-57- 山の如し拳
台風発生から二時間が経過した。
依然、嵐亀は一定の場所から動くことなく、同じ場所からその猛威を奮い続けている。まるで何かを取り戻そうと足掻くように。
「――おゥおゥ。奴さん、随分と足が遅い亀じゃねェの。内陸で足が遅い台風ってのは、厄介だって相場が決まってんだがね」
「大隊長……!」
八重の結界に守られている太蝋と柿丸の元へ、災物対策火護大隊隊長・剛田豪が現れた。災物討伐専門家が集まる炎護隊の総指揮だ。
普通なら立っていられないほどの暴風域だと言うのに、剛田は余裕の笑みを浮かべて堂々と立っている。
「おォ、なんだ太蝋。随分とあったかそうなもんに包まってンなァ。良い女房貰ったじゃねェの」
にやにやと意地悪げに笑う剛田の言葉に、太蝋は頭にカチンときた。
「言ってる場合ですか!? 緊、急、事、態!!」
「おゥおゥ、うるせェな。んなこと、分かってらィ」
剛田はそう言いながらも、太蝋と柿丸がいる前に「よっこらせ」と言ってしゃがみ込んでしまった。そして、茫然としている柿丸に話しかける。
「よゥ、柿丸。ベーゴマ楽しかったなァ」
「え? う、うん……」
「おめェ、凄い、はしゃぎっぷりだったもんだから、おっかさんに雷落っことされてエラい目ェにあってたもンなァ」
「……うん」
「けどよ、おめェの萬治への気持ちが伝わったから、今日も一緒にここに来れたんだ。良かったなァ」
「……ん」
「おめェのおっかさんに「どうぞ、柿丸をよろしくお願いします」って頼まれてな? あァ、柿丸は家族に愛されてんだ。良い家で育ってんだ。だから、柿丸は良い男に育ってんだァって、俺ァ思ったのよ」
「……」
剛田の話を聞く内に柿丸はどんどんと俯いていった。しかし、剛田をそれを許さなかった。
「おめェの隣にいる蝋燭男を見てみろ? 雨と泥に塗れて、女房に顔向け出来ねェくらい汚れてらァ」
「今、私は関係ないでしょう」
「関係あるに決まってんだろ。命張って柿丸助けたのは――太蝋、おめェだろうがィ」
しれっと剛田の口から告げられた事実に、柿丸は耳を側だててハッとした。
両親は意地悪で萬治を探しに行かせてくれなかったんじゃない。太蝋は嫌がらせで萬治の捜索をやめたんじゃない。全ては柿丸を守る為だったのだ。
「柿丸。萬治もおめェが大好きだから、こォんな姿になってまで帰りたいって思ってたんだろォよ」
「……!」
萬治が嵐亀になってしまったのは、柿丸の元へ帰りたいと思ってくれていたから。その原因を作ってしまったのは、萬治を取りこぼしてしまった自分だ。
その事実が悔しくて悔しくて仕方がない。何も出来ない自分が悔しい。
すると、剛田はまた「よっこらせィっと」と言って、膝打って立ち上がった。そして、嵐亀を見据えながら柿丸に言う。
「柿丸ッ! さー、決め頃だィ! 家族と新しい友達がいる帝都を守るか! 何もかも壊しちまう昔っからの友達と、いつまででも遊んでるか! どっちが良い!?」
その問いかけで、柿丸に嵐亀の――萬治の命運を決めることを望まれているのは分かった。また、その答えは最早一つしかないと言うことも。
柿丸は立ち上がって、嵐亀に成り果てた萬治を見上げた叫んだ。
「萬治! 心配せさてごめん! ボクはもう大丈夫! お前以外にも友達が出来たよ! お前みたいにカッコいい友達なんだ! だから……! だから……!」
その先の言葉を口にしようとしても、喉の奥から出て来ようとしているのは嗚咽だった。どうしても、別れの言葉が口に出来ない。
どんなに姿を変えても、目の前にいる亀は間違いなく友達の萬治なのに。
自分が死ぬまで、ずっと一緒にいられる友達だと信じて疑っていなかったのに。
萬治は周囲に巡らせていた暴風の勢いを少しだけ弱めた。
それが何を意味するか理解する前に、萬治は周囲に蔓延っていた風蛙を全て吸収し始める……!
子災物を取り込んだ頭災物は更に勢力を増し、甚大な被害を増やす要因となる。柿丸が決別の言葉を口にしたことで、萬治は裏切られたと思い、暴走を始めようとしているのか?
そんな疑念が太蝋の中に浮かんだ。しかし、萬治は風蛙を取り込んで以降、一切身動きを取らなくなった。
――まるで、死を受け入れたかのように。
挙動しなくなった萬治を見上げ、剛田がにやりと不敵な笑みを浮かべて肩をぐるぐると回した。
「おめェも良い漢だ!!」
そして、ドスドスと地面を踏み鳴らしながら走って行き、萬治の腹の下に潜り込んだ!
剛田の目にはしっかりと萬治の霊核の場所が分かっている。
「漢の最後はァ! 派手でなくっちゃあなァ!!」
言い切ると同時に剛田は頭上に向けて重い打撃を突き出した!
岩のような重みを感じさせる拳が萬治の腹を貫き、甲羅までをも貫いていく。そして、破壊された萬治の甲羅の一部が白銀の粉として周囲に散った。まるで、小さな花火のような美しさだった。
萬治は穏やかな目をして霊力の塵となって消えていく。最後まで柿丸の姿を目に写しながら。
台風は治まった。発生から約二時間。決して軽微とは言えない被害を残し、台風の災物・嵐亀――萬治は討伐されたのだった。
最期に萬治が鎮座していた場所へ向かうと、そこには真新しいイシガメの死体が一つ。柿丸は震える手でイシガメを掬い上げて、涙を零した。
「萬治……。まんじぃぃ……! うわああぁああぁん……!!」
萬治の死体には小さな穴が空いていた。嵐亀だった時に剛田が開けた風穴だ。それこそが、嵐亀が萬治であったことを証拠付けていた。
萬治は柿丸の元に帰ろうとしていた。自分を大切にしてくれた友達の元へ。




