14 脱出に向けて
黒いコートと暖かい体に包まれ、扇エンドルフはいままでに無い落ち着きを感じていた。
ゼロ課を名乗った男は、少女の名前さえ聞かなかった。ゼロ課にスカウトされていることを、確認さえしなかった。両親がうっかり話してしまったのでなければ、エンドルフは男がどうして助けようとしているのか、理解できなかったかもしれないのだ。
男が全力で、扇エンドルフを助けようとしていることだけは理解できた。
だから信じた。眼帯をしていることも、何も聞かれなかった。
エンドルフは、能力を使用すると他人の思考を見ることができた。見えた思考を、改ざんすることもできた。
薙刀を持った女の人が、あまりにも無謀に死にかかっていたため、犯人達の思考を無制限に削除してしまった。
その力には、エンドルフ自身、飛行機がハイジャックされてから知ったのだ。他の誰かが知るはずが無い。
それなのに、男は尋ねもしない。
それに、偉そうに命令もしない。
扇エンドルフを子ども扱いもしない。男が、子供が苦手だから、子供として扱えないのだという可能性は考えなかった。エンドルフは、他の多くの子供と同じように、自らが未熟だとは感じていなかった。
コートの中では、酷くゆれた。当然だ。男が動いているのだ。
汗は掻いていない。鼓動も早くならない。
捕まるところはたくさんあった。多くのポケットがあり、色々な小道具が入っていた。不思議と、武器は無かった。
乗客の中にいなかったので、ゼロ課として飛行機に乗り込んできたのは間違いない。だが、武器を持っていない。どうしてなのか、エンドルフにはわからなかった。
男はエンドルフに何も聞かなかった。だから、聞くべきことではないのだろうと思った。
コートが開いた。男が手を伸ばした。エンドルフは求められるまま、抱きついていた男の腹から床に降りた。
暗い倉庫に明かりが灯された。決して広くは無い。無数の機械がむき出しになった、狭い部屋だった。
見たことのある男達が、三人縛られて転がっていた。
エンドルフが抱きついていた男と、無謀に死にかけた女が犯人を見下ろしていた。男はエンドルフを下ろすと、犯人達の顔を除きこんでいたが、女は肩を大きく上下させていた。疲れているようだ。
「どうなの?」
ややぞんざいに、女が尋ねた。
「生きていることは間違いないが、意識が戻るかどうかわからないな。原因がわからない」
男は女を振り返った。女は渋い顔をした。
「困ったわね。自分でも、力の使い方がわからないなんて」
「なんとかなると思うかい?」
男に尋ねられた。ゼロ課を名乗った男は、エンドルフに優しく、といっていい問いかけをした。
自分の手を見つめて渋い顔をしている女が何を言っているのか解らなかったが、目の前の男は、犯人達にエンドルフが力を使ったことを把握している。
エンドルフは小さく首を振った。まだ、力の使い方を把握できていない。力があることを知ったのも、つい先ほどなのだ。
「そうか……仕方ないな」
「どうするの?」
男が困ったような顔をしていた。エンドルフが尋ねると、男は犯人達から手を離し、立ち上がった。
手を離された犯人が床に派手にぶつかるが、身動きもしない。
男は、犯人の怪我など何も考慮していないように感じられた。エンドルフは、男がただ優しいだけではないことを感じていた。
「爆弾とパラシュートを探すしかないな。こいつらの荷物を探してみよう。面倒だが、乗客の誰かが何か見ているかもしれない。コマチ、手伝え」
「解っているわよ。私も死にたくないもの」
「私は?」
エンドルフは、背中を向けようとしていた男に尋ねた。一緒に来てくれと言い、一緒にいたほうが安全だと言って連れてきたのだ。いまさら一人にされるとは思わなかった。
男は振り向いた。
「こいつらから情報を引き出せるか、試してみてもらいたい。俺はこの近くから探す。コマチ、客席と操縦席のほうを頼む」
「この子に、どうしてそんなことができるの?」
コマチと呼ばれた女は、いかにも不思議そうに尋ねた。
「できるとは言っていない。試してくれと言っただけだ」
「でも、こんなに小さな子なのよ。できるはずがないじゃない」
「やってみる」
コマチが口をぱくぱくと開閉させ、エンドルフと男を交互に見た。女はエンドルフに向かって何か言いたそうだったが、男に見つめられ、押し黙った。
「なんだか解らないけど、自信があるのね。どうぞ」
肩をすくめる。エンドルフは左目の眼帯に手をかけた。コマチは背を向けたが、男の視線はエンドルフに向いていた。
「お兄さん、なんという名前なの?」
力を使うところを、あまり人に見られたくなかった。それは、左目を晒さなければならないからだ。
だが、この男になら見られてもいい。信用した男の名前を、いつまでも知らないというのも変だ。そう思い、質問した。
背を向けたばかりのコマチが、皮肉な笑いを浮かべながら振り向いた。
「七号よ。それ以上は教えてくれないわ」
「エヌエトだ。七号のコードネームで呼ばれている」
男が手を伸ばした。エンドルフはその手を握った。
「扇エンドルフよ」
「よろしく頼む」
エヌエトと名乗った男がエンドルフの小さな手をしっかりと握り、頭を撫でた。エンドルフは握手を交わしながら、左目の眼帯を外した。左目のあるべき場所にある暗い穴を見つめながら、エヌエトは表情を変えず、ただ小さくうなずいた。
男が立ち上がる。女が渇いた声を上げた。
「わ、私には、教えてくれないくせに!」
「教えないとは言っていない。この任務が終わって生き残っていたら、教えてやると言っただろう。それに、聞こえていたはずだ」
「その子はいいの?」
「彼女の生還が俺の任務だ。どんなことをしても生き延びさせる。だから教えた。何が違う?」
コマチが黙った。さぞかし悔しそうな顔をしているだろうと思い、おかしくなった。コマチの顔を見てみたかったが、左目の黒穴を向けることにもなり、遠慮した。
エヌエトが立ち上がったとき、エンドルフはすでに縛られたハイジャック犯に向き直っていたのだ。
小さな舌打ちと共に二つの足音が移動する。
エンドルフは手の中に、産まれ付き持っていた水晶玉を出現させた。
ただ手に持っていたときは、使い道さえ理解できなかった。手の中に生み出すのは、ごく自然にできる。手を開閉させるのと、同じような感覚で出現させることができた。
集中すれば、左目の中に直接出現させることもできる。そのことは、さっき知ったばかりだ。
だれも教えてはくれなかった。仕方の無いことだ。エンドルフのほかに、左目を手の中に握って産まれてきた者が、誰もいないのだから。
手の中に取り出した水晶を、エンドルフは左の目に押し入れた。このほうがずっと簡単だ。
やったのは初めてだった。誰も、エンドルフに才能を強制しなかった。いずれ目覚めると言って、無理強いしようとはしなかった。いまも、強制も命令もされていない。
できなければ死ぬのだ。エヌエトを信じると決めたのならば、受け入れなければならない現実なのだ。
左目に意識を集中させる。
まるで漫画の吹き出しのように、犯人達の思考がエンドルフに見えてくる。
ただ真っ白い吹き出しが見える。
思考の改ざんが、エンドルフの能力なのだろう。おそらく、力に際限はない。
コマチと呼ばれる女が犯人達に殺されようとしたとき、エンドルフはコマチを客席に飛びこませ、ハイジャック犯たちの思考を消してしまった。
咄嗟だった。力の加減などできなかったし、やり方もわからなかった。
必死で消した。
思考を、可能な限り削除した。
ひょっとすると、エンドルフはハイジャック犯たちの人生経験のすべてを消してしまったかもしれない。いくら集中しても、犯人達の思考は真っ白のままだった。
どれぐらいの時間が経過したのか、エンドルフも把握できないほど、エンドルフは犯人達の思考を探った。
自分が汗ばむのを感じた。能力を使用しても、通常は疲労しない。集中力の限界にきつつあるのだ。
左目を手で覆う。エンドルフは疲労し、座り込んだ。
「やはり、難しいかい?」
どこから見つけてきたのか、エヌエトが大きな荷物を抱えながら戻ってきた。エンドルフが振り返ると、エヌエトは大きなバックパックを下ろした。
「やっぱり……無理みたい。エヌエト……私の力、どうして知っているの?」
「知るはずが無い。それに、詮索しないのがマナーだよ。才能は誰でも持って産まれるが、そこから特殊な能力を引き出せる人間は少ない。持っていないのが普通なんだ。だから、興味本位では詮索しない。俺たちでさえ徹底している。だけど、状況を考えれば、エンドルフの力しかあり得ない。解るだろ? コマチの力だなんて思っているのは、本人だけだ」
エヌエトは、ただの世間話をしているかのようだった。エンドルフの能力に興味が無いのではない。おそらく、必要を感じれば拷問をしてでも聞きだそうとするだろう。エンドルフはむしろ、エヌエトの態度を好ましく思った。何より、エヌエトはエンドルフを仲間だと思って接してくれているのが理解できた。ゼロ課だと名乗った。幼くして理解できることは少なかったが、エヌエト自身が特別な存在なのは理解できた。
だから、解る限りの情報を与えた。
「先生が黒板に書いたことを、全部消しちゃったみたいなものだと思う。一部を消して書き換えるのは簡単だけど、全部消しちゃったら、戻すのは難しいわ」
エヌエトは持ってきた荷物を点検しながら返事をした。
「相手の思考を消す……だけじゃないな。書き換えることができるんだね」
「うん」
「聞いたことがないな。使い方を間違えれば、恐ろしい能力だ」
「……うん」
エヌエトは、エンドルフを恐れるだろうか。少女は盗み見るようにエヌエトを見た。エヌエトは背負い式のパックをいじっていた手を止めた。使用法がわかったのか、床に並べた。
「予想通り、パラシュートが五つ見つかった。これで、最悪の結果は免れたわけか」
「『最悪の結果』って?」
「エンドルフを死なせることだよ」
――私の命?
口に出せなかった。どうして、自分の命がそこまで大切なのか、理解できなかった。
「他の人は?」
「パラシュートは五つある。エンドルフの両親分まではある。乗客全員のことを言っているのかい?」
当然だ。見殺しにできるものではない。エンドルフは首肯で返した。
「助けたいとは思っているよ。だから、まだ俺たちは飛行機に乗っているだろ」
「最悪なのは、私の命だけなの?」
エヌエトは、口元に手を当てた。考えているようだ。返答に困っている、とは思えなかった。エンドルフの質問の意図を測りかねたのだろう。
「そうだな……俺の受けた任務からは、そうだと断言できるな。俺の命は軽い。任務の遂行条件に、俺の生還は入っていない」
「『任務』だけ? そのために、エヌエトは死んでもいいの?」
エンドルフはエヌエトを誤解していた。エヌエトは優しいのでも、理解があるのでもないのだ。ただ、任務に忠実にあろうとしているたけなのだ。任務の遂行に関係の無いことには、関心がないのだ。
「世界にとっては小さなことだよ。エンドルフの命に比べたらね」
大事にされている。そのことは間違いない。
「……でも、私とパパとママだけが生き残るなんて、そんなことできない」
エンドルフの頭に、エヌエトは手を置いた。大人の男にしては、それほど大きくも、暖かくも無い。だが、優しかった。エヌエトは優しい男ではない。そう思っていても、嬉しかった。
「あくまでも、最悪の場合だよ。無関係の人を簡単に見殺しにするような組織じゃない」
ゼロ課はそうかもしれない。だが、エヌエトの本心は違う。もし、エンドルフが救助の対象ではなかったら、エヌエトがどんな風に見えていたのか、想像したくなかった。




