、と細かい貝殻をすり合わせながら、静かに寄せる白波。それは薄く引き伸ばして広がる雲が映らないほど透き通って、波に転がる硝子の一粒までが目を凝らさずとも良く見えた。
緩やかにカーブを描く砂浜に、ぽつんと伸びる影法師がひとつ。
羽根のもつれた麦わら帽子の間から、ぼさぼさに乱れた白髪を覗かせて、野鳥を模した仮面。切れ端を縫い繋いだようなシャツの下から控えめに膨らんだ胸だけが、それは少女だと主張していた。
少女は、足元でぷかぷかと浮かぶ何かを手に取って、短い両手をめいいっぱいに伸ばす。それは、海の色が薄く染み付いた一升瓶。少女はその中身をじっと見詰めて、首をかしげた。
「ねぇ、ダスト。」
ひとりごちるように呟いた言葉は、さざ波に消えてしまうほどにちいさい。それでも親鳥には聞こえたようで、草をかき分け枝を踏み折る音のあとに、ソレは姿を現した。
艶めかしい光沢をもった濡れ羽色の身体。オトナのふたり分はある大きな身体に、歪に膨らんだ二の腕は、ササの葉ほどもある羽がびっしりと張り付いている。乾いてひび割れた3本の脚でしっかりと地面を踏みしめて、ソレは森と砂浜のちょうど分かれ目のところで腰掛けた。
「なにか面白いものを見つけたのかい、ティア。」
「ねぇダスト、船を拾ったわ。」
ダスト、と呼ばれた怪物は割れたザクロのように真っ赤で大きな瞳をぎょろりとさせて、「あぁ……」と低い声で呟いた。
「それはまた、面白いものを拾ったね。」
「船が閉じ込められてるの。ビンの入口よりずっと大きいのに、これじゃあ外には出れないわ。」
鉄砲魚が口を尖らせたように、にゅっとした形の一升瓶。その奥にある広い空間に、帆船はぷかぷかと浮いていた。それはどう見てもビンの口から入れるには大きすぎて。まるで最初からそこにあったのか、それとも洞窟の奥で生まれ育ったオタマジャクシが、岩の隙間から出れなくなってゲコゲコ鳴いてるようだ。
少女はビール瓶に指を入れてみたり、いろんな角度から眺めてみたり、軽く振ってみたりして、やっぱり首を傾げる。
「どうやって入れたんだろう。それとも船って鳥や魚みたいにどんどん大きくなっていくものなのかしら? きっと子供の頃に迷い込んで、出れなくなってしまったのね。」
「ティア、それはボトルシップって言うんだよ。」
ぼとるしっぷ? と傾げる少女に、怪物は黒々い身体を蠢かせながら答える。
「空き瓶の口から入るくらいの部品を用意して、中で船に組み立てるのさ。そうすれば、あたかも最初からそこにあったみたいに船が出来上がる。どうやって船を中にいれたのか、不思議で面白い置物なのさ。」
「ふぅん、そう……」
ざざ、と小さな波が少女の可愛らしいヒザを濡らす。空き瓶をそっと離すと、2回、3回……ぷかぷかと浮いた後に、水を沢山飲んで沈んでいった。空き瓶の底が砂を少しだけ巻き上げるのも、それが少女の足に積もるのもよく見える。
「どうしたんだい、ティア。なんだか実につまらなそうだ。」
「だってそれじゃあ、もう船は出せないわ。」
「いいじゃないか。ボトルシップは瓶の中に船が入っているから価値があるんだ。船を出しちゃったらただの空き瓶と帆船の模型だよ。」
「私は船で遊びたいの。」
拾ったビンから海水を吐き出してから、少女は怪物の元へそれを持っていく。もぞ、と黒い塊が蠢いて、割れたザクロの眼が少女を見下ろした。
「ダスト、ビンを壊して。」
「いいとも。だけど、それじゃあボトルシップじゃなくなっちゃうよ?」
「いいのよ。だってビンの中に入ったままじゃ遊べないもの。」
怪物は足元(それが足なのか、羽の中に埋もれて分からないけど)に置いてある空き瓶を眺めて、小さく身震いをする。
「勿体ないなぁ。」
「もったいなくなんかないわ。だって海に浮かべない船の方が、よっぽど勿体ないじゃない。」
「そういうものなのかい?」
「そういうものなのよ。」
怪物の爪がコン、とビンを叩き、卵が中から割るように亀裂が走っていく。やがて、ビンは静かに崩れていった。
怪物は黒々しい羽で硝子の破片を払い、そっと少女の方に押してやる。
「さぁ、遊びましょう。」
「何をして遊ぶんだい?」
「決まってるじゃない。海に浮かべてあげるのよ。きっと閉じ込められていた時よりずっと綺麗だわ。」
少女は小走りしながら浜辺に足跡を付けていき、その後をノソノソと黒い怪物が続く。水平線にはオレンジ色の半円がゆらゆらと浮かんでいて、辺りを夕焼けに照らしていた。
怪物は、醜いクチバシの端を少しだけ持ち上げて、呟く。
「そういうものなのかい?」
「そういうものなのよ。」
ここはターミナル・アイランド。世界中の要らないものが流れ着く終着駅。大きくて薄汚い怪物と、顔を無くした少女。それから捨てられた沢山があるだけの世界。