-8- 蜜月の始まりは苦く
夫となった男の部屋に並べられた二組の布団を見て、八重は身の置き場に困った。
部屋の主である太蝋は、まだ戻ってきていない。
火焚家の使用人に案内されて通されたとは言え、太蝋が居ない状況で何処に腰を落ち着けて良いのか分からなかった。
暫く入ってきた襖の前で佇み考えた末に、一先ず枕元で正座して太蝋が戻ってくるのを待つことにした。
確か、夫より先に寝るのは駄目だった筈だ。
何より祝言を上げたこの日の夜は、二人にとって初夜である。
妻となった自分が受け入れるべき務めが終わっていない。
(粗相が無いように出来るかしら……)
実家である火縄の家に仕えている使用人達や、家がある村の人間に至るまで、八重に好意的な態度を示した他人は居なかった。
それ即ち、異性との交際経験がないことを意味する。
ずっと、お蚕様の世話と生糸を紡ぐ日々を送ってきていたのだ。
尤も、千重が火蝶の巫女となってからすぐに、太蝋の婚約者と言う立場になった身の上では、火遊びなど出来る筈もない。
また八重にそんな勇気は無かった。他人に蔑まれる日々を送っていた八重には。
せめて、太蝋の機嫌を損ねることなく、初夜が無事に終われば良い。
そんな風に考えながら、八重は何度も襟元を正した。
いつ太蝋が戻ってきて、今の姿を見られるか分からない緊張感を覚えながら。
八重が部屋に入って落ち着いて十数分が経過した頃。
部屋の襖が音もなく開けられた。開けて部屋に入ってきたのは、太蝋だ。
近付いてくる足音も聞こえなかったせいで、八重は大層驚いて肩を揺らして息を飲む。
そんな八重を一瞥してから、太蝋は襖側に敷かれた布団の前に座り込み、徐に掛け布団を捲って、そのまま布団へと横たわった。
そして、八重に背を向けるように寝転がって言う。
「八重も寝なさい」
「え」
「おやすみ」
そう言った太蝋の頭の火は小さく揺らめいている。
元々表情が分からない異形頭の男だが、平坦な声で寝るように告げられると余計に肝が冷えた。
既に何か粗相をしてしまったのかもしれない。そんな焦りから八重は太蝋に話しかけようと口を開く。
「たっ……」
太蝋の名前を呼ぼうとした寸前、八重は口元を手で覆った。
「太蝋さん」なんて呼び方をしてはいけないかもしれない。
そう考え、八重は太蝋への呼び方を変えて、再び話し掛けた。
「だ、旦那様……、きょ、今日は、初夜……です」
「あぁ、そうだね」
八重が意を決して口にした言葉に太蝋は平坦な声で返した。
こちらを見ることなく背を向けている太蝋の姿に、ますます八重の焦りが募る。
「そ、の……こ、子作り、は……っ」
それこそが自分の役目なのだから、太蝋に言われるまま、のうのうと寝る訳にはいかない。
妻としての役目を果たさなければ、誰に何を言われるか分かったものではない。
しかし、太蝋の返事は無情なものだった。
「今日じゃなくても良いだろう」
その言葉が八重の胸を鋭く刺した。
太蝋は八重との子作り――まぐわいを望んでいない。
居た堪れなくて、この場から逃げたい思いでいっぱいになった。
しかし、明日から太蝋は軍務で屋敷を空ける。
今日でなくては、次はいつになるか分かったものではない。
八重は膝の上で拳を握りしめながら、震える声で言う。
「お、お務めを……果たさせて、ください……」
それに対し、太蝋は少しの間を置いてから答えた。
「必要ない」
ガンと頭を殴られたような衝撃が八重に走る。
恥を忍んで懇願したのに二度目の拒絶を受けてしまった。
肌を重ねたくないのだと突き付けられたようで、目の前が真っ白に染まって上手く思考できなくなる。
ただ八重の頭の中に浮かんでいるのは、務めを果たすこと。
それが叶わなかった時の周囲の目を想像するだけで身が竦む。
二度も拒絶された以上、太蝋の言う通りに寝てしまうのが正しいことなのだろう。
だが、明日以降のことを思うと、眠ってしまおうと言う気にもなれない。




