-56- 災物になるモノ
風景が勝手に後ろへ流れていく様子を見て、自分が運ばれていることに気が付き柿丸は再び太蝋に苦情を叫んだ。
「何するんだよ! ボクは萬治を連れて帰――」
「いい加減にしろ!!」
風蛙を太蝋と柿丸に差し向けたのは、間違いなく嵐亀だ。あれほどの統率力を持ってして、人を殺そうと動くには指揮官がいる。そして、今この場には自身が災害を振り撒く強大な指揮官が、風蛙にはついているのだ。
その指揮官――嵐亀にまだ愛着を持っていて、あまつさえ家を連れて帰るなど、許されることではない。
「あれはもう萬治じゃない! 台風の被害を振り撒く災物、嵐亀だ! 萬治は死んだんだ!」
友達の亀が死んだ。その事実は柿丸の頭をガツンと殴るほどの衝撃だった。だが、信じられる訳がない。
「死んでない! 萬治は生きてる! 大きくなって、ボクのところに帰って来たんだ!!」
事実、柿丸が萬治だと思っている亀は目の前にいる。視界を占領するほどの大きさを誇る白い亀が。
柿丸に主張に対し、太蝋は走っていた足を止めて、更なる真実を告げた。
「災物は、死んだ動物が霊力を取り込むことで発生する災害だ。あれが萬治だって言うなら、間違いなく萬治は死んでる」
「えっ……!?」
「死んでなきゃ、災物にはならないんだ」
「そんな……嘘だ……」
受け入れ難い真実を突きつけられ、柿丸はふるふると首を横に振って認めようとしなかった。萬治が死んだと言う事実を受け入れたくなかった。
「嘘だあぁあああぁ!!」
悲痛な叫びを柿丸が上げたと同時に、それまで歩みを止めていた嵐亀が一歩踏み出した。着地と同時に強烈な風が噴き上がり、横殴りの雨を更に加速させる。風と水による複合攻撃を仕掛けられているも同然だ。
嵐亀の足が向かう先は帝都――ではない。悲痛な叫びを上げた友・柿丸が居る方向だ。
「まさか……! 生前の意識を持ってるのか!?」
悲しむ友を慰める為だけに歩を進めているだけなのかもしれない。あるいは友を拘束している不埒ものを退治するつもりなのかも。いずれにしても、嵐亀の目標は帝都ではないことが分かった。
嵐亀の目的は、柿丸の元に帰ることだったのだ。
「くっ……! 厄介な……!」
嵐亀の目的が柿丸の元への帰還であるなら、柿丸を人里へ避難させることは出来ない。この危険な状況下に置き続け、応援が来るのを待つしかないと言うことになる。応援が駆けつけ、嵐亀を討伐出来る状況になっても、それは柿丸の前で友を殺すと言うことに他ならない。そんな場面を幼い子供に見せて良い筈が無い。
嵐亀もまた、柿丸の声に呼応して災害を振り撒いている。風蛙を太蝋に差し向けたのは、太蝋を殺し柿丸を救い出すつもりだったからだろう。それによって柿丸も一緒に苦しんでいたとは思いもよらなかったのかもしれない。
何はともあれ、今はこの状況を打破出来る策が太蝋には無い。柿丸を放り出すことなど出来ないのだから。
泣き喚く柿丸を抱き抱えて太蝋は嵐亀から逃げ回った。嵐亀が一歩一歩進む度に、周囲に強風と雨が舞い上がっていく。その風に足を掬われ、泥となった地面に転びそうになるのを必死に堪え、とにかく走り回った。
山側へ近付くことも、帝都へ近付くことも出来ない。このままでは、じり貧だ。
嵐亀が太蝋の手から柿丸を救い出そうと、大きく一歩踏み出した。その一歩はこれまでの一歩よりも強烈で、とてつもない暴風と大粒の雨を叩きつけてきた。
周囲に生えていた木はぼっきりと折られ、小屋だった廃墟がそこかしこに見えている。
「ぐ……ッ」
歩くことすら許されないような状況に陥り、太蝋はせめて吹き飛ばされないように地面に這いつくばった。身体の下に柿丸を庇い、泥に塗れた手元を見て思う。
(あぁ……せっかく、八重が仕立ててくれたと言うのに……。もう汚してしまったな……)
純白だった絹の手袋は雨や泥を吸い込み、すっかり茶色に染まっている。手にべったりと張り付いて、絹らしい通気性など一切感じられない。
――だが、不思議と暖かさを感じた。
次の瞬間。
太蝋と柿丸に襲いかかっていた暴風と大粒の雨が、ぴたりとやんだ。
しかし、すぐ近くでは雨が地面を打ち鳴らす音が聞こえてくる。
暴風の中にいた筈なのに、まるで息苦しさを感じない。
怪訝に思い、太蝋はむくりと起き上がった。
その瞬間、太蝋の視界に映ったのは、紗織りの絹を思わせるような白くて薄い膜。その膜は、太蝋の周りを囲むようにして存在していた。膜の向こうでは暴風雨が吹き荒れる光景が広がっている。にも関わらず、太蝋と柿丸が居る場所だけが、平穏そのものなのだ。
「これは……」
太蝋は自分達を囲んでいる膜が帯びている霊力が誰のものであるか、すぐに見破った。
「八重」
太蝋達を保護している膜――結界は、太蝋が身に付けている手袋を媒体にして発動していた。極々狭い距離の結界だが、嵐亀による被害を一切通していない様子を見るに、かなり力が強い結界のようだ。
「なにこれ、きれ~……」
太蝋と同じように起き上がってきた柿丸は、八重の結果を見て素直にそう言った。まるで蚕の繭のような美しさと、柔らかさを兼ね備えているような――対象を優しく包み込む結界だった。
「あぁ、奇麗だ」
霊力の形だけでは無い。八重が手袋へ込めた思いの形が、太蝋の心に染み込んだ。
『旦那様が、無事に帰って来られますように』
そんな思いが込められていたからこそ、今、太蝋と柿丸を守ってくれているのだろう。
冬空から、ほんの少しだけ顔を覗かせた太陽のような安心感を以ってして――




