15 任務の遂行
小さな扇エンドルフを再びコートの中に抱え、エヌエトは客室に戻った。通路のほぼ中央で、うろたえる月形コマチがいた。
エヌエトは、エンドルフを両親にはさまれた客席に戻し、すぐに月形コマチのもとに向かった。
「だから、大丈夫です。爆弾は必ず見つけて、処理します。パイロットが死んでいるなんて、誰かが操縦してくれますよ」
不安そうな数人の乗客に挟まれ、説明に窮していた。エヌエトが近づくと、助けを求めるように手を振ってきた。無視したいところだが、近くを通らなければ、操縦席にはいけない。
爆弾があるとすれば、前方しかないと結論付けていた。
「エ……」
エヌエトに呼びかけようとした月形コマチが、最初の一音を発音する前に銃口を向けた。一音を正確に発言していたら、撃ち殺すことをためらわなかっただろう。
月形コマチは口を開閉させただけでとどまった。
――やはり、運がいいな。
また、死ぬのを免れた。エヌエトはすれ違いざま、月形コマチの襟首を掴んでひきずった。
「どうでした?」
先に尋ねられた。
「こっちが聞きたい。どうだった? 持ち込んでいるなら、操縦席のほうだと思うが。パイロットに言うことを聞かせるのに、苦労しただろうからな」
「ああ……これから見に行くところです」
つまり、ずっと通路の中央でうろたえていたということだ。エヌエトは反論する気力もおこらず、操縦席へ向かう扉に手をかけた。月形コマチを囲んでいた乗客たちも、エヌエトには追いすがってこなかった。扉を開け、操縦席へ向かった。
扉を閉め、鍵を下ろす。
「探すぞ」
「はい。エヌエトさん、そっちはどうだったんですか?」
「パラシュートはあった」
「よかった。とりあえず、死なずに済みますね」
声の調子を跳ね上げたコマチに、エヌエトは足を止めた。
「五人だけはな」
「えっ……どうして……」
「犯人が持ち込んだものだ。乗客全員分、あるはずがない」
「じゃあ……どうするんですか? 他のお客さんは……」
自分がパラシュートを使わせてもらえないかもしれないという発想は、コマチにはないらしい。エヌエトは応える必要を感じなかった。扇エンドルフのような、子供ではないのだ。
操縦席に入り、扉を閉めた。
死体が三つ、先ほどと変わらず転がっている。
前方には分厚い窓ガラスがあり、空は薄暗かった。
計器を確認する。
大型機の操縦などできるはずもない。ただし、異状があればわかる。
しばらくは、問題はないだろう。問題がいつ起きるか、エヌエトにはわからない。
操縦席を占拠していたハイジャック犯は、リーダー格だろう。エヌエトは、床に落ちた死体をまさぐった。
あるいは、爆弾を遠隔操作する道具でも持っているかもしれないと思った。通信機はあった。小型で旧式だ。外部と連絡をとるつもりはなかったらしい。ハイジャックについては、すべて計画済みで、不測の事態には全権を任されていたということだ。
――成果なしか。
操縦席ではなかったのだろうか。
確かに、精密機械がひしめいている頭脳部分に爆弾など持ち込んで、電子機器が乱れてしまう可能性を考慮すれば、この場にある可能性はあまり高くないのかもしれない。
実際には、爆弾など持ち込んでいないのかもしれない。もともと、エヌエトの推測に過ぎないのだ。
操縦席を出ようとした。
扉を開けた。
足を踏み出した。
頭上で、聞きなれない電子音が上がった。
甲高く、神経に触れるものだった。
首を背後に倒し、頭上を見上げた。
時を刻む赤い表示が、毎秒減り続けている。
エヌエトの聞いた音は、残り時間一〇分を告げる音だったようだ。
いかつい機械装置だった。腕を伸ばせば触れることはできる。エヌエトは、懐からドライバーセットを取り出した。
「駄目ですねぇ。どこにもありません」
キャビンアテンダントの控え室や調理室を覗いていた月形コマチが、暗い声で話しかけてきた。状況が切迫していることを、ようやく理解し始めたようだ。
「そうだろうな」
ドライバーで外せる部分は多くなかった。いかつい機械装置の、モニターが外れて緩む。内側からコードで吊られていたらしく、落下はしない。相変わらず、時を刻んでいる。
「どういう意味ですか? エヌエトさん?」
操縦席の扉は開けたままだ。見えたのだろう。月形コマチの声が質問系に跳ねた。
「残り時間は、八分三〇秒だ」
「なんの……残り時間ですか?」
コマチは聞き返した。この期に及んで、わからないのだろうか。いや、本当はわかっているのだ。ただ、認めたくないのだ。
月形コマチをののしってやりたい気持ちに駆られたが、精密機械に向き合っているエヌエトは、むしろ頭の中が落ち着くのを自覚した。動揺していたらしい。まだまだ、訓練が足りない。
見たことのない形状と構造をしていた。特殊工作員として、爆発物の取扱もエヌエトは得意である。爆発する本体部分の正体は理解した。火力が低い爆弾であれば、燃えやすい燃料の近くか、エンジン部分に仕掛けるのが当然だ。ゼロ課が事前に察知していなかったことを考えても、ハイジャックするときに直接持ち込んだのに違いない。小型で威力のある爆弾だと考えると、種類は限定される。
まさしく、エヌエトが推測した通りの爆発物だった。小型で、強力だ。おそらく、大型航空機を跡形もなく吹き飛ばせる威力を持っている。
爆発物に接続された装置は、見たことがないものだった。製作したのは、専門の技術者だろう。産まれ付き才能を持って産まれてくる社会である。ドライバーやペンチを握り締め、そのまま技術者に育った者は、実に天才的な仕事をする。この爆弾を製作したのも、そんな技術者だろうか。
「爆発するまで、だろうな」
仕組みを理解できないため、エヌエトも推測でしか言うことができなかった。月形コマチは、床に座り込んだ。
「ど、どうするんですか?」
聞き飽きた質問だ。エヌエトは爆弾に集中しながら、床のコマチを見た。死ぬ覚悟は当にしている。月形コマチはそうではないようだ。死ぬことを実感しながら、はたして働けるのだろうか。
「やることはいくつかあるが、俺の体は一つしかない。一人でも多く生かすために、最善を尽くしているところだ」
「で……できるんですよね。エヌエトさん、数字つきですもんね。コードネームが数字の工作員は……常に現場で……あらゆる権限を与えられて……それに相応しい能力を……」
「泣くな」
泣くことは悪くない。ただ、この場では役に立たない。
「泣いていません」
頬にはっきりと道を作り、顎からはぽたぽたとしずくが落ちている。
「爆弾に、常に解除方法があるわけじゃない。ハイジャック犯の目的が、もともと乗客の皆殺しなら、解除は不可能だろう。結論を出すのはまだ早い。そう思っているけどな」
思わないのなら、始めから諦めている。諦め、別の手段を探している。
「どれぐらい……助かるんでしょうか」
「人数か? 確立のことか?」
「か……確立……です」
口の中に涙が入りこみ、上手く話せないらしい。エヌエトは爆弾の心臓部にたどり着いた。
はたして、解除できるようなものなのだろうか。慎重にカバーを外しにかかる。
「俺がこの爆弾を解除して、飛行機を安全に着陸させて、これ以上だれも死なずに済むという確立なら、二パーセントだな。かなり、多目に見積もってだが」
「どうして……そんなに落ち着いているんですか?」
「落ち着いているわけじゃない」
エヌエトは自覚していた。いつもと比べて、かなり動揺している。やるべきことは他にもあった。残りの人生を告げる数字は、六分を切っていた。
「私……何もできないでしょうか」
「いや、そこの通信機で管制塔を呼び出してくれ。状況を説明しなければならない。爆発で生き延びた人間の救助も必要だろう。いれば、だがな」
「……そうですね」
月形コマチが尻を持ち上げるが、立つことができずに這うように移動する。エヌエトの脇を抜け、ハイジャック犯の死体を乗り越え、副パイロットの死体をどかした。
通信機が使用できるのか不安があったが、管制塔の応える声がエヌエトに届いた。
エヌエトの目は、絶望的な情景を捉えていた。
本体の爆発物からのびた半透明の導線が、機体の奥深くにもぐりこんでいた。
爆弾は一つではないかもしれない。ハイジャック犯が持ち込んだ爆弾は一つでも、事前に飛行機にはいくつもの爆弾が仕掛けられており、ハイジャックした男は指定された手順で爆弾を設置しただけなのだろう。
機体の内部にもぐりこんだ導線を切断すれば、他の爆弾が連鎖的に爆発することも考えられる。
決して逃れることのできない、死の罠というわけだ。
エヌエトは爆弾から手を離した。背後から、コマチの困ったような声が聞こえてきた。エヌエトは振り返り、何といえばいいか困っているコマチにかわって通信機に向き合った。
「ゼロ課七号だ」
『待て』
数秒後、最近妙に聞きなれたFの声が聞こえてきた。
『何をしている。どうして離脱しない』
詳しい状況を説明する前に、Fは焦ったようにまくし立てた。いつもは工作員をまるで楽しむかのように死地に送り込む男である。ゼロ課をまとめている。どれたけの能力があっても驚きはしない。しかし、不自然だ。
――なぜ、そこまで解る?
持ち上げた小さな疑問を、エヌエトは静かにFにぶつけた。
「五分後に離脱する」
エヌエトの視線の先で、外されかけた爆弾のタイマーが、ちょうど五分を告げていた。
『それでは間に合わないぞ。爆風に巻き込まれる可能性を考えていないのか?』
間違いない。エヌエトは深呼吸してから、言った。
「F、どうしてそんなに正確に残り時間を知っている? このハイジャックを仕掛けた黒幕は、あんたか?」
沈黙が返された。あまり、長い時間ではなかった。
『七号、あの子はどうだ?』
誰のことか、すぐに解った。
「ああ。いい子だな」
『パラシュートには、番号が振ってある。見ればすぐにわかるはずだ』
「確認済みだ」
『1番をあの子に背負わせろ』
「この事件で。生存者は一名というわけか?」
パラシュートに仕掛けをしてあるのだ。エヌエトは窓の外に映る景色を見つめた。天気は徐々に崩れ始めている。パラシュートを使って飛び出すのも、できれば遠慮したい状況だ。
『誰を生かすべきか、お前にはわかるな』
「あんたの筋書き通りに進むよう、祈っておくんだな。そうでなければ、俺はあんたを殺しに行く」
『楽しみにしておく。あの子は死なせるな。これは、最後の任務だ』
「その言葉、忘れるなよ」
通信が切れた。
エヌエトが振り返る。残り時間は四分、コマチがへたり込んでいた。エヌエトは自分の時計をタイマーに切り替えた。爆弾が刻む残り時間は四分ちょうどだ。腕時計のタイマーをセットする。
「乗客全員の救助は不可能だ。我々はこれから離脱する」
「エヌエトさん……どうするんですか?」
再び涙を流し始めた月形コマチの腕を取り、エヌエトは強引に立ち上がらせた。
「任務を遂行する」
「あんなことを言われて……どうしてですか?」
コマチに理解できるとは思っていない。そもそも、エヌエト自身も理解していない。コマチと向き合い、エヌエトは宣言した。
「乗客は死ぬ。だが、俺は死なない」
「残り四分なのに?」
「正確には、三分三〇秒だ」
「また、命が縮んじゃった」
「諦めるのなら、ここに残れ。残された時間を楽しむといい。俺は行く。最後まで諦めるつもりはないからな」
月形コマチの顔が歪んだ。笑っている。泣きながら、楽しそうに顔を歪ませた。
「行きますよ。最後まで、ついていきます。だって、パートナーですから」
エヌエトはうなずき、月形コマチを押すように操縦室から出た。狭い空間を抜け、客室に入る扉に手をかけた。
振り返る。
「いつから、コマチが俺のパートナーになった?」
「約束したじゃないですか。この事件を生き残ったらって。もう……一連托生です。ですよね?」
いまさら、エヌエトだけが生き残る方法など提案するはずがない。そう言っているのだろう。エヌエトは、いつでも月形コマチを裏切ることができる。パートナーを選ぶなら、もう少し能力と思慮のある人物を選ぶ。
だが、月形コマチはまだ生きている。これだけ何度も死ぬ機会があったのに、まだ怪我もせずに生きている。
――その運が続くうちは、付き合ってもいいかもしれないな。
「約束したのは、名前を教えることだけだ」
言葉は、感情を裏切った。
「でも、名前を教えるってことは、認めるってことでしょう?」
「俺は、確実に殺すと決めている相手にも教える」
月形コマチがあおざめた。エヌエトが笑うと、とたんに破顔した。からかわれたのだと気付いたのだ。
扉をあける。
乗客が騒然と立ち上がった。




