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-60- 愛情の違い

 

 八重の膝枕で一眠りした時から、数時間後。

 風呂と夕餉を済ませ、各々に寝る準備を整え終えた状態となり、太蝋は並べられた布団の上に座しながら頭を抱えていた。


 いくらか疲れが取れ、正気を取り戻した結果、己の行動のあれやこれやを思い出して羞恥心に悶えているのである。甘ったれた己の姿を客観視すればするほど情けなくて、布団の状態をせっせと整えてくれた八重に合わせる顔がないと思えるほどだった。


「ゆっくり休んでください」


 布団の状態を整えてすぐに八重が太蝋に言う。心配そうに眉尻を下げる八重。心底から太蝋を心配していることが伝わってきて、太蝋はまたも胸を打たれた。


……これが、夫を怖がっている妻の姿とは到底思えないほどの健気さだ。

 ここ数日間。太蝋の中にある悩みの一つに入っていた、八重に口付けを拒まれた理由。それを聞くのは今かもしれないと思えた。太蝋が疲れ切っていて、いつもと違う言動をすることを前提としている、今なら。


「……八重」

「はい……?」

「私と、口付けるのは……怖いか?」


 怖がられているかもしれないと考えるのも恐ろしいが、口付けそのものを嫌がられているとすれば、それはもっと恐ろしいと思えた。だから、直前になって「怖いか?」などと逃げの言葉を口にした。「嫌か?」と聞いて「はい」と答えられたら、トドメを刺されるに違いなかったから。


「え、っと……」


 突然の問いを受けて、やはり八重は戸惑った様子を見せた。だが、今の太蝋は激務の疲れで参っている――と、見せかけている。事実、疲れてはいるが帰って来た直後ほどではない。それでも、弱っている様子を見せれば、八重は逃げずに答えてくれるかもしれない。それがどんな答えであろうと。

 八重は正座した脚の上で手を拱きながら答えた。


「怖くは、ありません……」


 太蝋の不安が、先ず一つ消えた。


「ただ……は、恥ずかしくて……っ」


 嫌、と言う言葉も出てこなかった。これでもう一つの不安が消える。

 だが、そうなってくると、次に浮上するのは不安ではなく、不満だ。


「少し前に、顔を横に逸らしたじゃないか。あれは拒絶じゃなかったのか?」


 恨みがましい声色で太蝋が訊ねる。その問いが出てくることになった夜を八重も思い出して、あの時の気持ちが蘇り、胸がぎゅっと締め付けられた。


「それは……だって……」


 太蝋は問い以外の言葉を発することなく、八重を見つめる。

 八重は絞り出すような声で答えた。


「旦那様は……姉様のことが…………」


 八重の声はそこで途切れた。あとは口にするのも恐ろしいと言いたげに、不安そうに首を竦めて俯いているだけ。

 そんな八重の姿と、答えの内容を照らし合わせて太蝋は言葉の続きを考えた。

 八重の言う姉様とは勿論、千重のことだ。八重が口付けを拒んだ理由に、太蝋と千重の名称が上がると言うことは、自分と千重が関係しているのは間違いない。


(……ん? 〝関係〟……?)


 太蝋と千重の関係。それは元婚約者同士。四年前の噴火がなければ結婚していた相手。妻の座には、今目の前にいる八重ではなく、姉の千重が座っていただろう。

 つまりは、二人は恋仲であった筈だと、八重は考えているのではないか?

 そして、今でも太蝋は千重が忘れられないでいるのではないか?

 そんな疑念が八重の中に生まれたのだとしたら、太蝋からの口付けを拒絶するに値する理由である。


 ここに至って、ようやっと太蝋は理解した。八重が何を不安に思っているか、を。


「ちがっ……!!」

「ふぇ……っ!?」


 あまりの衝撃に太蝋は思わず前のめりになって、否定の言葉だけ力強く口にするところだった。驚く八重の顔を見て、少し冷静さを取り戻した太蝋は深い溜息を吐きながら、胡座をかいた体勢に戻って口を開いた。


「私と千重の間には友愛はあれど、恋愛は無かった。悪友同士のような関係だったんだ。確かに婚約者同士ではあったが、互いに額にも口付けしたことなどない」

「え……」


 太蝋と千重は婚約が決まった日から、周囲に祝福されるほど似合いの二人だった。当然、二人も互いに恋慕を持っているものと思っていた。


 何故なら婚約から六年間、二人はずっと文通していていたから。その姿を八重は千重の傍で見ていたのだ。

 千重は、月に一度の頻度で届く文の内容を毎回楽しそうに読んでいたし、楽しそうに返事の文を書いていたのだ。たまに「八重も一言書いてみる?」と誘ってくる姉に、断りを入れるのが大変だったことも昨日のように思い出せる。


 二人が結婚して共に暮らし始めるまでに、文で愛情を深め合っているのだろうと信じて疑っていなかった。


 だからこそ、八重は苦しんだ。千重への罪悪と嫉妬を覚えてしまう自分が、嫌で嫌で仕方がなかった。太蝋と夫婦の真似事をしなければならないことが、辛く悲しいものとなってしまった。


 それら全ての感情は八重の思い過ごしであり、千重と太蝋は恋仲ではなかったのだと言われても、信じていいものかも分からない。はいそうですかと、すぐに納得出来るものでも無かった。


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