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-7- 疑惑の三々九度


(……あれ?)


 口の中を満たしたのは辛味ではなかった。それどころか何の味もしない。

 酒に味覚を奪われてしまったのかと一瞬思ったが、こくりと飲み込むと同時に正体が分かった。

 喉を襲う熱さが感じられない。


(これ……水だわ……)


 姿勢を整え、八重は盃に残っている透明な液体をじっと見つめる。

 てっきり、舌も喉も焼くような辛味が襲ってくると思っていただけに拍子抜けしてしまった。

 すると、右側から白手袋を付けた太蝋の手が伸びてくる。


「あ……」


 八重が渡すより先に太蝋に盃を奪われてしまった。

 何故、水が入っていたのか分からず、八重は思わず太蝋を見上げた。

 白い蝋燭ろうそくが赤い盃に入った水をごくごくと飲み干していく。


(そこが口なのね……)


 普通の人と変わらぬ位置で盃を傾けている姿に、八重はどうでも良いことを思った。

 全て飲み切られた盃を太蝋が巫女へ返す姿を茫然と見ている内に、親子固めの盃が交わされ、太蝋の口から誓いの言葉と結びの挨拶がなされ、祝言は幕を閉じていた。


(どうして水だったの?)


 祝言の後に設けられた宴の席で両親と当主が和気藹々と話す姿を見ている間も、八重はそればかりを気にしていた。

 いつの間にか、水に差し替えられていた理由が、さっぱり分からない。

 配膳された煌びやかな食事に手を付ける余裕もないほど、八重は三の盃が水であった理由を考え続けていた。


 すると、目の前に人が座る気配を感じ、八重は顔を上げた。


「婿殿。一杯」


 それは八重の父――桑治郎そうじろうだった。

 既に何杯か酒を飲んだ後であることが分かるほどに、頬に赤みが差している。何処となく目が据わっているように見えて、八重は内心でハラハラと心配になった。こんな父は見たことがない。


 桑治郎が酒が入った徳利とっくりを太蝋の方に傾けてきている。もう少し傾いたら、中に入っている酒が全て漏れ出てきそうだ。

 義理の父となった桑治郎の申し出を前にして、太蝋はスッと片手をあげて答えた。


「申し訳ありません。これ以上の飲酒は控えさせて頂きたく」

「わらしの酒がのめんとぉ、おっさられるのれふかぁ?」


 まるで呂律が回っていない。かなり酔いが回っているように感じられる。


「と、父様も、もうお飲みなられない方が……っ」


 火縄の屋敷でも、ここまで酔っ払うほど酒を飲んだ父の姿が見たことがない。

 どうしてしまったのかと心配する八重の制止に、桑治郎はいじけた様子で答えた。


「だいじな娘を、嫁にやったんらぁ。これが飲まずにいられるかぁ」


 そんな父の姿を見て、八重は嬉しさや申し訳なさできゅっと胸が詰まるのを感じた。

 片翅かたはねの半端者と蔑まれてきた自分を愛してくれている家族。

 その存在は間違いなく八重にとって心の支えだった。

 周囲の目がどれだけ冷たかろうと、家族の存在があったからこそ生きてこれたようなものだ。


 その家族と明日から離れて暮らさなければならない事実が悲しくて寂しい。

 嫁に行くとは、こう言うことなのかと痛感した。

 そんな親子のやり取りを傍で見ていた太蝋は、空になっている猪口ちょこを桑治郎の前に差し出して言った。


「では、一杯だけ頂戴いたします。これを最後に火縄のお父上も、もうお飲みになりませんように」

「むう……しかたありまへんな……」


 桑治郎は徳利とっくりに残っていた酒の殆どを、太蝋の猪口ちょこに注いだ。

 なみなみと注がれていて、少しでも手元がブレれば零してしまいそうな量だ。

 それを太蝋は少しの逡巡しゅんじゅんを経てから、ぐいっと一気に飲み干した。

 きちんと飲み込んだと証明するために、太蝋は空になった猪口ちょこを桑治郎から見える位置に置く。なみなみとなっていた酒は一滴もない。

 それを見て桑治郎は満足そうな笑顔を浮かべて、太蝋の肩をがっしりと掴んだ。


「八重を、お頼み申し上げますぞ……! 私は、婿殿を信じると決めたのですからな……!」

「……はい。承知しております」


 先ほどまでの回っていない呂律は何処へ行ったやら。

 桑治郎は真剣な声色で太蝋に言い募った後、妻の透子に席に戻ってくるよう諭されて、ようやっと二人の前から離れていった。


 嵐が去っていった後の場所には、しん……と沈黙が流れている。


 自身の父が太蝋に酒を強要したことへの申し訳なさから、八重は太蝋の様子を窺った。


「あ、あの――」

「少し、席を立つ」

「え……」


 八重が訊ねようとしたと同時に太蝋は急いで席を立っていってしまった。

 その後ろ姿を茫然としながら見ていると、太蝋の頭の炎が随分と大きくなっているように見えた。しかも、何処となくフラついているように見える。


(……お酒に強いから、父様の勧めを受けられた……のよね?)


 誓いの盃を交わして居た時も、太蝋は自分と違って、迷いなく神酒みきを飲んでいた。

 少なくとも八重の目には、そう映っていた。


 しかし、席を離れていった太蝋の後ろ姿と重ね合わせると、違うようにも感じる。

 席に残された八重は太蝋が飲み干した猪口ちょこに視線を向けながら、先ほど交わした三々九度を改めて思い返す。


(私が半端者だから、三の盃を水にされた……のだと、思うけれど……)


 自分に原因があって、ちゃんとした三々九度を交わしてもらえなかった。

 そうであるとしか八重には思えなかったが、何だか少し違う気もする。

 何かもっと、別の理由があるように思えた。

 しかし、夫婦の未来と子孫繁栄を望む三の盃が、水で交わされた理由を問うほどの勇気は――八重にはない。


 問いたい相手が隣にいない上、その相手がどんな人物であるかをよく知らないのだから――

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