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24時間以内に死ぬ呪いにかかった令嬢ですが、転生∞回目の白魔道士様に押し倒されました。

掲載日:2026/03/28

「……んっ、ぁ、る、か様……息がっ……」


視界がぐらぐらと揺れている。唇を塞ぐ柔らかくも強引な感触。そこから、私の体内へ莫大な熱――高位浄化魔法の光が直接流れ込んでくる。


それは、私の全身の細胞を焼き尽くそうとする「何か」と衝突し、体内で爆発的な衝撃を生んでいた。痛い。熱い。けれど、彼の魔力がその苦痛を甘い痺れへと変えていく。


ルカ・オルコット。


国一番の天才白魔道士であり、その美貌と温厚な人格で、老若男女を問わず絶大な人気を誇る、まさに国の至宝。天使のような微笑みを絶やさない彼が、今はひどく切羽詰まった、泣き出しそうな、そして、底知れぬ狂気を孕んだ瞳で、私を寝室のベッドに押し倒していた。


「ごめん、ヴィクトリア。ごめん……でも、もうこれしかないんだ。許してくれなくていい。憎んでくれていい。ただ、生きて。僕の隣で、生きていて……!」


ちゅ、と水音が響くたびに、私の意識は彼の甘い魔力に溶かされ、遠のいていく。


どうして、こんなことに……?

私はただの、普通の公爵令嬢だったはずなのに。


もうろうとする意識の中で、私の記憶は、すべての始まりである『最初のあの日』へと巻き戻っていった。



私、ヴィクトリア・アシュバートンは、幼い頃から「普通の女の子」になることに憧れていた。


公爵令嬢という身分は、常に完璧であることを求められる。政略の駒として扱われ、本当の私を見てくれる人なんていない。そんな、冷たい檻のような生活。


だからこそ、彼――勇者アルトが私の前に現れた時、私は彼を運命の人だと信じてしまったのだ。


「公爵令嬢という重圧の中で、君はずっと戦ってきたんだね。健気だ……俺が、君のすべてを受け止めてあげる」


星空の下、彼は私の手を取り、真摯な瞳でそう囁いてくれた。


魔王を倒した勇者。誰もが憧れる英雄が、ただの私を「健気」だと言ってくれた。その言葉に、私はどれほど救われただろう。彼となら、温かい、普通の家庭を築けるかもしれない。


けれど、それは甘い幻覚に過ぎなかった。


王命によって私との婚約が決まった後、学園での私の日常は地獄へと変わった。


アルトを熱狂的に愛する令嬢たちからの、陰湿な嫌がらせ。

上履きにはカミソリの刃が仕込まれ、教科書は切り刻まれ、ロッカーを開ければ血まみれの猫の死骸が転がり落ちてくる。


恐怖で震える私を、アルトはいつも優しく抱きしめてくれた。


「辛い思いをさせてごめん。でも、君が耐えてくれるから、俺は戦えるんだ。君だけが、俺の本当の理解者だ」


彼のために、私が傷つくのは仕方がない。そう思わされていることに、私は気づけなかった。


「ヴィクトリア、卒業までは、この指輪を違う指にしておいてくれないか」


あの日、卒業式を間近に控えた放課後。アルトは照れくさそうに笑いながら、私の右手の薬指に、美しい銀の指輪をはめてくれた。


精巧な細工が施された、一見するとただの美しいジュエリー。


「俺たちの愛の証だ。卒業したら、左手の薬指にはめ直すから」


初めての、彼からのプレゼント。私は嬉しくて、何度も何度もその指輪を見つめた。これが、私の苦難の終わりの合図だと思っていた。


しかし、その帰り道だった。


領地へと向かう馬車が、突然コントロールを失った。御者が悲鳴を上げる間もなく、馬車はガードレールを突き破り、断崖絶壁へと真っ逆さまに転落していった。


ガシャンッ!という鼓膜を破るような轟音。

天地が逆転し、全身の骨が砕けるリアルな感覚。

肺に突き刺さった折れた肋骨。口から溢れ出す大量の血。


(ああ……アルト……)


激痛と絶望の中で、私は彼から貰った指輪を握りしめながら、冷たい闇へと落ちていった。

それが、一回目の人生の終わりだった。





「はっ……!!」


滝のような冷や汗をかいて、私はベッドから跳ね起きた。


全身をペタペタと触る。骨は折れていない。血も出ていない。ここは公爵邸の私の自室だ。窓からは、見慣れた朝日が差し込んでいる。


「……怖い、夢……?」


馬車が転落する時の、あの全身が砕けるような衝撃と、口の中に広がる錆びた血の味。それはあまりにもリアルで、夢と片付けるには無理があった。


あの日、アルトから指輪を貰った。その指輪は……。

私は自分の右手に視線を落とし、心臓が凍りついた。


右手の薬指には、昨日、アルトから貰ったはずの『銀の指輪』が、冷たい光を放っていたからだ。


夢じゃない。私は確かに死んで、なぜか少し前の時間に戻ってきているのだ。


卒業式前日の、あの朝に。


混乱したまま登校した私は、学園の廊下で、ある人物に呼び止められた。


「アシュバートン公爵令嬢……ヴィクトリア、だよね? 少し時間、いいかな」


透き通るような銀髪と、アメジストの瞳。国一番の人気を誇る天才白魔道士、ルカ様だった。


普段なら、彼のような雲の上の存在に話しかけられることなんてない。けれど、彼は今、ひどく切実な、すがるような瞳で私を見つめている。


そして何より、その瞳の奥には、美貌に似合わない深い隈と、疲労感が滲んでいた。


「……何か、ご用でしょうか、ルカ様」


私が戸惑いながら答えると、彼は私の右手を、壊れ物を扱うようにそっと取った。その手が、微かに震えている。


「その指輪……とある『呪い』の調査をしていて、君の指輪に似た術式を感じたんだ。少し、見せてもらえないか?」


そのアメジストの瞳の奥にある、尋常ではない熱に、私は本能的に恐怖を感じて、思わず手を引いた。


「いえ、これは……婚約者からいただいた大切なものなので」


アルトを疑いたくない。それに、彼が呪いなんて。


私が拒絶すると、ルカ様は傷ついたように顔を歪めた。その顔は、まるで愛する人に裏切られたかのような、深い絶望を湛えていた。


「ヴィクトリア……君は今、ひどい嫌がらせを受けているね? 上履きに刃物とか、猫の死骸とか……僕に相談してほしい。君を守らせてくれないか」


どうして、彼がそんなことを知っているのか。


けれど、私は首を横に振った。彼のような国の至宝が私に関われば、今度は彼がファンから攻撃されるかもしれない。それに、私にはアルトという婚約者がいる。


「平気です。アルト様は人気者だから、ファンの方の嫉妬は仕方ないんです。普通の女の子なら、これくらい耐えないと、彼に相応しくないから……」


「違うっ!」


ルカ様が突然、悲鳴のような声を上げた。温厚そうな彼からは想像もつかない、裂けるような声。


彼は私の肩を掴み、泣き出しそうな顔で、けれどその瞳には、異様な執着を滲ませて私を見つめた。


「それは普通じゃない! どうして君ばかりが傷つかなきゃいけないんだ……! あの男は、君を……!」


「ルカ様!」


私が彼のあまりの気迫に身を硬くすると、彼はハッとしたように我に返り、掴んでいた手を離した。


「……ごめん。急に、変なことを言って。でも、これだけは覚えておいて。僕は、何があっても君の味方だから」


彼はそう言うと、最後まで私を心配そうに見つめながら、その場を去った。


放課後。


私は案の定、人気のなくなった旧校舎のトイレで、令嬢たちに囲まれた。


個室に閉じ込められ、頭から泥水をぶっかけられる。冷たい水が制服を濡らし、惨めさで涙が溢れた。


「アルト様に相応しくない泥棒猫! 死ねばいいのに!」


罵声を浴びせられ、屋上へと引きずり出される。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


泣きながら許しを乞う私の背中を、誰かの手がドンッと強く突いた。


「え……?」


足場が消えた。風が全身を打ち据える。


落下していく視界の端、屋上のフェンスから身を乗り出す、銀髪が見えた。


「ヴィクトリアアアアアッ!! なんで、僕に頼ってくれなかったんだ……!!」


ルカ様の、血を吐くような絶叫。


彼が手を伸ばしていた。でも、その手は私には届かなかった。


そして次の瞬間、私は再び、アスファルトに叩きつけられる激痛とともに命を散らした。


二回目の人生の終わり。





「っ、あ、ああっ……!」


再び自室のベッドで目覚めた私は、過呼吸を起こしながら喉をかきむしった。


痛い。痛い。身体の芯に、叩き潰された感覚が、脳裏にアルトのファンたちの嘲笑が、こびりついて離れない。


右手の指輪は、外そうとしても肌に吸い付くように外れない。


これはループだ。私は、殺されている。

そして、あの銀の指輪がその原因だ。


学園に登校しても、生きた心地がしなかった。

空気が重い。昨日までとは違う。何かが、おかしい。


学園の敷地に入った瞬間から、常に誰かに見られているような、命の底を舐め回すような、じっとりとした視線を感じる。


でも、振り返っても誰もいない。


(……気のせいじゃない。これは、誰かが私を監視しているんだ)


階段を上ろうとすれば、足元が滑り、危うく転げ落ちそうになる。

廊下を歩けば、頭上から花瓶が落ちてくる。

すべてが「偶然」を装っているけれど、そのすべてが、私を殺そうとしている。


私は恐怖に震えながら、一日を過ごした。


昼休み、中庭のベンチでうずくまっていると、


「ヴィクトリア」


と声をかけられた。


「……ルカ、様」


見上げると、そこには前回のループで私を救おうとしてくれた、ルカ様が立っていた。


その優しい微笑みを見た瞬間、前回の彼の絶叫が蘇り、張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ。


「大丈夫……? 顔色が悪いよ」


「はい……少し、寝不足で……」


「嘘だ」


ルカ様は私の隣に座ると、私の髪を優しく撫でた。その手は、壊れ物を扱うように丁寧で、けれど、二度と手放さないと誓うような、強い意志を感じさせた。


「君は今、とても怯えている。学園の中が、怖いんだね」


「……どうして、それを」


「僕には、分かるよ。君のことなら、何でも」


彼はそう言うと、バスケットからイチゴタルトを取り出した。


「これ、君の好きな『天使の羽』のタルト。昨日、並んで買ってきたんだ。一緒に食べよう?」


(どうして……私がこのお店の、このタルトが一番好きだってこと、誰にも言ったことないのに……)


アルトだって、私にくれたことはなかったのに。


ルカ様は、私の好物を、完璧に把握していた。


彼に促されるまま、私はタルトを一口食べた。


甘いイチゴと、サクサクのパイ生地。その瞬間、恐怖で麻痺していた舌に、味が戻ってきた。


「美味しい……?」


「はい……とても」


「よかった。ねえ、ヴィクトリア。何かあったら、絶対に僕を頼ってね。君のことは、僕が絶対に守るから。何があっても」


「ルカ様……」


誰にでも優しいと噂の彼。しかし、私を見つめるそのアメジストの瞳の奥には、ドロドロとした黒い執着が渦巻いているような気がした。


その時、ルカ様がふと、私の右手に視線を落とした。


「その指輪……まだ、つけているんだね」


彼の声が、突然低くなった。


「勇者アルトからの、プレゼント……」


「はい……」


私が小さく答えると、彼は私の右手を、今度は少し強く握りしめた。


「ヴィクトリア、その指輪は……」


彼は何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。そして、もう一度、私の髪を撫でた。


「……ううん、何でもない。ただ、僕が君を守るから。それだけは忘れないで」




放課後。ルカ様は「家まで送るよ」と申し出てくれたが、私は頑なにそれを拒否した。


もし、この呪いが彼を巻き込んでしまったら? 国の至宝である彼に怪我でもさせたら、それこそ取り返しがつかない。それに、どんなに彼が優しくても、私にはアルトという婚約者がいるのだ。これ以上、彼に甘えるわけにはいかなかった。


「……一人で帰ります。お気遣い、ありがとうございます」


無理やり笑顔を作って背を向けた私を、ルカ様は引き留めなかった。ただ、背中に突き刺さるような、切痛な視線だけがいつまでも残っていた。


一人で王都の大通りを歩いていると、周囲の空気が再び重く、冷たくねっとりとしたものに変わっていくのを感じた。


(……見られている。どこから?)


周囲を見渡しても、行き交う人々は皆、私のことなど気にも留めていない。なのに、命の底を舐め回されるような悪寒が止まらない。


その時だった。

ギギギ……、メキィッ……!


頭上から、不気味な金属の軋む音が響いた。


見上げると、五階建ての建物の壁面に設置されていた巨大な鉄製の看板が、根元からひしゃげ、私を目掛けて真っ逆さまに落下してくるのが見えた。


「きゃあっ!?」


本能のままに地面を蹴り、間一髪でその場から飛び退く。


直後、鼓膜を破るような轟音とともに、私が先ほどまで立っていた場所に看板が突き刺さった。アスファルトが砕け散り、土煙が舞う。


「ひ、ひぃっ!」


「誰か、救護班を! 人が下敷きに!」


悲鳴が上がり、周囲はパニックに陥った。見れば、私のすぐ横を歩いていた見知らぬ通行人が、看板の下敷きになって血の海に沈んでいた。


(違う……! あれは私を狙って落ちてきたんだ……! 私が避けたせいで、関係ない人が……!)


この呪いは、単なる不運ではない。世界そのもの、因果律を捻じ曲げてでも、絶対に私を殺そうとしているのだ。


恐怖で頭が真っ白になった私は、大通りを逃げ出し、人通りのない薄暗い裏路地へと駆け込んだ。


しかし、それが致命的なミスだった。

人気のない場所は、呪いにとって最も都合の良い処刑場だったのだ。


私が古びた廃ビルの横を通り抜けようとした瞬間、建物の足場が、まるで意志を持っているかのように轟音を立てて崩落し始めた。


鉄骨と大量の木材、コンクリートの塊が、雨のように頭上から降り注ぐ。


逃げ場はない。前も後ろも、瓦礫の壁で塞がれた。


「あ……」


ドンッ! という衝撃。


巨大な鉄骨が私の背中を直撃し、地面に叩きつけられた。全身の骨という骨が砕け、内臓が破裂する嫌な音が体内で響く。


口からごぼりと大量の血が溢れ出し、冷たい石畳を赤く染めていく。


痛い。苦しい。どうして、私ばかりこんな目に。


薄れゆく意識の中、血溜まりに顔を伏せる私の耳に、弾かれたような足音が近づいてくるのが聞こえた。


「ヴィクトリアッ!!」


それは、悲痛なルカ様の声だった。彼は崩れ落ちた瓦礫を、素手で、血を流しながら狂ったようにどかそうとしている。


「……間に、合わなかった……! また、僕のせいで……ヴィクトリア、いやだ、逝かないで……!」


彼の美しい銀髪が私の血で汚れ、アメジストの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


泣かないで。あなたは何も悪くないのだから。


そう伝えたかったけれど、私の喉からはヒューという空気の漏れる音しか出なかった。


彼の絶望の慟哭を子守唄に、私の世界は三度目の暗闇に沈んだ。





四度目の目覚め。

私はもう、ベッドから起き上がることすらできなかった。


「あ、ああ、あああ……っ」


嗚咽が止まらない。涙が枯れるほど泣き、ただただ絶望感に苛まれていた。


骨が砕ける感触。内臓が潰れる痛み。血の匂い。それらがすべて、脳味噌にこびりついて離れない。右手の指輪は、呪いのように私の肌に食い込んでいる。


どうして私ばかり。何も悪いことはしていない。誰かを傷つけたこともない。ただ「普通の女の子」として、誰かに愛されたかっただけなのに。


それでも、学園に行かなければ、公爵家から見放される。這うようにして馬車に乗り、学園にたどり着いた私は、教室には行かず、最も人気のない旧校舎の奥深く、埃を被った図書室の陰に身を潜めた。


暗い本棚の隙間で、両膝を抱えてガタガタと震え続ける。

ここなら、看板も落ちてこない。馬車にも轢かれない。


しかし、そんな私の淡い期待は、すぐに打ち砕かれた。


「……見つけた。もう、絶対に逃がさない」


荒い息をつきながら現れたのは、ルカ様だった。彼は私を見つけるなり、有無を言わさず私の肩を掴み、その腕の中に強く、痛いほどに私を抱きしめた。


彼の体温が、凍りついていた私の身体に流れ込んでくる。


「ルカ、様……どう、して」


「君のその指輪は『呪い』だ。24時間以内に、君を必ず死に至らしめる最悪の魔道具。因果律を歪め、ありとあらゆる手段で君を殺そうとする」


彼は早口でそう告げると、私の右手を強く握りしめた。


「でも、大丈夫だ。僕に任せてくれ」


彼はそう言うと、持てる魔力の全てを込めて、圧倒的な高位浄化魔法を指輪に放った。眩い光が図書室を真昼のように照らし出す。


これなら、呪いが解けるかもしれない。

そう思った次の瞬間――。


パキィンッ!


ガラスが割れるような甲高い音とともに魔法は弾かれ、ルカ様は「ごほっ!」と大量の血を吐いて膝をついた。


「ルカ様!?」


「……くそっ、術式が深すぎる。ただの呪いじゃない、使用者の命運すら代償にしている……!」


口元の血を拭いながら、彼は血走った瞳で私を見た。


「ここじゃ駄目だ。僕の隠れ家に行こう。あそこなら、死神すら入れない」


彼は私を抱き上げ、誰も知らない彼の屋敷の地下へと連れて行った。


そこは、魔法陣で何重にも結界が張られた、窓の一つもない地下室だった。豪華なベッドと、大量の魔導書。外界から完全に隔離された空間。


そこで彼は、一日中私から片時も離れなかった。


私が水を飲む時も、恐怖で震えてうずくまっている時も、ずっと私の背中をさすり、甘い声で慰め続けてくれた。


「大丈夫。僕がいる。結界は完璧だ。君の髪一本だって、死神には触れさせないから」


その過保護なまでの、狂気すら感じる優しさに、私は初めて、心からの安心を覚えた。彼なら、この絶望のループから救ってくれるかもしれない。アルトでさえ気づいてくれなかった私の苦しみを、彼だけが理解して、ともに戦ってくれている。


夜が更けた。


結界の中で、呪いの気配は完全に途絶えていた。時計の針は、私が前回のループで死んだ時間をとうに過ぎている。


「……少し冷えてきたね。温かい紅茶を淹れよう。毛布も持ってくるから、絶対にここから動かないで」


ルカ様が立ち上がり、部屋の奥の戸棚へと向かった。

たった数メートルの距離。ほんの十秒にも満たない、一瞬の隙。


その時だった。


音もなく、私の背後の空間が泥のようにドロリと歪んだ。


(え……?)


何重もの結界すら通り抜けて現れたのは、黒い靄のような人影だった。呪いが「事故」を諦め、因果律を強制的に捻じ曲げて生み出した『暗殺者』というイレギュラー。


振り向く暇もなかった。


氷のように冷たい刃が、私の背中から胸へと、深々と突き刺さった。


「あ……がっ……」


胸から突き出た剣の切っ先から、ぼたぼたと、嘘のように真っ赤な血がこぼれ落ちる。


紅茶のカップを手に振り返ったルカ様の顔から、すべての表情が抜け落ちた。


ガシャンッ、と陶器が砕け散る音が、地下室に虚しく響く。


「ヴィ、クトリア……? 嘘、だろ……」


彼は信じられないものを見るように目を見開き、そして、獣のような、内臓を吐き出すかのような絶叫を上げた。


「あああああああああああああっ!!!!」


血の海に倒れ込む私にすがりつき、彼は顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫んだ。純白の魔道着が、私の血で赤く染まっていく。


「いやだ、いやだ! まただ、また僕の前で……! ヴィクトリア、お願いだ、目を開けて!!」


(ごめんなさい、ルカ様……。私を助けようとしてくれたのに……)


彼の狂おしいほどの温もりと、顔に落ちる熱い涙を感じながら、私は四度目の死を迎えた。





「……んっ、ぁ、る、か様……息がっ……」


「ごめん、ヴィクトリア。もうこれしかないんだ。許してくれなくていい。ただ、生きて」


(……ああ、そうか)


五度目――いや、彼にとっては一体「何回目」なのだろうか。


ルカ様のあの言葉。「また僕の前で」。彼は、この地獄のようなループを、私の知らないところでずっと、ずっと繰り返していたのだ。


ルカ様は私をベッドに押し倒し、唇から直接、己の魔力と生命力を叩き込んでいた。


結界すら無意味なら、外部からの魔法が弾かれるなら。


彼が導き出した答えは、粘膜接触によって私の体内を彼の膨大な魔力で完全に満たし、呪いのシステムそのものを『内側から麻痺させて破壊する』という荒業だった。


狂ったように貪られる唇。甘く、苦しい熱。


彼自身の命を削るような、圧倒的な魔力の奔流が私の体内を駆け巡る。


ピシッ……ピキィンッ!


私の右手の薬指で、呪いの指輪が悲鳴を上げた。そして、耐えきれなくなったかのように、粉々に砕け散った。


「……はぁっ、はぁ……ヴィクトリア……」


呪いが解けた安堵からか、ルカ様が泣き笑いのような顔で私を抱きしめる。


しかし、一般人の私に、天才白魔道士の全力の魔力はあまりにも強すぎた。許容量を超えた魔力を注ぎ込まれた私の意識は、真っ白にショートし、そこで途絶えた。



翌日。学園の中庭は、異様な騒ぎに包まれていた。


「……ん……」


私が目を覚ますと、そこは学園の校舎の二階、中庭を見下ろすバルコニーだった。私は、ルカ様の腕の中にすっぽりと抱かれていた。


「おはよう、僕のお姫様。気分はどう?」


ルカ様が、私の髪にキスを落としながら優しく微笑む。指輪は、もうない。呪いの気配も消え去っていた。


「ルカ、様……ここは? 下の騒ぎは……?」


「少し、面白い劇をやっているんだ。君も見てごらん。君の人生を狂わせた、愚か者の末路を」


彼に促されて下を見下ろすと、中庭の中心には、白いシーツを被せられた『ヴィクトリアの死体』が転がっていた。ルカ様が魔法で精巧に作り上げた、血まみれの身代わりの人形だ。


その横で、私の婚約者である勇者アルトが、芝居がかった大声で泣き叫んでいた。


「ああ、ヴィクトリア! 俺の愛する人よ! なぜこんな残酷な運命が彼女を襲ったんだ……! 魔王を倒した俺でさえ、最愛の女性一人守れないなんて!!」


その言葉を聞いて、周囲の生徒たちはハンカチで目頭を押さえ、アルトに同情の涙を流していた。「なんて可哀想な勇者様」「ヴィクトリア様は彼に相応しくなかったけれど、不憫だわ」と。


(……アルト。あれだけ私が苦しんでいた時は、笑っていたのに)


胸の奥が、すっと冷えていくのがわかった。


その時、ルカ様が私の耳元で囁いた。


「悲劇のヒーローを演じるのは気分がいいかい、勇者アルト?」


ルカ様の声は、バルコニーから中庭全体へと、魔法で拡張されて響き渡った。


静まり返る生徒たち。中庭に降り立ったルカ様の姿を見て、アルトは「な、何を言うんだルカ先輩! 俺は最愛の婚約者を失って……!」と顔を引き攣らせた。


「最愛? 吐き気がするな。君が彼女に贈ったその指輪が、彼女の命を奪った張本人だというのに」


「なっ……証拠もないのにふざけるな!」


「証拠なら、君自身に語ってもらおうか」


ルカ様がパチンと指を鳴らした瞬間、アルトの足元に、禍々しくも美しい巨大な魔法陣が展開された。

『自白魔法』――対象の精神を強制的に開け放ち、嘘を一切許さない、国宝級の禁忌魔法。


アルトの顔が恐怖に歪み、自らの意志とは無関係に、口が勝手に動き始めた。


「ヴィクトリアなんて……! あんな地味で面白みのない公爵令嬢、最初から邪魔だったんだよ! 俺には本気で愛している、マリアという女がいる!」


「なっ……!?」


周囲の生徒たちが、息を呑む。


「じゃあ、ヴィクトリア様への愛は……」


誰かが震える声で問うと、アルトは首を振りながらも、口からはドロドロとした本音が垂れ流されていく。


「愛してるわけないだろう! あの女は俺の保身のための盾だ! 俺の人気に嫉妬したファンからの嫌がらせを、全部あの女に押し付けていたんだ! いつ死んでもいいように、あの呪いの指輪を俺が贈ったんだよ!! 邪魔な婚約者が『事故』で死ねば、俺は悲劇の勇者として同情を集められ、マリアと正々堂々結ばれるからな!!」


静まり返る中庭。


今まで彼を称賛していた生徒たちの顔が、一瞬にして軽蔑と嫌悪に染まる。


「最低……」「クズじゃない……」「自分が浮気するために、婚約者を呪い殺したの……?」


向けられる冷ややかな蔑視に、アルトは「ち、違う! これは魔法で言わされているだけで!」と見苦しく言い訳を重ね、無様に地べたを這いずり回った。


そこへ、重武装の騎士団が、一人の女子生徒を縛り上げて引き立ててきた。学園の魔法使いであり、アルトのパーティーメンバーだったマリアだ。彼女は青ざめ、ガタガタと震えている。


「勇者アルト。及び魔法使いマリア。暗殺の主犯格及び共犯として、両名を捕縛する。魔道具の購入記録、呪いの術式の痕跡、すべてルカ殿から証拠として提出されている!」


「いやだ! 放せ! 俺は勇者だぞ! 国を救ったんだ!」


「マリアは関係ない! アルトが勝手にやったことよ!」


互いに罪を擦り付け合いながら、見苦しい悲鳴を上げて騎士団に引きずられていく二人。完全な、因果応報の結末だった。


二階のバルコニーで、私はただ呆然と立ち尽くしていた。


「君だけが理解者だ」と笑ってくれたあの顔は、すべて嘘だった。

私が耐え忍んできた嫌がらせも、彼が私を盾にして楽しんでいただけ。

私が夢見た「普通の幸せ」は、最初からどこにもなかったのだ。

私が愛した人は、私を殺すために微笑んでいたサイコパスだった。


ガラガラと、私の中で「人間への信頼」という名の何かが、完全に音を立てて崩れ去った。


「……ヴィクトリア」


背後から、ルカ様が私をきつく、痛いほどに抱きしめた。

その腕は鉄のように硬く、絶対に私を逃がさないという意志に満ちていた。


「もう何十回、何百回と……君が血を流して死ぬのを見た。その度に、僕は狂いそうだった。君を救うためなら、僕は世界を敵に回したっていい。あんなゴミどもがいない、僕たちだけの場所へ行こう」


彼の声は甘く、ひどく熱に浮かされていた。


「僕と一緒に、崖の上の塔で暮らそう。君はもう、何も考えなくていい。学園にも行かなくていいし、誰とも会わなくていい。僕が一生、君にイチゴタルトを焼いてあげる。君の欲しいものは全部僕が与える。僕の愛だけで、君の空っぽになった心を、全部満たしてあげるから」


外の世界は怖い。

誰も信じられない。悪意と嘘と、死の恐怖に満ちている。


ならいっそ、この人の重すぎる愛という名の『檻』の中で、ただ可愛がられるだけの人形になってしまった方が、どれほど楽だろうか。


彼の愛は狂っているけれど、私を殺そうとはしない。私を絶対に手放さない。


私の頬を撫でるルカ様の手は、火傷しそうなほど熱かった。

「……うん……ルカ様。私を、連れて行って……」


私が思考を放棄して小さく頷くと、ルカ様は歓喜に顔を歪め、「ああ、愛している、ヴィクトリア」と叫びながら、私の首筋に深く、所有印を刻み込むように牙を立ててキスを落とした。


二度と出られない、狂愛の檻。


私の人生はここで終わってしまったのかもしれない。

それでも、痛みがなく、甘いお菓子と永遠の愛だけが与えられるこの鳥籠の中でなら、私は幸せに生きていける。


壊れた頭でぼんやりとそう考えながら、私はルカ様の背中に、ゆっくりと腕を回した。

長編にするか迷ってますが一旦短編で!良ければ評価お願いします。

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