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16 数えきれない犠牲の果てに

 月形コマチは、一斉に向けられる乗客たちの瞳に、希望と絶望の両方を見ていた。前部にいた大勢の客が腰を上げた。

 エヌエトの邪魔をしてはいけない。月形コマチはエヌエトの前に進み出た。

 前に出たコマチが視線を受ける。乗客の目が、一斉に絶望へと変わるのがわかった。エヌエトが耳元で囁いた。


「いいぞ。もっと泣け」

「そんな……私、女優じゃないのよ」

「説明するより、ずっと説得力がある。ここは任せる。一分以内に倉庫に。そうでなければ死ぬぞ」


 エヌエトは床を蹴り、軽々と客室を渡りだした。

 月形コマチはとめどなく涙を流し、床に崩れ落ちた。顔を手で覆った。

 実際に悲しくなってきたのだ。


 すべてがゼロ課の手の中で起こっているとしたら、エヌエトがどう頑張っても、生き残ることができるのは一人だけという可能性が高い。その一人は、月形コマチではない。

 何より、ここにいる乗客の全員を、助ける手段は存在しない。

 声を殺して泣く月形コマチに、話しかける客はいなかった。立ち上がる。暗い顔をして、乗客は自分の席に戻った。


「あんたは、どうするんだい?」


 年老いた男が尋ねた。月形コマチが、ハイジャック犯に立ち向かうために乗り込んだことは既に知られているのだ。それだけでも、嬉しかった。

 言葉を返せず、コマチは首を左右に振った。


 乗客が暗い顔で押し黙る。顔を上げると、通路の先でエヌエトが親指を立てているのが、このときは腹立たしかった。演技でやったわけでも、演出を狙ったわけでもないのだ。

 エヌエトは後部から三列目の客席脇にいた。コマチが通路をまっすぐに進んでいく先で、エヌエトが手をさしのべたのが、さっきも倉庫で会った少女だ。眼帯で左目を隠している。何がそんなに特別なのだろう。乗客のすべてと、エヌエトまでも切り捨てて、どうしてあの少女だけを生かそうとするのだろう。

 差し出されたエヌエトの手を、少女が振り払うのが見えた。左右で両親が慌てている。


 エヌエトは有無を言わさず、少女を抱き上げた。少女が騒ぐ。エヌエトは、まるで人さらいのように少女を抱き上げた。止めようとした両親も、引きずっていく。さらに止めようとした乗客を、殴って沈黙させた。


「酷い男ね」


 乗客の中の誰かが言った。


「まったくですよ」


 コマチは同意しながら、エヌエトを追って倉庫に入った。




 客室への扉を後ろ手に閉める。

 エヌエトに向かって少女が声を張り上げていた。両親は黙ってエヌエトの説明を聞いていた。

 パラシュートを背負っている。


「あの人たちはどうなるの? 私達だけ逃げるなんてこと、できるはずが無いわ」


 小さな少女は、エンドルフと名乗ったのを思い出した。月形コマチは、他人を思いやる少女の優しさに感激した。もちろん、そんな余裕はない。


 エヌエトは、さっきまで少女に見せていた優しい態度が嘘のように、事務的に振舞っていた。


「全員死ぬ。爆弾の解除を試みたが、不可能だった。三分後、この飛行機は爆発する」


 言いながら、エヌエトは少女の両親にパラシュートの使い方を教えていた。パラシュートは背負い式で、それぞれにナンバーが振られていた。父親は四番、母親が五番を背負っていた。


「ゼロ課でしょ……なんとかできないの?」

「最善を尽くした。現在も尽くしている」


 少女はなおも追いすがった。エヌエトは非常口の扉に手をかけた。扉を開ければ、両親は空へ飛び出すだろう。月形コマチは、エヌエトとゼロ課の通信を聞いていた。


 ――この事件で……助かるのは一人だけ……。


「エヌエトさん、どうする気なの?」


 月形コマチの問いに、エヌエトは凄まじい速度で首をめぐらせた。手の中に、拳銃が出現している。エヌエトの形相は、まるで死にかられているかのようだった。


「黙れ! 何も考えるな!」


 エヌエトの足元で、扇エンドルフが眼帯を外した。左目があるべき場所に、透明の水晶が出現し、月形コマチを見つめた。


「パパ! ママ! 駄目! 死んじゃう! 逃げて!」


 エンドルフが叫んだ。月形コマチは、自分の思考を読まれたのだとはわからなかった。少女は突然、事実を知ったのだと思った。

 エヌエトは隠していた。五人なら助かるとでも言ったのだろう。両親が恐怖にこわばった顔を見せたとき、二人の背を強引に非常口に押しやり、扉を開けた。


 気圧が変化し、倉庫内に激しい風が発生する。気圧の低い外に引きずり出される。

 少女が飛び出そうとした。両親を求めて飛び出したのだ。エヌエトが強引に押した。薄暗い空に、パラシュートを背負った二つの影が飛び出した。

 月形コマチが少女を抱きとめた。何も身に着けず、外に飛び出そうとしていた。

 非常口が閉まる。


「人殺し! パパとママを、殺したのね!」

「無駄死ににはさせない」


 エヌエトは、非常口の窓に張り付いていた。外に出た二人の様子を観察しているのだろう。


「返して! パパとママを返して!」

「黙らせろ。客席に聞かれる」


 冷たく言い放つエヌエトは、コマチも初めて見る姿だった。月形コマチは、言われるまま少女の口を塞ぐ。少女は正しい。怒るのも、泣くのも当然だ。だが、エヌエトも間違ってはいない。月形コマチは、乗客を助けたかった。だが、自分もできるなら、助かりたかった。

 少女の口を塞いだコマチの手に、少女が強く噛み付いた。痛かった。だが、我慢した。


「駄目よ……言うことをきいて」


 抱きしめた。小さな少女だった。コマチは少女の力も、ゼロ課にスカウトされている特殊な能力の持ち主だという事実も知らなかった。

 ただ抱きしめ、エヌエトの反応を待った。


「エヌエトさん、時間がないわ」

「ああ。わかっている。残り二分、そろそろ限界だな」

「どうするの?」


 エヌエトが振り向いた。険しい表情は変わらない。表情に乏しい男だと思っていた。できれば、ずっと乏しいままでいて欲しかった。


「パラシュートが作動しない。他の二つを直している時間はない。幸いなことに、下は海だ。多少の衝撃でも、死なずに済むだろう」

「どうするんです?」

「1番だけはまともに作動する。三人で降りるしかないだろう」


 一枚のパラシュートで、果たして三人が無事に降りられるだろうか。月形コマチにはわからなかった。だが、それ以上の考えもない。

 パラシュートに向かおうとしたエヌエトの足がとまった。非常口に背を向けたのと同時だった。少女に目が向いていた。


 拳銃を握っていた。

 エヌエトの持つ拳銃の本当の恐ろしさを、月形コマチは知らない。だが、拳銃は人を殺す道具である。子供にむけるようなものではない。

 少女を抱いていた腕を放し、月形コマチは少女の前に飛び出した。


「何をする気ですか!」

「俺の思考を消せば、誰も助からないぞ」

「何のことですか?」


 エヌエトは引き金を引くことなく、拳銃を収めた。腕時計に目を落とす。


「時間がない。急ぐぞ」

「お姉さん、気をつけて。あいつ、殺人鬼だよ」


 コマチの背に向かい、エンドルフが話しかけた。コマチは振り向く。少女は泣いていた。震えている。まるで、さっきまでの自分を見るようだった。


「……うん。わかっている。ずっと、わかっているんだけどね」

「もし、生きていられたら、あいつ、殺していい?」


 少女の放つ言葉ではない。だが、言ったのは少女だ。月形コマチは首を振った。


「殺してもいい奴かもしれないけど、あなたが殺しちゃ駄目よ。人殺しになんかなっちゃ駄目だよ」


 少女は納得しかねるように、月形コマチの背後をにらみつけた。その方向には、エヌエトがいるはずだ。


「行くぞ」


 肩を叩かれた。エヌエトがパラシュートを背負っていた。1番の番号が印字されている。手に、他の二つのパラシュートを持っていた。


「一つのパラシュートで、三人降りられるんでしょうか」

「おそらく、二人でも無理だろう。あの男は、この事件で生き残るのは、一人だけだと言った。このパラシュートは標準より小さいだろう。一人分の体重しか支えることができないように計算されていると考えていい。だから、あらかじめ俺に教えたんだ。俺なら、任務を果たすために、このパラシュートをエンドルフに背負わせる。そう判断したんだ。それは間違いじゃない。だが、いまである必要は無い」

「……いつですか?」


 エヌエトの意味することがわからなかった。変なことを聞いたとは思ったが、他の言葉を思いつかなかった。


「爆発までの時間は、飛行機から離れるための時間だ。下までは、まだ時間がある」


 コマチには理解できなかったが、エンドルフは理解したようだ。きつい視線でエヌエトをにらみつけていた。眼帯をしている。撃ち殺されないためだろう。


「なら……パパとママも、助けられたんじゃないの?」

「二人のおかげで、故障箇所が特定できた。無駄死ににはしないと言っただろう。扇エンドルフ……エンドルフ? その名前、誰がつけた?」


「なによ、こんなときに。おじいちゃんよ。あんたなんかより、ずっと格好よくて、いい人よ」

「エヌエト、どうしたの?」


 非常口に向かい、コマチとエンドルフに手を差し伸べ、抱き寄せながら、エヌエトは皮肉な笑いを見せた。


「そのおじいちゃんは、君の事をエフって呼ばないか?」

「……うん」


 非常口が開いた。


「どういうこと?」


 コマチが尋ねる。


「コードネームFというのが、俺たちを殺そうとしている男だ。俺はずっと、ファーザーの意味だと思っていたが、エンドルフの意味だな。孫思いは結構だ。ハイジャック事件そのものを仕組んだわけではないだろうな。利用したんだ。俺は、邪魔な存在らしい。エンドルフ、たいしたおじいちゃんだな」


 エヌエトは空に飛び出した。

 月形コマチと扇エンドルフは、さすがにしがみついていることしかできなかった。

 飛行機の爆発とほぼ同時に、エヌエトの背負ったパラシュートが開く。

 浮力が足りないのは明らかだった。


 エヌエトは手にしていたパラシュートを空中にいる数分で修理し、コマチに背負わせた。強引に作動させ、月形コマチは風で高く舞い上がった。

 エヌエトがその後にどうしたのかは、月形コマチにはわからなかった。

 二人とははぐれてしまった。


 海に落ち、通りかかった漁船に拾われた。

 飛行機の爆発事故は報道され、奇蹟の生還者として、月形コマチの名は世界中に報道された。

 報道された限りでは、唯一の生還者だった。


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