-49- 付かず離れず
月明かりと太蝋の炎で照らされた機織り部屋の中で、八重と太蝋は絹を眺めていた。光沢がある糸が織り重なって布となり、純白の光を放っている。空に浮かぶ月のような美しさが二人の手元に在った。
「――奇麗だな」
絹への言葉だと分かっていても、その言葉で八重の心は騒ついた。他の誰が言っても、こんなに心臓が騒がしくなることはないだろう。自らの手で織った絹を誉められたことが、自分自身を誉めてもらえたようで嬉しかった。
「とても良い絹糸を、旦那様が贈って下さったお蔭です」
何とかそう言って自分の感情を誤魔化すと、太蝋は壊れ物を扱うように絹を撫でながら言った。
「糸は勿論だが、仕立てた人間の腕が良いんだ。例え絹糸じゃなくても、お前なら奇麗に仕立てただろう」
今度は絹ではなく八重自身を誉めてきた。それがむず痒くて、八重は膝の上で手を拱きながら呟く。
「そ、それは……わ、分かりません……」
「不器用な母を持つ私が言うんだから、八重の腕前は確かなものだと言えるよ。自信を持ちなさい」
「ええと……」
太蝋の母――つまりは火焚家の当主であり、八重にとっての姑。機織り機を譲り受けた時に、『まともに使えた試しが無い』と当主が話していたことを思い出す。あれは当主本人が不器用だからだったのかと気が付き、どことなく気まずさを覚えた。だが、その話を聞いたお蔭で別の話へのとっかかりを得た。
八重は不自然な慌てぶりを見せながら、話題を変える。
「お、お義母様には帯揚げを仕立てて贈りたいと思ってるんです。余った絹糸で帯留め用の紐を編めたらとも考えていて――」
八重は当主に贈る予定の品物の仕様をどうするつもりなのかを語り出した。
帯揚げには朝顔の刺繍を施したいと言ったり、帯留めの紐には別の色紐を混ぜて華やかにしたいと話す。帯留め本体は、呉服屋の結ゐ《い》処で購入出来ればと考えているようだ。
話題を変更しただけのつもりが、得意分野の話だからかスルスルと言葉が出ていく。それを太蝋は「うん」「そうか」と短い相槌を打ちながら、大人しく聞いていた。
一通り、当主への贈り物について語り終えると、八重は満足した様子でホッと息を吐いた。
そんな八重に太蝋は、少し意地悪をしてみたくなった。
「母上への贈り物は凝ったものになりそうだな。私への贈り物と違って」
八重が太蝋に贈る予定の物――それは手袋だ。
太蝋からの指摘を受けて、八重は内心で言われてみれば……と思い、慌てて提案をした。
「て、手袋にも何か刺繍を――」
慌てる八重を見て、太蝋はフッと笑い声を漏らす。
思った通りの反応が返ってきたことが面白かったのだ。
「いや、冗談だ。私の方は無地で良い。作って貰えるだけ有難いよ」
そう言って、太蝋は八重の頬を撫でた。その手は熱が灯った八重の顔よりも熱い。
太蝋は八重と対峙する時は手袋をしなくなっている。手袋越しに触れるよりも、素手で触れた方が満足感を得られると知ったから。
だが、一つの欲を叶えたら、また一つ欲は増えていくもの。素手で触っても大丈夫だと分かってからは、頬や頭を撫でる以上のことを求めてしまっている。
今もまた、頬を撫でられて赤くなった八重を見て、ふよふよと動く柔い唇に口付けたいと思っている。身一つ分の距離を零までに縮めたいと願っている。
太蝋は無言で八重を見つめ、徐々に八重との距離を詰めていく。
近付いてくる太蝋の気配に気が付いて、恥ずかしさを覚えた八重は眉尻を下げて俯いた。だが、太蝋に顎を取られ、強制的に上へ向かせられる。
けたたましい心臓の音が耳の奥で鳴り響き、目の前が太蝋の顔でいっぱいになって思考が絡まっていく。だが、八重は目をぎゅっと瞑って、口を真一文字に噤んだ。唇を重ねることになるのなら、目と口は閉じていなければ。そう思ったのだ。




