13 祝福と呪い
特殊工作員エヌエトは、壁を破壊すると同時に暗闇に身をひそめた。背後にいた月形コマチにしゃべらないよう注意したが、隠れるようにとは言わなかった。意地悪をしたのではない。客席を前にして、ぼんやり立ち尽くしているとは思わなかったのだ。
薙刀を構え怒鳴り散らした月形コマチの姿に、エヌエトは非常に珍しいことに、目を疑った。いまさら隠れても意味がない。という判断は間違いではない。
――これで事件が収まるまで死ななかったら、たいしたものだな。
逆に感心しながら、エヌエトは客席の様子を観察し続けた。
月形コマチが雄たけびを上げる。銃声がとどろいた。
甲高い悲鳴が聞こえる。
――死んだか?
エヌエトが顔を半分だけ出して覗くと、一つの客席にのけぞって倒れているらしい月形コマチの足が天井を指していた。
薙刀の長い柄が通路に出ている。産まれ付きの才能によって出現した道具は、所有者が死ねば消える。どうやら、まだ生きているらしい。
利き手に意識を集中しながら、エヌエトはふらりと通路に姿を見せた。
真っ黒いコートをまとったエヌエトが通路に現れても、ハイジャック犯と思われる男達は動かなかった。
様子が変だ。
月形コマチが客席に突っ込んでいるのは別にしても、武器を構えることもなく、焦点の合わない目をさまよわせ、口から泡を吹き出している。
一人の男が膝をついた。次々に、男達が崩れる。
エヌエトは通路をゆっくりと進む。座席の乗客たちは、状況を理解できずにただ暗い顔をしていた。エヌエトが通りかかっても、顔を上げることもしなかった。エヌエトのことをハイジャック犯の一人だと思っているのだろう。
後部から三列目に、月形コマチが突き刺さっていた。仰向けにのけぞって白目を向いていたが、外傷はなさそうだ。
エヌエトはハイジャック犯に目を戻した。武装した男が三人、何もせず、通路に倒れている。
武器が手から離れて転がっているのにも関わらず、身動きをしない。目を剥き、硬直しているようにも見える。
原因がわからない。エヌエトは月形コマチの腕をとり、助け起こした。
うめき声を上げながら、コマチは体を起こしてエヌエトに抱きついた。エヌエトは、コマチが体を起こすとき、その下になっていた少女に目が留まった。
眼帯を持ち、何もない、左の空洞を晒している。
――この子か?
ゼロ課からの指令で守れと言われているのは、この少女だ。エヌエトは確信した。
「殺したのかい?」
「私ですか? 私が? ……本当に?」
月形コマチが大きな声を上げた。倒れた男達を見て、ひょっとして自分の能力が武装した男達を圧倒したのではないかと、驚いていた。
エヌエトは応えず、ただ少女の反応を見ていた。
少女がエヌエトを見返してきた。
小さく、首を横に振る。視線が、心配そうに左右の大人を見ているのがわかった。
解らない。あるいは、できない。または、言いたくない。
必要な情報が得られないのは同じことだ。エヌエトは無理強いせず、少女に対してただ指を三本立てた。少女は四本、立てて示した。
もう一人いる。
少女の視線は、まっすぐに前方に向けられた。エヌエトはうなずいた。
まだ驚いている月形コマチの肩を抱く。
「よくやった。俺の見込みどおりだ」
「本当ですか?」
また大きな声を上げたコマチの口を塞ぎ、エヌエトは小さくうなずいて見せた。口をふさがれたまま、コマチはとても嬉しそうだった。エヌエトは手を外す。倒れた男達を示した。
「縛りあげて、所持品をすべて強奪しろ」
「没収ですね?」
「俺たちは警察じゃない。そんな権限はない。相手が犯罪者でも、持ち物を奪うのは強盗と同じだ。それを忘れるな」
月形コマチは微妙な表情でうなずいた。
納得はしていないが、逆らうつもりもない。そんな顔だった。
相手にしている暇はない。エヌエトは通路の先へ進もうとした。
その先に、ハイジャック犯が残っている。航空機の構造から考えても、ハイジャックの基本としても、操縦室にいると考えるのが当然だろう。
武器を奪い、男を引きずろうしているコマチにエヌエトは視線を向けた。
「どこに運ぶんだ?」
「どこでもいいですけど、乗客の前ではよくないですよね? 私達、警察じゃないんだし」
「所持品を奪って、拘束してからにしろ」
「大丈夫ですよ。また私に逆らうようなことがあれば、さっきの力で倒してやりますから」
エヌエトは月形コマチの顔をじっと見つめた。
面倒くさい。
真剣にそう思った。
さらに視線を、客席で怯えた振りをして座っている少女に向けた。
眼帯を握ったまま、少女は左目があるべき場所の、黒い穴を晒している。
産まれ持っていた物は、自らの左目なのかもしれない。エヌエトはそんな想像をした。少女がエヌエトの視線に気付いた。
ずっと会話を聞いていたのか、少女が小さく笑った。
――ならば、大丈夫か。
「頼むぞ」
「任せてください」
コマチが自分の胸を叩いて見せた。その胸が大きいか小さいかは、服の上からではわからなかった。見る機会があるとすれば、おそらく呼吸はしていないだろう。
経験から、エヌエトはそんなことを考えていた。
次第にざわつきはじめる乗客たちは、事態を理解し始めたのかもしれない。
エヌエトはまっすぐ進み、閉ざされていた扉を開けた。
キャビンアテンダントの待機場になっていた。部屋の主は、既に死体となっている。血を流している。ハイジャック犯の仕業だろう。
扉を開けながら、背後に一度だけ視線を向ける。
犯人たちは起きてはこない。ただ、乗客に首を伸ばしている者達が増えていた。騒然となるのは時間の問題だろう。暴動に発展しないことを祈るばかりだ。
月形コマチに任せたのだ。
エヌエトは信頼することにした。おそらく、本人は一般の乗客をどう扱うかなど、まったく考えてはいないだろうが。
扉の内側に滑り込む。
比較的しっかりした体格の男女四人の死体を越え、エヌエトは奥に進んだ。
さらにしっかりとした扉がある。操縦席だろう。
ノックする。
扉が開いた。
品のない顔をした男だった。エヌエトは危険を冒さず、手の中で金属音を鳴らした。
人が一人死んだ。
扉を大きく開けた。
誰も操縦していなかった。
操縦席の上で、頭部から血を流した男が二人、計器の上に伏していた。
エヌエトは駆け寄り、体に手を当てた。
まだ暖かい。だが、死んでいる。
死んだばかりだ。
死体の肩をつかみ、引き起こす。
手には何も握っていない。
飛行機の状態が安定していることを考えると、現在はコンピューターによる自動操縦中なのだろう。争った形跡はない。
――ならば、始めからパイロットは殺す計画だったはずだ。
エヌエトは副操縦士の死体を放り出し、代わりに座った。血に濡れたイヤホンを耳にあて、通信機に手を伸ばした。
ゼロ課の特殊工作員として、あらゆる機器の取扱は心得ている。だが、乗客を多数乗せた巨大航空機のなど操ったことはない。まずは、連絡が先だ。
『こちら管制塔』
「ゼロ課だ。コードネーム七号」
『すぐにつなぐ』
一言で理解される。ゼロ課とは、それだけ有名であり、信頼されている。
もっとも、それが有難くない場合もある。過度の期待をかけられるのだ。現在が、そうなりつつある。
『七号、飛行機の中か?』
「Fか。航空機は制圧したが、パイロットが殺されている」
『なら、操縦しろ』
簡単に言ってくれる。エヌエトは口には出さなかった。
「始めから降りるつもりはなかったんだ。おそらく、爆弾を積んでいるぞ」
『対処しろ』
言うことは解っていた。Fに限らず、現場ではゼロ課は工作員にすべてをゆだねるのが習慣だった。
「わかっている。これから爆弾を探す。万が一に備えておけ」
『弱気だな』
「最悪の場合、ターゲットだけ救出して離脱する。犯人達は、自分達のパラシュートを持ち込んでいるはずだ」
『任せる』
通信を切った。もし、乗客を全員無事に降ろそうとするのであれば、航空機の燃料が切れて落下するまでに、どこかに下ろさなくてはならないだろう。だが、その前に爆弾を探すのが先だ。まだ、犯人は三人生かしてある。
――コマチに感謝しなくてはいけないかもな。
エヌエトだけだったら、いつもの習慣で犯人たちは全員殺していただろう。どうして殺さなかったのかといえば、実際にはコマチより、正体のわからない少女を警戒してのことだった。
もちろん、コマチがいなければ、出会い頭に殺していたのに違いないのだ。
飛行機が安定していることを確認してから、急いで客席に戻る。
暴動が起きていた。
縛り上げられた犯人達が、怒りに駆られた乗客たちに私刑を受けていたのだ。
エヌエトは警察ではない。乗客たちの怒りは最もだし、止める権限も理由もない。あるのは、ハイジャック犯に全員死なれては、爆弾を探すのが面倒くさくなるという現状だけだ。
座席には空席が目立った。立ち上がり、通路にいた犯人に暴行を加えていたからである。
エヌエトは月形コマチの姿を探した。
通路のほぼ中央で、もみくちゃにされていた。
すっかり恐慌に陥っている。何をしていいかわからないのだろう。
エヌエトは駆け寄り、月形コマチの腕を掴んで群がる群衆から引きずり出した。
人波でもまれ、髪と服を乱しながら、月形コマチはエヌエトに気が付いた。
「あっ……七号さん、犯人は身動きができない状況にしてあります」
決して弱みを見せようとはしないというのは、腹さえ立てなければすがすがしいともいえる。
エヌエトは怒るつもりはなかった。想定していた状況である。ただ、月形コマチの能力が想定を若干下回ったというだけだ。
「ああ。見ればわかる。生きていると思うか?」
「……微妙ですね」
蹴り付けられてぼろ布のようになった犯人の姿は見ることができるが、現在でも踏みつけにされている最中なので、生死の確認が難しい。確かに、エヌエトは犯人が死なないようにしろとは指示をしなかった。
「犯人の中から誰か一人、生きたまま、さっきの整備室まで連れて行け」
「七号さんはどうするんですか?」
「別の人間に用がある。そちらを済ませておく」
コマチは覚悟を決めたようにうなずいた。乗客をおとなしくさせろといわれるよりましだと思ったのだろう。
「でも……どうすればいいんでしょう」
「パイロットが殺されていた。爆弾が持ち込まれている可能性がある。そう教えてやれ」
「……本当ですか?」
「残念ながらな」
エヌエトは笑って見せた。月形コマチの顔は蒼白だった。死ぬことを、少しは実感したのだろうか。エヌエトから見れば、まだ月形コマチがまだ生きていることのほうが奇蹟に近いのだが。
通路の床を蹴り、空いた座席の背に登る。バランスを崩さず静止するには、それなりの訓練が必要だ。エヌエトは、高所に張られたロープ上でも、揺るがずに飛び乗れる自信があった。もっとも、高度自体はどんな塔の上よりも、現在の方が高い。なにしろ、地上から一万メートル以上離れている。
目的の少女は、騒がずにじっと座っていた。左右の両親は、少女を守るように身を寄せている。少女を守ろうとしているのか、少女に守ってもらおうとしているのか、どちらともいいがたい。
エヌエトの推測どおり、少女がゼロ課の守備対象となる人間なら、ハイジャック犯たちを沈黙させたのは、まさしく与えられた少女の能力だろう。どんな力なのか想像もできないが、月形コマチの力ではないことは間違いない。
座席の背を何度か蹴り、エヌエトは少女の前に移動した。乗客たちが、興奮から徐々に恐慌に移りつつあった。怒号から、悲鳴へと変わる。月形コマチがエヌエトの言葉を包み隠さず伝えた効果である。
恐慌を生み出した中心で、月形コマチは相変わらず不器用に立ち往生していたが、本人の責任である。助けるつもりはなかった。
「聞いての通りだ。脱出する」
エヌエトは単刀直入に言った。少女は戸惑ったような顔をしていた。
さきほど手にしていた眼帯は左目を覆っている。小さな手を膝に置き、右目だけでエヌエトを見つめ返した。
「誰?」
いい質問だ。実に簡潔で、周囲の状況に流されない。エヌエトは感心した。持って産まれた能力だけではなく、まだ幼いのに落ち着いている。大人たちがみっともなく取り乱しているというのに。
「助けに来た。ゼロ課、と言えばわかってくれるか?」
少女の顔つきが、安堵したものに変わった。『ゼロ課』の名前は絶大である。両親の変わりようは、歓喜したとさえ言えるものだった。
「遅いじゃないか。この子に万が一のことがあったら、どうするつもりなんだ」
「そうよ。あなたたちでしょ。この子を是非、将来は来て欲しいって言い出したのは」
青い顔で黙り込んでいた両親が、かわるがわるまくし立てる。
エヌエトは少女だけを見ていた。両親に用はない。死んだとしても、一向に構わない。
「『脱出』ってどういうこと? 他の人たちはどうするの?」
少女が、もっとも冷静だった。『他の人たち』の中に両親が入っていることを、当人達は理解もしていない。エヌエトはさらに感心しながら、事実のみを伝えた。
「飛行機内には、全員分のライフジャケットが積んであるはずだ。だが、墜落の衝撃には、ライフジャケットでは助からない。その前に脱出できれば、助かる可能性はずっと高い。ハイジャックした犯人は、始めからこの飛行機を爆破するつもりだった。なら、必ず事前に脱出する計画だったはずだ。パラシュートがあるだろう」
少女は小さく首をめぐらせた。乗客の多くは、客席に戻っていた。泣き叫び、絶望しながら、祈りをささげている。
「全員分、あるはずがないわ」
「もちろんだ。だから、君に話しかけている」
「我々の分は?」
「そうよ! この子の親なのよ!」
エヌエトは、静かに視線を投げかけ、少女に戻した。少女はエヌエトの意図を理解した。両親に、静かに告げた。
「パパ、ママ、きっと助かるわ。犯人の人の数だけ、それはあるから。でも、他の人たちに知られると、誰も助からないかも」
エヌエトが自ら言わなかったのは、エヌエトの口から出れば、過剰な反応をすることが予測されたからである。少女の両親は、青ざめながら黙った。
「爆発するタイミングがわからない。一緒に来てくれるか?」
「どうして?」
「俺か……あそこでハイジャック犯を引きずっている女の側にいて欲しい。俺は、いままで死なずにきたし、あの女は強運だ。君のことはよく知らないが、どちらかと一緒にいたほうが、生き延びる可能性は高いだろう」
父親が身を乗り出そうとした。エヌエトが、両親まで考慮していないことに気付いたのだ。何も言わなかったのは、理解したのだ。エヌエトは、両親の命など、なんとも思っていないことを。
「お願いなのね? 命令じゃないのね?」
左目の眼帯さえ無ければ、人形のように見える整った少女が、初めて感情を見せた。
「ああ。お願いだ」
命令できるほど、命の保証はできない。エヌエトの弱気から来る言葉だったが、少女は小さく笑って見せた。
「なら、聞いてあげる。命令されるの、私大嫌い」
「気が合うな」
エヌエトが伸ばした手を、少女が掴んだ。抱き寄せ、黒いコートの中に収めた。両親に視線を投げる。
軽く会釈し、にがにがしい顔で返された。
「苦しくないか?」
「平気よ。暖かいわ」
「それは良かった」
人を殺すことを職業としているエヌエトにとって、最上のほめ言葉だった。少女にはほめている自覚などないだろう。
まだ、自分には血が通っている。
エヌエトは、忘れそうになる事実を思い出されてくれた少女に感謝しながら、座席の背を蹴った。
犯人を運ぼうと四苦八苦している、月形コマチの前に降り立った。




