第6話 「勇者」ではなく「ただの人」として
村での日々は、ゆるやかに形を整えていった。
朝、空が淡く光を帯びる頃に井戸へ行き、桶に冷たい水を汲む。
昼は畑で鍬を握り、汗を流す。
夜は火を囲み、残ったパンを噛み、藁の寝床に体を横たえる。
その繰り返しは単調でありながら、確かに「生活」と呼ぶに足るものだった。
けれど、私の胸の奥には奇妙な空虚があった。
物語のように、剣を抜き、怪物を討ち、村人から讃えられる未来は訪れなかった。
異世界に来たからといって、私には特別な力も知識も備わっていなかった。
ただの一人の少年として、ここで生きるしかなかった。
人々は私を必要とした。
しかしそれは「勇者」としてではなく、井戸から水を汲む手、畑を耕す背、薪を割る腕としてだった。
そこに称賛も畏敬もなかった。
ただ「役に立つ」という一点だけが、私をこの村に留めていた。
ある日、畑仕事の合間に、子どもが私の背中に石を投げた。
驚いて振り返ると、彼は無邪気な顔で笑っていた。
大人たちはその様子を見ても咎めなかった。
それは悪意ではなく、彼らにとって私は少し異質な存在にすぎないのだ。
笑いの対象、物語の外からやってきた影。
私はその事実を受け入れるしかなかった。
夜、火のそばでひとり腰を下ろす。
村人たちは輪をつくり、歌や物語を語り合っている。
その輪の中に私の席はなかった。
けれど、不思議とそれを強く求める気持ちも湧かなかった。
ただ耳を澄まし、言葉の意味を知らぬまま旋律を浴びていた。
そのとき、私はふと思った。
――人は必ずしも「誰か」である必要はないのかもしれない、と。
勇者でなくともよい。
選ばれた者でなくともよい。
ただ、誰かの暮らしを支える一つの影として在ること。
それが、この世界における私のかたちなのだと。
少女と再び会ったのは、その翌日の夕暮れだった。
彼女は野草を抱え、夕陽に照らされていた。
私を見つけると、穏やかに笑みを浮かべた。
その笑みに勇者への期待はなかった。
ただ同じ大地に立つ者への、ささやかな承認だけがあった。
私はその視線に救われると同時に、かすかな寂しさを覚えた。
人は「ただの人」として認められるとき、最も深く孤独を知るのかもしれない。
特別でないことは安心であり、同時に居場所を曖昧にする。
私はその狭間で揺れていた。
夜、藁に身を沈め、遠くで犬の遠吠えを聞いた。
それはまるで、勇者の物語から外れた者たちの声のように響いた。
私は静かに息を吐き、その声に自分を重ねながら、目を閉じた。