-68- 夫人と女中
「あたし達もお茶にしましょうよ。せっかく良い茶葉使ってるのに、お茶が冷めちゃったら勿体ない」
「ええと……」
ヨネさんは座布団に座ると「ほら、奥様も」と私にも座るよう促してくる。一つ、思うところはあったけれど、私はヨネさんの誘いを受けて座布団に座った。
急須に淹れてくれたお茶を、ヨネさんが湯飲みに注ぐと……。
「……湯気が出ない。なんで?」
「……持って来てくれたの、十分くらい前だったものね」
「あ、そっか……」
白猫にあげるおやつを持って来てもらう間に、熱かったお茶はすっかり冷えてしまった。ヨネさんは「勿体ないことを……」と言って悔しそうにしている。
私はヨネさんが注いでくれたお茶に口をつけた。
「あ! 奥様! 奥様の分は淹れなおして来ますから!」
きっと、冷めたお茶の残りはヨネさんが全部飲むつもりだったのだろう。けれど、この暑い時期に冷えた緑茶は体に丁度良く感じる。
「充分、美味しいわ。冷たい緑茶……するする飲めて、今の時期にぴったりね。淹れてくれてありがとう、ヨネさん」
「……まぁ……奥様が良いなら、あたしは良いですけど」
そう言って、ヨネさんは煎餅が入った皿を私の方へすっと差し出してくる。焼き海苔が巻かれた醤油煎餅を半分に割って、その半分を食べ始めると、もう半分をヨネさんが持っていった。そして、そのまま、ばりばりと小気味いい音を立てて食べ始める。
……ヨネさんは、私が大きな煎餅を一枚分食べられないと分かってくれている。それが、何だかとっても嬉しかった。
私が割った煎餅の半分を食べ終わる頃、ヨネさんが私に聞いた。
「あの白猫の呼び名、シロにしときます? 結局、雄か雌か分かんなかったし」
「そうね。その方が、あの子らしいわ」
「まぁ、スケって感じじゃなかったし……いっか」
最近では、こうしてヨネさんとお茶を飲む時間ができて、絹を織る以外にも楽しめる時間が増えたように思う。そこへ白猫のシロが舞い込んできて、楽しみが一つ増えた。けれど、野良で生きているあの子が、またここへ来るとは限らない。
「また、来てくれると良いのだけど……」
そんな不安を口にすると、ヨネさんは煎餅を食べながら何気なく言った。
「そしたら、また料理番に「にぼし頂戴」って言って貰って来ますよ? 今の内から、猫用のおやつを蓄えておきます?」
「そ、そんなことして大丈夫かしら……」
「どうせ捨てられるなら、猫のおやつに貰っても良いでしょ」
「それは、そうだけれど……。ヨネさんに迷惑が……」
「あたし? 別に困りませんよ。貧乏人が夕餉の足しを欲しがってるんだ~程度にしか思われてないもん」
「……そんな…………」
それこそヨネさんの評判に関わることで、迷惑を掛けることの一つになる。火焚の屋敷で働くことになって、それを喜んでいたヨネさんには長く勤めてほしい。ここで、嫌な思いをしてほしくない。
冷えた緑茶をごくごくと飲み干すと、ヨネさんは呆れた顔をして言った。
「奥様。そういう、変な同情される方がよっぽど腹が立つんですよ。あと、ヨネ〝さん〟って、雇い主の奥さんに謙られるのも嫌です。〝奥様〟なら奥様らしく、あたしのことは女中の一人として扱ってください」
「で、でも……」
「でも、も、へちまもありません! 奥様が気に入った猫にあげるおやつの調達くらい、女中の仕事の一つとしては屁でもないんですからね? 奥様は、この屋敷にいる使用人と女中を、好きに扱き使って良いんですよ! それが許されてる立場のお方なんです!」
ヨネさんが言いたいことは何となくだけれど分かる。火焚の当主であるお義母様や、火焚家長男の旦那様のように振る舞うべきだと言うことなのだろう。
……けれど、私にはどうしても、そう振る舞える自信が無い。振る舞いたいとも思えない。ただ、私は平穏に過ごしたいだけなのだけれど……。そして、できることなら――
「ヨ、ヨネさんとは……ただ、仲良くしていたいわ……」
雇い主の妻と女中……と言う関係は簡単に変えられるものではないけれど、せめてヨネさんとは仲良くしていたい。こんな風に長男夫人としての振る舞いを注意してくれたり、絹織の休憩にお茶を差し入れて気を遣ってくれる人は、ここではヨネさんだけだから。それが例え、女中としての仕事の一環でも。
「…………そういうことなら、……尚更、さん付けは嫌なんですけど」
ヨネさんは口を尖らせたまま、そっぽを向いて言った。
その頬は少し赤くなっていて、何だか臍を曲げた子供のように見えた。
私はヨネさん――ヨネの意図を察して、嬉しくなった。
「それじゃあ、ヨネって呼ぶことにするわね?」
――きっと、そう言うことなのだと思う。そう思いたい。
「良いですよ。まぁ、私は奥様って呼び続けますけどね。仕事ですから」
「ふふ……。えぇ、分かってるわ」
ヨネも私と同じで、友人のように会話をしたいと思ってくれている。例え、雇用主の妻と女中という関係でも。そのためには、私が謙っていては、やり辛いと思っていたのだろう。立場は対等でなくとも、心は対等で居たい。そんな風に考えてくれていたヨネの気持ちが嬉しい。
ヨネと知り合った頃は、こんな風にお喋りできる相手になるとは思っていなかった。あの時だけの縁なのだと思っていた。けれど、この縁は旦那様が繋いでくれた。
私には言えない事情が、ヨネにはあるのだろう……。気にならない訳ではないけれど、今の楽しい時間を大切にしたい。長く続いてほしい。
そこにあの子が――シロも加わってくれるようになったなら、きっと、もっと楽しい時間になるだろうに……。
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