負の自己肯定中毒者
コロナウイルスに罹って今日で四日目症状は3日前から極めて軽症であり、体には多分以前罹ったため、抗体のようなものがあるのだろう。思考能力も何ら低下したとは感じられない。にもかかわらず、私は自分で律する目的でやった習慣を怠惰に甘え長期的な損失には目を向けず、目先の快楽を味わってしまったこの四日間であった。ここで過去の話をして憂いてはまた同じことを繰り返す。それが今までの自分だった。だが今頭によぎったのは過去を書くだけ書いて嘆いても過去に戻れるわけではなく、また、悲観しているだけで改善しない自分の醜悪さに気づいた。私は武器を使うところで使わず使わないところで使うらしい。つまり、感覚的に行動するところを無駄に考えて勝手に悲観し諦め、論理的に思考して行動するところをその場の気分で変えてしまい、怠惰に陥る。どうやらこの負のアルゴリズムが神経に刻まれているようだ。どうりで今まで後悔し、失い、絶望し、涙を流すのが、人より多いのか(あくまで個人の感想だが)、わかった。結局私は泣きたい時には泣いて、絶望する時には絶望する。いわば負の肯定ばかりしてしまっていた。そしていつも自己をダメな奴だと認識し負の自己肯定感を味わい、自己満足しているだけだった。これでは、「可哀想な俺カッコいいww」とか思っているやつと同じだ。気づくのに8年の月日が流れている。つまり、8年間負のナルシストだった。8年味わい続けた負の肯定感の味はまるでビールだ。私はまだ高校生なのでビールは飲めない。だが苦いらしい。苦くても大人は好んで飲む。私はそれを美味しいのか理解できないが、同じようなものだろう。中毒性があり、甘くなく苦い。だから飲んでしまう。つまり私は負の自己肯定中毒者だ。だからこれから負の感情が渦巻いた時、絶望したり憂いたりせず、直感的に「次の手はどうする?」と考える。勿論やり直しが効かないミスもあると思う。だが、そこに至るまで、またはやり直しが効かないミス自体には、些細なミスが連鎖してそれはまるで、パズドラのようなコンボになるから取り返しがつかなくなるのだろう。ならば小さなミス(ここでいう取り返しのつかないミスの起点)を小さい頃から直感的に断ち切る習慣をつけなければならない。
そのためには負の肯定をして満足をせず、次どうすればやらないか、この後どうすれば、取り返せるかを考えたい。人生は一種のスポーツでもあり長いカードゲームだ。直感と思考という手札を、うまく使い分ければその時点で勝ちが決まる。要は「いつ勝ちが決まるかわからない不安定なエグゾディア」とでも言おうか。このエグゾディアは、いつ手札から落ちるかわからない。不安定だから。いつ勝つかもわからない。不安定だから。でも持っておいて損はない。思考次第では対策できる手札はいくらでも作れる。しかもゲーム中に。こんなにもチートなことがあるだろうか?。なろう系ではないが自分でカードを作った某無色文明の主人公もできないような芸だ。だから今からでも実行に移る。