-69- 自由な風
シロににぼしをご馳走してから三日。あれ以来、シロは姿を見せていない。あれで満足してしまったのか、もっと良い物を貰える他所を見つけたのか。……この町を去ってしまったのか。理由は分からないけれど、姿が見れなくなってしまったのは寂しい。
せめて、元気に過ごしてくれていれば良いのだけど――
「にゃうん」
絹を織りながらシロのことを考えていたら、外から猫の声が聞こえた。
まさか……。
そんな思いで窓から外を覗くと、隣の部屋の縁側に座っている白猫の姿が見えた。
「……シロ」
奇麗な白い毛並みに、不思議な赤い目をした猫。それは間違いなく、私が待ち望んでいたシロだった。嬉しくて思わずシロを呼ぶ声が弾んだ。
「にゃふん……」
シロはまるで「こっちへ来い」と言うように、その場で寝そべり始めた。この前のように窓枠に寝そべることはしてくれないみたい。
私はとあるものを袖に忍ばせて、機織り部屋を出て、隣の部屋へ入り、縁側へ出た。
姿を見たかった思いから見てしまった幻ではなく、そこには確かにシロが寝そべっている。手や腕を毛繕いして、気ままな態度でそこに居る。
「元気そうで良かった」
「……にゃ~」
「今日は、ここに涼みに来てくれたの?」
「……にゃふん」
「……にぼし、食べる?」
「にゃるるぅんっ!」
「ぷっ。ふ、ふふ……っ」
猫の言葉が分かる訳では無い。けれど、不思議とシロは分かりやすい子だった。人間の私にも分かるようにしてくれているのかも。いずれにしても、にぼしが貰えると分かったら、ご機嫌に返事をしてくれる現金な姿が可愛かった。
私はにぼしが入った袋から三匹のにぼしを取り出して、シロにご馳走した。毎日、ヨネが地道に貰って来てくれて、私が火蝶の力でもう一度乾燥させた、とっておきのにぼし。
シロはぺろりと奇麗に食べてくれた。満足そうに口の周りを舐め取って、手で顔を洗っている。口の周りについていたにぼしの滓は、あっという間に奇麗に洗われてしまった。猫が奇麗好きだとは知っていたけど、こんな風に奇麗にしているのを、まじまじと見るのは初めてかもしれない。
こうして奇麗に保っている毛並みは、うっとりするほどの手触りのはず。絹とは違った柔らかな手触りなのだと思う……。
撫でてみたいけれど、にぼしを貰ってご機嫌になっているシロを不愉快にさせたくない。ただ、また姿が見れて、にぼしをご馳走できたことを喜ぶだけにしておこう。
シロは一通りの毛繕いを終えたら、ふぅと溜息をついて、また縁側に寝そべった。そして、時折吹いてくる風を一身に受けて、昼寝を始めた。
シロがいる場所は、よく風が通っていく。竹林のさざなみや、風鈴の音が遠くに聞こえた。もっと遠くからは蝉の声が聞こえて、夏の昼間なんだと実感させてくれる。
絹織に夢中になっている間は聞こえない音や感覚が、身体を包み込む。
シロと過ごす時間は、何だかとってもゆっくりに思えた。
「奥様~?」
ヨネが私を呼ぶ声で、ハッと我に返る。機織り部屋の窓から漏れ聞こえてきたと言うことは、ヨネが休憩時間に頂くお茶とお菓子を持って来てくれたんだ。
ここにいると声を出せば、ヨネは気が付いてくれるだろうけど、隣で眠っているシロを起こしてしまうかも。でも、このまま無視していたらヨネに申し訳ない。
どうしよう……と悩んでいるとシロが突然起き上がって、身体を伸ばしたら縁側から降りて行ってしまった。
「シロ? ……帰るの?」
「にゃうん」
「そう……」
シロは別れの挨拶を言うと、軽々と塀の上に飛び乗って、颯爽と屋敷の外へ出て行ってしまった。シロがいなくなったあとに吹く風の音は、どことなく寂しげに聞こえた。
「奥様? なんで、そこにいるんです?」
「あ……」
機織り部屋の窓から顔を覗かせたヨネに、縁側に座っているところを見られてしまった。少し恥ずかしく思いながら、私はヨネに事情を話した。
ヨネは「用が済んだから帰ったんだ。現金な猫」と言って、シロへの不満を滲ませていた。苦手と言っていたけど、ヨネもシロを可愛いと思っているのかもしれない。
私はヨネとお茶を飲みながら、身軽に塀の上を駆けていくシロの姿を思い浮かべて、切なさに胸が締め付けられた。
まるで、置いていかれたかのような悲しさだった。追いかけていけない自分の無力さを痛感してしまった。
シロが見る世界は、どんな色をしているんだろう?
きっと、私が想像できないほどの自由が溢れた色をしてる筈。
その景色を見てみたいと思う一方で、未知の世界へ踏み出すのが怖いと思う私が居る。
そうやって自分が臆病であることを実感する度に、私は私にがっかりしてしまう。
こうありたかったと言う姿を想像してしまう。
洗練されていて、苛烈な一面もあって、可憐な顔も見せる――姉様のような人を思い描いてしまうのだ。
△ ▽ △




