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無敵なぼくら

作者: 霜月昴


 朝起きて。いつものように学校に向かう。チャイムの鳴るちょっとだけ前、教室の扉に手をかけてぼくは身構えるように一瞬息を止めた。

 一歩足を踏み込んだ途端、ここは戦場になるのだ。気を引き締めなければ、ぼくは敗者となる。敗者に情けが残るほど優れた場所ではない。負けたら終わりだ。

 扉を開けると、中にいたクラスメイトの視線が一瞬ぼくに集まる。一瞬だけだ、扉を開ける音に反応し、ぼくの顔を見たらみんなそれぞれの会話に戻っていく。物怖じしないでずんずん中に入っていき、ぼくは自分の席にランドセルを下ろして乗せた。

「よっす、ナオ」

「おはよう」

 トモダチのケンに挨拶を貰い、挨拶を返す。

(さあ、始まったぞ)

 今日もぼくたちは戦争を始めた。


 学校という戦場では、相手の気持ちをみ取ることが最も重要なことだった。

 学校の裏側。つまり、生徒達の感覚で言う学校の真実の姿は、ぼくにとっては戦争でしかない。命を懸けた戦いだ。負けたら終わる、そんな意味の。

 先生が来るまでの数分のうちに、ぼくたちは昨日見たテレビの話や、遊んだことについて話し合う。話しはだんだん脱線して最初は何を話していたのか忘れていくが、話は尽きずに続く。それは、ぼくたちが交戦しているということだ。

「そういや知ってるか? 今日転校生が来るらしいぞ」

「えー? 半端な時期だなぁ。てか、なんでそんなこと知ってるんだよ」

 一日一日がマンネリ化してきたと思っていたが、小学生のぼくはまだ毎日に新鮮さを感じることがある。ぼくの姉は今高校生だが、毎日が繰り返しでつまらないとそれこそほぼ毎日言っている。「アンタはいいね、小学生で」とは、もう姉の口癖になりつつある。そんなに高校生とは面白くないのだろうかと不安を感じないわけではないが、忘れてもらっては困る。ぼくだっていつまでも小学生なわけじゃない。

「座れよー。ちょっといきなりだが、うちのクラスに仲間が一人増えっぞー」

 ぼくたちの担任が、教室に入ってきた。その後ろには黒いランドセルを背負った子供が居る。クラス一背が低いぼくよりは背が高いみたいだが、そんなに高いわけではないな。どちらかというと小さい部類。性格より顔立ちより身長を気にするのは、長年「チビ」と言われ続けたぼくだけだろう。くそ、やっぱりぼくが一番前か。

 ぼくが健と離れて席に座ってそんなことを考えていると、転校生は教卓の前で小さく頭を下げた。にこりともせずに、口だけ動かした。

「……砂原更夜です」

 口数の少ないやつ。愛想笑いくらいしたらいいのに。

 『すなはらこうや』。クラスメイトだ、名前を覚えようと心の中で反復してみる。

 だが、ぼくの中ではただのクラスメイトではない。クラスメイトが増えると言うことは、すなわちぼくにとって戦う敵が増えると言うことだ。

 姉は、小学生なんて何も考えずにみんなでわいわい遊んでいれば良いのよ、と言うがそれは間違いだ。ただ話しをするだけでも、出来るだけ気を遣い合って話題を探し、話しが尽きぬように笑顔を振りまくというのに。それが無意識に行われる学校なんて、戦場以外のなんだというんだ。

 ぼくにとっては友だち付き合いが鋭く緊張した戦いのようなものだった。


 大体のクラスメイトのデータはとってある。たとえばケンなら、話の途中で相づちを打たないとすぐにむくれるし、途中で話の腰を折るとすねる。大勢でいる時は、可もなく不可もなく話しの合間合間を狙って質問に同意し、話しを盛り上げる。しらけさせたら駄目なのだ。女の子相手の時はちょっと緊張するが、なるべく平静を装って愛敬を振りまけばいい。そうすれば大体は好印象のはずだ。あくまでぼくの中でも一般論だが。

 とりあえず、人それぞれに合わせる「調子」というものがある。みんな同じに対応するのではなく、個人の癖に合わせた方が良い。

 転校生、砂原のデータ聴取を始めよう。彼がどんな人間で、どんな癖を持っているのか知らないと話しかけても話しが途絶えてしまうだろうし。

 とりあえず観察(動物みたいで失礼だけど)してみる。クラスの親しみやすい女の子が話しかけたが、砂原は硬い表情のまま何も言わずに首を振った。女の子が何を話しかけても、一言も喋らなかった。ある意味、凄いやつだ。そんなことしたら、悪印象を与えてクラスで一人浮いてしまう。ぼくなら絶対出来ない。

 あ、ほら見ろ。女の子気分悪くしてどっかいっちゃった。転校生は、最初ちやほやされながらそれなりに話せるやつを作ればいいのに。のけ者にされたらなかなか戻らないぞ。

「なに見てんだよナオ。あんな無愛想な転校生ほっとけよ」

 すでに『無愛想な転校生』と思われている砂原は、放課後になったらすたすたと一人帰っていった。

 人との付き合いを『戦争』として見ているぼくにとっては、なれ合わないことは戦線離脱と考える。だからいつもは追いかけたりしない。ぼくはなんだかんだ言ってこの『戦争』を楽しんでいるのだ。戦争に興味がない人には、ぼくも興味がない。

 だが、砂原の後をぼくは追った。彼と戦争したいと、ぼくはどこかで期待していたのだ。それは戦争で武勲を立てた猛将のように、ぼくは戦争を続けたかったのだ。戦うことに快感を得ていた。

「砂原」

 ぼくは人の少ない通りを一人ぽつんと歩いていた砂原の背中を見つけ、声をかけた。砂原はそれに反応して黙ったまま振り向いた。何も言わなかったが、足を止めたのでぼくは笑って近づいた。

(なんだ、完璧に無愛想なわけじゃないんだ)

 無視して歩き続けるというパターンも考えていたぼくは、そう思って安心した。

「ぼく遠藤えんどう。同じクラスの」

 クラスの人と一言も話していない砂原は、ぼくを知らないかもしれない。そう思って自己紹介をしたが、予想と違って砂原は知っているとばかりに頷いた。

 ぼくは自分の戦闘意識が高まっていくことを感じ、わくわくした気持ちを抑えて話す。

「良かったら一緒に帰ろう? 家どこなの?」

 とてつもなく嫌そうに断られることもあり得なくない。ぼくは慎重に相手の返事を待ったが、砂原は何も言わない。黙ったまま、くるりと背を向け歩き出した。拒否されなかったことに、ぼくは嬉々としてその後をついていった。

 無口だけど嫌なやつじゃない。とりあえず、第一印象はその程度だった。


 砂原は公園にまっすぐ入っていった。自宅に帰るのかと思っていたぼくは、首を傾げて後に続く。だが、ブランコの前にランドセルを放り投げて砂原がぼくを振り返ったとき、向こうも戦ってくれるのだろうかとぼくは気持ちが高ぶった。

なんか用?」

 必要最低限しか喋らない砂原の言葉にぼくはちょっと違和感を覚えた。だが、敵意を出しているわけではないので、ぼくはちょっと安堵する。

「だってクラスメイトだし。仲良くなりたいだろ? 普通」

 砂原は、ちょっと居心地悪そうに少しだけ顔を伏せた。そしてそのまま言葉を発さない。何故? ぼくが何か言っただろうか。いや、記憶にない。

 二人で並んでブランコに腰掛け、いろいろ話しかけてみた。どこから来たのか、家はどこなのか、好きなテレビや、今のクラスはどうか。何を訊ねても返事をしない砂原。だがぼくが聞けば聞くほど申し訳なさそうに顔を俯かせていく。

「あんまり話しをするのって好きじゃない? 鬱陶しいなら黙るけど」

 ぼくがそう言うと、今度は慌てて首を振る。なんなんだ一体。

(なんか一言くらい喋って欲しいなぁ)

 そう思ったとき、ぼくの中で一つの名案が浮かんだ。うん、やってみる価値あるかも。

 ぼくは、横目で砂原がぼくの方を見ているのを見て、軽くこいでいたブランコの上で大きくバランスを崩した。

「わっ」

「、遠藤!」

 落ちそうに後ろに仰け反ったぼくを見て、砂原が目を開いて叫んだ。間に合わないだろうけど、手を伸ばして支えようとしてくれた。

 ぼくは、自らわざと崩したバランスを持ち直した。

「ふー、危ない危ない」

 ぬけぬけとそう言うと、砂原は丸くしていた目を細めて言った。

「…わざとか」

「びっくりした?」

 ぼくが笑うと、ぺしっと頭を叩かれた。そして呆れた風に溜め息をつかれた。

「あほちゃうか、そんなことせんでも喋ったるわ」

 聞き慣れないそのしゃべり方に、今度はぼくが殴られた頭のことも忘れて目を開いた。

「え、関西弁?」

「俺は大阪育ちやからな。オトンの用事でいろんなとこ引っ越しとるけど」

 おおー、始めて聞いた。生大阪弁。無口と思っていた砂原はにやりと笑ってぼくを見下ろす。

「びっくりした?」

 さっきのぼくと同じように聞き返されて、見下ろされて、ばつの悪さにぼくはちょっとだけ顔をしかめた。

 しかし、始めて聞いた砂原の言葉に違和感を覚えたのはこれのせいか。言葉が短すぎて違和感があると思っていたが、今聞けば理由はすぐにわかる。イントネーションが違うのだ。

「何で黙ってたの?」

「大阪育ちやけど、転校する先は関東ばっかりでなぁ。よう喋り馬鹿にされてん」

 でももう黙りこくるんは終いや、と言って砂原はぼくを見た。しゃべり出したらよくしゃべるこいつに、あっけにとられていたぼくは酷く間抜けな顔だったろう。

「変わっとるなお前。無愛想な転校生なんぞほっとけばええのに」

 望んでいた戦争の火ぶたの下ろし方に、ぼくは慌てて応戦する。ぼくが言う戦争とは、話し合いや、交友関係の事を言う。つまり、仲良くなるための戦いなのだ。

 砂原は、始めてのタイプだ。一方的にぼくが周りに意識を巡らせ、観察するように、砂原もぼくを観ている。転校を繰り返した砂原は、ぼくと近いタイプだ。

 お互いが、相手の出方をうかがっている。

「色々質問しても良い?」

「かまへん。こっちはそんなん、もう慣れっこや」

「じゃあ…話しをするのは好き?」

「どっちかって言うと嫌いや。どいつもこいつも人を珍獣みたいに見てきよる。転校生がそない珍しいんか?」

 マンネリ化した毎日のなかでは、十分な出来事だ。だが話をするのが嫌いというのは嘘だ。今の吐き捨てるような言い方からすると、珍獣扱いの頭ごなしの質問攻めに嫌気が差したってとこか。

 ふむ。微妙な印象を残してしまうがしょうがない。カマをかけてみる価値はある。

「そっか、嫌いならいいや」

「………」

 付き離すようにそう言ってみると、砂原は目を少し開いて、無表情に戻った。今の表情からぼくが判断したところ、ちょっと残念そうに見えた。

 思った通り。転校を繰り返した砂原は質問されることに嫌気が差している。だが話が嫌いなわけじゃないからそんな顔をする。

 ならぼくの自己紹介が先だ。ぼくが砂原を知るより先に、砂原がぼくのことを知ればいい。

「転校ってぼくはしたこと無いんだ。ずっとこの町で暮らしてて。姉ちゃんが居るんだけど――あ、高校生な――、あと父さん母さん、家族四人で暮らしてるんだ。砂原の家は? こっち方面? そう遠くないの?」

「俺ン家はオトンだけや。…二人で、アパート暮らししとる」

 ぼくは一瞬躊躇った。訊いても良いのだろうか。

「…お、母さんは?」

 砂原はゆっくり目を閉じ、懐かしそうに微笑んだ。ぼくが初めて見る砂原の優しい笑顔だった。

「俺産んですぐ、死んだ」

「………」

 微妙な空気が流れた。形式的には、謝るべきなのだろう。だが砂原の笑顔を見てまた躊躇った。なんだか砂原はそんな謝罪を求めていない気がしたのだ。

「……そっか。じゃ、砂原はお母さん似? ぼくは母さん似って言われるけど」

 謝罪はさけた。そのまま話を優先すると、砂原は目を開いてぼくを見た。そして口の端を上げた。

 砂原のニヤリとした笑い方に、僕は漠然と気付いた。

 試された。砂原はぼくがどういう反応を返すか、ぼくの人柄を量られたのだ。

「……」

 自然とぼくもニヤリと笑った。一人で戦ってもつまらなかった。だけどコイツは、砂原はぼくと戦ってくれる。応戦してくれたヤツは初めてだ。

 面白い。

「俺はオカン似やて、オトンが言うてたわ」

「姉ちゃんは父さん似なんだ。男はお母さんに似るっていうよね」

「その方が男前てな。俺も兄弟欲しいわ」

「えぇ~居たら居たで邪魔だよ。ぼくを見るたび小学生は良いよねーっていうんだ」

「オトンだってそうや。ガキは気楽でええってな」

 ぼくと砂原は顔を見合わせて口の端をあげた。お互い楽しんでいるのがわかる。

「子供だって、大変なのにね」

「ああ、色々あるさかい」

「社会の荒波に揉まれてるって、わからないかなぁ」

「引っ越ししたかて毎度苦労するのは、一から友だち作り直しの俺や」

 砂原がため息をついてブランコをこぎ出した。ふと訊ねてみた。

「今まで何回くらい引っ越したの?」

「十回以上。期間はまちまちやが、最短二週間で最長二年くらいか」

 指を折って思い出そうとする砂原。細かくは自分でもわからなくなったのだろう、数えるのを止めた。

 楽しんでいたぼくの気持ちは、次第にしぼんでいった。なんだか心臓が痛くなってきた。ワクワクが消えて、ドキドキが聞こえ出す。控えめに訊ねた。

「…また、引っ越すの?」

 ぼくが口に出した途端、砂原はこぐのを止めた。

「わからん。…オトンの都合や」

 それから少し黙り込んだ。話が途切れ、次に砂原が口を開いた時にでた言葉は帰りを促すものだった。日も暮れてきていたのでぼくも素直に頷いた。

「…あ、砂原」

 砂原を追っかけてきたぼくの家は逆方向だ。だから簡単な挨拶で背を向けた砂原を、思い出したように呼び止めた。砂原は黙ったまま振り返った。アスファルトが夕陽で赤く染まっていた。アスファルトに立つ砂原も。

「また明日な」

 なんとか切り抜けたと言うよりは、その戦いは物足りなかった。そして砂原と対戦するのは面白いが、今度は。

 今まで個人という旗を持って戦っていたぼくはこんなことを思わなかったけど。今日だけは、砂原とは戦い合うよりも共同戦線を張りたいと思った。健にだってこんなこと思わなかったのに、初めて出会った砂原と背中を合わせて戦う自分を思い浮かべて、無敵だと思った。

 一瞬躊躇った砂原が、迷った末に口を開いた。

「遠藤……お前、名前は?」

 そう言えばきちんと名乗らなかった。自分のミスに苦笑して応えた。

「遠藤七尾(ななお)。みんなはナオって呼ぶよ」

「……さよか」

「砂原もそう呼んでよ。ぼくもコーヤでいい?」

 考えるように砂原は口を閉ざした。お互いの顔を見つめてしばらく経った後、砂原は顔を背けて歩き出した。

「そう呼んでもかまへん。けど俺は呼ばん」

 なんでだよ。砂原は背中を向けていたけど、ぼくの思いが聞こえたかのようなタイミングで続きを話した。

「……お前らは珍しい転校生やけ、覚えとるかもしれんけど。こんなん引っ越しだらけの俺が……聞いたかて忘れてまうわ」

「じゃあなんで聞いたんだよ。ぼくの名前」

「おもろいやっちゃなー思うて、聞いてみただけや。もう二回引っ越しでもしたら忘れるかもな。………けど」

 砂原は半分振り返った。その顔は笑っていて、立ちつくすぼくの顔を見てこう言った。

「ナナオなんて変な名前、忘れとうても一生無理やわ!」

 ぼくはきょとんと笑う砂原を見て目を丸くした。くつくつ笑って背を向けた砂原を見つめた。

 なんて寂しそうな背中だ。

 そりゃー引っ越しばかりの砂原は友だちになっても別れてばかりで、しかも二週間だけしか居なかったりしたら相手の名前だって忘れたりするよ。しだいに記憶の中の顔も薄れていっても、それが相手に失礼、とか、思ったってしょうがないじゃん。記憶なんて曖昧なモノだもん。

 でも砂原はそれが嫌だから誰かと仲良くしようとしないのかな。しゃべるとこんなに面白くて良いヤツなのに、愛想の悪い転校生のフリをするのかな。

 素直じゃないな、寂しいんだろ? 友だちいなくたって平気って言うヤツもいるけど、そのフリして我慢するのはおかしい。変だよ。

 ぼくみたいに楽しむための『戦い』じゃなくて、砂原は必然的に『戦って』いた。寂しいから戦いを覚えて。相手との駆け引きを学んで。傷つくことを恐れて避けて。孤独を知ってる。

 素直じゃなくて、ちょっと強情で、賢くて、妙に聡い。愛想はあるけど寂しがり屋で、望んだことを口にしない。気づいて欲しいと思うタイプで、扱いはきっと難しい。

 でも。


―――遠藤ッ!


 ぼくがブランコから落ちそうになったら、心配して手を伸ばしてくれるヤツだ。

 自然とぼくは嬉しくなった。最初みたいに、ワクワクが大きくなっていった。そしてまだ見える砂原の背中を、追いかけた。

「……待てコーヤ! どこが変な名前だ!?」

 叫ぶと砂原は驚いて振り返った。その顔は徐々に嬉しそうに破顔して、減らず口を叩く。

「どこもなにも、ナナオなんて滅多におらんで」

「格好いいだろ!」

「俺のがカッコええわ」

(……あ)


 今一番、心から砂原が笑った気がした。




 それから半年後。砂原は居なくなった。

 父親の仕事の都合で突然の引っ越しと転校。ぼくに別れの挨拶も無しだ。その事実をぼくは先生から朝のホームルームで聞いたのだ。

 先生の言葉とクラスメイトのざわめき。慣れて親しみやすくなってきたところだったのでみんな信じられないと残念そうに言った。

(………なんだよ)

 黙ったまま、どっか行きやがった。

 背中を合わせて共に戦うこともなく、ぼくの一番の戦友ともだちは姿を消した。




     * * *




 そんなこともあった。

 今ぼくは、姉ちゃんがあんなに大変そうだった高校生をやっている。『やっている』はおかしいか。案外高校生になってみると姉ちゃんが言っていたほどつまらないモノでもない。

 砂原とはあれから会うことはなかった。当時クラスで一番チビだったぼくだけれど、今は背も伸びた。

 ぼくは一人で『戦い』を続けた。でも砂原ほど気の合うヤツと出会うことはなかった。

 何となく忘れることも出来ず、七年も経ったのに当時の半年間の記憶は鮮明だ。

「おーい遠藤~、帰ろうぜ」

「おう」

 当時の友だちはまだ『ナオ』と呼ぶが、中高生になって出来た友だちは苗字で呼ぶ。

 そうだ砂原は。一度も『ナオ』とは呼ばなかった。ずっと『遠藤』と。

(『ずっと』っても、半年だけど)

 ワンショルダーの鞄を背負い、校門まで自転車を押して歩いていくと。ぼくの懐かしさを後押しするように、関西弁が聞こえてきた。

「ちょっ、まってぇな! かなわんなーもう」

 ワイのワイのとお節介な女子に囲まれた関西人が、所在なさげに頭を掻いた。横目で見て呟く。

「なんだろうなアレ」

「あの辺の女子の友だちじゃねぇ?」

 そんな雰囲気ではないが。どちらにせよ、砂原を思い出して嫌だ。

 そこを通り過ぎようとした時。

「あっ、―――ナナオ!」

 関西人が、ぼくの名を呼んだ。ゆっくり振り返ると、女子をかき分けて謝りながら、ぼくの方に駆けてきた。その顔は、面影があった。

「ナナオやろ? 久し………」

 最後まで聞く前に。

「どの面下げて現れやがったぁーッ!」

 右ストレートを顔面に。しかし普通のやつなら確実にもらうそれを、コイツは両手を重ねて受け止めた。ちっ、どこまでも捻くれた野郎だ。

「いっ…きなり何さらすんじゃこのボケー! 俺やなかったら決まってるで!」

「ったりまえだ。決めようとしたんだッ」

 後ろで友だちが、正面は女子たちが。状況について理解できずにポカンとしている。でも関係ない。ぼくはこの七年、ずっと腹を立てていたのだから。

「それが久しぶりに会うた友だちにする挨拶かい!」

「そっちこそ挨拶も無しに引っ越しやがって、調子良いこと言うな!」

「また引っ越して戻ってきたから、一番に挨拶しにきたったんやろうが」

「……………あ?」

 自然と少し見上げる。ぼくも背は伸びたのに、砂原はまだぼくより背が高かった。

「親父の仕事も落ち着いて、どっかに定住するて言いだしよったんや。ほんで今まで俺が転校繰り返して苦労させたから、何処がええか選べって言われて。迷わずここ選んでんぞ俺」

「………へぇ」

「反応そんだけかい!」

「なんでここを?」

 砂原は、少し躊躇ったように逡巡した。

「そら……お前おるし」

「わざわざ、十以上の転校先から此処を選んだわけ」

 ぼくの言い方に砂原は眉を顰めた。ぼくの言い方にかなり棘があるからだろう。わざとだけど。

 今まで消せなかったモヤモヤを発散したかった。でもあんまりすると怒るだろうからそろそろ止める。

「ま、オレの名前忘れてなかったし。許してやるか」

「お前……また試したか?」

 ニヤリと笑う。

「変わってなくて嬉しいよ」

「お前は性格悪くなったな……」

 後ろで一部始終見ていた友だちは、喧嘩腰だったぼくたちが笑ったのをみて安心したのか、先に帰るから昔語りでもしろよ、と言って手を振った。気を利かせて帰るその背にぼくも声をかけた。

「ああ、悪いな」

 手を振り返すぼくを見て、砂原は呟いた。

「自分のコト『オレ』っていうようになったん?」

「まあね。そんなことより」

 見下ろされるのは嫌だったので、砂原の首元を引っぱった。急に引っぱられて砂原は目を見開く。目線を合わせて顔を近づけてニヤリと笑った。

「…初めてオレの名前呼んだだろ? コーヤ」

 砂原は、きょとんとぼくを見た。そして次第にニヤリと笑った。

「ナナオなんて変な名前、一生忘れへんて言うたやろ」

「変は余計だ」

 顔を見合わせたまま、ぼくたちは吹き出した。

 戦友が、帰ってきた。

「せやナナオ。ウチ寄ってけや、親父が会いたがっとるんや」

「はあ? なんで」

「なんや俺がナナオの話したら、いっぺん会わせぇてうるさいねん。頼むわ」

 七年も前の友だちの居る所を即答した息子。仕事の都合で連れましてしまった息子の友だちの顔を見てみたいらしい。

「ふーん……別に減るモンじゃないし良いけど。あ、もしかして。だからコーヤ此処にいたのか?」

 促されて歩き始めながら、砂原は徒歩だったのでぼくも自転車に乗らずに手で押す。

「ああ。俺の転入は明日やから今日はまだ暇やったんやけど…門の前でお前待っとったら女の子が声かけてきて、俺喋り関西弁やん? 珍しかったんか囲まれてもうてん」

 ちょっと待て。

「……転入?」

「おう。もう入学テストも合格してるで。近頃は親切やな~、候補クラスあるか聞かれたから、遠藤七尾と同じクラスがええって言うといた」

 明日からコイツは、またぼくのクラスメイトと言うことだ。声も出せずに驚いたぼくの顔を満足そうに見て、砂原は笑った。

 記憶の中より、コイツはよく笑うようになっていた。

「……コーヤ。言うの忘れてた」

「ん?」

「おかえり」

「………ただいま」

 七年前に夢見た共同戦線を張る時は、そう遠くないように思えた。

 そしてその図を想像して、笑う。



 やっぱりぼくたちは無敵だと思った。




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