17 政府の犬
Fのコードネームで呼ばれるゼロ課の責任者は、日本で報告を行った。
「ゼロ課が出動してこの有様か。責任は免れんだろう」
報告を受けたのも、責任者である。ゼロ課ではない。日本では、総理大臣と呼ばれている。
「最悪の事態、ですからね」
「人ごとのようだな。しかも、唯一の生存者が、日本帝国化法人の社員というのもまずい。乗客リストにも乗っていない。どういうことだね?」
日本における最高権力者は、報告書を床に投げた。Fは拾わなかった。
「存じません。責任はゼロ課が負います」
「……閉鎖するつもりか?」
「それが、責任の取り方として妥当でしたら」
日本を背負う男は、自らの巨大な執務机に置いた葉巻入れに手を伸ばした。Fのほうに押しやる。Fはかぶりを振って辞退した。
「ゼロ課の封鎖か……公の組織ではないが、国際的にはそう見られていないのは、君も知っての通りだ。現在、日本に対しての敵対的活動が収まっているのも、ゼロ課の存在が大きい。いま、ゼロ課を封鎖すれば、国益を損なうことになる」
「そうでしょうか?」
「どういう意味だ?」
総理大臣の見解は、日本の見解である。反論することは、きわめて厳重な覚悟が必要だ。先を促され、Fは神妙に、なんども反復してきた持論を展開した。
「ゼロ課はもはや、国際的な諜報機関です。各国も注目してきました。アメリカ、イスラエル、ロシア、中国といった大国が、ゼロ課の活動を支援してきました。ここでゼロ課を閉鎖すれば、各国の諜報間にとって、押さえがきかなくなります。強国と弱国がはっきり浮き出され、再びわが国に注目が集まるでしょう。そのような立場に、ゼロ課を育て上げてきました」
「その立場を利用して、日本を強国に押し上げようというつもりか?」
「その後のことは、総理のご判断かと。ただ、ゼロ課については、必要ならばいつでも始動できるよう、準備を整えておきます。生れ変わり、より強靭な組織にするために、準備を進めてきました」
総理大臣は、自ら葉巻をとった。非公式の面談である。時間はあまりない。Fに多くの時間を与えるほど、総理大臣に暇はない。
「気になるな。君はいつから、そう考えていた? まさか、ハイジャック事件を起こしたのは、君の指示ではないだろうな」
「まさか。状況を利用しただけです。ただし、ゼロ課については、どうすべきかずっと考えていました。ゼロ課はあくまでも、日本帝国化法人内の一組織にすぎません。どれだけ活動しようと、その目的は日本の帝国化にあります。日本を強国とするための捨石になるなら、ゼロ課の工作員は喜んで身を投げ出すでしょう」
「……いいだろう。ゼロ課は閉鎖する。予算については一考しよう。もちろん、今後の成り行き次第だ。君が言ったとおりになるよう、励みたまえ」
「ありがとうございます」
Fは深々と腰を折り、首相官邸の裏口から静かに退出した。
黒塗りの高級車に乗り込み、Fは後部座席に備え付けられたコンピューターを起動させた。
ゼロ課が連携をとっている各国の諜報機関は実に三〇を超える。配下にしている武装組織は五〇だが、今回の事件でさらに二〇の組織が加わった。
「本当に、俺がこんなところにいていいんですか? 日本でも指名手配されているんですよ」
車のハンドルを握り、結婚詐欺師からテロリストへ転進した東野コウジが、バックミラーを調節しながら訪ねた。
「君のおかげで、いままで連絡のとりようがなかった複数の組織が我が傘下に入ったのだ。心配には及ばない。むしろ、私の側にいるのは、監視されていると思ってくれてもいい」
「なるほどね……テロリストを傘下につけて、戦争でも始めるつもりですか?」
車のエンジンがかかる。静かに移動を始めた。
「必要に応じてだな。もちろん、我々が裏で糸を引いていることは絶対の秘密だが……それが日本の立場を強化することにつながるなら、一斉に武装蜂起させることもありうるだろう」
「すべては日本のためですか?」
首相官邸から離れ、車は丸の内のオフィスビル街を目指した。ゼロ課は国の組織ではない。それを強調するためか、政府の機能が集中する永田町に本部は置かれていない。ただし、どこにあるのかは一切公開されていない。
内部で働いている者の多くが、自分がゼロ課の所属であることを知らずにいる。
「もちろんだ。どうしてそんなことを聞く?」
「欲のない人間ほど、度し難いって聞きますよ」
「欲ならある。強い日本を見ることだ。君も長生きしたければ、その軽い口を少しは閉ざしておくんだな」
運転席の肩が上下した。女を殺され、Fに対して恨みを持っていたはずだが、もともと情の深い男ではない。金と身分を保証し、組織を援助するという申し出を、二つ返事で受諾した。
邪魔なら処分すればいい。ゼロ課の工作員のうちでも、数字つきと呼ばれる最前線の者達は数少ないが、Fが命じれば理由を聞かずに人を殺すような者たちばかりだ。ゼロ課が閉鎖されたとしても、実際の機能は保持できるだろう。そのための措置をしてきている。
最も成果を挙げた工作員を、Fは切り捨てた。
――あの男の能力は、危険すぎる。
実際に対面したことは一度しかない。姿を見たことも、数回だけだ。七号のコードネームを持つ男のことを思い出しながら、Fはパソコンの画面から本部を呼び出した。特殊回線である。機密の保持には、厳重な体制が整えられている。
報告書が並んでいる。タイトルを眺め、Fの目が留まった。
『〇号保護』
――生きていたか。
Fは、無意識に首から提げたロケットを握り締めていた。
その中には、小さな写真が入っていた。
親に反発して家出をした娘が、ろくでなしと結婚して産んだ、Fに残されたただ一人の肉親だ。間違いなく特殊な才能を持って産まれてきたと知ったときから、Fはゼロ課に配属させると決めていた。そのときから、コードネームは無限の可能性を持つように、〇号と決めていた。自分のコードネームも、孫娘からとったものだ。
パソコンに送られたファイルを開くと、数年に一度、ほんの短い時間だけしか面会することもできなかった孫娘が、Fの記憶より少しだけ成長している写真が入っていた。
「本部へ行け。できるだけ早く」
――さすがに、最後の任務は成功させたか。
Fは七号を思い浮かべた。七号のことを考えるとき、いつも思い出すのは不景気な男の顔ではなく、数え切れないほどの死体を量産した血なまぐさい報告書だった。
※
扇エンドルフは日本にいた。成田空港に降りたときから、異国を共に旅した黒いコートの男は姿を消した。代わりに、スーツ姿の男に声をかけられた。
眼帯を外し、男の思考を読み、味方であることを確信し、従った。
眼帯を外したエンドルフを見た者は、一様に驚いた顔をしたが、もはや気にならなかった。何を思ったのか覗くことは簡単だったし、その気になればその不快な感情を、記憶ごと消す力をエンドルフは持っていた。
エンドルフを案内している男は無口だった。しゃべる内容を持ち合わせていないというより、余計な情報を与えないように訓練していることがわかった。
男は、エンドルフを〇号と呼んだ。
途中で、車は路側帯に止まった。
声をかける前に、男は振り向いた。
「〇号、発信機の反応があります。心当たりはありますか?」
車に発信機を探す装置でも装備しているのだろう。エンドルフは眼帯をとった。黒い、何もない空洞を、人差し指で指して見せた。
「ええ。ある人から埋め込まれたの。この中に」
「ちょっと、いいですか?」
「もちろん」
男はエンドルフの左目を覗き込んだ。
いくつかの思考を削除し、新しい情報を書き加えた。
「装置のミスのようですね。失礼しました」
「いいえ。いいのよ」
眼帯を戻す。
小さな少女を乗せた車は、東京都内のゼロ課本部へ乗り入れた。




