-76- 繋ぎ止める物
「にゃあん」
「シロっ」
縁側から声を掛けてくれたシロを私は歓迎した。それを怪訝に思ったのか、シロはじっと私を見上げている。こうして、何かを悟ろうと人を見つめる赤い目には少し緊張する。
「あ、あのね、シロ……」
「……」
火焚家の屋敷で飼い猫として暮らしてみない?
……と訊ねるのに、私は躊躇してしまった。これまで、自由気ままに振る舞っていたシロの姿が脳裏を掠めていったから。
だから、私は先に首輪を取り出して、シロに見せた。
「貴女に贈り物をしたくて……これなのだけど……」
白い絹糸と、真紅の絹糸が織り混ざった首輪を前にして、シロは――
「フシャー!!」
「……シロ?」
これまでに見たことが無い顔を見せた。口を大きく開いて、牙を見せ、耳をピンと後ろに張って、大きな声で威嚇音を出している。
「あ……」
シロは望んでいない。
人に囲われることを望んでいないのだ。
首輪なんて以ての外で、私と関わってくれていたのはご馳走が食べられるから。
「そう、ね……。貴女には奇麗な白い毛並みがあるもの……。こんな……小さい首輪で着飾らなくても……っ」
シロへの謝罪の言葉を口にする前に、シロは黙ってその場を立ち去っていってしまった。よほど、腹に据えかねたのだろう。
丁度よく昼寝ができて、たまににぼしが貰える場所だったのに、そこの人間に首輪を嵌められるなんて……嫌だったに違いない。
「ごめんね……。ごめんね、シロ……」
もう、ここへは来てくれないだろう。そう予感がした。
私は、せっかく繋いだ大切な縁を、首輪と言う枷一つで千切ってしまった。とても……とても、大切に思っていた縁だったのに。
……赤い首輪を布で包んで、私は襟元に忍ばせた。使われることは無いと分かっていても、すぐには捨てられそうになかった。
せめて、この悲しい気持ちが晴れるまで持っておきたい。
シロへの気持ちが篭った組紐を――
△ ▽ △
シロが現れなくなってから数日。
ここ最近の気温は随分と高い。朝餉の早い時間でも汗ばむほどの気温だ。
熱に耐性がある私でも暑いと感じるのだから、きっと他の人たちはもっと暑い筈。八月も下旬に入ったと言うのに、厳しい暑さが続いていて、少し不安になる。
「――八重。例の白猫についてなんだが……」
「はい。なんでしょう……?」
太蝋さまにはシロに首輪を渡せなかったこと、この数日姿を現していないことを話せていない。話してしまったら最後、本当にシロが現れてくれなくなるような気がして。
「目の色について聞いてなかったと思ってな」
「目の色……?」
「あぁ。何色だったか、分かるか?」
それは勿論。何度もあの赤い目で見つめられてきたもの、忘れる筈がない。
「赤です。猫にしては少し変わった色ですけど、とても奇麗で――」
私が答えた途端、太蝋さまが纏う空気が変わった。
とても――怖い。
「赤い目をした白い猫……なんだな?」
「は、はい……」
「……そうか」
嫌に心臓が早鐘を打つ。まるで怒鳴られることを恐れる子供みたいに居心地が悪い。
すると、太蝋さまは「八重」と私の名前を呼んで、神妙な雰囲気で言う。
「もう、その白猫とは関わるな」
「……え?」
数日前まで、飼って良いと言って下さっていたのに……どうしてだろう?
でも、今の太蝋さまの前では、そんな疑問は口にできなかった。一度、余計なことを言えば、もっと酷いことになりそうな予感がしたから。
「……シロ、なら……もう、何日も来ていなくて……」
「何?」
「首輪、も……嫌がられてしまいました……」
ついに悲しい事実を口にしてしまったことで、視界がだんだんと滲んでいく。こんなことで泣いてしまったら、太蝋さまを困らせてしまう筈なのに。せめて、涙が零れない様に気を張ってみたが、結局は手元にぽたぽたと落ちていってしまった。
すると、太蝋さまは「そうだったのか……」と言って、私の手を取った。手の甲に落ちた涙を拭いながら、太蝋さまが私に訊ねた。
「首輪はどうしたんだ?」
「……っ、まだ……手元に……」
「そうか。なら、私が貰おうか」
「……え?」
太蝋さまの発言に驚いて顔を上げると、太蝋さまは困った様子で炎を揺らめかせて、私の目の下を親指で撫でてくださった。視界の下に溜まっていた涙が、太蝋さまの指で拭われていく。
「首は無理だが、腕になら着けられそうじゃないか? せっかく八重が作った物なのに、使わないのは勿体無いだろう」
「そっ、そんな……っ。シ、シロに作ったものを、太蝋さまに差し上げるなんて……っ」
勿体無いからと言って、他の人への贈り物にするなんて失礼としか思えない。そんなこと、シロにも太蝋さまにも申し訳ない。
「ひ、必要だとおっしゃるのでしたら、別に作りますから……っ」
せめて、そう言うのが精一杯だった。すると、太蝋さまはフッと笑い声を漏らして――
「私用の首輪を作ってくれるのか?」
「えっ……!? ち、違います……っ! う、腕輪の方です……!」
「そうか。八重が嵌めたいと言うなら、嵌めてみても良かったんだがな」
「そ、そんなこと、言いません……」
「じゃあ、私がお前用に首輪を用意してみようか」
「……っ!?」
「冗談だよ」
そう言って、太蝋さまは自分の席へ戻られた。
いつの間にか、私の涙はすっかり引っ込んでいた。あまりに驚くことが重なり過ぎて、泣くことも忘れてしまっていたらしい。
……それも、太蝋さまの狙い通りだったのだろうか? 私の涙を無くすための冗談だったのだろうか?
いや、きっとそうだったんだわ。そうでなければ、首輪を嵌めたり嵌められたりなんて話、普通の会話ではあり得ないもの。太蝋さまも冗談だと言っていたのだし、それを信じることにしよう……。
太蝋さまには、腕輪よりも手袋を用意したい。そろそろ、お義母様宛の帯揚げの刺繍も終わるし、帯紐も出来上がっている。どちらも揃ったら、お義母様にお渡しして、それから太蝋さまへの手袋をまた一組仕立てよう。
……そんな風に次の目標を考えていなければ、シロのことを思い出して悲しくなりそうだった。
△ ▽ △




