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20 巻き添え

 東野コウジは地下駐車場に設けられた休憩室でくつろいでいた。地下駐車場といっても、並の地下ではない。外部に出入りする車両を管理するために、人目もつかないような地下数十メートルにあり、必要に応じてエレベーターで地上に出るのだ。


 ――久しぶりだな。


 頭上で立て続けに上がる爆発音を、懐かしく聞いた。結婚詐欺師として日本にいられなくなってから、毎日のように聞いた音だ。

 遠くの爆発は、心地よい振動を伴っていた。

 平和の国日本で、こんな爆発を聞けるとは思わなかった。


 ――ここは……日本だよな。


 突然思い出した。日本で、そんなに頻繁に爆発音が聞こえるはずがない。戦争地帯ではないのだ。

 体を起こした。

 爆発音はますます激しく、近くなってくる。


 ――事故か?


 休憩室から出て、一番近くにあった車の鍵を探す。

 幸いにも、すぐに場所が解った。

 東野コウジは戦場にいた経験もあった。危険に対しては敏感なつもりだった。

 鍵を開け、乗り込もうとした。

 天井が赤く染まった。


 ――間に合わないか?


 この場所が地下深くだということは理解していた。

 エレベーターが動くという保証はない。それほどの、大事故のように思われた。これだけ明確に破壊が起こっているのに、退避勧告すらないのは尋常ではない。もともと存在が隠されている機関だからという考えはなかった。そこまで、ゼロ課について深くは知らなかった。


 車に乗り込もうと、扉に手をかけた。黒い影が降り立った。爆発で吹き飛んだ天井の真下に立っていることがわかった。上の階から降りたのだろうか。

 尋常な事態ではない。尋常の場所でもない。ならば、尋常の相手ではない。

 懐の拳銃を引き出し、背後に隠しながら、東野コウジは近づいた。


「やあ、あんた、何が起きているのか知っているかい? ここは危ないのか?」


 近づくと、三人いることがわかった。東野コウジは一瞬気を許した。三人のうち二人は女であり、うちの一人はまだ年端もいかない少女だった。


「ああ。危ないというより、確実に死ぬだろうな。外に出る方法はあるか?」


 黒いコートの男が、二人を引き連れて歩いていた。初めて会った男だ。そのはずだった。


 ――知っている……。


 東野コウジは、男を知っている。

 見たことがある。

 あれは……。


 ――スコープ越しだ。


 東野コウジの脳裏に、闇夜に疾走する高級車が瞬いた。

 爆発と炎上、死に掛けた女を助けようとして、むなしく掠める手は、紛れもなく東野コウジ自身のものだ。

 東野コウジは声を出す前に動いていた。斜め前に、滑るように動いた影があった。女の一人だ。手に、先ほどは持っていなかった、薙刀が出現していた。

 視線が反射的に追った。

 銃口を向ける。


「待て」


 東野コウジの喉に、黒いコートの男が銃を突きつけていた。


 ――速い……。


 女の動きに目を奪われたこととは関係なく、男の動きは速かった。拳銃を抜く動作も確認できなかった。


「……殺せ」


 黒いコートの男が、抱えていた少女を下ろした。少女は左目の眼帯に手をかけてから、東野コウジが扉をあけた車に乗り込もうとした。


「結婚詐欺、テロリスト、戦争屋……それが経歴みたい。よくわからないけど」


 東野コウジは真っ青になった。心を、いや頭の中を読まれたのだ。


「どうして、そんな奴がここにいる? のっとりに来たのか?」

「ス……スカウトされたんだ」


「ゼロ課も落ちたものだ。コマチ、まだゼロ課で働きたいか?」

「冗談じゃありませんよ。あんなのがトップだったんですよ。人を……毒を検地するカナリアみたいに扱って……こんな組織なんてごめんこうむります。行きましょうよ」


 ――ゼロ課……特殊工作員か……。


「情報は?」


 男が車の中に乗り込んだ少女に視線を向けた。


「たいしたことは知らないよ。全部、解ったから」

「了解した」


 薙刀の女が唇を尖らせた。


「私、ほとんど活躍していないんですけど」

「いや、予想以上だ。それより、この車で逃げるぞ」


「地下でしょ? どうやって地上に逃げるの? 翼でも生えるの?」

「くだらないことを言っていないで、乗れ。コマチが頼りだ」


 女はとたんに顔を輝かせた。車に乗り込む。


「俺を……どうする?」


 取引できる材料がないことを東野コウジは知っていた。何より、この男は柿沼レンを死に追いやった。

 柿沼レンに拘るつもりはなかった。しばらく忘れていたのだ。結婚詐欺師である。一人の女をいつまでも覚えているつもりもない。

 ただ、思い出してしまった。


 黒いコートの男は、東野コウジを見もしなかった。

 男は表情を変えなかった。

 男は視線を動かしもしなかった。

 男は何も言わなかった。

 ただ、指を動かした。

 東野コウジは死んだ。


 ※


 エヌエトは死んだ男から鍵を奪い、車のエンジンを始動させた。

 助手席に扇エンドルフ、後部座席に月形コマチが乗っている。


「私が頼りって、どういう意味です?」


 背後から、月形コマチが顔を突き出してきた。


「どっちに行ったらいいかわかるか?」


 エヌエトはエンドルフに尋ねた。月形コマチも、自分への質問だとは思わなかったようだ。少女に目を向けた。


「そこの扉は、エレベーターに直結しているみたい」

「了解」


 通常カーナビがある場所に、複雑な操作画面が現れた。車を動かしながら、エヌエトは扉の開閉をコンピューターに命じた。ゼロ課のものであれば、扱い方はわかる。


「ねぇ、私が頼りって、どういう意味だったの?」

「黙っていろ。舌を噛むぞ」

「だって、どう頑張ればいいかわからないじゃない」


 扉が開いた。果たして、エレベーターはまともに動くだろうか。

 エヌエトは振り返った。月形コマチが、目を輝かせて見つめ返してきた。


「ゼロ課の総力を挙げた罠を生きて突破できる可能性は極めて少ない。これから、どんなに知恵を絞っても生き延びる方法を見つけられない状況が起こるだろう。その時に頼れるのは、運だけだ」

「……幸運の女神ってわけね?」


 ――実に、幸せな頭の中だな。


 エヌエトは表情だけで笑って見せた。


「期待しているぞ」

「生きて帰ることができたら、貸しにしておくわね」


 月形コマチが後部座席に収まった。

 明るく話してはいる。

 シートに収まり、前方を見つめる顔に、血の気は無く、目つきは凍りついたようだ。


「ああ。だから、祈っていてくれ」


 エヌエトがアクセルを踏み込む。地下基地の崩壊は、もはや誰の目にも明らかだった。






 日本帝国化法人は活動を停止し、世界各国の諜報機関から注目されていたゼロ課も閉鎖された。

 各国は秘密裏にゼロ課の持つ情報を求め、同時にゼロ課を復活させようとする動きもあった。


 だが、ゼロ課が当時の姿を取り戻すことはなかった。

 世界中で暗躍する組織は、さらに深く、闇にもぐった。


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