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18 月形コマチの新しい仕事

 ハイジャック事件がまれに見る悲劇として終わり、唯一の生存者である月形コマチは、日本にいた。

 月形コマチの職場は、日本帝国化法人イタリア支部であり、救助されて病院で精密検査を受け、健康状態に異状がないことを確認すると、当然仕事に復帰するつもりだった。日本帝国化法人イタリア支部は、イタリアの日本大使館の内部にある。

 復帰初日に、月形コマチは航空機への無断侵入の罪で日本への強制送還を言い渡された。


 ゼロ課に協力したといういいわけが、既に通用しない状況だった。ゼロ課が月形コマチに便宜を図るつもりがあるなら、イタリア警察からの逮捕状つきの送還状など受け取るはずがないのだ。

勤務先が、法律上日本国内になる日本大使館内部であったこともあり、取調べを受けるだけで解放されたのは運がよかったかもしれない。ゼロ課からの働きかけがなくとも、イタリアの警察がゼロ課の影に怯えているのではとは、当然口には出さなかった。

 結果的に強制送還だけで許され、仕事も首にならずに済んだ。






 日本に戻り、自宅に戻ると、郵便ポストに辞令書が届いていた。時間と日時を指定する地図もついている。

 あまり表立って活動する組織でもないのはわかるが、あまりにもそっけない。慰労金ぐらい期待していたのだが、財政は苦しいのだろうか。

 翌日からさっそく、月形コマチは指定された場所に向かった。東京都の一画である。アミューズメント施設が立ち並ぶ場所で、事務所を構えるとすればかなりの高額な家賃を支払っているはずだ。

 こんな場所にオフィスを作る金があるなら、従業員の慰労に回したらどうだろうか。


 不満を覚えながら、月形コマチは指示された場所に行った。

 場所の指定は詳細だった。図面を見ると、巨大なビルの一部であり、その場所に行くと、受付用のデスクがあった。人影はない。

 仕事場である。月形コマチは愚痴を言う相手にも不足し、指示されたオフィスの受付に座った。

 受付嬢である。だと思われる。

 問題は、仕事に対する指示が何一つなかったことだ。


 ――私、何をすればいいんだろう。


 働く場所だけを指示され、ただ座っていた。受付嬢だと断定できたのは、目の前に出入り口と思われる自動ドアがあったからである。別に受付をしろとも言われていない。

 朝から出勤し、何もすることがなく座っていた。

 昼近くになるまで、誰も訪れない。

 昼近くに誰かが訪れてきたというわけではない。現在の時刻が昼近くだというだけで、いまだに誰も来る様子がない。

来客もない。確かにビルが建っている場所は、東京の一等地であり、ビルを出れば遊ぶ場所には事欠かない。ただし、すべての場所が遊び場というわけではない。


月形コマチが受付で座るビルには、一般の人はあまり近づかないように見えた。周囲のビルに比べると、小さく地味だった。

 それにしても、朝から誰にも出会っていない。

 新しい職場の初日である。


 ――本当に、お給料もらえるのかな?


 あるいは、場所を間違えたのではないだろうか。

 月形コマチは辞令どおりの場所に行き、置かれていた制服に着替えてデスクに座った。指定されたどおりの日時に出勤したはずだ。

 実に不思議な職場である。

 同僚も先輩もいない。

 朝出勤してから、誰の顔も見ていない。


 引き出しを開けてみた。あまりにも暇だったので、朝から何度も開けた引き出しである。

面白いものは入っていない。新しい発見でもあるのかもしれないと、入れられていた書類にもう一度目を通していく。

 書類は新しい日付のものが多かった。月形コマチのために用意されたものか、あるいは前の受付嬢が残していったものかどうかはわからない。

 中の一枚が目に留まった。


 警察機動部隊の訓練参加募集のチラシだった。

 日本帝国化法人は一般には知られていない存在である。ゼロ課にいたっては、伝説としてさえ一般の人間は知らないはずだ。月形コマチにしてからが、自分が就職した会社が日本帝国化法人だとは知らなかったのである。

世界中の支部があると聞き、ただで海外へいけるかもしれない、というのが就職したきっかけだった。ゼロ課を志望するようになったのは、それからずっと後のことである。


 したがって、日本の治安を保つのは警察組織であり、暴動や凶悪事件では機動隊と呼ばれる実力部隊が活躍する。

 月形コマチは、他の大多数の例に漏れず、産まれ持った才能を活かしたいと考えていた。だが、月形コマチは薙刀を持って産まれた。その才能を生かす仕事といえば、荒っぽい仕事しか思いつかなかった。ゼロ課というのは、その存在を知ったときには自分にぴったりだと思ったのだ。

 警察の機動部隊も、悪くないかもしれない。


 募集の期限は残念ながら過ぎていたが、応募人数が少なければ追加募集をするかもしれない。

受付のデスクにはコンピューターが備え付けてあったが、外部のインターネットには接続できない仕様だと説明書に書いてあった。

 コンピューターは当然出社と同時に起動していたが、ごく簡単な接客マニュアルが閲覧できるだけだった。これなら、紙を一枚置いておいたほうがましだ。


 仕方なく、月形コマチは機動隊の訓練参加募集チラシを自分のバックに入れた。帰ってから検索してみよう。直接問い合わせをしてもいいかもしれない。

 昼になった。お腹がすいた。

 誰にも会っていない。昼ごはんはどうしたらいいのだろうか。

 幸いにも、お弁当とお茶は持参している。

 受付で食べていても、どうせ誰も来ないだろう。

 月形コマチはお弁当を広げた。


 突然、頭上の電燈が消え、パソコンの画面が消えた。

 停電だろうか。

 幸いにも、というべきか、電気が止まっても当面月形コマチは困らない。夜ではないので暗くなるわけでもない。お弁当を食べている最中だったので、お箸を口にくわえながら、突然電気の落ちたパソコンの電源を何度か押してみた。


「珍しいなぁ。非常電源も供えていないのかな。このビル、古いから仕方ないか」


 別に困らないため、月形コマチはほぼ他人事だった。誰かが応えるとは考えていなかった。独り言だ。そのつもりだった。


「このビルのシステムは最新だ。電源が落ちるなどということはあり得ない。意図的に落とされたんだ」


 驚いた。

 飛び上がった。

 それほどに、驚いた。

 椅子に座っているのでなければ、腰を抜かしていたかもしれない。


「エヌエト……」


 口を塞がれた。目の前に、黒いコートの男がいた。相変わらず不景気な顔で、人を、死体を見るような目つきで見据えている。顔の形は整ってはいるが、いい人には決して見えない。夜道では会いたくない。そんな男だ。


「名前を言うな。コードネームもだ。誰かに聞かれたらどうする。せっかく電気を止めたのに、意味がなくなってしまうだろう」


 月形コマチがうなずくのを待ち、男が手をゆっくりと外した。


「『止めた』って?」


 他にも言いたいことも聞きたいことも山ほどあったが、とりあえず最も身近な問題を質問した。

 比較的月形コマチの声が大きかったためか、若干慌てたように再び口に蓋をされる。エヌエトの慌てる姿を見られるなら、人前で大騒ぎしたい気分だった。もっとも、実行すれば今度は口をふさがれるだけでは済まない可能性が高い。


「言っただろう。このビルの電気が止まることは、システム上あり得ない。誰かが意図的に細工をしたのでなければ、停電が長時間続くことなど、起こるはずがない」


 再び、エヌエトがゆっくりと月形コマチの口を解放した。今度はおとなしく声を発する。もう一度同じことを繰り返せば、反射的に、もののはずみで殺されてしまうかもしれないのだ。

目の前の男には、その力がある。


「その『誰か』っていうのが、あなたなの?」

「物分りがよくなったな」


 エヌエトがにたりと笑った。好きになれない笑いかただった。決してほめてはいない。いや、間違いなく見下している。


「いままで、どこにいたのよ。心配なんか……していないけど……連絡……するような関係じゃないわね」

「もちろんだ。いまも、コマチに会いにきたわけではない。どうしてここにいるんだ? イタリアを追い出されたか?」


 エヌエトは受付カウンターの中に入ってきた。受け付け用の仕切りを飛び越え、狭い空間に体を押し込めた。外から見られないためだと解ってはいたが、窮屈である。


「私みたいな可愛い子を、イタリアが追い出すわけがないでしょう。日本に引っ張られたんですよ」

「どっちでも同じことだと思うが」


 実際には強制送還されたのだから、『追い出された』というほうが正しい。だが、素直に認める必要もない。


「それより、いままでどうしていたんですか? 何をしにこの汚いビルに来たんですか? 誰か殺すんですか?」

「その羅列された質問に答える前に、まだ、俺の質問には答えていないぞ。どうしてここにいる?」


 確かに、答えていなかった。

 コマチは軽く肩をすくめた。イタリアで覚えた仕草である。似合っていると誰かが言ってくれるのを待っていたが、とりあえず現実にはなっていない。


「働いているんですよ。受付嬢ってやつですね。可愛いから……だと思いますけど」

「イタリアでは、そんなに自分の可愛さを主張するような娘だとは思わなかったが」


 言われればその通りだが、そんな無駄口を叩くことができるような状況ではなかったことのほうが大きい。


「いいじゃないですか。あれだけ怖い思いをして、誰もほめてくれないなら、自分で自分をほめたって罰は当たらないと思いますよ。あなたこそ、イタリアで会ったときは、こんなにしゃべらなかったですよね」


 狭いカウンターの中に身を沈めたまま、エヌエトはもぞもぞと動いていた。まさか、セクハラされるのではないかと緊張したが、エヌエトはコートの随所から機械を取り出し、じっと見つめていた。


「あれだけ何度も死にそうになっていたのに、怪我もしないで生還したんだ。コマチのことは認めている。少なくとも、運の強さはたいしたものだと思う」


 今度はほめている。ほめ方が素直とはいえないが、こういう男なのだ。コマチは屈んだエヌエトの肩を叩いた。親しくなったつもりでいた。つい、気安く叩いた。

 うずくまった姿勢のエヌエトから、拳銃が突きつけられた。エヌエトの、他のすべての姿勢は変わらず、ただ手に拳銃を握っていた。

 月形コマチは言葉を失った。エヌエトの体の中で、唯一動いていたのは眼球だった。コマチの姿を確認し、拳銃を消した。


「済まないな。驚いたんだ」


 イタリアで会ったときには、コマチに対して詫びることなど想像もできなかった。進歩には違いない。もっとも、今後も付き合いがあるとはとても思えないが。

「私がここに居るのが仕事だっていうのは本当です。辞令を受けました。イタリアから戻って、辞令書が自宅に郵送されてきたんです。ここの場所の地図と時間の指定があって……でも、ここにきても誰にも会わないし、受付に座っていても誰も来ないし……こんなことってありますか? まるで、シャーロックホームズシリーズの赤髪商会みたいじゃないですか」


「『赤髪商会』は知らないが、月形コマチがここにいる理由なら推測できる」


 コマチは口を曲げた。『赤髪商会』はコナン・ドイルが描いた名探偵ホームズシリーズの中でも、傑作の呼び声が高い作品なのだ。現役の特殊工作員が、呼んでいないとはどういうことだろう。


「どうしてですか?」


 若干不機嫌になりながら質問した。


「Fの指示だろう。俺が本当に死んでいるのかどうか、疑っているのさ。このビルの人間を、すべて殺すことができないようにな」


 エヌエトが言っていることの大部分が理解できなかった。何を言っているのだろう。


「……どうして、このビルの人間を殺すんですか?」


 質問を搾り出した。疑問が多くて、何を尋ねていいのかわからなかった。


「俺を殺そうとしたからな」


 エヌエトは手元の機械から顔を上げた。手のひらに収まる小さな機械だが、精密機械に違いない。

携帯電話をかねたコンピューターによく似ていた。ただのモバイルではないだろう。ゼロ課の特殊工作員が使用しているものだ。


「どうするの?」


 何をするために、いまここにいるのだろうか。


「電気が復帰するまで、二五秒だ。その間に侵入する」

「侵入して、どうするんですか?」


 質問のし過ぎでないかと思ったが、エヌエトは気分を害した様子でもなく返答を返してきた。

ただし、月形コマチを見ることはなかった。作業を続けながら、口を動かしている。何をしているのかはわからなかったが、集中力を要する作業ではないのだろう。


「始末をつける」


 月形コマチが約半日、背負って座っていた(仕事をしていたとは、さすがに言えなかった)壁に、粘土のような物質を貼り付けると、エヌエトは受付のカウンターから外に出た。


「どうしたんですか?」

「そこに居ると、死ぬぞ」


 月形コマチは迷わず飛び出した。海外生活をしていたおかげか、危機に対して即座に逃げることは身についていた。イタリアの治安はそれほど悪くはなかったが、マフィアの本場である。

 逃げるのを待たずに、エヌエトが手を振るった。小さな爆発が起きる。


「何をするんですか! 私の仕事場に!」


 少しぐらい大きな声を出しても、もう構わないだろう。なにしろ、小爆発が起きたばかりなのだ。


「忠告はしただろう」


 爆発の勢いで、月形コマチは床に転がっていた。今日支給された(デスクに置いてあった)ばかりの制服はほこりにまみれ、髪もごわごわする。


「『忠告』? いつ?」


 エヌエトは、答える前に半壊した受付デスクを飛び越え、壁に顔を近づけた。小さな穴が開いていた。その中に指を入れる。

 手を引っ込めると、再びデスクを飛び越えて月形コマチの前に立った。


「また爆発させるの?」

「よくわかったな。成長したな」


 皮肉を言ってやろうと、月形コマチは口を開こうとした。その肩が抱かれた。強引に引き寄せると、エヌエトは床を蹴った。床に伏せる。

 先ほどとは比較にならない轟音と共に周囲の景色が一変した。

 月形コマチは、半日で新しい仕事場を失った。文字通り、影も形もなかった。


「なっ……なんてこと……私の、お給料が……」

「まだ貰っていないだろう」

「一生もらえなくなったらどうするんですか?」


 コマチは咳き込みながら顔を上げた。仕事場である受付カウンターはビルの一階である。綺麗に壁は無くなったが、吹き飛んだのは一部だけだったのか、ビルが倒れる様子はない。


「俺は行く。コマチはどうする? ここで、誰かが来るのを待つか?」

「……待っていると、誰が来るんですか?」


 この職場自体には愛着はない。今日から働き出したばかりだし、そもそも、あまりにも怪しい。まともな仕事場とはいえない。爆発が起きたとなれば大事故だが、通常の対応を期待できるとは思えなかった。


「運がよければ消防署、悪ければゼロ課の始末屋だな」

「なんですか? 『始末屋』って?」

「掃除屋とも呼ばれる。すべてを隠滅するのが仕事だ。ここで起こったこと、ここの施設の内容、働いていた人間、すべてをな。俺も似たようなものだが、特殊工作員と違って、もう少し荒っぽい奴らだ」


 穏当に、ということを期待するだけ無駄なようだ。


「行きますよ。同じ殺し屋なら、まだ知っている人のほうがましですから」


 体のほこりを払い、コマチも立ち上がる。


「一緒にするな。俺は好きで殺しているわけではない」


 エヌエトは爆心地に向かった。コマチも少し遅れてついて行った。


「私の質問に、まだ答えていませんよ」

「どの質問かわからないな」


 コマチが腰掛けていた場所のすぐ横に、黒い穴が顔を開けていた。もっとも、どこに座っていたか、正確には覚えていない。跡形もないほど、派手に吹き飛んでいたのだ。

 エヌエトは床に開いた穴を覗き込んだ。


「もうすぐ、電気が復活するんですよね」

「それが、質問でいいのか?」

「えっ? 違います。質問はいっぱいあります」

「疑問に思っていることの大半は、来れば解る。電気が復活するのに必要な時間なら、三秒だ」


 エヌエトがコマチの腕を掴んだ。

 姿勢が崩れる。引っ張られたのだ。エヌエトが跳んだ。床の穴に飛び込んだのだ。

 ここはビルの一階だ。エレベーターに地階の表示はなかった。飛び込む場所があったとしても、それほどの高さがあるはずがない。

 月形コマチは信じた。エヌエトに引かれるままに飛んだ。

 信念は、一瞬で崩壊した。

 二人が飛び降り、真下に落下する。

 頭上で電気がはじける渇いた音が聞こえた。

 電気が復帰し、放電現象でも起きたのだろう。きわめて高い電圧を使用している時だけに起きる現象だ。

 明かりが点った。






 秘密基地、月形コマチは地下に作られた要塞の真ん中にいた。


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