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クランケのお話

ここはどこかなぁ? って、さいしょにおもったのはそれだった。



おれをつつんでいたやわらかいえきたいも、あたたかいおんどもぜんぜんなくて、さむくてこころぼそくて、おれはなきそうになった。


そしたらね、こまったようなこえがしておれはかおをあげた。めのまえにはこえとおなじように、こまったかおをしてるおとこのひとがいたんだ。



「おいおい、泣くんじゃねぇぞ、ほら! ミルクか? 眠いのか?」


「一応身体的には小学生程度ですからミルクじゃなくてもいいのでは? しかし、意外とパパぶりが板についてますね」


「やかましい!」



くるくるかわるそのかおがおもしろくて、じっとみてたらそのひとはおれがどなりごえがこわいのかとおもったみたい。


くちをとじて、しばらくまよったあと、わらっていったんだ。



「あー、まあ偶然とはいえ生まれちまったんだもんなぁ……この世界へようこそ。歓迎するぜ」



そのことばとわらったかおがやわらかくて、あったかくて、おれはつつまれてたころをおもいだした。


こういうときはどうすればいいのか、おれはしってる。




おれはあいさつをめいいっぱいかえすように、わらったんだ。






店先のウィンドウ。酒の銘柄やグラスが展示されている前に佇むのは、左目の周りにかけて、他とは皮膚の質が違う顔を持つ少年。

隣には酒樽を抱えた、真昼間だというのにアイマスクをつけた少女が控えていた。


少女の髪から直に生えた白蛇がニヤリと口をゆがめた時、俺は嫌な予感がした。

店内でグラスを磨いていた手を止め、外へ出る。だが、それより蛇が少年に耳打ちする方が早かった。

無垢な顔に満面の笑みを浮かべ、少年の手がウィンドウに近づく。

次の瞬間、つぎはぎだらけの手に展示された酒瓶やグラスが引き寄せられ、自然の摂理に従って少年の手とそれらを隔てていた窓ガラスは大破した。


凄まじい破壊音の中、力なく握った俺の拳がぷるぷると震える。また弁償ものの失態……!



「クランケ―――!」



叫んだ拍子に、俺の頭に生える触覚がバチリと電流を放った。




この世界では、『イヴァン』という物質と物質を融合させる電磁波を出す鉱石が存在する。


まだ謎も多く、その厄介な性質のせいで危険も多い。

イヴァンの研究と国の取り締まりを同時に行っている『ポリストリー』という、世界最大の組織が存在することからもイヴァンの危険度が分かってもらえるだろう。


『ポリストリー』ヘルザニア支部、元エリート研究職員の俺、ゲミュート・マナーが坊ちゃん嬢ちゃんのお守りをしながら場末の酒場でアルバイトをするはめになったのは、この『イヴァン』が原因だ。




「俺達が取り締まる犯人がいるってのはここか」


「はい。彼が密輸犯のバウム・クーヘンのようですね」



事件当時、俺は同期の研究員とポリストリー支部の一室で密輸事件の取り締まりをしていた。

おびただしい数の密輸品と、檻に入ったここらでは見かけない爬虫類種族の密輸犯に目を見張る。



「電撃蝶の羽に透明人間奴隷、万物磁力鉱石に『イヴァン』の結晶まで! こりゃ終身刑確定だな」



醜い鱗だらけの顔を睨みつけ、脅すように吐き捨てる。

密輸犯は噛みつくようにまくし立てた。



「ここから出しやがれ、薄汚ぇポリストリーの狗が!」


「ぎゃーぎゃー騒ぐな、どのみちお前の犯罪は終わってるんだ」



密輸犯を軽くいなしていると、傍らでぼぅっと突っ立っていた同期の奴が



「亜人種を奴隷品として扱っていたのなら、終身刑よりも死刑の可能性の方が高いのでは?」



と、不吉な事を呟きやがったせいで、



「なんだと! ふざけんな、この!」


「あ、おい!」



密輸犯が暴れ出し、所狭しと並んでいたせいで檻の近くにしか置き場所がなかった密輸品がぐらりと傾いた。

嫌な予感がしてキャッチするも、時すでに遅し。

偶然あった内で一番でかい人工生命体が落ち、偶然それが万能ナビゲータを巻き込んで倒れ込み、偶然その倒れ込む先に『イヴァン』の結晶が保管されたケースがあった。



「ぐっ」


「ぎゃあぁぁあ!」


「!」



重い衝撃に耐えられず、未知の物体『イヴァン』は部屋全体を巻き込む大異変を起こし、その結果色々混ざってできたのが―――




いかなる物質も意思次第で自在に引き寄せ、どんな操作方法も全てを理解できる万能ナビゲータ搭載の磁石少年。


人間語は完ぺき、密輸もできちゃうずる賢い白蛇を髪にくっつけた透明人間少女。


そして、チャームポイントはキュートな触覚! 感情次第で百万ボルトなんて目じゃない不運な放電研究員……




「またクランケになにか吹き込みやがったな、密輸犯!」


「ぎゃははは、大成功だぜぇ!」



『嫌な予感がするから』と事前に同期から全ての責任を押し付けられていた俺に課せられたのは、大量の密輸品の弁償。

そして偶発的に誕生してしまった二人のお守り、である。

少女のおまけになってしまった手足もない白蛇密輸犯、俺が全額返済してお守りから解放されれば自分の生活が危ないと考えるこいつは頭だけはよく回る。

破壊力だけは抜群の無垢な少年を騙して着々と弁償額を増やしている訳だ。


言い争っている間で居心地が悪いのか、アーベントと名付けられた少女はうっすらと体を透けさせた。



「ゲミュート、顔がこわいぞ?」


「……クランケ。密輸犯に何を吹きこまれた」



クランケと名付けられた少年は、一切の邪気を感じさせない顔で嬉しそうに言った。



「じりょくそうさの練習だって! これをずっと続けたらゲミュートが喜ぶって言ってたぞ」



そんなに目を輝かせて喋らないでほしい。

弁償額が全く減らないのも、原因の少年に全く悪気がないせいで俺が怒れないからでもあるのだ。

最も責めなければいけない白蛇は、アーベントと共にとうにいなくなっていた。



「だめだったか?」


「……いや、いい。今度は店の物は極力壊さないようにしてくれ。あと窓ガラスで怪我してないか?」


「わかった! だいじょうぶ!」



心の中で弁償額の増大に号泣しながらも、満面の笑みのクランケを撫でていると、不意に店の電話がなった。

足音荒く黒電話の受話器に手を伸ばした途端、俺の眉間にしわが寄る。

今日は厄日だ。



「……何の用だ」


『もうちょっと愛想よくできないんですか? 一応接客業のバイトでしょう』



電話の主は俺に全責任を押しつけた張本人、ナイン・ノルマルだったのである。

事件現場にいたくせにこいつだけ何の異変もなくポリストリーに居座っている所が忌々しい。



「城が一個買えそうな金額を丸ごと押し付けた張本人にどうやって愛想よくしろっつーんだ?」


『城は一個ではなく一城です。悪いと思っているからこうして様子見の電話を掛けてあげてるんじゃないですか。しかも今回は仕事まで持って来たんです、感謝して欲しいぐらいですよ』



毎回恒例のやりとりから更に続けられた言葉に、俺は眉をひそめた。



「仕事だぁ?」


『はい。本来ポリストリーの管轄だったんですが、今こっちは忙しいんですよ。あなた方ならできるんじゃないかなぁと思った次第で』



奴の口ぶりは至って普通だったが、それが逆に企みを匂わせた。

沈黙から不信感を感じ取ったのか、ナインの声が機械越しに飛び込んできた。



『ポリストリーの直接的な依頼ですから、報酬は結構弾みますよ?』


「それは城を一城買える程の値段か?」


『あなたが結構という単語をそういう意味で使っているのなら訂正します。報酬は結構の半分程弾みます』



借金半分一挙に返済。

その言葉に、俺はぐらりと傾いた。



「い、一応内容だけ聞いておいてやる」


『ええとね、ある物を運んでほしいんですよ』


「ある物?」


『そろそろそちらに着く頃だと思うんですが』



ナインの言葉を聞き終わった途端、



「マスター……」



やけに狼狽したアーベントの声がしたので振り向いた。

そしてその手が連れている、ふんだんにレースをあしらったドレスを着た女の子を見て、俺が握っていた受話器は電撃によりショートした。





「貴族の娘を父親の職場まで連れていけだぁ?」



密輸犯の素っ頓狂な声が客のいない店内に響いた。



「ヘルザニアから北東十キロ先のハナマラ市までカノン・ライラバッハ令嬢を送り届けてほしいそうだ」



なんで、と密輸犯が問う前に俺は続けた。



「彼女の両親は仕事上めったに実家へ帰れない生活を送っていて、娘一人をそこに残していたんだが……

その実家がある地方に伝染病が発生したらしい。愛娘が伝染病にかからないよう安全な自分たちの元へ避難させようって事だ」


「令嬢はどうやってここまできたんだよ」


「途中まで運転手がいたんだが、ポリストリーでそいつが伝染病にかかっている事が判明したそうだ。

幸い令嬢の方は無事だったんで、職員が乗り物と一緒にここまで送り届けたんだと」


「ポリストリーは伝染病の蔓延した地方の封鎖で手一杯って訳か」



密輸犯がようやく納得した所で、俺は令嬢の方を見てみる。

トランク一つを傍らに小さなバスケットをぎゅっと握りしめた小さな女の子は、目深にかぶった帽子を外そうともせず沈痛な面もちで俯いていた。

令嬢に興味津々なクランケが失礼な事をしないように捕まえておき、俺はひそひそと囁いた。



「元気なさそうだな」


「そりゃ本来なら豪邸で優雅に暮らしてたとこを、いきなり何されるか分からねぇ小汚い酒場で一人だぜ? お嬢様ならきついだろ」


「小汚いってどういうこった!」



少なくとも今窓ガラスがないのはお前のせいだと言い返そうとしたところで、



「マスター、それで……彼女を誰が運ぶの?」



俺と密輸犯が近づいていたせいで必然的に顔を寄せる羽目になっていたアーベントが話を本題に戻した。



「できるなら万全を期して全員で行きたいところだが、店を空けるのはまずい。

ハナマラ市までの道をナビゲートできるクランケと、保護者として俺かアーベントがついていくのがいいだろう」



クランケの材料となっている万能ナビゲーターは、目的地までの道のり、機械の作動法、料理の作り方など思いつく限りの全ての行程を示してくれる優れものだ。

クランケの体の一部となった今でもその機能は働いている。



「んで、その運ぶ乗り物っつーのは……」



令嬢を運んできた乗り物を見ようと振り向いた瞬間、俺達は固まった。

板チョコのような外装のタイヤが2つ、青のフォルムがキラリと輝く。

窓ガラスのないウィンドウから見えるそれは俗に言う電動オフロードバイクという奴で。



「……お嬢様はマジで来たのか、アレで」


「他に乗り物らしきもんは見えんだろう。それより、コード見えてるから電動だよな、アレ」


「ショートしてしまうからマスターは乗らない方がいいわ」


「おい、もっと他に気づく事はねぇのか? 二人乗りだぞ、アレ」



密輸犯の言葉に、俺はまたバイクを見た。

なるほど、確かにバイクだから二人乗りだ。つまり令嬢を乗せれば残る座席は一つ。



「アーベント、バイクの運転できるか?」


「できないわ」


「俺はハナマラ市までの道は知ってっけどな」


「お前運転する手足自体ないだろ白蛇。

となると、ハナマラ市の位置を知っていてなおかつバイクの運転ができるのは……」



俺達は一斉にクランケの方を見た。

俺の腕から抜け出す事を諦めて遊んでいた少年は、周りの視線を一身に受けてとりあえず手を振ってみている。

その笑顔はあくまであどけなかった。





「えーっとぉ、その一『危険な事はしない・巻き込まれない』」



荒野を走るバイクが一つ。

ゲミュートに何度も言われた言いつけを反芻しつつ、クランケは慣れた操作でバイクを操っていた。

所々に見えるサボテンやらケサランパサランやらに気を取られて、言いつけはまだ全て反芻できていない。



「その二『おじょーさまの言う事はなるべく聞いてあげる事』

……あっ、はげワシ!」


「……ねぇ」



ほんとにハゲてるー、とよそ見をしていたクランケに、後部座席の令嬢が話しかけた。



「なんだ?」


「乾燥した所をずっと走っていて喉が痛いわ。休憩してくれる?」



店を出発して数時間、二人はバイクで乾燥した荒野を休憩無しに走り続けていた。

確かにお嬢様にはキツいかもしれない。

クランケは少し考えて、うんと肯いた。



「十分たったらまた出発な!」


「ありがとう」



クランケがバイクを止めた脇には、背の高いサボテンが群集していた。

森みてー、と感心して眺めていたクランケだったが、令嬢がゴソゴソとバイクの荷をいじっている事に気づいた。



「なんでにもつ下ろしてんだ?」


「え? えーと、の、喉が渇いて! なにか飲み物を取ろうと思ったのよ!」


「……ふーん」



取り繕うような令嬢の言葉に一応納得した様子だったが、次の瞬間クランケは何かを思いついたようにサボテンの方へと駆け寄っていった。

それを見計らい、令嬢は素早く荷物を引き出すと、中から幾つかの部品を取り出した。

それらをバイクに向かって組み立てると、あっという間に誰でもバイクの乗り方が分かるナビゲータに早変わりする。



「これがブレーキ、これがアクセル……」



令嬢はそのナビゲーターとバイクを交互に見比べ、クランケがサボテンの群れからやけに注意深く出てきた頃、既にバイクのエンジンを入れられるようになっていた。

変化した状況にクランケは目を丸くする。



「あれっ?」


「ごめんね、運び屋の坊や! 悪いけどそこで置き去りになってもらうわ!」



そう言い捨てると、令嬢はアクセルを踏んだ。

一気に加速し、バイクは元来た方へ戻っていく。

吹き抜ける風で飛んでいかないように帽子を押さえつつ、令嬢は一人呟いた。



「……これでいいのよ。お父様の所に行くなんてまっぴらごめんだわ」



その表情に少しだけ影が差した時、令嬢はふと異変に気づいた。

叩きつけるように吹いていた風が、止んできたのだ。

しかも、それは段々と後ろの方へ向きを変えてきている。



「何? どういう事?」



戸惑いを隠せない令嬢を乗せたバイクが、次の瞬間ふわりと浮いた。

そのまま逆方向、つまりクランケが居る位置へとすごい勢いで引っ張られていく。



「きゃあぁあああ!」



更に悲劇的な事に、バイクの落下地点にはサボテンの群れ。

令嬢は派手な叫び声を上げ、無惨にもサボテンのトゲだらけの腕に抱かれた。



「いっ……たぁあー!」



お尻を押さえてうめいていると、クランケがサボテンの隙間から令嬢の方へ近づいてきた。



「おじょーさま、バイクもうんてんできるんだ。すげーな!」


「あんたね、何してくれんのよ! トゲが思いっきり刺さったじゃない!」



さっきのはこいつの仕業だ。


第六感でそう悟った令嬢は、思わず起き上がって怒鳴りつけた。

すると、目の前の少年ははっと目を見開いた。



「ささった? けがしたのか! おれのせいで?」


「や……バイク引っ張ったのあんたでしょ?」


「おれおじょーさまが道まちがえてると思って、おしえてあげなきゃと思ったんだけど、おじょーさま声が届いてなかったみたいだから……」


(……この子、置き去りにされかけた事分かってない)



先ほどの脳天気そうな雰囲気から一転、ごめんなーごめんなー、と謝り倒すクランケに、令嬢は困惑した。

ふとクランケの手を見てみると、そこには液体の入ったコップが二つ。



「何それ?」


「サボテンからとったジュース。のどかわいたって言ってたから」



そう言われて、令嬢は先ほど言い逃れとして喉が渇いた、と嘘をついた事を思い出した。いまだしゅんとしてうなだれている様子の少年に、令嬢はなんだか毒気を抜かれてしまった。



「いいわよ、もう」


「え?」


「棘は刺さったけど大した怪我じゃないわ。……怒ってないから」



その言葉を聞いた途端、クランケの顔はぱぁっと明るくなった。



「ジュース飲むか?」


「頂くわ」



そうして青空の見えるサボテンの森の中で、クランケとカノン・ライラバッハ令嬢はすっかり打ち解けたのだった。





「もうすぐハナマラ市だぞ」



サボテンの森を後にして更に数時間、乾いた空気に少しだけ湿り気が混ざってきた。

普段と変わらぬ様子のクランケと違い、カノンの方はハナマラ市が近づくに連れて元気が無くなっていくようだった。



「カノン、どうかしたのか?」


「いいえ、なんでもないわ」



クランケの問いに答える声も覇気がない。

なんかあったのかな、とクランケは首を傾げた。


そうこうしている間にも、少々トゲの刺さったバイクは着々と進み続け。

荒野に無機質な高層ビルが立ち並ぶ様が二人の目に写った。



「あれがハナマラ市かぁー、でっかいな」


「……止めて!」



突然出したカノンの大声に、クランケは驚いて反射的にバイクを止めた。

甲高いブレーキ音が辺りに響き渡る。



「ど、どうしたんだ?」


「ここでいいわ、降ろして」



あと少しで市の中に入れるというのに中途半端な位置で降ろせと言う。

カノンの強い口調にクランケは顔をしかめた。



「なんで?」


「入っていってもいい思いはしないわよ。……あんた、変異種でしょ」



変異種――『イヴァン』により人類から更に突然変異を遂げた人々の総称である。



(おれは元々こうだからげんみつには変異種じゃない、ってゲミュートが言ってた気がするけど。

カノンがそう言うならそうなのかなぁ)



よく分かっていないクランケが曖昧に肯くと、カノンは険しい顔で続けた。



「ハナマラ市は変異種を良く思っていないわ、犯罪を犯す者が多いから。

すぐに変異種だって分かるあんたが行ったら、何言われるか分かったもんじゃないわよ!」



すぐにわかる?



微妙な言い回しになにか引っかかったクランケだったが、カノンの強い口調からそれ以上に感じたことがあった。



「カノン、ハナマラ市に行きたくないのか?」



クランケの一言に、カノンはぐっと詰まった。伏せられた彼女の顔が肯定を示している。



「行きたくないわよ」



長い沈黙の後、カノンはぽつりと呟いた。



「お父様は私を人目に触れさせたくないのよ、だからあんな田舎に私を押しやったんだわ。この一件だって伝染病のために仕方無くよ」



顔を上げて無理矢理に笑顔を作る。

伏せられていた時からずっと、カノンの目はクランケを見ていなかった。



「でも、あんた仕事だもんね。あたしをハナマラ市まで連れてかないと、報酬貰えないんでしょ?

心配しないで、逃げたりしないから」



泣き顔ともとれる笑顔に、クランケはその様子を黙って見ていた。



「カノンお嬢様!」



沈黙が続いた時、ハナマラ市の方から声が上がった。

黒服に身を包んだ男達が、二人の方へ駆けてきていた。



「……お父様の部下達だわ。遅いから様子を見に来たのね」



いよいよ終わりの時が近づいているのを悟ったカノンは、クランケに向き直った。

それは別れを告げるためだったのだが――



「きゃっ!」



突如、カノンの体はクランケによって宙に浮いた。下ろされた先は今日ずっと座っていたバイクのシート。

クランケは自身もバイクに飛び乗ると、青い二輪車を急発進させた。



「クランケ? 何してるの、降ろして!」


「カノンはおろしてほしいのか?」



ストレートに言われた質問に、カノンは答えを濁した。



「なんでそんな事聞くのよ、お父様の部下がすぐそこに」


「おろしてほしいのか?」



しかし、どうやらこの無垢な少年は答えを濁す、という選択権を用意してくれてはいないようで。

しつこく聞かれた地雷部分に、カノンは怒鳴った。



「降ろして欲しくないわよ! 欲しくないけど、このままじゃあんたが……」


「じゃあ降ろさない!」



カノンの答えを聞いた途端、クランケはアクセルを思い切り踏んだ。


ほぼ全速力に近いスピードを出したバイクは、クランケとカノンをハナマラ市からあっという間に遠ざけた。



「約束したんだ!」



ハナマラ市の方からいくつかの銃声が聞こえてきたが、クランケが片手でひょいっと操作すると、バイクはいとも簡単に銃弾を避ける。

無機質な黒い武器に、クランケを止める術はなかった。



「ねぇクランケ、あなた……」



後部座席に座らされているせいで、カノンにはクランケの表情が見えなかった。



「どうしてここまで」



カノンの声にクランケが振り向いた瞬間、一発の銃声が聞こえた。バイクのタイヤが破裂し、回転を止める。



「……あれ?」



動きを止めたバイクを、チャンスとばかりに黒服の男達が取り囲む。

幾つもの銃を突きつけられて手を挙げた所で、クランケは頭上に浮かぶヘリコプターに気づいた。



「暴走していたバイクは停止、カノンお嬢様は無事です!」


『カノンはそこに居るのか』



カノンがバイクから引き離され、黒服の男の一人が無線機に話しかけた。

話し合っているのがカノンの父親らしい、と気づいたクランケは、とっさに男の持っている無線機に怒鳴りかけていた。



「おまえ、カノンの父ちゃんか!」


「おい!」


「何を!」


『……君は誰だ?』



男達がどよめくも、クランケは構わず無線機に話しかけた。



「クランケだ! カノンをハナマラ市まで送りとどけるのがしごとだ!」


『それならもう君の仕事は終わった。ご苦労だったな』


「よくない! しごとはおわったけど、約束してるんだ!」


『約束?』



男達に無線機から引き剥がされようとするが、クランケは負けじと食らいついた。



「ゲミュートと約束したんだ、カノンの言うことはなるべくきいてあげるって! これは二番目の約束だけど、カノンはハナマラ市に行きたくないって言ってるんだ!」


『……カノン、それは本当か』



幾分低くなった無線機からの声に、カノンはびくりと体を震わせた。

何も言わないカノンに、数秒待ってから再度声が発せられた。



『どうやら君の約束は果たされたようだ。そろそろカノンを引き取りたいんだが、いいかね』



無線機の中から聞こえてくる声に混じって、プロペラが羽ばたくような音が聞こえた。


「まだおわってない! 約束はもう一つあるんだ、一番大事なやつ!」


「おい、いい加減に離れろ!」



しびれを切らしたのか、男の一人がクランケに銃口を押し付けた。

だが、クランケはある一つの事に気づき、頭に血が上っていた。



「邪魔!」



磁力の力で銃を弾き飛ばすと、クランケは無線機を掴んで上を見上げた。

そこに浮かぶのは、無機質な鉄の乗り物。

先ほど聞こえたプロペラ音といい、カノンの父親がそこにいるのは間違いなかった。



「ヘリコプター持ってるんなら、なんでカノンをむかえに行ってやらなかったんだ!

すぐ目の前にいるのに、なんでカノンに会いに来ないんだよ!」



『カノンは伝染病の蔓延した地域にいた。私から迎えに行ってやる訳には……』


「ごたくはもういいよ! そっちが下りてこないんなら、」



言うが早いか、クランケはヘリコプターを自分に向かって引きつけ始めた。



「こっちから引きずり下ろしてやる!」



勢いのついたヘリコプターは加速しながら地面へと向かっていった。クランケのすぐ目の前まで鉄の塊が近づいた時――



「やめてぇっ!」



叫び声と共に、ヘリコプターの落下が止まった。

クランケとヘリコプターを隔てているのは、風のクッション。

ヘリコプターの正面に立つカノンの頭からは、帽子が飛ばされて無くなっていた。


耳があるべき場所から生える翼が、ふわりと羽ばたく。



「へんいしゅだったんだ……」



新たに知った事実を呟くクランケに、カノンは泣きながら叫んだ。



「クランケ、もう止めて! お父様が死んじゃう!」



静かに下ろされたヘリコプターから、男がよろめきながら出てきた。

黒服の男達がどよめく中、カノンが父親に向かい合った。



「お父様、ごめんなさい……私、本当はハナマラ市に来たくなかった! 前に来た時嫌な扱いしか受けなかったから……!」



最後の方は半ばすすり泣くように言ったカノンに、父親はあまり表情を変えずに聞いた。



「なぜ言わなかった? ここに来る前に幾らでも言う機会はあっただろう」



その問いにカノンは少し迷った後、思い切って叫んだ。



その……お父様が、変異種の私を愛してるかどうか分からなかったから!」



吐き出されたカノンの本心に、父親ははっと目を見開いた。

泣いているカノンに近づくと、ポンと羽根の生えた頭に手を乗せる。



「そんな事ある訳ないだろう……」


「お父様」


「最近お前に会っていなかったからな。誤解をさせて悪かった」



父親はそのまま泣きじゃくるカノンを抱きしめていたが、ふと仏頂面でバイクの上にあぐらをかくクランケに声を掛けた。



「君も、今度こそ仕事を果たしたようだな。迷惑を掛けた」


「もうカノン悲しませないか?」


「ああ、約束しよう。……一番大事な約束があると言っていたな。何だったのかね?」


「カノンとおれが、ケガせずぶじに仕事を終えること」



続いたクランケの言葉に、父親ははて、と首を傾げた。


「その約束と私達の親子の関係と、接点がないように思えるが?」


「かんけいあるよ! かなしいのは、イタいのと一緒だ!」



プンプンと怒りながら、クランケは一気にまくし立てた。



「カノンはかなしいから泣いてるんだろ。カノンが泣いてると、おれがかなしい!

さっきのままじゃ二人ともぶじじゃない!」



クランケの言葉に、父親はふっと目を細めた。

黒服の男達に指示を出し、カノンの手を握ってハナマラ市の方へと体を向けた。



「報酬は後日また郵送する。それとは別に、感謝の印としてそのバイクを君に贈呈しよう。それで帰るといい」



背を向けて去っていく父親の隣で、カノンが小さく手を振った。

その顔に浮かぶのが薄くとも本当の笑顔だと気づいた時、クランケは勢いよく手を振り返した。



「またな!」





時は流れてクランケが無事令嬢を送り届けて数週間。

クランケが怪我もなく帰ってきた時は本当に良かったと喜んだものだが……!


俺は目の前の紙切れを握りつぶしたい衝動に駆られた。



「クランケ」


「何だ、ゲミュート?」


「この間令嬢を送った時に、何か壊さなかったか?」


入り口付近でバイクの手入れをしていたクランケは、うーんと唸ってからパッと顔を上げた。



「そういえば、ヘリコプターをおとしかけた! カノンが受け止めたけど、その時こわれたかも」


「他には?」


「んんと……てっぽー向けられた時にふりはらったぞ」



クランケが言った物は全て『請求書』に書き込まれた品と一致している。

同時に郵送された小切手の額と合わせると……



「プラマイ、ゼロッ……!」



俺の震える声にカウンターでグラスを磨いていたアーベントが同情の目線らしきものを向けてきた。



「ご愁傷様ー!」



ギャハハと高笑いする密輸犯の声ががらんどうの店内に良く響く。




借金四分の一がぱぁになった事を喜んでくれてありがとう、この白蛇密輸犯。


唯一人並みの働きをしてくれるアーベント、君には本当に感謝してる。これは皮肉じゃないからね。


そしてクランケ、お前は人並み以上に働いてくれてるけど、それが空回っているというか、常識を覚えて欲しいというか。



「おれ……だめだったか?」


「ーー! だめじゃない。この間はよく頑張ったな」



冒頭とほぼ同じ繰り返しでクランケの頭を撫でる。



「おれ、ゲミュートに言われた約束守ったぞ!」



その生まれたての笑顔に何も言えなくなってしまう。

今回は『極力物を壊すな』と約束をしなかった俺も悪いんだ、と俺はバイクの方へと戻っていくクランケを見送った。


その様子に心底呆れた様子で白蛇がため息をつく。



「お前は本当にお人好しだよな」



ああ、その通りだよチクショー。



「また今度カノンに会いたいなー!」



無垢で純粋な破壊兵器は、今日も大人の事情などお構いなしに楽しそうだ。

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