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8 飛行機の中へ

 縛り上げて袋に詰めた女を抱え、エヌエトは月形コマチをつれて地下室から出た。アパートの前には、地下室からゼロ課に依頼しておいた、イタリア産の名車が置いてあった。

「凄い!」

 日本で買えば数千万はする高級車を見て、月形コマチが声を裏返した。あちこちが痛むのか、体中をさすりながらついてきていた。

 エヌエトは狭い後部座席に、袋詰めの女を投げ入れた。くぐもった声が上がるが、猿ぐつわをかませてあるので、聞き取ることはできない。

 車に屋根はなかった。飛び乗るため、エヌエトは扉に足を乗せた。振り返る。

 落ち着かない感じでそわそわと身もだえする、月形コマチがいた。

「早くしろ」

 救出してから、月形コマチとはこれが最初の会話である。トイレを我慢してでもいるかのようにもじもじとしていた月形コマチは、エヌエトの顔色を伺うように伏せ目がちにエヌエトを見てきた。

「ここにいたら、迷惑だものね?」

 この女は何を言っているのだ。という表情を隠しもせず、エヌエトは声を荒げた。

「時間がない。早く乗れ」

「いいの?」

 どうして嬉しそうなのか、まったく理解できなかった。死ぬかもしれない。そのことを理解しているのだろうか。

エヌエトが月形コマチを連れて行くのは、情報の漏洩を最小限に抑えるために他ならない。ゼロ課と接触した一般人を放置しておけば、すぐに別の相手に誘拐されてもおかしくは無い。

 月形コマチは、どう扱ってもこの事件で死ぬ可能性が強い。だから、余計なことをしゃべらないうちに手元に置く。

 それがエヌエトの判断である。

 ゼロ課の身分証を車に備え付けのモニターにかざすと、自動でエンジンが作動した。重低音に、月形コマチはうっとりするかのように息を吐き出した。ゼロ課で用意する機械や乗り物は、数字つき捜査官はすべて同じ仕様で扱える。

「いくぞ」

 公道を走るために、ナンバープレートはきちんとつけている。しかし、性能はサーキット場と同様である。

 エヌエトが右足を踏み込み、応えるかのように車は急加速した。エヌエトの宣言にも関わらず、車の重力加速度に、月形コマチは短い悲鳴を発した。

「次こそ、私の実力を見せてあげるわ」

 加速度に潰されそうになりながら、石畳で速度を出しているため、舌を噛みそうになりながら、月形コマチは拳を作って見せた。

 エヌエトは反論しなかった。

 どこまでもおめでたい女だと思っても、表情には出さなかった。

 ――どうせ、すぐに死ぬんだ。

 備え付けのモニターは、テレビの情報番組を流していた。すでにハイジャック事件は公にされており、乗客と犯人が乗った飛行機には、全自動の給油機がアームを伸ばしているところだった。

「給油しているの? 飛ぶつもり?」

 モニターを覗き込んだコマチが、声をあげる。風を受け、声が流れるが、聞き取れないほどではない。

「時間がないようだな」

 給油機のアームが離れた。ほぼ同時に、エヌエトの操る車は飛行場の敷地に入った。

空港の警備員と現地の警察の耳目が、飛び込んできたスポーツカーに集まっていた。エヌエトは車を止めると帽子を目深に被りなおし、運転席のシートに身を沈めた。

 腕だけを伸ばし、身分証を提示する。

 所属名を告げると、車を囲む全員に緊張が走った。

 一〇分間、報道も撮影もしないように求めた。即答は無く、待つように言われた。

 車をその場に置いたまま、エヌエトは待った。隣で、月形コマチがものめずらしそうに周りを見ていた。

「何をしているんですか?」

「しばらく待て。責任者が出てくるだろう。余計な世話かもしれないが、自分の顔が有名になっていいことはないぞ。日本帝国化法人のただの事務員ならいざしらず、ゼロ課ではな」

 エヌエトは、空港に入ってから、視界すらなくなるほど深く帽子を被っていた。警察関係者すら信用していないのだ。月形コマチは驚いたように声を上げると、急いで隠れようとした。車高が極端に低いサーキット場仕様の車で、隠れる場所などほとんどなかったが。

 五分後、エヌエトを遠巻きにしていた人垣が割れた。その間、エヌエトは狭い視界からモニターを眺めていた。飛行機がゆっくりと動いている。ハイジャックされてから、初めて動いている。

つまり、離陸するため、滑走路を十分に使用できる位置に移動しようとしている。

 ――妙だな。どうして給油した? 燃料が足りない状態で、乗客を乗せていたとは思えないが……。

 左右に割れた人垣を分けて、小柄な男が近づいてきた。老齢に達しているが、動きには老いを感じさせなかった。

 男は車の横に立ち、手をさしのべてきた。

 エヌエトは動かず、ただ手の中に拳銃を生み出した。

 コマチと小柄な男は、どちらが近いだろうか。

 そんなことを考えていた。引き金を二度引けば二人とも死ぬ。

 コマチが死ぬのは仕方が無い。本人の責任だ。だが、エヌエトの手で殺したいと思っているほど、コマチに恨みは無い。

「どうしました?」

 動かないエヌエトに対して、小柄な男は朗読でもしているかのような滑らかな声で尋ねた。まだ手を差し出している。

「どこへ飛ぶつもりだ?」

 手を動かさず、エヌエトは尋ねた。

「それは、犯人しか知らないだろうね」

「給油をしたのは何故だ?」

「いい疑問だ。考えられるのは二つだろう。より遠くに飛ぶためか、火力を上げるためだ」

 小さな男は口の端に笑みを浮かべた。顔が違う。声も、目つきも違う。ただ、顔の筋肉の動かし方に、見覚えがあった。

 ――Fか。

 それは、ゼロ課の指揮をとる男だった。変装を得意とし、世界各国の諜報機関に席を置いている。置いているのは、席だけではなかったらしい。しかも、諜報機関だけでもなかったのだ。

「『より火力を上げる』か」

「どういう意味?」

 月形コマチが、隠れるのも忘れて顔を突き出した。

「始めから、乗客の助けるつもりなどないということだ」

「ただの可能性だよ」

 隣の座席でコマチが引きつった声を上げたが、エヌエトは取り合わなかった。Fのコードネームを持つ男を、じっとにらみつける。

「あんたが現場に出たのは、何年ぶりだ?」

 正体を見破られた。そのことを知っても、男は動揺もしなかった。はじめから、エヌエトを騙せるとは思ってなかったのかもしれない。

だが、直接現場に出てくる男ではない。よほどこの事件に関心があるはずだ。

「現場に立つつもりはない。ただの気まぐれだよ。信頼している」

 Fはずっと手を差し出した姿勢のままだった。エヌエトは、小さく舌打ちをしてその手を握った。

「俺たちの仕事を、全国中継させるつもりか?」

「まさか。すでに手配はした。三〇分はすべての報道がシャットアウトされる。通信もできない。飛行の管制塔からの通信も妨害電波で届かなくなるから、あの飛行機も飛ぶことができないだろう」

「本当? チャンスね」

 エヌエトが、握手をしていない手をコマチに向けた。手には銃がある。撃てば誰かが一人死ぬ。その銃が、コマチに向けられた。コマチは口を塞いでシートに沈み込んだ。

「冗談を言う趣味があるとは思わなかった。F、現場に出て浮かれているのか?」

 エヌエトがFの言うことを真に受けなかったことは今までなかった。だが、モニターではテレビ中継されている飛行場を移しているのだ。報道機関がシャットアウトされているはずがない。

Fは笑みを浮かべた。

「浮かれているのはお前だろう? 女連れか。パートナーを欲しがっているとは思わなかった」

「どうせ死ぬ。余計なことをしゃべらないよう、監視するために連れてきた。それだけだ」

 二人の手が離れた。

 モニターからの中継が途絶え、ただ砂嵐のような乱れた画面が表示されていた。

Fの言葉が真実だと証明された。

だが、飛行機が飛ばないという保証はない。管制塔からの指示がないと飛べないのは、空港のスケジュール管理の側面が大きい。

多少危険でも、慣れた操縦士なら管制塔の誘導がなくても飛ばせることはできるだろう。だからこそ、Fは自ら足を運び、エヌエトに託したのだ。

「頼んだぞ」

「やるべきことをやるだけだ」

「なら、安心だな。お嬢さん、伏せなさい」

 Fがコマチに声をかけた。前方の視界が開ける。エヌエトがアクセルを踏み込んだ。

 急発進、猛加速にあわせて、コマチの悲鳴が上がった。


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