【プロットタイプ】物語を忘れてしまった
注意事項1
起承転結はありません。
短編詐欺に思われたら申し訳御座いません。
注意事項2
SNSを見て思ったこと。
起承転結、基、過程を端折る人が割と多い。
皆が皆、点だけで判断して話してる。
あぁだからか。
何でもそうだが、物事には過程があって結果がある。そしてその結果の先にも過程がある。意外とその事に気付いて居ない人間が多い。
瑠衣と一緒にアニメを見ていた。女児が好みそうなファンシーで愛らしい空間の中で繰り広げられる、不条理ギャグの数々。一言で表すならば『何言ってんのか全然分からない』。
けれども繰り返し見ていくうちに、不条理の全てはメタファーであり、全てに意味がある。見れば見る程に味がする。
そして何より、その過程が結果が非常に瑠衣が好みそうなものだった。
「この監督が手掛ける作品の良いところは、結果の後にも物語があるってところだよね」
何度目かの起承転結。何度目かの終幕。結果発表何度観ても変わらない。幸せな夢は粉砕され、冷たい現実が待っている。其れでも、君達はどうするのか。どうしたいのか。其れを何時も視聴者に問い掛けている。
瑠衣の視線が此方に向く。続きを待っている様だった。
「例えば御伽噺。お姫様は隣国の王子と結婚して幸せに暮らしました。このエピローグの後の話を書いてくれるよね。
幸せって何なのか。本当に幸せなのか。妃になった後のマナーとか、外交問題とか、そういう壁に当たって、君はどう乗り越えるのか。そう言うのを問い掛けてくれるよねって」
だから瑠衣が好む。壁にぶち当たった時、転んだ時、どう人間が足掻くのかを見たがるから。知りたがるから。光を掴んで欲しいと望んでいるから。
「この世の中、SNSが普及して、顔の見えない多くの人間とのやり取りが増えた。だから総じて物を点で見るようになった。過程と結果、そしてまた過程というやり取りが出来無くなっている。
物事の見方が甘いから、論点がズレる。そうして其れに気付かないまま、会話は平行線を辿る」
瑠衣の冷たい溜め息が、私の指に当たる。そうして改めて私の顔を見やると、静かにこう言った。
「だったら、点だけでも明確な解が出る。と証明して欲しいもんだな」
瑠衣、其れは皮肉だよ。
以下何でも許せる方向け。
個人の意見飛び交います。私の発言が許せる方のみ宜しくお願いします。
物語には起承転結があります。
結末に至るまでの過程があると言いたいんです。
多くの人が、其れを忘れてしまった。
故にこのタイトル。
多くの人が点で物事を判断してます。
結末だけを見て物を判断してます。
これ『悪いんか?』と言われそうなので、私なりの考えでも。
悪いとは言わないですけど、危ないし、お勧めはしないですね。精度が高いとは言い難い。
例えば、『体を壊しました』とお医者さんに言ったとしましょう。
その時、どんな経過で体を壊したか、知りたくありません?
寝不足なのか、食生活なのか、運動不足なのか。
何をどうして今、『体壊した』のか。
でも最近のSNSを見ていると、『体を壊した』という意見だけを見て、『どうせ寝不足だろ』とか、『いやいや、運動不足だろ』とか、『体大丈夫?』議論がなされてるんですよ。
勿論、全ての人ではないですが、約半数の人が『体を壊した』過程に目を向けてない。事実を夢想して語ってる。
前に、普通の人は『結果と同じくらい過程を大事にする』の話したと思います。
また『結果ばかりを印象付けると録な事にならない』とも。プロットタイプの おかしーの だったかな。
壁に当たった事さえ分からない。分からないから乗り越えられない。
だから今こそ、 考察を必要とする様な話が必要じゃない?
という話。
幸せな夢見せた後に、現実に叩き付け、其れでも君はどう生きるか。周りに流されるのか、抗ってでも自分を貫くのか。
幸せな夢を見せる小説はこの世界に溢れ返っているので、私は冷水浴びせる側に回ります。
現実見ましょぉねぇぇぇぇぇぇぇ!! 精神。
だから諭羅も瑠衣も鏡花も、失望や絶望、挫折を身に刻んだ後の話である事が多いんです。
あ、瑠衣と鏡花は、作家になる夢諦めたってこと。
諭羅は瑠衣に出会って、壁を知ったという事。自分はまだ削れてないと知ったということ。
覚悟ガンギマってるのは、瑠衣と鏡花。
まだぐらついているのが、諭羅。