-65- 夏の小さな出会い
絹を織る。
上下に重なった経糸に絹糸が入った杼――緯糸を通す道具――を通し、緯糸を通す。足踏み板を踏んで、経糸を上下入れ替えながら、筬――経糸を整え、緯糸を打ち込む機織りの付属具――を引き寄せて糸を固定していく。
かたん、かたん。ぎこ……。かたん、かたん。ぎこ……。しゅるる……。かたん、かたん。ぎこ……――
何度も何度も繰り返して、純白の絹糸を織り込んでいく。
夏の光を反射して輝く綺麗な絹糸達を重なり合わせ、布になっていく様を手元で見る幸せ。
私は、糸を織るのが好き。絹糸を紡ぐの好き。生糸を繰糸するのが好き。
私は、清廉さを思わせる白が好き。
生糸を繰糸する時間。絹糸を纏める時間。整経台で経糸を作る時間。機織り機に経糸を掛けていく時間。
それ以外のことを考えずに済む時間が、とても好き。
絹を織る。それ以外を考えずに済む、この時間は私にとっての救い。
この絹が織れたら、次は縫製。
実家でも高価な絹糸として取引されている品物を、私ごときに贈ってくださった旦那様に手袋を。
火焚の屋敷にあった機織り機に触って良いと言って下さった、お義母様には帯揚げと帯紐を。
かたん、かたん。ぎこ……。
――喜んでもらえるかしら。
かたん、かたん。しゅるる……。
……鬱陶しがられなければ良いのだけど…。
かたん、かたん……。
ああ……。うっかりしていた。つい、手足を止めてしまった。
旦那様とお義母様に軽蔑の眼差しを向けられたら……なんて、思ってしまったことが原因だわ。
――良く分かっている。
故郷での日々を思い出す度に、私の存在は歓迎されないと言うことを。
……それでも、絹糸と機織り機を与えて下さった、お二人に報いたい。私にできる最低限のこと――絹織と縫製で、嬉しかった気持ちをお返しできたなら。
あわよくば、喜んでもらえたなら……。
そんな思いを持って、私はなるべく無心で機織り機を動かし続ける。
経糸の絹に、緯糸の絹を通していく。機織り機を動かして、糸を絹にしていく。
ただ、その繰り返し。
けれど、私はこの時間が好き。
辛い現実を忘れることができるから――
△ ▽ △
どれくらいの時間が経ったか分からない頃。
私はふと機織り部屋の窓から外を覗いた。外は相変わらず暑そうな夏の景色で、青々とした竹林がさざなみを打っている。
それに重なるように風鈴の音が響けば、涼しい風が機織り部屋へ吹き込んだ。いつの間にか汗をかいていた首が風に煽られると、冷えて気持ちが良かった。涼しい風を一身に受けようと、ついつい目を閉じてしまう。
ほぅっと息を吐いて、目を開くと窓枠のところに何かの生き物が張り付いているのが見えた。
珍しいと思いながら、機織り機から立ち上がって傍へ寄っていって、じっと見つめる。それは白い鱗と赤い目を持った蜥蜴だった。
「まぁ……奇麗な子」
火焚へ嫁いで来てからと言うもの、こう言った生き物を見なくなっていたと、今更になって気が付く。実家に居た頃はお蚕様だけでなく、色んな生き物を目にする機会があったのに。
久々に見た生き物の奇麗な姿に思わず笑みを溢した瞬間、突風が吹いた。
「きゃっ……!?」
驚いて閉じた目を再び開いて、蜥蜴がいた場所を見ると、白い蜥蜴の姿は無くなっていた。あの子も突風に驚いて、逃げてしまったのだろうか?
けれど、それは違った。突風の正体は風ではなく――
「……え?」
私の足元に白い猫が蹲っていた。奇麗な毛並みをした白猫は、床に顔を向けて何かに夢中になっている。不思議に思って覗き込んでみると、猫の口の端から、ぽとり……と蜥蜴のしっぽが落ちた。
しっぽの持ち主の姿は何処にもなく、恐らく白猫に食べられてしまったのだろう。突風の正体は、蜥蜴を狩る猫だった。
「……食べちゃったの?」
私は白猫に蜥蜴の所在を訊ねた。白猫は奇麗な赤色の目で私をじっと見つめるだけで何の返答もしてくれない。私と言う存在を値踏みするような目だった。
「……お腹が空いてたの?」
試しにもう一度訊ねてみると――
「……にゃう」
白猫は仕方なしに……と言いたげな態度で答えてくれた。
「あら……。ふふ……そうなのね」
蜥蜴も猫も生き物である以上、食べたり食べられたりするもの。奇麗な蜥蜴が見られなくなったのは残念だけれど、奇麗な白猫を見ることができているのは嬉しい。
白猫はひょいと飛び上がって窓枠に足を付いた。器用に窓枠に手足を置き換えながら、体勢を整えると白猫は私をじっと見つめる。何かを要求されている気がする。
「ご馳走してあげられれば良いのだけど……。何も持っていないの。ごめんなさいね」
白猫はぶんっと長いしっぽを振ってみせた。不満がありそうな態度だった。
私は突然現れた奇麗な白猫の機嫌を取るために言った。
「次に会うことがあったら、ご馳走するわ。約束ね?」
ご機嫌を取るついでに次も来てくれたら良いな……と願いを込める。
「……にゃ」
白猫は短く鳴くと窓枠から外へ降りて、あっという間に姿を消してしまった。
その身軽さは、羨ましいと思えるほどだった。
「……あの子、首輪をしてなかった」
あんなに奇麗な毛並みをしていたのに、あの子は誰の人の手からも首輪を受け取っていない。きっとそれは、あの子が自由である証。
お腹が空いたら自分の力で命を狩りとって。眠くなったら好きなところで寝る。たまには人の機嫌をとって、ご馳走にありついてみる。
――そんな、自由気ままな白猫の姿に憧れた。
片翅の蝶には過ぎたる憧れと思いながらも。
△ ▽ △




