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 4という数字は「死」に繋がるとされ、日本では縁起が悪いと忌避される。

 しかしドレミの歌にもある通り、「シは幸せよ」だ。

 つまり、ネガティブに捉えられることはポジティブにも捉えられるということである。

 陰陽、光と影は表裏一体でそこに在るだけに過ぎない。

 僕の忌避されるストーリーも、有効活用利活用できるはずである。

 そんなわけで、少しはポジティブな話もしよう。

 今これを書いている僕は人生にそれなりに満足しているし、仮に今死んでもそんなに後悔はないなと思えている。

 なぜならば自分の過去と向き合い、己れを許しているからだ。

 もちろん、僕の過去を人に話した時、忌み嫌われる可能性の方が高いだろう。

 しかしどの人のどんな人生にも僕は一定の理解を持っている。

 生まれながらにして悪人、善人、なんて人間はいない。

 最初は無から出発するはずだ。

 だから悪い人間には悪く育った環境や運やタイミングがあるだけに過ぎない。

 そのことを受け入れられないのは、幸せな環境で育った凡人だからである。

 僕は悪に手を染めてしまった。

 それを生まれ持ったサガだと捉えてもいいが、自分だけは自分を肯定していないと、もっと悪の道に向かうことになりかねない。

 心理学がそう結論づけていることを知り、僕は科学を信じたくなったのだ。

 宗教よりも仮定と検証で積み上がった科学の方が信仰に値する。

 仮に間違っていても後で訂正されるからだ。

 宗教は間違いを認めないし、存続のために信者を増やし、お金をって逃げられないようにする。

 宗教で幸せになれましたという人間を見たことがない。

 もちろん古来からの宗教ではなく新興宗教のことだが、幸せそうな信者を見たことがまるでないのだ。

 どこか影が差している。

 そんな宗教の何がいいのか僕には分からない。

 文化的背景で、僕ら日本人は無宗教でも大事な時には宗教の儀式をする。

 初詣には人ごみが発生する。

 愛を誓うのに儀式を執り行わない人は稀だ。

 都合のいい宗教観だが、それでいいのだと思う。

 墓地を管理できないのなら墓仕舞いすれば良い。

 お金がなければ儀式もしなくていい。

 すべての人が宗教を嫌わず都合よく利用すればそれで良いのだ。

 宗教とは本来そんなものだ。

 宗教戦争なんて不毛な争いが起こるくらいなら、それが平和だろう?

 世界の宗教が共に手を取り合う社会を目指したい。

 ……僕は厭世家ではなかったのだなぁ。より良い世界を構築してゆこう。

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