-74- 台風の後には
大きな災物対策に追われていたらしい旦那様――太蝋さまが一日だけの休みを取られた。
その日の朝は、とてもゆったりとしていて、朝餉の時間も随分と遅くなっていたように思う。
太蝋さまから仕事の詳細は聞いていないけれど、随分と大変な任務だったみたい。私が贈った手袋が、泥でまっ茶色になってしまっているのを見せてもらって、その大変さを垣間見た気がした。
その手袋を今も太蝋さまは身に着けていらっしゃる。泥や泥水は乾燥させて叩き落とし、よくよく手洗いしたら綺麗に落ちてくれた。それでも、最初の頃よりは少し茶色くなってしまっているから、また新しい手袋を仕立てて贈ろうと思う。
――意外だったのは、私が仕立てた手袋が太蝋さまと柿丸と言う男の子を守ったと言うこと。太蝋さまの助けになることを願いながら仕立てたものの、災物の脅威から二人を守るほどの結界を張っただなんて……。俄かには信じられなかった。
そんな凄い事ができるのは、姉様のように優秀な火蝶だけだと思っていたのだけど……。
太蝋さま曰く、私の霊力は姉様に匹敵するらしい。けれど、そんな話は聞いたことがない。両親からも何も言われてこなかった。片翅の半端者である以上、霊力も人並み程度だと思っていたのに。それは違うと言われても、やっぱり信じ難い。
そんな不思議が私の身に起こっている事以上に私は、太蝋さま……と呼ぶようになった旦那様との関係が、少しだけ良い方向に進んだことの方が喜ばしかった。
太蝋さま曰く、太蝋さまと姉様は恋仲では無かったらしい。悪友のような距離感であった、と。口付けをしあう仲では無かった、と……。
その話を聞かせてもらった晩に、私は太蝋さまと――口付けを交わした。
……それから数日経った今、毎晩のように口付けを交わすようになっている。恥ずかしいと思う反面、嬉しいと思う自分がいて、それが何だかとても恥ずかしい。
「――朝から、何を考えてる?」
「ふぇっ……!?」
朝餉の味噌汁の椀を持ちながら、太蝋さまが私に訊ねた。その声は何処となく楽しげで、揶揄われているように聞こえる。
「い、いえ……何も……」
「そうか? 顔が赤いから、朝なのに夜のことを考えてるのかと思ったよ」
「……っ」
「……。……図星だったのか?」
「ぃ、いえ、その……あの……ご、ごめんなさぃ……っ」
どうして太蝋さまは、こんなにも鋭い方なのかしら。何の隠しごともできそうにない。隠し通す自信もないのだけれど……。
「あー……。うん……そうか……。……私と同じか」
「え……?」
「朝でも昼でも、夜にしてることができるようになれないものかと、悪いことを考えていた。だから、八重が謝ることはないよ」
「あ、え……そ、そうなのですね……?」
……?
??
ええと……つまり……?
太蝋さまは、時間関係無しに口付けをされたい……と言うこと、なのかしら……!?
あまりの恥ずかしさに頭が沸騰してしまいそう。なのに、太蝋さまは飄々とした態度で味噌汁を飲まれているし……。
うぅ……今すぐに、この場から逃げ出してしまいたい。太蝋さまに今のみっともない顔を見られていることが恥ずかしくて堪らない。
でも、せっかく作って貰った朝餉は、ちゃんと食べないと……。
私は熱が頬や耳に集まる感覚に見舞われながら、いそいそと朝餉を食べ進めた。その間、太蝋さまはじっと私を見てきていたように思う。勘違いかもしれないけれど……。
「そういえば最近、八重はにぼしを集めるのが趣味になったそうだね?」
「えっ? あっ……! そ、それは、あの……――」
遠回しに太蝋さまに訊ねられたことに対して、私はヨネの協力を得ながら、野良猫にあげるおやつを集めていたと白状した。
火焚家の嫁として、そぐわない行動だと諌められてしまうかもしれない。そうなれば協力してくれていたヨネにも咎が行くかも……。やっぱり、諦めておくべきだったかしら。
けれど、太蝋さまは「そうか」と言った後、私に訊ねられた。
「八重は、その猫を飼いたいのか?」
「え? それは……」
そうなってくれたら嬉しいと思っていたことを太蝋さまに言われて、嫌に心臓が跳ねた。悪事がバレてしまったかのような不安が込み上がってくる。
けれど、太蝋さまは優しい声で諭すように言った。
「……傍におきたいなら、飼っても良いよ」
「……え? ほ、本当に宜しいのですか……?」
「うん。少しでも八重の寂しさが紛れるなら」
寂しさ、と言われて、また胸がどきりとした。確かにシロが傍に居てくれる間は寂しさや不安を忘れることができていた。少しの勇気も貰っていたくらいだ。
太蝋さまは気が付かれていたんだ。私が心細い思いをしていたことを……。
「尤も、その猫が人に飼われることを許すなら、だけどね」
それもそうだ。あの子は出会った時から、人と一定の距離を保とうとしていた気高い子だ。
……私は傍に居てほしいけれど、あの子は嫌がるかもしれない。
「そこは八重の交渉次第かな。出会って、どれくらいになる?」
「えっと……絹を織り始めて数日経った頃だから……、三週間ほどになるかと……」
「そんなに前から交流があったのか。今でも通って来ているのなら、希望はあるかもしれないね」
「そ、そうでしょうか?」
「八重か、おやつを気に入ってなきゃ通ってないだろう? 交渉の余地はあると思うな」
太蝋さまがそう言ってくださるのを聞いていると、不思議と大丈夫な気がしてくる。もしかしたら、本当にシロがうちの子になってくれるかもしれない。
そんな希望で胸が暖かくなるのを感じていると、太蝋さまにシロについて訊ねられた。
「それで、どんな猫なんだ? 家に居着くようなら、私も知っておかないといけないからね」
「とても奇麗な白猫です。仮でシロと呼んでいるのですけど、本当に真っ白で……。あ、尻尾がとても長いんです。ご機嫌な時に長い尻尾を立てて歩く姿が奇麗で可愛くて……。それと、とても気ままな子だけれど、優しい一面もあって――」
この時、私は太蝋さまにシロの魅力を知ってもらいたくて、調子良くぺらぺらと話し込んでしまっていた。太蝋さまは「うん」「そうか」「へぇ」と言った相槌を打たれて、私の話を最後まで聞いてくださったけど、面倒だと思わせてしまったかもしれない。
そんな反省は、全て話し終えてから、ようやっと湧き上がってくるものだった。
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