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第1話 異世界の風景との出会い

目を開けると、世界はもう変わっていた。


先に出会った曖昧な光の森を抜けたあと、私は丘を下りていった。

足を踏み出すたびに、土の匂いが濃くなり、風が髪を撫でていく。

その風は生暖かくも冷たくもなく、ただ私の体をすり抜けることで、ここが確かに現実であることを告げていた。


森を抜けると、目の前に広がったのは見渡す限りの草原だった。

草は私の膝ほどの高さまで伸び、風に吹かれて波をつくっていた。

それは海原のようでありながら、潮の匂いはなく、代わりに土と草の青臭い匂いが鼻腔を満たした。

目を細めると、遠くにかすかに光るものが見えた。

川だろうか。銀の糸のように細く、蛇行しながら大地を縫っている。


歩きながら、私は耳を澄ました。

草原は静かだったが、静寂ではなかった。

風が草を擦り合わせる音、遠くで鳥が鳴く声、川が岩に触れる水音。

それらが重なり合い、ひとつの旋律を奏でているようだった。

私はふと、その旋律を「世界の呼吸」と呼びたくなった。


やがて、小さな石の道に出た。

道は荒れていて、ところどころ草に覆われていたが、人が歩いた痕跡があった。

それを見て、私は胸の奥でかすかな安堵を覚えた。

――自分は完全に孤独ではないかもしれない。

その可能性だけで、足取りは少し軽くなった。


道を進むと、小川が現れた。

水は透き通り、底の石まで見えた。

指を浸すと冷たさが骨にまで沁みた。

その感触はあまりに鮮明で、私は思わず声をあげそうになった。

水滴を口に含むと、味はほとんどなかった。

しかし、その無味こそが、この世界の清らかさを証していた。


川辺に腰を下ろし、しばらく水面を眺めた。

水は流れ、空を映し、また流れていく。

私はその流れに、自分の記憶を重ねていた。

現世での断片――教室、雨の日、父の背中。

それらは水に浮かぶ泡のように現れては消えた。

私は両手で水をすくったが、すぐに指の隙間から零れ落ちていった。

それはまるで、記憶を掴もうとする私自身の姿のようだった。


川を渡り、さらに進むと、麦畑が広がっていた。

先に見たものと同じ銀色の麦。

風に揺れるその光景は、何度見ても現実離れしていた。

私は思わず足を止め、長い時間、その波を眺めていた。


けれども同時に、胸の奥で小さな寂しさが芽生えた。

この光景を誰かと分かち合えたなら、どれほど豊かだったろう。

しかしここには私しかいない。

美しさは、孤独と並んだとき、かえって鋭く胸を刺すのだと知った。


やがて夕暮れが訪れた。

空は茜から紫へと変わり、草原も麦畑もその色を帯びていった。

世界は静かに日を終えようとしていた。

私は立ち尽くしたまま、その移ろいを見届けた。


――この地は、私を迎え入れているのか、それとも試しているのか。

答えは分からなかった。

ただ、目の前に広がる光景は、紛れもなく「誰の夢でもない場所」だった。


その思いに胸を震わせながら、私は目を伏せた。

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