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11 男女の再会

 東野コウジは慌てていた。予想外のことだった。突然、すべての出入り口が封鎖されたのだ。報道機関だけでなく、飛行場への一切の出入りと、監視が禁じられた。

「どういうことだ?」

 誰ともなく尋ねると、整備主任が面白くなさそうに応えた。体格のいい婦人だ。東野より一回り年上だが、目をかけてくれているのはわかる。もっとも、東野は整備の仕事に身を埋めるつもりはない。

「極秘作戦らしいね。わたしにも、ろくな説明がない。まったく、誰のおかげで飛行機を飛ばせると思っているのかね」

 不満はもっともだが、東野の興味は別のところに行っていた。

 ――ゼロ課だ。

 携帯電話を取り出した。

 圏外になっている。

 あり得ないことだ。

「無駄だよ。妨害電波らしい。空港でなんてことしているのかね」

 主任の言うことは最もだ。管制塔までも、現在は通信不能ということだろうか。空港が完全封鎖されていなければ、ありえないことだ。着陸予定の航空機があれば、大惨事を招きかねない。

「主任、少し外れます」

「ああ。これじゃ仕事にならないからね。休憩しておいで」

「ありがとうございます」

 丁寧にお辞儀をして、主任を笑わせた。東洋式のお辞儀はいまでも笑いをとるらしい。

 東野は走り出した。

 駆けながら、自分の工具箱を掴み取る。中には、組み立て式のライフルが収納されている。

 正規の出入り口はすべて塞がれているだろう。どこかに抜け道があるはずだ。

 ゼロ課の息の根を止めるのだ。そうでなければ、組織の生きる道はない。

 通路を走り、トイレの前を行き過ぎた。

 止まる。

 トイレの壁は、飛行場と薄い壁一枚しか隔てられていない。トイレを覗き込んだ。誰もいない。

 奥の壁を見つめた。

 小さな窓がある。

 出ることはできそうもない。だが、外の様子を見ることはできるだろう。ライフルで狙いをつけることもできるかもしれない。

 窓の位置は高く、東野の身長では通常は空しかみることができなかった。持っていた道具箱を踏み台に、窓の上まで顔を出した。

 飛行機が動いている。飛行機の窓はすべて閉ざされ、日も落ちているが、飛行機が動いていることは見て取れた。閉ざされた窓からは光が漏れ出ているし、操縦席にはブラインドがない。

 窓が閉ざされたままの飛行機より、鋭い光を発した高速の移動物体が存在した。車のサーチライトだ。

 ――あれが、ゼロ課か。

 平たいスポーツカーの上に、二つの人影が見えた。飛行機も速度を増し、浮き上がろうとしていた。スポーツカーのほうがまだ早い。並走していた。乗り移ろうとしているかのように見える。

 正気とは思えない。

 死にたいのだろうか。

 東野コウジはすぐに窓の位置と飛行時の角度を確認した。工具箱の上からなら、なんとか狙いをつけられそうだ。

 すぐに箱の上から降りる。工具箱をあけ、三重底の一番下を強引に開ける。

 ライフルを組み立てた。

 わずか二〇秒で終わる。

 だが、それでも時間がかかりすぎていた。

 飛行機は離陸を始め、運転手を失った高級車が、減速しながらふらふらと走っている。

 サーチライトが近づいてきた。

 東野がいたトイレの、反対側の壁に激突した。かなりの距離があったはずだが、数十秒の間に東野のすぐ側まで来ていたらしい。

 激突音が上がる。振動と騒音で、目を離してしまった。再び探して照準を定めるのは不可能だ。

 ゼロ課の職員を撃ち殺し、ゼロ課を弱体化させるという目的は失敗に終わった。だが、作戦は周到である。ハイジャックしたのも、素人の犯罪者ではない。テロリストとして訓練を受けた人間達だ。

 まだ失敗したわけではない。

 だが、東野が手にしているライフルが見つかっては、東野自身がすべて終わってしまう。

 急いで分解し、工具箱に戻す。

 三重の箱を元に戻した瞬間、車の激突でひび割れていたのか、炎上した熱でもろくなったのか、トイレの壁が崩れ落ちた。

 東野は立ち去ろうとした。

 車の激突と炎上にも、徹底的に統制された空港側は、沈黙を守り続けた。

 自分とは関係ない事故だ。ここにいることを知られてはならない。

 工具箱を持ち、東野は背を向けた。

 人の声が聞こえた。

 背後からだった。

 甲高い、細い声だった。

 聞き覚えがあった。

 ――気のせいだ。

 数歩進む。

 トイレから出ようとした。

 視界の隅に、炎上した車から転がり出た麻袋が入った。

 袋に入れられていたから、すぐに焼かれるのを免れたのだろうか。凄まじい火力とは裏腹に、焼けた麻袋から、衰弱した女の顔が見えた。

 見覚えがあった。

 くどき、騙した女の数は把握していない。東野コウジは生粋の詐欺師である。

 だが、その女は覚えていた。

 ゼロ課の情報をもたらしてくれた女だ。

 連絡が取れなくなっていた。

 もともと、利用して、捨てるつもりだった。

 生きている。自由を奪われ、その上で袋に詰められていたのだ。だが、動いていた。

 皮膚が焼けている。その熱で、戒めも焼けたようだ。

 弱っている。

 目が合った。

 意識はしっかりしていた。

 正体をばらされる。

 放っておくと危険だ。

 自分に言い聞かせながら、東野は立ち去ろうとする足の動きを止めた。

 すばやく周囲を確認する。

 誰もいない。大惨事になりかねない空港での炎上事故でありながら、誰も駆けつけない。ゼロ課の指示をかたくなに守っているのだろうか。あるいは、別の理由があるのだろうか。

 工具箱を持ったまま、東野は急いで女のもとに駆け寄った。

「おい、大丈夫か?」

 皮膚の半分は焼けている。顔も焼かれている。

 長くはないかもしれない。火傷の痕は、一生残る。

 だが、生きられるかもしれない。

「……コウジ」

「どうした?」

 無理をさせれば、死ぬかもしれない。無理をしなくても、死ぬかもしれない。

 東野は迷った。

 強引に情報を引き出すべきだろうか。あるいは、介抱して、容態が落ち着くのを待つべきだろうか。

「……愛している」

 焼け爛れた皮膚に、ロープの燃えカスがまとわり就いた手を伸ばしてきた。激しい苦痛を伴うはずだ。あるいは、皮膚の感覚もなくなっているのかも知れない。

「もう、話すな。黙っていろ」

 痛々しかった。直視できず、東野はその手を掴んだ。目をそむけた。

「……あなたは?」

 震える声で、柿沼レンは求めてきた。東野が目を向けると、女の下半身は半ばまで千切れていた。

 助かるはずがない。

 伸ばされた手をしっかりとつかみ、東野はにじり寄った。引き寄せることができなかったからである。無理に引き寄せれば、足が千切れてしまう。

 炎上する車の熱に、皮膚が痛かった。

 肩を抱いた。女の唇が動く。

 耳を寄せた。

 東野の名前を繰り返し口にしていた。

「大丈夫だ。必ず助ける」

 東野は本気だった。見捨てることができなかった。この女だけは、捨てることができない。そう感じていた。いままで相手をしたどの女と比べても、勝っている部分などない。顔もスタイルも平凡で、印象にも残っていない。つい、数秒前まではそうだったのだ。東野は、現在の自分の心境が理解できなかった。

 ただ、捨てられない。その衝動に突き動かされていた。

 女の半身を切断しようとしていた車の一部を、渾身の力で押しのける。手が焼け付いたが、痛みも感じなかった。

 炎の中から、女を抱き上げた。

 腕に抱えた感触は、人の皮膚の感触ではなかった。だが、女が苦しそうに顔をゆがめた。痛みを感じている。そのこと自体が嬉しかった。

 まだ神経が通っている。助かるかもしれない。

 抱き上げ、立ち上がった。

 走り出そうとした。

 トイレの入り口に、小柄な男の姿があった。

「どいてくれ」

 知っている男だった。絶望しながら、東野は脇を抜けようとした。

「どうする気だ? その死体を」

「まだ死んでいない」

 危険な男だ。それはわかっていた。だが、東野はにらみつけた。男は見上げてきた。それほどまでに、身長が違う。男は背が低かった。だが、気おされているのは東野だった。

「そうか? お前の追っている相手は、そんな生易しい連中か?」

 東野は足を止め、腕の中の女に目を落とした。

 まだ、生きている。

 動いている。

 目が開いた。

 視線が交錯した。

 ――生きている。

 嬉しくなった。

 腕に中で、抱きしめようとした。

 吐血した。

 一瞬だった。

 苦しむ素振りもなく、血を吐き、息絶えた。

「なっ……なにが起きた?」

「毒だな。その女は何かを知ったのだろう。だから、殺された。相手がゼロ課であれば当然のことだ。すぐに殺さなかったのは、その女の背後にいる敵を洗い出すためだろう。わかっているのか? 自分が、何をしたのか?」

 東野の腕から、女の死体が滑り落ちた。急速に体温を失っていた。大切なもののように抱きかかえていたのが、信じられなかった。死体は床を打ち、重い衝撃音を発生させた。

「俺が……何をした?」

「ゼロ課に正体を暴かれたな。もはや、逃げ場はないぞ。この世界の、どこにもな」

「どうして、そんなことがいえる?」

 ゼロ課に囚われた女が、生きて戻った。その段階で、疑うべきだったのだ。どうして女が殺されなかったのか、どうして女を放置したのか。助けなければいけないような状況にあえて置いたのだ。

 男の顔は知っていた。時折姿を見せ、あるときは依頼を、あるときは報酬をもたらす。だからといって、現在の状況から推測したにしては、知りすぎている。

 男は懐から、携帯電話よりはるかに大型の通信機を取り出し、口元に運んだ。

「七号か?」

『どうしたF、取り込み中だ』

 通話相手の声まで、東野にはっきりと聞こえた。わざと外部音声にしているのだ。東野に聞こえているのではない。聞かせているのだ。

「飛行機には乗り込んだか?」

『ああ。これから敵を排除する。どうした? 緊急の用じゃないのか?』

「いや。経過の確認だ。よろしく頼む」

『わかっている』

 音声が切れた。目の前の男は、通信機を懐に戻した。

「お前……ゼロ課か?」

 信じられなかった。だが、信じるしかない。通話相手は、東野が狙い撃つこともできなかった、ゼロ課の工作員だ。その男と簡単に通話ができる。しかも、ただのゼロ課の職員ではない。相手は特殊工作員で、男は地位が高い。そうでなければ、あり得ない会話だった。

「そういうことだ。もちろん、私を殺しても報酬は出ない。支払うはずの人間を殺しては意味がないだろう」

「……何が目的だ。自分の組織を潰すつもりなのか?」

 男はかすかに笑った。柔和に見える笑みに、東野コウジは全身に鳥肌がたった。


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