10 搭乗
エヌエトの操る高級車が、飛行機の滑走路に進入した。エヌエトはハンドルを切りながら、移動している一機をにらみつけた。
飛ぶつもりだ。滑走路の一番長い走路を移動している。背後から、高熱を吐き出している。周囲の空気が歪んでいるのがはっきりとわかった。
「七号さん、どうするんですか?」
声を風に流されるため、月形コマチが叫ぶように尋ねた。
「乗り込む」
エヌエトは簡潔に応えた。
「どうやって? もう走り出しているじゃないですか」
「飛んでいるわけではない」
さらに加速しながら、斜めに車を滑らせた。車輪で走る飛行機を追う形になる。
飛行機の真後ろにつけると、エンジンから吐き出される熱で溶かされかねない。やや斜めから、エヌエトは追った。
車輪がまだアスファルトから離れていない。追いつける。
「柿沼レンはどうするんですか? まだ、後部座席にいるんですよ」
袋に詰めて、転がしたままだ。
ほぼ傷はないはずだ。身動きもしないのは、寝ているのかもしれない。
「置いていく」
「こんな状態で? 車に乗せたままですか?」
「他にやりようがあるか?」
「死んじゃいますよ!」
目の前に、飛行機の巨体が迫る。
「遅かれ早かれ死ぬ」
言いながら、エヌエトは舌打ちした。車輪がアスファルトから浮き上がった。
「どういう意味ですか?」
「俺のことを話してもらっても困る。毒を飲ませた。三〇分後には死ぬだろう」
「約束は? 相手の男と、会わせるって言ったじゃないですか」
「チャンスはやった。後は本人の問題だ」
ハンドルを切った。車輪が機体内に収納されようとしていた。
空隙ができた真下に車を滑り込ませる。
「チャンスって、ずっと袋詰めじゃないですか」
「生きているだけで十分なチャンスだ。それをどうするかは本人次第だ」
左手を頭上に伸ばす。
車輪を格納する金属の扉に腕が届いた。
「酷いですよ。それじゃ、このままですか?」
「もちろんだ」
左手が上方に伸びる。引き上げられている。飛行機の高度が上がっている。
腕に力を込める。体が浮いた。
右腕で、月形コマチの腕を取った。
「えっ……どうする気ですか?」
「なんのために報道をシャットアウトしたと思っているんだ。このまま乗り込むぞ」
「ちょっと、嘘でしょ? 私も?」
エヌエトは両腕に力を込めた。
「このまま車に乗っているか? ひょっとしたら、死なずに済むかもしれないぞ。俺は無理だと思うがな」
月形コマチは正面を見た。ほんの一瞬だ。すぐに激しくうなずいた。このまま一人で車に残されては、どこかに激突するか横転して死ぬと理解したのだろう。競技場仕様で車体は軽い。ほんのわずかの操作ミスで派手に横転するはずだ。
コマチがエヌエトの右腕にしがみついた。エヌエトはうなずき、渾身の力で引き上げる。
人間二人分の体重を、エヌエトは片腕で引き上げることに成功した。飛行機の車輪格納庫は閉まりつつある。体を引き上げてさえしまえば、自動で内部に入ることができる。
左ひじが格納庫の扉に乗る。上方、つまり飛行機の中に頭を出した。
銃口がエヌエトを捕らえていた。車輪の格納庫がある空間の暗闇から、ライフルを向けている男がいた。ハイジャック犯の一人だろう。
「電波はすべて妨害されているはずだ。よく気付いたな」
エヌエトは尋ねた。はげ頭の痩身の黒人だった。
「勘だ。死ね」
距離は一〇メートルほどだった。ライフルが相手では分が悪い。エヌエトは左手に拳銃を産み出した。産まれ持った物は、手の中であれば左右どちらでも産み出せる。肘を伸ばし、照準を合わせる。
風も強い。
外せば、最も近くにいる人間、月形コマチが死ぬ。
エヌエトはためらわなかった。
もともと、そのつもりで連れてきた。ここで死ぬなら、それがコマチの運命だ。
引き金を引く。
男の指がライフルにかかったまま、血を吐きながら昏倒した。
床に張り付かせていた左手で銃を放ったため支えを失い、エヌエトの体が落下を始める。
宙に舞う寸前で、格納庫の扉を掴みなおした。
下で甲高い悲鳴が上がる。
「早く! 七号さん!」
「人がいる場所で、コードネームを叫ぶな」
怒りが力を与えた。一気に格納庫の扉に上り、月形コマチを引き上げた。
扉が閉じる。
「……怖かった……」
真っ暗になった飛行機の中で、コマチは自分の肩を抱いて震えた。
「運のいい奴だ」
「良くないですよ。死ぬかと思いました」
「だから、運がいい」
エヌエトがペンライトを取り出した。周囲を照らす。
男が死んでいた。
撃たれた形跡はない。だが、死んでいる。エヌエトの銃は空砲だ。だが、撃たれれば人は死ぬ。それがエヌエトの能力である。外れても人が死ぬ。
月形コマチは運がいい。
大切な資質だ。いまだにエヌエトの言葉を理解できずに、ただ死体を見て青ざめているコマチに腕を貸し、立ち上がらせた。
「七号さん、名前もコードネームも駄目なら、人が居る場所ではなんて呼んだらいいんですか?」
「生き延びろ。そうしたら教えてやる」
「それまでわからないじゃないですか」
エヌエトは小さく笑った。月形コマチはどうせ死ぬのだからと思って連れてきた。なぜか、この娘だけは生き残るような、不思議な気持ちになっていた。




