19 真相
エヌエトは、巨大なスクリーンがある部屋に居た。地上から降りてきたばかりである。地上より、数十メートル下った場所に、その部屋はあった。数十メートルの高さは、そのまま天井の高さでもある。
その高さを飛び降りたわけではない。地上で残った柱にテグスを巻き、体を吊って降りてきたのである。抱えていた月形コマチが目を回しているので、コマチの目には無防備に飛び降りたように見えたのかもしれない。
スクリーンの正面にある鋼鉄の執務机には、見たことのない小柄な男が腰掛けていた。机の上のパソコンに伸ばしかけた手を引っ込め、エヌエトに丸い目を向けた。男の目が普段から丸いのではなく、驚いて丸くなったようだ。
月形コマチの頬を軽く叩いて正気づかせてから床に立たせ、エヌエトは小さな男に向き合う。
顔に渋面をつくった時には、男の目はむしろ細く鋭かった。
「直接会うのは初めてだな」
「ああ。今度は本物のようだな、F」
Fと名乗る人物は複数いた。すべて偽物であることを、エヌエトは見抜いていた。エヌエトは本物のFの顔は知らなかった。それどころか、他のゼロ課の職員についても、一人も顔を知らないし、知ろうとも思わない。今まではそうしてきた。情報管理が徹底しているのだ。
「白を切り通せるとは思わないよ。それほど甘い訓練は受けていないだろう? やはり生きていたか。七号、停電と天井の爆発、やはりお前の仕業か?」
「認める必要もないだろう。聞くことがあるのは、俺のほうだ」
エヌエトは手を動かした。拳銃が出現した。銃口は、Fに向けられていた。
「聞きたいことがあるのはわかる。もっともなことだ。だが、私にそんなものを向けても、ただのはったりにしかならない。七号、お前には撃てない」
「試してみるか?」
銃をあげる。銃口の先に、Fがいた。そのまま引き金を引けば、Fは死ぬ。聞きたいことはあったが、殺してもかわまない。そう思っていた。
「辞めておけ。私が、こういう状況を想定していないはずがないだろう? 拳銃を撃って、弾が私まで届くと思うのか? もし、とどかない場合はどうなる? 私がそこの娘をあえて本課付けにしたのに、意味がないとでも思っているのか?」
「どういうことですか?」
背後のコマチが尋ねた。エヌエトがしゃべらないからだ。エヌエトは、言葉が出なかった。
月形コマチがFの近くにいるのは、Fがエヌエトの力を警戒してのことだ。エヌエトが拳銃を撃てば、誰かが必ず死ぬ。それが、エヌエトが持って産まれた祝福された力だ。エヌエト本人にとっては、呪いとしか思えない。
間違いなく弾丸を当てることができた場合には、標的が死ぬ。ただし、弾丸を当てることができない状況下でも、誰かが死ぬ。いままでの経験から、エヌエトのもっとも近い場所にいた人間が死ぬことは間違いない。
ゼロ課を束ねる立場の男が、突然の暗殺者に対して備えていないはずがない。至近距離から拳銃を撃ったとしても、見えない障壁や力場の影響で弾丸が当たらないことは十分にありうる。
その場合、死ぬのはエヌエトの背後にいる月形コマチだ。もう一度引き金を引けば、次にはFが死ぬ。エヌエトの力を防ぐ手段はない。もし、これが任務であれば、エヌエトは迷わず月形コマチを殺しただろう。いまは任務ではない。
Fの命を狙うのさえ、私怨にすぎない。その上、月形コマチを死なせることは、エヌエトにはできなかった。
エヌエトの手が下がる。銃口がどこを向いていても、引き金を引けば誰かが死ぬ。少なくとも、それはFではない。
「その娘を本部に招いたのは、七号の推測どおりだ。その後の行動は、私の予測を超えていたよ。だが、その娘を連れてきたのは間違いだったな。私にはとっては運が良かった。なぜ連れてきた?」
質問の答えは、Fには何ももたらさないはずだ。それなのに聞いたのは、単純な興味だろう。エヌエトは、ずっとパートナーを持たず、単独で任務に当たってきた。誰よりも多く仕事をこなし、誰よりも多く殺してきた。そのエヌエトが、たまたま出会った娘一人を殺せずに居ることが、おかしかったのだろう。
「……自分でもはっきりとはわからないが……俺が持っていないものを持っている。それが、羨ましかったのかもな……」
「ほう。で、それはなんだ?」
「運のよさ、だな」
エヌエトは体を半回転させた。突然の動きに、驚いた顔の月形コマチと目があった。エヌエトは押した。月形コマチの細い体を、思い切り突き飛ばした。
悲鳴と共に、壁のスクリーンに月形コマチが激突する。
反対方向に、エヌエトは跳んだ。床を蹴った。
体をひねりながら、拳銃を構える。狙う必要はない。近づき、引き金を引けばFは死亡する。
ただ、Fの位置を確認するためだけに、エヌエトは体をひねった。
Fは机を蹴り、さらに後ろに下がっていた。
背後の壁に当たる。
横に扉があった。
逃がしはしない。
そのつもりだった。
いま引き金を引けば、月形コマチを殺してしまうかもしれない。エヌエトは鋼鉄の執務机を越えようとした。
Fが背中をぶつけた壁の、横の扉が開いた。
「おじいちゃん、どうしたの? 大きな音がしたけど」
「こっちへおいで、エンドルフ」
隙間から顔を出したのは、片目を隠した小さな少女だった。
Fが少女に手を伸ばす。少女が祖父の膝に手を伸ばした。祖父はその手をとり、少女を回転させた。
エヌエトと少女が、正面から向き合う。
「扇エンドルフ」
少女の名前を呼んだが、少女は答えなかった。
「エンドルフ、パパとママを殺した人だよ。嫌なことを忘れさせてあげなさい」
いいながら、少女の背後から、Fが眼帯をむしりとった。
少女の顔に、醜い黒い穴が生まれる。
その中に、水晶のきらめきは出現しなかった。
エヌエトは膝をついた。
呆けたように上向き、目は焦点を失い、口が半ばまで開いた。
よだれが糸を引き、コートに垂れた。
ゆっくりと、確実に、エヌエトは倒れた。
「エヌエトさん! どうしたんですか?」
月形コマチが叫んでいる。
「よくやった」
満足げなFの声に、エヌエトも満足した。
足音が近づいてくる。一人だった。落ち着いていながら、どことなく焦燥を感じさせる足音だった。
硬いものが、エヌエトの肩に押し付けられた。エヌエトは、それが男の靴の先端だと推測した。
押し当てられ、上向かせられる。
同時にエヌエトは、体を床の上で反転させた。男の中途半端に浮かんだ足を掴み、引き寄せながら、手の中に出現させた拳銃を前に伸ばす。
Fの体が浮かび、驚いた表情とともに、尻が床に落ちた。
Fの喉に、エヌエトの銃口が突きつけられる。
エヌエトの銃でなくとも、この距離で撃たれれば死ぬ。Fは驚愕に目を見開き、エヌエトと、背後のエンドルフを振り返ろうとした。
「やっと、ゆっくり話せるな」
「お前……倒れたのは演技か?」
はっきりと慌てているのがわかるFの声を聞くのは初めてだった。実に気分がいい。
「もちろん。特殊工作員たるもの、必要な技術だ。そうだろう?」
ゼロ課を束ねる男に笑いかけた。Fは笑わなかった。当然だ。目の前に、死そのものが迫っている。
「エンドルフ……さっきは、どうしたんだ?」
小さな足音が迫る。Fは、この状況下にも関わらず、エヌエトの銃から視線を外して背後を振り返った。
小さなエンドルフが駆け寄ってくる。Fが手を伸ばした。助けを求めているというより、愛しい孫の姿を求めているように見えた。
エンドルフはFの差し出した手を迂回して、エヌエトに寄り添うように立った。
「エンドルフ……どうしたんだ?」
「この子が、どうして陸で保護されたのか、考えなかったのか? 俺が、どうやってゼロ課本部の場所を突き止めたと思うんだ? ゼロ課本部で、その場所がゼロ課だと知っている人間がFだけだというのに」
Fの視線がエヌエトに戻る。眉の間に皺が寄った。汗が浮かぶ。
「……しかし……身体検査はした……その子には、発信機もなにも……なかった。最新の設備を使用して調べたんだ。見落とすはずがない」
「そう思い込まされただけだ」
エヌエトは立ち上がり、Fの体を足で床に押し付けながら、少女の頭に手を置いた。少しだけ手を動かす。少女はくすぐったそうにエヌエトを見上げた。
「……エンドルフ」
意味もなく少女の名前を呼んだのは、単に絶望していたからに過ぎない。孫に裏切られたと同時に、切り札が無くなったのだ。
「この子は賢い。パパとママを俺が見殺しにしたのは、この子を助けるためだと理解してくれた。そうせざるを得ないようにした、すべての元凶があんただということも、理解してくれた。自分の肉親を、自分の手で殺したんだ。自分の子供だろうに。孫を手元に戻すために、そんなことをして、この子が喜ぶはずがないだろう」
「あいつは……私を裏切った。自分の子供でも、許せるはずがない。エンドルフ、やっぱり、あいつの子だ。お前も裏切るんだな」
「パパとママを返して」
まだ幼い少女に、老人の怨嗟は耐えられなかった。エンドルフは叫ぶように言うと、エヌエトのコートにしがみついて声を殺した。
「おじいちゃんがどれだけ可愛がっても、パパとママには勝てないということかもな」
「もういい。七号、〇号もお前達の裏切りはわかった」
Fの手に、突然球体が産まれた。Fが産まれ付き持った才能だと気付き、エヌエトは緊張した。Fの能力も才能も、誰も知らなかった。
「裏切ったのはFだろう。一方的に死を迫った相手に銃を向けて、恨まれるとは心外だな」
「お前達の手では、私は死なん」
Fは手に持った水晶球を床にたたきつけた。球が割れる。同時に、Fは血を吐いた。
「どうなっているんですか?」
月形コマチが背後にいた。エヌエトの近くでは邪魔なので遠ざけたというのに、実に学習能力がない女だと思いながら、すがりつくエンドルフを月形コマチに預けた。
「自殺だと思うがな」
倒れた姿勢のまま口から血をあふれさせるFの上に屈み、エヌエトは胸倉を掴みあげた。
「ここで自殺とは、どこまでも身勝手な男だな」
「もう遅い。この水晶は、私が産まれ持ったものだ。私は……この才能の意味を最後まで理解できずに……日夜勉強に明け暮れ……日本帝国化法人とゼロ課を作り上げた。この水晶でできることなどなかった。唯一、この水晶と連動した装置を開発させるのが関の山だ。いま、私の心臓には穴が開いている。もはや命は助からん。七号、お前のように、明確な才能に恵まれ、さらに贈り物まで受け取った人間を死地に向かわせるのは、実に愉快だった。私の孫が……私と同様の才能を手にして産まれたと知ったときは絶望したが……私は孫の才能を試してみたくなった。窮地に陥れば、能力が開花するかもしれない。そのために、テロリストを先導してハイジャックさせた。私自身には与えられなかった贈り物を、孫なら受け取っていると信じたかった。命が助からなければ意味はない。だから、七号に命じた。エンドルフ……お前のパパは私を裏切り、私はあいつを死なせた……だけど、信じてくれ。お前のことは……ずっと見守ってきた」
Fが話すたびに、口からは大量の血が流れ落ちた。祖父に語りかけられ、小さなエンドルフは顔を上げた。怯えたように、また月形コマチの体に顔を押し当てながらしがみついた。
「能力者を集めたあんたは、能力者を憎んでいた。それが、俺を殺そうとした理由か? ゼロ課にとって、俺が邪魔になったのか?」
血で真っ赤に汚れた口をFはゆがめた。笑ったのだと、エヌエトは理解した。吐き出している血の量からしても、死は免れないだろう。唯一大切にしてきた孫に裏切らせれ、命すら消えようとしている男には、もはや怖いものなどないのだろう。だが、笑う理由もないはずだ。
「要らなくなったのはお前じゃない……もはや日本にとって、ゼロ課の存在そのものが不要となった。ゼロ課の能力が落ちたからではない。ゼロ課が活躍しすぎたのだ。このままゼロ課を存続させるより、一旦廃止し、各国にゼロ課の必要性を認識させてから、より強力な機関として生れ変わらせる。その組織こそ、日本帝国化法人の最初の姿になるはずだ。ただし……お前も私も、その場にはいないだろう。七号、お前は優秀な工作員だった。お前をエンドルフの救出に向かわせたのは、お前の能力を評価してのことだ。だが、お前も死ぬように仕向けたのは……ゼロ課とは関係がない。お前が危険だったからだ。お前の能力を、私はずっと調べさせた。誰かが見張っていたわけではない。そんなことをしても、お前に逆に殺されるのがおちだと解りきっていた。報告書を……いままでに提出された膨大な報告書を分析し……結論に達した。七号、お前が引き金を引けば、最も近くにいる人間が死ぬ……距離には関係ない。最も近くにいる人間が地球の裏側にいれば、その人間が死ぬ。つまり……七号、エヌエト、お前は……指先を動かすだけで、全人類を殺すことが可能だ」
エヌエトの手が緩んだ。血で滑ったのではない。力が抜けた。Fの体が床に落ちる。大量の血を吐き出した。
月形コマチが小さく悲鳴を発したが、何を意味した悲鳴か、エヌエトには理解できなかった。それほど、動揺していた。
――俺が……全人類を殺せる?
考えなかったわけではない。自分の能力がどこまで及ぶのか、興味がなかったわけではない。だが、試すこともできない。試そうとすれば、どこかで誰かが死ぬのだ。
Fの目から、光が消えようとしていた。エヌエトはエンドルフを振り返った。わずかに視線を向けながらも、エンドルフは月形コマチから離れようとはしなかった。祖父のことを許せないという思いよりも、人の死を、まだ受けいけられないのだ。
エヌエトは少女の肩を抱いた。エンドルフが上向く。小さくうなずき返した。
音もなく、Fの口が開閉する。エヌエトはエンドルフと共にFの口元に耳を近づけた。
「……この施設は、私の死とともに崩壊を始める。地上まで五〇メートル……少なくとも、これで人類の脅威を二つまで退けられるなら、私の死も無駄ではない……」
人類の脅威とは、エヌエトの存在と、エンドルフに他ならない。自分を裏切った者を絶対に許さない。それは息子に対しても同じだった。いま、孫娘に向けられている。
エヌエトは少女の肩を抱き、祖父の死に立ち合せたことを後悔した。この男は、狂っている。銃口を向けた。
腕が重くなる。背後から、月形コマチが飛びついた。
「何をする?」
「撃っちゃ駄目です。もう、この人は死んでいます。いま撃ったら、この子を殺しちゃいます」
Fの目から、光が失われていた。エヌエトは手の中の拳銃を消滅させた。二度と撃つ気にはならないだろう。だが、四号を死なせたときにも、同じ誓いを立てていた。
爆発音が聞こえる。近そうだ。
「本当に施設の崩壊が始まったようだな。この爺さん、最後までとんでもない男だったな」
「逃げないと、危なくないですか?」
あちこちで上がりはじめた爆発音に、月形コマチは不安そうに首をめぐらせていた。エンドルフはただ、エヌエトのコートで涙をぬぐい続けている。
「危ないどころじゃないだろうな。この爺さんは、俺とこの子を確実に殺せる手段として、自殺したんだ。ゼロ課の罠を生き延びることができたら、世の中のすべてのことに希望が見いだせるだろう」
「哲学的なこと言っている場合じゃないでしょう。逃げないと」
「そうだな……どこにいけばいい? 本部職員」
「知りませんよ! 私が本部職員だって、いま知ったんですから。それに、このビルに地下があるなんて、思いもしなかったですよ」
「あっち」
ずっと顔を伏せていたエンドルフが、一方を指差した。顔はまだエヌエトのコートに押し付けている。
「どうして知っている?」
「おじいちゃんの思考……生きている間に探ったから。私……眼帯をしたままでも、手の中の水晶に、人の考えを写すことができるの」
エヌエトはうなずき、Fが握ったままだった眼帯を、Fの手から奪い取った。少女の左目にあてがう。嫌がるかと思ったが、少女は受け入れた。眼帯を取り、顔に黒い穴が開いた姿を、少女が恥じているのは明白だった。その顔を、祖父は喜んで晒したのだ。エヌエトは少女の頭部を再び撫でてから、エンドルフに聞いた。
「これからも、君には誰も強要はしない。どう生きるかは、自分で選びなさい」
「うん」
「エヌエトさん……早くぅ」
月形コマチは、少女の示した方向に走り出したくて待ちきれないようだ。
「先に行っていていいぞ」
エヌエトは、少女を抱き上げながら行った。
「本当に、先に行っちゃいますよ」
「どうして、先にいかれたら俺が困ると思うんだ?」
月形コマチは笑ってみせた。
「私がいないと寂しいくせに」
エヌエトの手に、拳銃が産まれた。コマチの顔が引きつる。
「さっ……先に行きます」
走りだした。
――あついが相手だと、こんなにも簡単に拳銃が出せるのか。二度と見たくないと思ったが……。
思いとは別に、エヌエトは声を張り上げた。
「待て!」
「どうしたんです? やっぱり寂しいんですか?」
月形コマチが止まる。
進もうとした先で、巨大な爆発が生じた。
コマチの滑らかな頬を、汗が伝い落ちた。
「爆発の兆候くらい、わからないか?」
「やっぱり……一緒に行きましょう」
少女を片腕に抱き、エヌエトは月形コマチを冷淡に見下ろした。
「……一緒に、行かせてください」
深々と腰を折った。
「最初から、そのつもりだ」
月形コマチの頭が上がる。顔には笑みがあった。その笑顔が、すぐに凍りつくことになることを、エヌエトは疑わず、事実その通りになった。




